星約守りエルネ
星と約束を交わした少女、アリナ。
その約束は、長い時間の中で薄れながらも、エルネの家に残されていました。
歌、涙、約束。
三つの記憶が揃った今、エルネは“星約守り”として、ユノたちと共に星門へ向かう決意をします。
エルネの家に、夜が降りていた。
谷底に建つ小さな石の家は、外から見ると古びていて、今にも崩れそうだった。
けれど、地下室から約束の記憶が戻ったあと、その家は少し違って見えた。
壁のひびも、傾いた棚も、草に埋もれた庭も、ただ古いだけではない。
長い時間、何かを守り続けてきた跡だった。
エルネは地下室から持ち出した透明な箱を机の上に置いた。
その中には、青白い糸で結ばれた小さな石と、アリナの手形が残る古い布切れが入っている。
歌。
涙。
約束。
ミアの記憶灯の中には、三音の村で得た星の歌が揺れている。
青石の湖から引き上げた涙の石は、静かな青で光っている。
そして、この箱の中には、アリナと星が交わした約束が眠っている。
エルネは、それらを見つめたまま、長い間何も言わなかった。
ユノたちも急かさなかった。
カイは木剣を膝に置き、ミアは記憶灯を抱え、リゼは古い星図を読み解いている。
外では風が谷を通り抜け、青白い布を揺らしていた。
やがてエルネが口を開いた。
「私は、ずっと役目が分からなかった」
その声は静かだった。
「星約守りだって母から聞かされていた。でも、何を守っているのか分からなかった。地下の扉も開けられない。星の名も知らない。アリナの名前も忘れていた」
彼女は拳を握った。
「守っているつもりで、何も守れていないと思っていた」
ミアが優しく言った。
「でも、家は残ってたよ」
エルネが顔を上げる。
「え?」
「布も、石板も、地下室も。エルネがいなかったら、私たち見つけられなかった」
カイも頷いた。
「忘れてたんじゃなくて、待ってたんだと思う」
エルネの目が揺れた。
「待ってた……」
リゼが星図から目を上げた。
「記憶を守ることは、いつも完全な形で覚えていることではないわ。消えかけても、場所を残す。手がかりを捨てない。誰かが来た時に渡せるようにする。それも守ることよ」
エルネは透明な箱へ視線を落とした。
「じゃあ、私の家は……約束を待っていたの?」
ユノは頷いた。
「そう思う」
エルネは静かに涙をこぼした。
泣き方を知らない星の涙とは違う。
それは、自分が無意味ではなかったと知った人の涙だった。
彼女は涙を拭い、深く息を吸った。
「私も行きます」
リゼは静かに聞く。
「星門へ?」
「はい」
エルネはまっすぐ答えた。
「アリナの約束を継ぐ者として。星約守りとして。名前のない星に、約束を返したい」
カイが笑った。
「仲間が増えた」
ミアも微笑む。
「よろしく、エルネ」
エルネは少し戸惑いながらも、頷いた。
「よろしくお願いします」
ユノは彼女へ手を差し出した。
「一緒に行こう」
エルネはその手を見つめ、それからそっと握った。
「はい」
その瞬間、透明な箱の中の青白い糸が淡く光った。
アリナの約束が、エルネの決意に応えたようだった。
出発は翌朝になった。
それまでに、三つの記憶をどう持ち運ぶか決める必要があった。
ミアは記憶灯に星の歌の欠片を安定させるため、小さな金属管を灯りの側面に取り付けた。
三音の村の金属管と同じ響きが出るよう、ガルドからもらった修理道具を使って丁寧に調整する。
音を鳴らすと、五音の旋律がかすかに響いた。
高く、低く、また高く。
長く伸びる音。
消えそうな低い音。
ミアは満足そうに頷いた。
「これで歌は持てる」
涙の石は、ユノが持つことになった。
水底から引き上げた時、ユノの星灯りの剣と強く結びついたからだ。
青い石は布に包んでも、かすかな冷たさを放っている。
けれど、その冷たさはもうユノを沈めようとはしなかった。
泣いた後の静けさのような冷たさだった。
約束の箱は、エルネが持つ。
アリナの手形と青白い糸。
それは星約守りの血筋にしか扱えないらしい。
リゼは三つの記憶を囲むための簡単な儀式図を描いた。
