十二折
「お前……、大丈夫か?」
カヲルの声がけに、折姫が顔を上げる。その顔色は悪く目のクマが化粧で隠せていない。
「昨夜、根を詰めすぎてしまって」
「それはわかるが。結果が、これか」
「やぶ蛇でした」
ねずみ、リスにうさぎ、可愛らしい小動物たちがグッタリと芙蓉殿の板間を埋めつくす。まるで地獄絵である。それでも子どもたちには、大人しく悶える折り紙は手に取りやすく、わらわらと群がり遊びはじめた。
「ではミカドに聞いたのだな。お前のその力のことを」
「は、はい。今折っていても信じられませんが」
折りたての小鳥が翼で顔を隠し、ごろごろ転がっていく。
「……あいつ、つばでもつけたか」
カヲルはそう言うと、庭で飄々としているミカドに飛びかかって行った。ミカドは嫌な顔ひとつみせず顔をつきあわせ、不敵に笑んでいる。
折姫はそばに座る女官へ訊ねた。
「おふたりは以前から仲が良いのですか」
「それはもう。春の君と薫の君は、対の花。ほんとうに絵になりますわ」
「春の、君?」 花宴で香った桜の香を思い出す。昨夜はどうだったろうか。緊張しすぎて思い出せない。
「折姫さま……?」
「はい!?」
「あなた様は、桜の壺を与えられた方。身分をお弁えくださいまし」
その女官は扇子の奥で、折姫を戒めるような声音で話した。
「主上が中宮をご寵愛の今、この後宮に働く宮女のほとんどがおふたりの妻にと御所入りし、その座を狙っております。今宵だって、どちらの局に渡られるのか、みなが熱い視線を送っておりますのよ」
「つぼね……?」
「我々、宮女の閨です。おふたりの相手はつきません。薫の君は芙蓉殿の景観を気に入られているから、どんなに恐しくてもと、居つく宮女もおります」
私のように。
と、扇子を扇ぐは、芙蓉殿の内侍司。いつかの赤毛の美女だ。
「春の君は近ごろ薔薇の壺へお通いだとか」
「薔薇の壺……」
「とても愛らしい姫君がいらっしゃるようよ」
折姫の胸が軋むように、痛んだ。
あれだけ美しく立派な方なのだ、妻や恋人がいるとは踏んでいたが、いざ噂を耳にすると心が荒む。目を瞑れば浮かぶ御所の地図。務めを終えれば毎夜、薔薇の壺にいる宮女の髪をなで眠るのだろうか。
昨夜のキスは、お子さまな姫君とのじゃれ合いでしかなかったのだ。アスナやコトハと同じ。
内侍司はあからさまに落ち込むリスを手に取り、ほくそ笑んだ。
「折姫さま、お可哀想に……。未だ主上の玉顔も拝めていないのでは?」
「はい。まったくその通りで。どんな方なのですか?」
無垢に問われ、戸惑う。
「どんな……、と言われましても、主上は日中、紫宸殿に籠られ陽の光を浴びませぬ。公の場では厄除けの面をつけていらっしゃいますので、主上の玉顔を知る人間は、後宮でも指折りの女御さまだけかと」
「面倒なしきたりだろう? かわいそうに、主上は友も出来ない」
ふたりの狭間に男の顔が並ぶ。
内侍司は手慣れた様子で扇子をひろげたが、折姫はあたふたと、もたつき一寸遅れた。
「その反応、初々しいねぇ」
「は、はじめまして。桜の壺の女御と申します」
「あなたのことは聞いているよ。へぇ、なるほど。ふぅん」
目踏みするように見つめてくる。
黒髪の男は、古臭い黄土色の小袖袴に身を包んでいるが、壮年には届かぬ、若々しさがあった。愛嬌のある目もとや毛質など、少しミカドに似ている。
内侍司が、溜め息まじりに紹介した。
「後宮の手入れをされている、僧侶様です。小言がうるさいの」
