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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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忘れられた約束

三つの記憶のうち、歌と涙は戻りました。


 残る最後の記憶は、約束。


 名前のない星は、誰かと約束を交わしていました。


 けれど、その相手も、言葉も、今は失われています。


 ユノたちは、湖から伸びる光を辿り、忘れられた約束を探しに向かいます。

青石の湖を出たのは、翌朝だった。


 ユノの身体にはまだ湖の冷たさが残っていた。


 水底から引き上げた青い石は、ミアの記憶灯のそばで静かに光っている。


 歌の欠片。

 涙の石。


 二つの記憶が揃ったことで、記憶灯の中には新しい光の道が生まれていた。


 その光は北東を指している。


 ミアは灯りを覗き込みながら言った。


「ずっと同じ方向を指してる。三つ目の記憶、きっとこっちだよ」


 カイが木剣を背負い直す。


「約束の場所か」


 リゼは地図を広げる。


 しかし、その北東の地図は大きく空白になっていた。


「ここから先は、ほとんど記録がないわ。古い星図にも、断片しか残っていない」


 ユノは青い石に触れた。


「約束……誰としたんだろう」


 石の中から、かすかな声が返る。


 ――誰か。

 ――小さな声。

 ――私を見上げていた。

 ――忘れないで、と言った。


 ミアがそっと聞く。


「人?」


 ――たぶん。

 ――でも、星にも近かった。


 リゼが眉を寄せる。


「人であり、星にも近い……星詠みの一族かもしれない」


「リゼみたいな?」


 カイが聞く。


「私たち魔女とは違う古い系譜があったの。星を読むのではなく、星と約束を結ぶ者たち」


 ユノは驚いた。


「星と約束を?」


「ええ。星の名を地上に留めるため、歌や石や血筋に記憶を預けた人々。今はほとんど残っていないはず」


 カイが言った。


「じゃあ、その人の子孫がいるかもしれない?」


 リゼは頷いた。


「可能性はあるわ」


 四人は北東へ向かった。


 道はすぐに細くなり、やがてなくなった。


 草原の中に、白い石が点々と続いている。


 それは道標のようでもあり、墓標のようでもあった。


 けれど、どの石にも名前はない。


 ミアが記憶灯を近づけると、石の一つがかすかに鳴った。


 歌の五音とは違う。


 短い二音。


 呼びかけと返事のような響き。


 ユノはその石に触れた。


「ここも仮の名前をつけよう」


 カイが周囲を見る。


「約束石の道」


 ミアが頷く。


「約束石の道」


 リゼが地図に記す。


 ――仮名。約束石の道。正式名未確認。


 すると、白い石がひとつずつ淡く光り始めた。


 まるで、道が自分の役目を思い出したようだった。


 道を進む間、名前のない星は何度も声を届けた。


 ――約束。

 ――小さな手。

 ――夜明け前。

 ――私が落ちそうだった時。


 ユノはその断片を胸に刻んだ。


 星が落ちそうだった時、誰かが約束した。


 忘れないで、と。


 では、忘れたのは星なのか。

 それとも、地上の誰かなのか。


 昼過ぎ、白い石の道は小さな谷へ続いた。


 谷の底には、古い家が一軒だけ建っていた。


 石造りの家。

 屋根は半分崩れ、庭は草に覆われている。


 だが、窓辺には青白い布が揺れていた。


 人がいる。


 カイが小声で言った。


「住んでるのか?」


 ミアが記憶灯を抱え直す。


「灯りはないけど、布が新しい」


 ユノが扉を叩く。


 しばらくして、中から足音がした。


 扉を開けたのは、白髪の少女だった。


 年はユノたちより少し下に見える。


 けれど、その目はとても古いものを見てきたように静かだった。


「誰?」


 少女は警戒している。


 ユノはできるだけ穏やかに答えた。


「俺はユノ。名前のない星の記憶を探してる」


 少女の目が揺れた。


「星……」


 リゼが一歩前に出る。


「あなたは、星約の血を引く者?」


 少女は驚いた顔をした。


「その言葉を知ってるの?」


 リゼは頷いた。


「少しだけ」


 少女はしばらく沈黙し、それから扉を開けた。


「入って。外でその話をしない方がいい」


 家の中は質素だった。


 壁には古い星図。

 棚には割れた石板。

 机の上には、青白い糸で縫われた布。


 少女は名乗った。


「私はエルネ。たぶん、最後の星約守り」


 カイが聞く。