「星門で三つを揃えた時、すぐに星の本名が出るとは限らない。記憶を重ねて、星自身に思い出させる必要があるわ」
カイが聞く。
「俺たちは何をすればいい?」
「名前を呼ぶ準備。もし星が別の名前を求めたり、塔が誘惑してきたりしても、焦って呼ばないこと」
カイは真剣に頷く。
「分かった」
ユノはエルネへ聞いた。
「エルネは、星の声を聞いたことがある?」
エルネは少し考えた。
「小さい頃から、夜になると誰かが泣いている気がしていました。でも、それが星だとは思わなかった」
「怖くなかった?」
「怖かったです。でも、寂しそうでもありました」
エルネは窓の外を見た。
「私はずっと、この谷に一人でいると思っていました。でも、もしかしたら一人じゃなかったのかもしれません。星も、ずっと一人だったから」
ミアが小さく言った。
「だから約束を守ってたんだね」
エルネは頷いた。
「たぶん」
夜、ユノは家の外に出た。
谷の空は広く、青白い星がよく見えた。
今はもう、目を逸らさずに少しだけ見ることができた。
星はまだ名前がない。
でも、歌と涙と約束が戻ったからか、以前より輪郭がある。
完全な空白ではない。
ユノは小さく言った。
「待ってて」
星は瞬いた。
――待っている。
――エルネも来る?
「来る」
――アリナの子?
「約束を継ぐ人だ」
星は少し震えた。
――アリナ。
――友だち。
その声には、以前にはなかった温かさが混ざっていた。
ユノは胸が熱くなる。
「明日、星門へ戻る」
――怖い。
「俺たちも少し怖い」
――名前を思い出せなかったら?
「それでも、間違った名で呼ばない。探す」
星は静かに言った。
――ありがとう。
ユノは息を止めた。
青石の湖では、星はまだありがとうが怖いと言っていた。
今、初めてその言葉を口にした。
ユノは小さく笑った。
「どういたしまして」
背後からエルネの声がした。
「星と話しているんですか?」
ユノは振り返った。
エルネが青白い布を肩にかけて立っていた。
「少し」
エルネは空を見上げた。
「私は、まだはっきり聞こえません。でも、呼ばれている感じはします」
ユノは言った。
「名前はまだ呼べない。でも、声は届いてる」
エルネは胸に手を当てた。
「アリナも、こんなふうに星を見ていたのかな」
「きっと」
「私、怖いです」
エルネは正直に言った。
「ずっと守るだけで、外へ出たことがほとんどありません。星門も、名を持たぬ塔も、話に聞くだけでした」
「怖くてもいい」
ユノは答えた。
「カイも最初、ネリオへ行くのが怖かった。俺もルグナを出るのが怖い。ミアだってたぶん怖い。リゼも」
「リゼさんも?」
「たぶん。顔に出さないだけで」
エルネは少し笑った。
その笑いは小さかったが、初めて年相応に見えた。
「怖くても、行けるんですね」
「一人じゃなければ」
ユノがそう言うと、エルネは空を見上げたまま頷いた。
「私も、行きます」
翌朝、エルネの家を出る前に、彼女は家の扉に手を置いた。
「行ってきます」
誰に向けた言葉か、ユノには分かった。
アリナへ。
星約守りたちへ。
ずっと約束を守ってきた家へ。
扉の星と手の模様が淡く光った。
まるで、行っておいでと送り出しているようだった。
五人になった旅の列は、約束石の道を戻り始めた。
ユノ。
ミア。
リゼ。
カイ。
エルネ。
エルネは歩き慣れていないのか、最初は少し遅れがちだった。
カイが歩幅を合わせる。
「大丈夫?」
「はい。すみません」
「謝らなくていいよ。俺も旅の最初は全然だったし」
「そうなんですか?」
「うん。今も別にすごくはない」
ミアが後ろから言う。
「カイは食べるのだけは最初から得意だった」
「それは才能だから」
エルネが小さく笑った。
その笑い声に、約束石の道が少し明るくなった気がした。
途中、三音の村へ寄った。
エルネは円形の舞台と金属管を見ると、息を呑んだ。
「ここが、星の歌を守っていた場所……」
ミアが記憶灯を掲げ、五音を鳴らした。
金属管が応える。
エルネは目を閉じ、耳を澄ませた。
