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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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東の果てへ

星灯坑の誓いを胸に、ユノたちは再び旅立ちます。


 向かう先は、東の果て。


 そこには、名を持たぬ塔と、眠る星門があるといいます。


 空には、名前のない青白い星。


 第三章は、まだ誰にも呼ばれていない星の名を探す旅から始まります。

ルグナの町が、少しずつ遠ざかっていく。


 朝の光を受けた煙突。

 煤けた屋根。

 星灯坑へ続く黒い道。

 広場の名を書く壁。

 黒麦亭の白い湯気。

 父の立つ門。


 ユノは何度も振り返った。


 旅立つことには慣れたはずだった。


 灰の王都へも行った。

 海底都市アステラへも行った。

 星の森エルディアへも、星の泉へも行った。

 ネリオやベルフィアにも足を運んだ。


 それでも、ルグナを出る朝は胸が痛い。


 帰る場所があるからこそ、離れるのが怖くなる。


 ミアが隣で言った。


「ユノ、また振り返ってる」


「ミアも振り返ってるだろ」


「うん」


 二人は少し笑った。


 カイは木剣を背負い、前を歩いている。


 けれど彼も時々振り返っていた。


 ネリオを見つけたあと、カイにとってルグナはただの同行先ではなくなった。


 ネリオの名を預けた場所。

 父母の手がかりを守る場所。

 自分が“守る者”として立った場所。


 リゼは地図を見ながら歩いていた。


 その地図には、東の果てへ向かう道が薄く記されている。


 だが、途中から線が消えていた。


 そこから先は、古い星図を重ねなければ読めない。


「東の果てって、どれくらい遠いの?」


 ミアが聞く。


 リゼは地図から目を離さずに答えた。


「普通の街道なら十日以上。でも、星門へ向かう道は普通の道ではないわ」


 カイが振り返る。


「また変な道?」


「ええ。名を持たぬ塔へ近づくほど、地図が名前を失う可能性がある」


 ユノは眉を寄せた。


「地図が名前を失う?」


「町名、川名、山名が読めなくなる。道の方向も曖昧になるかもしれない」


 ミアが記憶灯を抱え直す。


「怖いね」


「だから、ルグナの星灯炭が必要なのよ」


 リゼはユノの持つ小袋を見る。


 父が渡してくれた、星灯炭の欠片。


 迷ったら灯せ。


 ルグナの方角を示すはずだ。


 ユノは小袋を胸元にしまい直した。


「帰る名を忘れないためか」


「ええ」


 リゼは頷いた。


「名を持たぬ塔へ向かうなら、帰る名前を強く持つ必要がある」


 カイがすぐに言った。


「ルグナ。ネリオ。ユノ。ミア。リゼ。カイ」


 ミアが笑う。


「急に確認?」


「大事だろ」


「大事」


 ユノも続けた。


「ルグナ」


 ミア。


「ルグナ」


 リゼ。


「ルグナ」


 カイ。


「ルグナ」


 遠く離れ始めた町の方角で、星灯坑の光が小さく瞬いた気がした。


 道はしばらく穏やかだった。


 草原を抜け、低い丘を越え、昼頃には小さな宿場町に着いた。


 そこはルグナと東の街道を結ぶ中継地だった。


 町の名は、ミルド。


 看板にはまだしっかり文字が残っていた。


 ユノは少し安心した。


「まだ名前は消えてないな」


 ミアが看板を見上げる。


「ミルド」


 カイも呼ぶ。


「ミルド」


 リゼが言う。


「今のうちに、通る場所の名前を呼びながら進みましょう。東へ行くほど、名が薄れるかもしれない」


 宿場の広場では、旅人たちが行き交っていた。


 荷馬車。

 商人。

 巡礼者。

 東へ向かう者は少ないようだった。


 宿屋の主人は、ユノたちが東へ行くと聞くと、顔を曇らせた。


「東の果てへ? やめた方がいい」


 ユノは聞いた。


「何かあるんですか?」


 主人は声を潜めた。


「最近、東から戻った旅人が、自分がどこへ行ったのか説明できなくなってる。町の名前も、泊まった村の名前も、道の名前も忘れてるんだ」