「失礼な。今朝、神饌の果物を芙蓉殿が独占したと聞いてきた」
「ほらね」
扇子の奥で呆れた顔をしている。
「神饌から下げた果物は貴重なのだから、平等に分けなさいと、いつも言っとろうに」
「為方ないですわ。八つ刻になると、おふたりがいらっしゃる場所に、果物が集まるのですから」
「果物をもった、女の間違いでは」
男は裸足のまま、庭へとおりた。
ミカドとカヲルへもなにやらブツブツと説教をたれている。ふたりとも、まったく同じように顔を歪めたので、つい笑ってしまった。
「なにか面白いことがあって?」
「それが──」
西陽を遮り、怒りの声をあらわに現れたのは、白百合殿の中宮である。内侍司は、驚きのあまり扇子を落とした。
「しおりちゃん!」
「ち、中宮さま……! あなた様が、この夜の御殿へ、何の御用で」
「なんのって、娘たちを迎えに来ただけだけど!」
庭へ目をやる。
そこに僧侶を名乗る男は居ない。
ただ、ミカドが「みつかった」と言わんばかりに庭の裏戸に手をかけていた。
「あらぁ? 春の君は、どうして私から逃げるのかしら」
下沓のまま庭を飛び出そうとするので、折姫は両手でおさえこんだ。
「しおりちゃん! お気を確かに!」
「とめないで! きっとあの子、後ろめたいことでもあるのよ!」
「あの子?」
と、言っている間にミカドは煙のように消えてしまった。中宮は舌打ちせんばかりの獰猛ぶりである。
中宮は折姫と膝を揃えた。
「まぁ、いいわ。ここに通えば、また会えそうだし。お務めはあと四半刻ってとこかしら。少しお喋りしましょう」
内侍司に睨みをきかせるが、図太い女官は重い腰をあげない。
とりとめもない話ししかできないなら折姫の株を上げておくかと、中宮は両手を重ねた。
「聞いたよ、折姫の力。すごいんだね! 今朝なんてさ、アスナが小鬼を踏みそうになったんだけど、御守りが跳ね除けたみたいで、小鬼のほうからふっ飛んでいったんだから」
「白百合殿には、小鬼が住んでいらっしゃるのですか」
「薔薇の壺よ。あの娘たちが最近、泊まりに行ってるんだけど、あそこはお化けっていうより妖怪屋敷よ。面白い妖怪ばかりで楽しいけどね」
「わあ! それは、行ってみたいです」
妖怪やしきの主人として、是非とも参考にせねば。
「じゃあ今日にでも、薔薇の壺の女御に聞いてみるね」
折姫の周りで折り紙たちが小躍りしはじめた。子どもたちもいっしょになって踊りだす。まさかここにきて同じ身分の女御と会う機会ができるとは。中宮には感謝することばかりだ。
「ありがとう、シオリちゃん。私の出仕も、シオリちゃんの口利きなのでしょう?」
「……ん?」
「私が保育士になりたかったって言ったから。違うのですか」
「確かにそんなこと言ってたね。芙蓉殿で夢を叶えられるじゃない! まあ私は口利きなんてしてないけど」
はっきりと言う。
「じゃあ、誰が」
御子たちの要望だけで決まった話しなのだろうか。
折姫は訝しんだ。
だが保育士になる夢など、あの場でしか言葉にしていないはずだ。前夜にクロに、密かにつぶやいただけで──。
折姫の胸に冷ややかな風が通る。
ミカドが聞いていたのだろうか。寂しくしている女御のために、主上に申し開きをしたとでも。
帳台の上のひとりごとが、クロの耳を通してミカドに筒抜けだとしたら。連日つぶやく「ミカド様に会いたい」を聞かれているとしたら。
昨夜のじゃれ合いや笑顔は、折姫の想いを知ってのこと。