「星約守り?」


「星と交わした約束を守る人」


 エルネはそう言った。


 その声には、誇りよりも疲れがあった。


 ミアが記憶灯を机に置くと、灯りの中の歌と涙が強く反応した。


 エルネは息を呑む。


「歌と涙……見つけたの?」


 ユノは頷いた。


「三音の村で歌を。青石の湖で涙を」


 エルネは椅子に座り込み、両手で顔を覆った。


「本当に……残ってたんだ」


 リゼが静かに聞く。


「あなたは約束を知っているの?」


 エルネは首を横に振った。


「全部は知らない。私の家に伝わっているのは、短い言葉だけ」


「どんな?」


 エルネは窓の外を見た。


 青白い星は、昼でも薄く浮かんでいる。


 彼女は小さく唱えた。


「歌を忘れたら、涙を探して。涙を忘れたら、約束を探して。約束を忘れたら、星は名を失う」


 ユノたちは静かになった。


 その言葉は、まさに今の状況を示していた。


 エルネは続ける。


「昔、空から落ちかけた星があった。まだ幼い星だったらしい。その星は自分の名を持っていたけれど、空の戦で傷ついて、名がほどけかけた」


 ミアが小さく言った。


「空の戦……」


 リゼが眉を寄せる。


「星喰いより前の時代ね」


「たぶん」


 エルネは頷いた。


「その時、地上の星約守りが星に三つの記憶を預けた。歌、涙、約束。三つが揃えば、星は自分の名を思い出せる。そう伝わってる」


 カイが身を乗り出す。


「約束はどこにある?」


 エルネは胸元から小さな鍵を取り出した。


「この家の地下にある。でも、私には開けられない」


「どうして?」


「約束の相手の名が分からないから」


 地下への扉は、家の奥にあった。


 扉には星と手の模様が刻まれている。


 その中央に、文字がある。


 ――約束は、呼び合う名によって開く。


 リゼが扉を調べる。


「ここを開くには、星の名と、地上の約束者の名が必要なのね」


 ユノは息を呑んだ。


「星の名が分からないから来たのに」


 エルネは頷いた。


「だから、ずっと開けられなかった。私の家は何代も約束を守ってきたけど、星の名も、最初の約束者の名も、少しずつ薄れていった」


 ミアが記憶灯を扉へ近づける。


 歌と涙の光が扉に染み込む。


 すると、文字の一部が浮かんだ。


 ――星の名はまだ呼ぶな。

 ――まず、地上の名を思い出せ。


 リゼが顔を上げる。


「地上の約束者の名なら、ここに手がかりがあるはず」


 エルネは震える声で言った。


「私の先祖の名……?」


 カイが優しく言う。


「探そう」


 家の中を調べると、古い物がいくつも見つかった。


 星図の裏に書かれた短い日記。

 青白い糸で縫われた布。

 割れた石板。

 古い子守歌の断片。


 ミアは布を広げた。


 そこには、星と小さな手が刺繍されていた。


 裏側に、かすかな文字がある。


 ――忘れない。

 ――あなたが空へ戻るまで。

 ――私は地上で名を守る。


 名前の部分だけが破れていた。


 エルネはその布を見て、涙を浮かべた。


「これ、ずっと家にあった。でも意味が分からなかった」


 リゼは石板を読む。


 そこには古い文字で、こう刻まれていた。


 ――星を見上げた子、■■■。

 ――落ちる星へ手を伸ばし、約束を結ぶ。


 名前が欠けている。


 ユノは星灯りの剣を出した。


 石板の欠けた部分に、黒い糸ではなく、薄い霧のような忘却がかかっている。


「斬れるかもしれない」


 リゼが頷く。


「でも慎重に。これは封印ではなく、時間による摩耗に近い」


 ミアが記憶灯を掲げ、カイが仮に呼ぶ。


「星を見上げた子」


 エルネも震える声で続けた。


「星を見上げた子」


 ユノは霧だけを斬った。


 石板の文字が少し戻る。


 ――星を見上げた子、ア……


 エルネが息を呑む。


「ア……?」


 青白い星が空で震えた。


 ――その名。

 ――知っている。

 ――でも、足りない。


 ユノはさらに集中する。


 もう一度、霧を斬る。


 文字が浮かぶ。


 アリ……


 ミアが小さく言った。


「アリ?」


 リゼが古い日記を開く。


「待って。ここにも似た文字がある」


 日記には、かすれた筆跡でこう書かれていた。


 ――今日、アリナはまた星へ歌った。

 ――あの子は、落ちかけた星を友だちだと言う。


 エルネの目から涙がこぼれた。


「アリナ……」


 扉が震えた。


 ユノたちも呼ぶ。


「アリナ」


 ミア。


「アリナ」


 カイ。


「アリナ」


 リゼ。


「アリナ」


 エルネは胸を押さえ、はっきり呼んだ。