 ミアが不安そうにする。


「名前を失ってる……」


 主人は頷いた。


「それだけじゃない。夜になると、東の空に青白い星が見える。あれを見ると、胸の中が空っぽになるって噂だ」


 カイが木剣を握る。


「名前のない星だ」


 リゼが主人へ尋ねる。


「その星を見た人は、名前を忘れますか?」


「全部じゃない。でも、大事な場所の名前が出てこなくなるらしい。故郷とか、家族の呼び名とか」


 ユノの胸が冷えた。


 名前のない星。


 星喰いの王とは違う。


 けれど、名前を薄くする力がある。


 主人は真剣な顔で言った。


「悪いことは言わない。東へ行くなら、夜は空を見るな」


 ユノたちは顔を見合わせた。


 空を見るな。


 星の名を探しに行く旅で、星を見るなという忠告。


 それが、この旅の難しさを物語っていた。


 宿場で食料を買い足し、夕方前に再び出発した。


 ミルドの町を出る時、ユノたちはもう一度その名を呼んだ。


「ミルド」


 声に出すことで、地図に点を打つように。


 東へ進むにつれ、道は細くなった。


 草は背が高くなり、道標は古びていく。


 夕暮れが近づく頃、最初の異変が起きた。


 カイが立ち止まった。


「なあ、この川の名前、さっき聞いたよな?」


 ユノは前を見る。


 細い川が道を横切っている。


 橋もかかっている。


 リゼは地図を見た。


「地図には……」


 彼女の手が止まる。


 川の名前が、地図から薄れていた。


 黒く塗りつぶされているのではない。


 ただ、文字がほどけるように消えている。


 ミアが記憶灯を掲げる。


「思い出せる?」


 ユノは額に手を当てた。


 宿場の老人が、この川の名を教えてくれたはずだ。


 たしか、春に魚が上る川。


 名前は――。


「サ……」


 出てこない。


 リゼが真剣な顔になる。


「始まったわね」


 カイが慌てて言う。


「仮で呼ぼう。名前なしにしないために」


 ミアが頷く。


「魚上り川」


 リゼがすぐに地図へ書き込む。


 魚上り川。


 正式な名ではない。


 でも、空白よりはいい。


 ユノたちは橋を渡る前に、全員で呼んだ。


「魚上り川」


 川の水面が淡く揺れた。


 完全ではないが、地図の文字は消えずに残った。


 ユノは息を吐いた。


「これから、こういうことが増えるのか」


 リゼは頷いた。


「ええ。名を持たぬ塔の影響でしょう」


 ミアが記憶灯を見つめる。


「仮の名前でも、呼べば少し支えられるんだね」


 カイは胸を張る。


「ネリオも最初は欠片だったしな」


 ユノは頷いた。


「名前になる前の呼び名も、大事なんだ」


 その夜は、川のそばで野営することになった。


 空は暗くなり、星が出始める。


 東の空だけは、どこか青白かった。


 主人の言葉を思い出す。


 夜は空を見るな。


 ユノは意識して視線を下げた。


 だが、星の気配は視線を逸らしても感じた。


 胸の奥を冷たく撫でるような光。


 名を持たない星。


 ミアは記憶灯の周りに布をかけ、光を柔らかくした。


「空を見ないように、火を見よう」


 カイが保存食を並べる。


「食べよう。名前が危ない時こそ食べる」


 リゼが真面目に頷く。


「正しい判断ね」


 ユノも笑った。


 食事をしながら、全員で名前を確認した。


「ユノ」


「いる」


「ミア」


「いるよ」


「リゼ」


「いるわ」


「カイ」


「いる」


 そして。


「ルグナ」


「ネリオ」


「ベルフィア」


「リリア」


 戻った名前をいくつか呼んだ。


 歌も小さく歌った。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。


 夜の東空がどれほど青白くても、地上の小さな火のそばには名前があった。


 それがユノを支えた。


 深夜、ユノは目を覚ました。


 風が止んでいた。


 虫の声もない。


 あまりに静かだった。


 ふと、東の空から声が聞こえた気がした。


 ――呼んで。


 ユノは身体を起こす。


 空を見るな。