「……折姫、どうしたの? 折り紙が止まってる」
「そろそろ、日暮れですので」
まだ空は明るいが、折姫の顔色は確かに、帳を下ろしたようだった。
「お前、やっぱり大丈夫じゃないな」
いつの間に戻ってきたのやら、カヲルの煌びやかな顔が鼻の先に現れた。中宮が「妊娠する!」と折姫から引き離す。
「中宮様はひどいなぁ。目を合わせただけで、子は孕みませんよ」
「あんたは、それをやってのけてしまいそうよ」
「折姫は、もう帰って寝ろ。みなには俺から言っておくから」
「それがいいわね」
中宮もうなずく。
ふたりの言葉に甘え、折姫は桜の壺へ下がることにした。今日もまたシオンの姿が見えず不安だったが、昨日の手順を踏めば帰れるはずだ。
回廊からひと気がなくなったのを見届け、蔀戸を開ける。唖然とするほど、たやすく戻れた。庭の桜を望み、胸を撫で下ろす。
折姫は袿も脱がずに帳台を目指すと、布団にその身を投げ出した。目を瞑れば直ぐに眠れたが、湯殿のほうから声が聞こえた。
「はぁ、久しぶりに浸かったな」
「姫さまの湯殿が穢れました」
「お前は戻れよ。折姫から目を離すな」
「今はあなたが主人でしょうよ」
「俺の命令聞いてた?」
ずいぶんとくだけた口調だが、ミカドに違いない。折姫は心臓をはやめながら、耳を傾けた。
「あー、えーと、姫さまはー」
シオンは折姫の居場所に気づいた様子だが、何を思ったかごまかした。
「寝不足のようで、そろそろお戻りのようですよ」
「そうか。ではあがるか」
「ミカド様。やはり私は、芙蓉殿の出仕に賛成できません。姫さまがまるで晒しもののようです」
ミカドは熱い湯に浸かりながら、冷ややかに言い放った。
「文字通り、晒しものにしている。女たちの怨を集めるために」
帳台の折姫に聞こえる声で。
シオンが拍車をかけるように説きつける。
「怨霊に憑かれてしまったら? 現に一日で具合を悪くしています」
「それは、……俺のせいかな」 嬉しそうに言う。
「折姫は厄除けの力を持っているから、人ひとりぶんの怨くらいならば、自ら跳ね除けられるだろう」
「しかし先ほどだって、芙蓉殿の内侍司に苛まれてましたよ」
「それを防ぐためにお前がいるんだろうが」
「ギク」
浄らかな桜の壺で育ったシオンにとって、女の瘴気あふれる芙蓉殿は立っているだけで目眩がしてくる。地に足をつけることも勘弁ならない。
「内侍司はカヲルの女だ。いい撒き餌になる。カヲルが折姫の隣で笑う。その嫉みだけで、生け簀いっぱいの怨恨がふた月で溜められるだろうな」
「ふた月も、折姫さまの身体が持ちません」
「ふた月も瘴気にあてられ、生きていられる女は、折姫しかいない。今は折姫の力が必要なんだ。時間はかかるが、次こそは異形を仕留めねば。そのためなら手段は選ばんよ」
夕陽が射し込む頃、水飛沫の音が鳴る。
湯殿から上がったミカドの影が帳台までのびた。
まるで野生の獣のようだ。濡れたまま上衣を身にまとい、髪の水気を振り落とす。
「ミカド様の御夕膳、いかがなさいますか」
「今日もここで食べる」
「茶色くて量が多いのでは」
「美味いよ。アスナたちを送っていくから、また後で来る」
ペタペタと足跡をつけて部屋を出ていく。
少し間を空けて、
「それで、……どうします、姫さま。ご一緒に食べられます?」
「いらない」
「伝えておきます」
シオンもまた部屋から消えた。
折姫はきつく目を瞑ると、そのまま泥のように眠った。




