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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
芙蓉の鯉
15/60

十五折

 日が進み、出仕に慣れてきた曙のころ。

 その日はめずらしくクロの姿がなく、寂しく思いながらも、折姫は芙蓉殿へと上がった。

 今日は楽しみにしていた音楽の授業だ。

 大広間に出ると、すでにカヲルが譜面をひろげ、待っていた。


「おはよう、折姫。さっそくはじめるぞ」

「おはよう?」


 折姫は首を傾げた。

 カヲルは譜面に視線を落とし笛を構えたが、その中身はカタカナが羅列されているだけだ。折姫の知る譜面とはまるで異なる。


「呪文? 人を呪い殺す呪文?」

「そうきたか」


 カヲルは目を据わらせた。

 何日か共に過ごしていると、折姫の学のなさはすぐに浮き彫りとなった。

 無知の知と言えば聞こえはいいが、恥というものを知らず、なんでもかんでも訊ねてくる。普段ならば気を良くして答えるが、疲弊しきった務め終わりには、少々うざったい。


「教えている暇はない。耳で憶えろ」

「はーい」


 気を取り直し、笛を吹く。

 目を瞑り、聞いていた折姫はすぐに顔を華やがせた。


「素敵……! 五月にピッタリ!」

「まあ、季節は合ってる」

「みんなといっしょに、合奏は難しいかしら」

「楽器を集めてもいいが、幼い御子には難しいな」

「待って。……そうだ!」


 折姫は広間の角に置かれた折り紙を一枚取ると、手早く形を作った。

 

「それは、なんだ?」

「音符です。今から言う音階を、笛で吹いていただけますか」


 そう言うと、折姫は「あ────」と、低い声を出した。音階は『ド』だ。

 カヲルが笛で奏でると、折姫は音符を指で押した。


「みて」


 音符の折り紙を押すたびに、笛の音が吹き出る。


「この調子で七種類折れば、立派な楽器になります」

「押すだけなら、三歳のコトハでもできるな」


 カヲルは感心した。

 折姫は物を知らないが、発想の転換に関しては人一倍はやい。更に折るだけでなく、その先の用途を考え、仕組みを変えてくる。

 計算や詠唱をすっ飛ばして。

 もはや異能だ。


「それなら音階によって、色を変えてみてはどうだ」

「色のお勉強にもなりますね! 昨日使った色水なら──」


 折姫が踵をあげて立ち上がろうとすると、カヲルに腕をつかまれた。体勢を崩し、覆い被さるようにして倒れ込む。


「え? え? なんで?」


 が、カヲルは颯と避けたため、鼻を板間にぺちゃん、とこすった。


「いった──────い!」

「す、すまん、つい! ぶっ、あはは!」


 鼻頭が真っ赤に擦れている。

 折姫はその小鼻を膨らませた。


「なんで避けたのですか!」

「いやあのままお前を受け止めていたら、ミカドの御守りで、俺の脳みそ吹き飛んでたし」

「そっか。じゃなくて! じゃあ、なんで腕をつかんだの!」

「なんで? さあ」

 