 分かっていた。


 それでも、声は胸の中に入り込んでくる。


 ――私を、呼んで。


 名前のない星の声。


 ユノの喉が動きかける。


 何と呼べばいいのか分からないのに、呼びたくなる。


 その瞬間、ミアの声がした。


「ユノ」


 ユノははっとした。


 ミアが起きていた。


 記憶灯を抱え、こちらを見ている。


「いる?」


 ユノは息を吸った。


「いる」


 ミアは安心したように頷いた。


「今、空見そうになった?」


「うん」


「私も声、聞こえた」


 カイも寝袋から顔を出す。


「俺も。誰かが呼べって」


 リゼも起きていた。


「星門が近い証拠ね。名前のないものが、名を求めている。でも、焦って呼んではいけない」


 ユノは東の空を見ないように、焚き火を見た。


「間違った名で呼ぶと、空の名が崩れるってルナエルが言ってた」


 リゼは頷く。


「ええ。名を与えることは、救いにも呪いにもなる」


 ミアが小さく言った。


「ルナエルの王名みたいに?」


「そう」


 沈黙が落ちた。


 名前は大切だ。


 でも、間違った名前は鎖になる。


 王名がルナエルを縛ったように。


 名を持たぬ星にも、急いで名を与えてはいけない。


 その星が本当に持っていた名を探さなければならない。


 カイが木剣を抱えた。


「じゃあ、星が呼んでって言っても、まだ呼ばない」


 ユノは頷いた。


「本当の名前が分かるまで」


 夜明け前、四人はもう一度リリアの歌を歌った。


 空を見ないように、火を囲んで。


 歌が終わる頃、東の青白い気配は少し薄れていた。


 朝が来た。


 名を忘れぬ者の上に。


 翌日、道はさらに曖昧になった。


 地図から村名が一つ消えた。


 道標には文字がなかった。


 木々の形も、何かを忘れたようにぼやけている。


 ユノたちは、そのたび仮の名をつけた。


 曲がり柳の道。

 白石の坂。

 眠り草の原。

 小鳥戻りの丘。


 正式な名ではない。


 でも、呼び名を与えることで、道は少しだけ輪郭を保った。


 ミアはそれを記録灯の小さな紙片に書いた。


 カイは歩きながら何度も呼んだ。


 リゼは地図に仮名を記し、後で本来の名を探せるよう印をつけた。


 ユノは、名前をつけることの怖さを感じていた。


 仮の名は便利だ。


 でも、本当の名前を上書きしてはいけない。


 呼ぶことと、決めつけることは違う。


 それを忘れないようにしなければならない。


 昼過ぎ、丘の上から東の果てが見えた。


 遠い地平線の向こうに、細い塔の影が立っている。


 白でも黒でもない。


 色のない塔。


 見ていると、塔という言葉さえ薄れていくようだった。


 ミアが息を呑む。


「あれが……」


 リゼが静かに言った。


「名を持たぬ塔」


 空には、青白い星が昼間だというのに薄く見えていた。


 その星は、塔の真上にあった。


 ユノの胸の奥で、声がした。


 ――呼んで。


 今度は、全員がそれを聞いた。


 カイが小さく言う。


「まだ呼ばない」


 ミアも。


「まだ」


 リゼも。


「本当の名を見つけるまで」


 ユノは星灯りの剣の模様に触れた。


 剣は静かに光っている。


 斬るためではなく、見極めるために。


 東の果てへ。


 名を持たぬ塔へ。


 名前のない星へ。


 第三章の旅は、まだ始まったばかりだった。


 ユノは塔を見つめ、静かに言った。


「行こう」


 三人が頷く。


 背後には、遠いルグナの名。


 胸には、リリアの歌。


 手には、仮の名で繋ぎ止めた地図。


 そして前には、まだ誰にも正しく呼ばれていない星が待っていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 第三章が始まりました。


 ユノたちは東の果てへ向かい、名を持たぬ塔と名前のない星の気配に触れます。


 次のページは『名前のない星』です。

 青白い星が、ユノたちに直接呼びかけ始めます。

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