「聞いたことがあります」
ユノたちは驚いた。
「本当?」
エルネは頷いた。
「子どもの頃、母が眠る前に、この最初の三音だけを口ずさんでいました。意味は知らないと言っていたけど」
リゼが記録帳を開く。
「星約守りの家にも、歌の欠片が残っていたのね」
ミアが嬉しそうに言う。
「じゃあ、歌はずっと繋がってたんだ」
エルネは金属管の前で、母から聞いたという三音を歌った。
記憶灯の五音と重なる。
すると、欠けていたように感じた旋律に、ほんの少しだけ呼吸が生まれた。
完全な歌にはまだ遠い。
けれど、星の記憶は確かに厚みを増している。
名前のない星が空で瞬いた。
――知ってる。
――アリナの家の音。
エルネは空を見上げ、初めて星へ直接言った。
「エルネです。アリナの約束を継いでいます」
星はしばらく黙った。
そして、震える声で答えた。
――エルネ。
――覚えた。
エルネの目に涙が浮かぶ。
「私の名前を……」
ユノは笑った。
「覚えてくれたな」
エルネは涙を拭い、何度も頷いた。
青石の湖にも立ち寄った。
湖は以前より穏やかだった。
涙の石が引き上げられたことで、水底の重さが少し軽くなったのかもしれない。
エルネは湖畔に膝をつき、青い石へ手を添えた。
「泣けなかった星の涙……」
石が淡く光る。
エルネの手に、冷たい雫が一つ落ちた。
彼女は驚いたが、手を引かなかった。
「冷たい。でも、悲しいだけじゃない」
ミアが頷く。
「うん。今は少し温かい冷たさ」
カイが首を傾げる。
「温かい冷たさって何?」
「そういう感じなの」
「難しいな」
リゼが微笑む。
「感情は、言葉より先にあることもあるわ」
エルネは雫を見つめた。
「星は、本当に泣きたかったんですね」
ユノは頷いた。
「うん」
「泣くことも、約束を守ることも、名前を戻すために必要なんですね」
「たぶん」
リゼが言った。
「歌は名を呼ぶ形。涙は名を失った痛み。約束は名を未来へ繋ぐ意志。この三つが揃って、初めて星は自分の名を思い出せるのかもしれない」
エルネはその言葉を胸に刻むように頷いた。
その夜は、青石の湖畔で休んだ。
エルネはアリナの手形が残る布を抱いて眠った。
カイは見張りをしながら、小さくネリオの名を呼んでいる。
ミアは記憶灯を調整し、リゼは星門の儀式図を整理している。
ユノは涙の石のそばに座り、星灯炭の欠片を手にしていた。
ルグナの火。
星の歌。
涙の石。
約束の箱。
旅の荷物は増えた。
けれど、ただ重いだけではない。
誰かが守ってきたものを預かる重さ。
それは、ユノにとって嫌な重さではなかった。
翌朝、名を持たぬ塔へ向けて出発した。
空には青白い星があった。
だが、その声はもう、ただ「呼んで」と繰り返すだけではなかった。
――歌。
――涙。
――約束。
――アリナ。
――エルネ。
――ユノ。
――ミア。
――リゼ。
――カイ。
星は、少しずつ名前を覚え始めている。
自分の名を思い出す前に、他者の名を覚える。
それが、星にとって大切な準備なのかもしれない。
塔が遠くに見えてきた。
相変わらず、色のない細い影。
けれど、以前より少し輪郭がはっきりしている。
エルネは塔を見て、息を呑んだ。
「あれが、名を持たぬ塔」
リゼが頷く。
「ええ。星門はあの頂上にある」
エルネは透明な箱を抱きしめた。
「アリナ、行ってきます」
箱の中の青白い糸が光る。
ユノは星灯りの剣の模様に触れた。
「行こう」
五人は塔へ向かって歩き出した。
星約守りエルネを加えて、星の本当の名を呼ぶために。
第三の夜は、もう近づいていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
エルネは、アリナの約束を継ぐ“星約守り”としてユノたちに加わりました。
歌、涙、約束。
三つの記憶はそろい、いよいよ星門へ戻ります。
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第三の夜、ユノたちは名前のない星の本当の名を呼ぶ儀式へ向かいます。