 カヲルは言葉を濁した。

 つい抱きしめたくなったから、などとは言えない。

 いつもの調子ならばスラスラと口をつくのだが、折姫を前にすると、なぜか甘い言葉は引っ込んだ。


「ほらよ」


 折姫の鼻へ、ぶっきらぼうに護符を貼り付ける。


「なあに、これ。私、キョンシーじゃありません」

「キョンシー? これは治癒の護符だ」


 短く詠唱して、剥がすと擦り傷が治っている。

 折姫は鼻と共に機嫌も直した。


「すごい! お札で怪我を治せるなんて、ほんとうの魔法みたい。貺都はなんでもありですね!」

「なんでもありは、お前の異能だよ。……疲れた。背中を貸せ」

「背中? こう?」

「折れたら音階を教えろ。俺は笛を吹いて、色を塗る。陽が出っきるまでに終わらせるぞ」

「はい」


 背中を合わせると、カヲルは思いきり寄りかかってきた。

 よほど疲れているのだ。

 先ほども寝ぼけて腕を掴んだのだろう。務め終わりに申し訳ないなと、折姫は思う。

 背中ごしでは、カヲルの邪な感情は届かない。

 少し折りづらいが、しばらくそのままで音符を作り続けた。



「抱き合うことができないから、背中で温もりでも感じているんですかね?」


 強い陽射しが入るころ、唐突にシオンが割り込んできた。


「もう、シオンったら、どこへ行っていたの? 大変だったんだから」

「一体どのへんが」


 イチャついているようにしか見えないが。


「折り終わった途端に、これよ。揺すっても起きないの」

「めずらしいですね。薫の君が、御帳台の外で眠り込むとは」

「そうなの?」

「これでもなかなか、ご自分に厳しい方なのですよ。うーん!」


 シオンが肩に腕をのせるが、頭ふたつぶん大きいカヲルの身体はビクともしない。 


 桜の精霊よ、軟弱すぎやしないか。


 折姫が『役立たず』をまばたきにして強い視線を送っていると、白妙が前を塞いだ。

 ミカドだ。


「私が運ぶよ」


 少々強引だが、軽々と背負い立ち上がる。

 その袴の裾が、泥に汚れていた。


「ミカド様も、今までお務めでいらしたのですか」


 折姫が遠慮がちに訊ねる。


「ああ。でも失敗だ。カヲルにも負担をかけさせてしまった。……ふたりの時間を邪魔をして、すまない」

 

 それだけ言うと、ミカドはカヲルと共に、芙蓉殿の奥へと消えた。

 




 今日の芙蓉殿は一日じゅう、愉しげな龍笛の音が聞こえるのに、カヲルの姿がない。後宮女人が変わるがわる、大広間を覗いては、お遊戯会のような情景にガッカリとうなだれ消えた。

 八つ刻になってもカヲルの残り香すらなく、ついには折姫へ訊ねる、出しゃばりが現れた。


「今日は薫の君はいらっしゃらないのですか。喧嘩でもなさったのかしら?」

「待ちなさい。誰に許可をもらって、女御様に声をかけたのです!」


 声を荒げたのは、乳母だ。

 毎朝子どもたちのためだけに、熱心に語り合うふたりを見ている乳母は、色眼鏡で物事を見て、噂ばかり先走る女官たちを毛嫌いしていた。

 出しゃばりは言う。


「身分を利用して、薫の君を独り占めするような方が、女御様?」


 クスクスと、耳障りな笑い声が大広間に轟く。

 乳母はわなわなと肩を震わせた。


「なんてことを……!」

「言わせておきなさい」

「折姫様!」


 なにかよくないものが、天井に澱んでいる。

 きっとそれが、ミカドの集めたいものに違いない。

 幸い、御守りの効果か子どもたちには害がないようだ。

 折姫は淡々と言った。


「薫の君と春の君は、今朝までお務めでございました。大変お疲れのようで、奥の御帳台で休まれております」


 蔑みが、嘆声に変わる。

 折姫は知らないが、芙蓉殿には夜伽に上がった女御の側仕えも身体を休めるようにと、奥に御帳台が並んでいる。今では宴に客人を招き入れるくらいで、あとはカヲルが好きに使っていた。