「アリナ」


 地下への扉に刻まれた星と手の模様が光った。


 だが、まだ開かない。


 文字が浮かぶ。


 ――約束の言葉を。


 エルネは青ざめた。


「約束の言葉……そこまでは知らない」


 ユノは記憶灯を見る。


 歌と涙が揺れている。


 青い石から、名前のない星の声がした。


 ――アリナ。

 ――小さな手。

 ――夜明け前。

 ――私が落ちそうだった時。


 ミアが五音の旋律を口ずさむ。


 青い石が涙の光を放つ。


 すると、部屋の中に幻が浮かび上がった。


 夜明け前の丘。


 空から青白い星が落ちかけている。


 まだ幼い少女アリナが、丘の上で手を伸ばしている。


『落ちないで』


 少女が言う。


『あなたの歌、覚えてる。あなたの涙も、私が地上で守る。だから、空へ戻って』


 星は震えている。


『名前がほどける。戻れない』


 アリナは泣きながら言う。


『なら、約束する。あなたが自分の名前を忘れても、私は忘れない。私の子どもも、そのまた子どもも、ずっと守る』


 星が問う。


『どうして?』


 アリナは笑う。


『友だちだから』


 ユノの胸が熱くなった。


 星と少女の約束。


 それは、壮大な儀式ではなかった。


 友だちだから。


 ただそれだけだった。


 幻の中で、アリナは星へ手を伸ばす。


『約束。あなたの名前を、いつか本当の声で呼ぶ。だから、それまで消えないで』


 星は答える。


『約束。あなたの名を、私も覚える。地上の小さな友だち、アリナ』


 幻が消えた。


 部屋には、誰も声を出せなかった。


 エルネは泣いていた。


「アリナ……私の先祖……」


 リゼは静かに言った。


「約束の言葉は、“友だちだから”」


 カイが目を赤くする。


「それ、いいな」


 ミアも泣きながら頷いた。


 ユノは扉へ向かって言った。


「アリナ」


 エルネも。


「アリナ」


 そして、ユノは続けた。


「友だちだから」


 扉が光った。


 地下への道が、ゆっくり開いていく。


 冷たい青白い風が吹き上がる。


 その奥には、約束の記憶が眠っている。


 エルネは震える足で立った。


「私も行く」


 リゼが頷く。


「あなたは星約守り。行くべきだわ」


 ユノたちは地下へ降りた。


 階段の下には、小さな部屋があった。


 中央には、透明な箱。


 その中に、青白い糸で結ばれた小さな石と、古い布切れが入っている。


 石には星の歌。

 布にはアリナの手形。


 そして、箱の上に刻まれていた。


 ――約束の記憶。

 ――星とアリナ。

 ――本当の名を呼ぶ日まで。


 エルネは箱の前に膝をついた。


「ずっと守ってたのに、忘れてた……」


 リゼが優しく言った。


「完全に忘れたわけじゃない。だからこの家は残っていた。あなたも残っていた」


 ミアが記憶灯を近づける。


 歌と涙と約束が、初めて同じ光の中で揃った。


 青白い星の声が震える。


 ――約束。

 ――アリナ。

 ――友だち。


 ユノは息を呑んだ。


 星の声に、温度が戻り始めている。


 まだ名前ではない。


 でも、輪郭が戻っている。


 カイが言った。


「三つ揃った?」


 リゼは頷いた。


「ええ。歌、涙、約束。これで星門へ戻れば、本当の名を呼ぶ儀式ができる」


 エルネが顔を上げた。


「私も行きます。アリナの約束を継ぐ者として」


 ユノは頷いた。


「一緒に行こう」


 地下室を出る時、青白い星が空で大きく瞬いた。


 ――アリナ。

 ――思い出した。

 ――でも、私の名はまだ遠い。


 ユノは空を見上げそうになり、今度は少しだけ見た。


 星は青白く震えている。


 けれど、昨日より寒そうではなかった。


「戻そう」


 ユノは言った。


「君の本当の名前を」


 星は静かに答えた。


 ――待っている。

 ――友だちの約束と一緒に。


 忘れられた約束は、もう忘れられていなかった。


 アリナの名は、エルネの声で戻った。


 そして、名前のない星の最後の記憶も、ユノたちの手の中に戻った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 最後の記憶は“約束”でした。


 星と約束を交わした少女の名は、アリナ。

 約束の言葉は、「友だちだから」。


 歌、涙、約束。

 三つの記憶が揃いました。


 次のページは『星約守りエルネ』です。

 エルネはアリナの約束を継ぐ者として、ユノたちと星門へ向かいます。

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