 今なら相手をしてくれるかもしれない。

 そう思った女官たちが色めき立ち、奥の間へ足を向けようとするが。

 折姫の澄んだ声が通る。


「お疲れなのだと、言いましたよね? あなたがたも彼らや乳母を見習って、少しは務めに真摯になってはいかがかしら」

「新参者が、生意気な……!」


 内侍司が口出ししようとしたときだ。

 大広間へずかずかと、入ってくる男がいた。


「もっともらしいことを言うではないか、のう」


 なんだ僧侶かと、みな一斉に扇子を開く。

 遅れて折姫と乳母が開くのを見届けると、男は「もっとちゃんと顔を隠して」と、そばで耳打ちをした。

 折姫のほうへ身体を屈めたことで、後ろにいた上達部かんだちめの姿があらわとなる。


 今度はみな波のように引き、揃って頭を垂れた。

 隣にいた乳母もまた頭を低くしながら、折姫へ耳打ちをする。


「折姫様! 左大臣様と右大臣様です!」

「それって偉い人?」

「ははっ! まあ、あなたが頭を下げる必要はないよ。急ぎの話しがあるようでね、私はあのふたりを起こしてこよう」


 そう言うと、男は奥へと消えてしまった。

 その間、どうもてなせばと一寸悩んだが、大臣たちが腰を落ち着ける間に戻ってきた。

 ふたりの首根っこを掴んで、ずるずると引きずっている。


「お連れしましたので、私はこれで」


 男は大臣の前にふたりを突き出すと、また裸足のまま庭を降りて、行ってしまった。

 カヲルが頭を上げる。


「あたたた、げ! 右大臣!」

「げ、とはなんだ。叔父上にむかって」

「叔父上?」


 扇子のなかでつぶやいたつもりが、聴こえてしまったようだ。

 顔は見えないが、大臣ふたりは同時に咳払いをした。

 カヲルの隣でまだ眠そうなミカドの声がする。


「こちらの姫君は桜の壺の女御です。折姫、ご挨拶を」

「はじめまして」


 シオンにならったように、扇子を置いて深々と頭を垂れた。また扇子を持ち直し、顔を隠す。男に言われなければ気にしなかった、面倒なしきたりである。


「そしてこちらが、左大臣と右大臣。左は桜。右は橘。胸の紋を覚えておくといい」


 なるほど、扇子の中骨から覗くと、右大臣の深緋色の袍に浮かぶ、橘の花が見えた。

 右大臣は近くにいた御子をつかまえ、優しく訊ねた。


「最近はどうだ。退屈はしていないか」

「折姫様が来てから、毎日すんごく愉しいですよ!」

「ほう。どのように」

「それが、今日はみんなで五月のうたを、弾けるようになりました!」


 声をかけずとも御子たちはひとかたまりになると、かき集めた音符を並べ、せーので奏で始めた。


「この曲──」


 カヲルは驚いた。

 今朝一度吹いただけの曲を、折姫は耳で憶えていたのだ。それを八つ刻には、御子たちが奏でている。

 右大臣は手を叩いて称賛した。


「いやぁ、素晴らしい! 女御に御子の相手をさせると聞いたときは、思わず酒を噴き出したものだがな! 出仕は正解だったようだ、なぁ左大臣」

「私は馴れ合うつもりで来た譯ではない」


 左大臣の声の調子は重い。


「春の君。いつになったら、鯉の異形を封じられるのです。今朝も御所へ新たな水を引くのに、どれだけ時間がかかったか」

「その件につきましては、誠に申し訳ございません」

「謝るなよ、ミカド。簡単に封じろと仰いますが、先代も手に余らせていたほど強い異形ですよ。昨夜だって、腹を空かせた鯉が牡丹の壺を襲ったのです。ミカドが水を抜かなければ、殿舎ごと女御が啖われていた」

「水を抜き、追いつめたつもりが北池に逃げられたのだろう。情けのない」

「広い北池の水を抜くには時間がかかりますし、何百匹といる鯉に紛れられたらみつけようがありません」


 右大臣がカヲルを扇子で指した。


「お前こそ、春の君を庇うなよ。鯉の泳いだ跡から湧いて出た餓鬼を祓うに、ひと晩じゅう走り回っていたのは誰だ?」

「俺ですけど?」

「カヲル、もういいから」


 ミカドはふたりへ頭を垂れた。


「昨夜のとおり、水を抜いても逃げ馳せる魚です。ひと所にとどめさせる、巧妙な仕掛けが必要かと。必ずや封じますので、今しばらくご辛抱ください」

「待てないなら、ご自分たちでどうぞー」

「このクソガキ!」


 右大臣がカヲルにゲンコツを落とす。

 左大臣は深い溜め息のあと、静かに立ち上がった。


「晴れ晴れとした梅雨明けを、お待ちしておりますぞ」


 期限はそこまでということだ。

 大臣たちと共に、女官たちも一斉に散っていく。

 扇子を閉じ、空を見上げれば、陽が茜色に染まっている。カヲルもまた大きな欠伸をこぼし、立ち上がった。


「だりぃ。寝足りないから、寝る。ミカド、あと一刻で起こせ」

「わかった」


 残された折姫とミカドの狭間を、掃司が駆け抜けていく。

 折姫はぼんやりと考えた。

 カヲルがあと一刻というなら、ミカドもまた一刻しか休めないのだ。寝足りないのならば、カヲルと共に御帳台へ向かったはず。寝る以外に休むとなると──。

 腹の虫が鳴る。

 折姫は帯をさすりながら、ミカドを誘った。


「私たちも、戻りましょう」



 桜の壺に膳を運び入れたシオンもまたくたびれ果てており、ガチャガチャと音を立てながら並び終えると「もう喚ばないで!」とひと言残して消えてしまった。

 お箸を取りながら、ミカドに問う。


「昨夜はシオンも忙しくしていたのですか」

「ああ。彼がいないと、難しい。日中はなるべく使役しないようにしているけど、しばらくはあなたに不便をかけると思う」


 なめらかに言葉にするが、覇気がない。

 落としがちな瞼からは、長いまつ毛が御簾のように垂れている。素をさらした彼を初めて見れたようで、折姫は一寸嬉しくなった。

 あと務め終わりのご飯が美味しい。

 いつものように「お豆おいしい」「魚の焼き加減絶妙!」などと、ひとりごとをつぶやきながら食べ終えると、音をたてずに膝を立てた。

 同じように皿をさらえているのに、いつまでも宙に箸を泳がせていたミカドは、ふいに肩をなでられ、飛び上がるように姿勢を正した。

 振り返れば、折姫が両肩に手を置いている。


「な、なに」

「肩をお揉みします」

「肩を?」

「お疲れのようなので身体をほぐしたほうが、よろしいかと思って。苦手でしたら、やめますが」

「──お願いします」


 ミカドは音を鳴らせて箸を置くと、尚も居住まいを正した。

 折姫が指を動かすが、石のように固い。


「えぇ! ミカド様、肩に力を入れていませんか?」

「あ、ああ」


 そうか、と力をゆるめると、自然と首が倒れた。

 襟足の色っぽさにギョッとする。

 だがしかし、今はミカドの疲れをとることに集中せねばならない。

 折姫はそう心に決めると、首筋に親指を押しこんだ。


「ふぁ」

「痛かったですか!」

「いや、続けて」


 それからミカドはすっかり猫背になってしまった。

 はじめは声を押し殺していたが、次第にどうでもよくなって、何度も色香のある溜め息をこぼした。

 折姫もまた、ミカドが気持ちよさそうに身体を預けてくるので、自分はマッサージ師なのだと心でつぶやきながら、念入りにほぐしていった。

 四半刻は続けただろうか、つりそうな手を離すと、ミカドは恨めしそうに見上げてきた。


「もう、おしまい?」

「は、はい」 ではもう少しと、言えないほどには、腕がパンパンである。


「ありがとう。すごく気持ちよかった」

「それはよかったです」


 折姫は達成感を胸に、喉を潤そうと茶碗へ手をのばした。すると、ミカドにその手をつかまれ、強く引き寄せられた。


「え? え?」


 だが今度は、鼻をすりむかずに済んだ。

 ミカドは折姫を包み込むように、抱きしめた。

 折姫は思う。

 もしかしてこれは、マッサージのご褒美ではと。

 釈然としない気持ちはすぐに、喜びで打ち消された。

 嬉しくて泣いてしまいそうだ。

 欲張りになって背中へ手をまわすと、ミカドは息が詰まるほど力を強めた。

 なにか心で念じるように。


 身体が離れると同時に、ミカドは温もりごと消えていた。





 *





 明け方、ミカドがとぼとぼと春宮御所を目指していると、頭上の空の霞が明け、昼間のように明るくなった。

 辺りに火花の雨が散る。

 御所御用達の神獣、朱雀だ。

 背には主上がのっている。


「よう、務め終わりか」

「そうですが」

「では、私に付き合え」

「ご冗談を。さすがの私も倒れます」

「まあいいから、のれって」


 首根っこをつかまれ、無理矢理のせられる。

 上背がのびようと、ちいさい頃と扱いは変わらない。


「昨日は散々であったなぁ。お前がいなかったら、今ごろ牡丹の壺は死人で溢れていたというに。みな勝手なものよ」

「しかし逃したことで、より一層不安を募らせる結果となりました」

「不安にさせておけばいい。みな御所の平和に甘えすぎている。我々の陰の努力を知らずにな」


 朱雀の首を撫で、羽根を強く羽ばたかせる。


「さあ行くぞ。今日は鬼探しだ」

「鬼探し? 退治ではなく」

「先ほど検非違使けびいしから知らせがあってな。谷底へ封じていた罪人が脱獄したようだ。鯉を放った術師はそやつかもしれん。手分けして探すぞ」


 ふたりは御所を出て空の旅へ。

 されど罪人の気配は煙のようにつかめない。

 恨めしくもミカドは眠る暇すらも奪われ、毎日捕物に手伝わされる羽目となる。


 以来、芙蓉殿へも姿を現さず、桜の壺で膳を囲うこともなくなった。

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