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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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消された者たちの朝

夜の星灯坑で、封名札から十の名が戻りました。


 ノア。

 ダリオ。

 サリア。

 メルク。

 イオナ。

 ファル。

 テッサ。

 ルオ。

 ニーナ。

 オル。


 王国に消された者たちの名を、今度はルグナの町が朝の声で迎えます。

夜が明ける前のルグナは、深い青色をしていた。


 煙突からはまだ煙が上がっていない。

 黒麦亭の窓にも灯りは少ない。

 炭鉱へ向かう道も静かだった。


 けれど、星灯坑の入口だけは明るかった。


 昨夜、封名札から戻った十の名前が、地の底で静かに灯っている。


 ユノはほとんど眠れなかった。


 ノア。

 ダリオ。

 サリア。

 メルク。

 イオナ。

 ファル。

 テッサ。

 ルオ。

 ニーナ。

 オル。


 その名が、胸の中で何度も響いていた。


 会ったことはない。


 声も知らない。

 顔も知らない。

 けれど、もうただの文字ではなかった。


 リリアの歌を覚えていた子。

 橋を守った者。

 赤ん坊の名を守った産婆。

 王国の嘘を拒んだ者たち。


 消されていい人など、一人もいなかった。


 朝の広場には、いつもより多くの人が集まっていた。


 封名札の話は、夜のうちに町へ広がっていたらしい。


 人々は静かだった。


 興味本位で集まった者はいない。


 みんな、何かを迎えるような顔をしている。


 町長が広場の中央に立った。


 その隣には、星灯坑の名簿を抱えたリゼ。

 記憶灯を持つミア。

 木剣を胸に当てたカイ。

 黒翼騎士団の名簿と封名札の記録を持つセレノ。

 そしてユノ。


 父は少し後ろで見守っている。


 町長が言った。


「昨夜、灰の記録庫から持ち帰った封名札より、十の名が戻りました」


 広場に緊張が走る。


「この名は、王国によって消された名です。罪人としてではありません。名を守ろうとしたために、消された名です」


 町長は深く息を吸った。


「今朝、ルグナはその名を迎えます」


 最初の名を、ユノが読んだ。


「ノア」


 広場の人々が続いた。


「ノア」


 小さな名だった。


 けれど、声は広場いっぱいに広がった。


 ミアが記憶灯を掲げると、火がやわらかく揺れた。


 カイが言った。


「リリアの歌を覚えていた子」


 町の人々は、もう一度呼んだ。


「ノア」


 星灯坑の方角で、小さな黄色い光が瞬いた。


 次はリゼが読んだ。


「ダリオ」


 人々が続く。


「ダリオ」


 カイが言った。


「橋を守った人。民の道を守った人」


 町の炭鉱夫の一人が、低い声で繰り返した。


「ダリオ」


 その声に、青い光が遠くで揺れた。


 次はミア。


「サリア」


 人々が呼ぶ。


「サリア」


 ミアの声は震えていた。


「赤ちゃんの名を守った産婆さん」


 広場にいた母親たちが、子どもを抱きしめた。


 誰かが涙を拭う。


「サリア」


 温かな橙色の光が星灯坑で灯った。


 その後も、一つずつ名が読まれていった。


 メルク。

 王国の嘘を書かなかった記録係。


 イオナ。

 封じられた墓標に花を供え続けた人。


 ファル。

 追放された家族の名を隠さず呼んだ少年。


 テッサ。

 消された歌を布に刺繍して残した職人。


 ルオ。

 名剥奪された者へ食事を届けた料理人。


 ニーナ。

 王都の壁に消された名を書いた少女。


 オル。

 封名札を運ぶ役目を拒んだ若い誓約官。


 それぞれの名が呼ばれるたび、広場の空気が変わっていった。


 最初は重く、緊張していた。


 けれど、呼ぶたびに人々の声は少しずつ強くなった。


 消された者たちが、ただ悲しい存在ではなくなっていく。


 彼らは抵抗した人だった。

 守ろうとした人だった。

 誰かの名前を諦めなかった人だった。


 読み上げの最後、老女がリリアの歌を歌い始めた。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。


 広場の人々が続いた。


 最初は小さく。

 やがて大きく。


 歌は、戻った十の名を包むように響いた。


 ユノは胸が熱くなった。


 消された者たちに、朝が来ている。


 完全な救いではない。

 失われた時間は戻らない。

 本人たちが戻ってきたわけでもない。


 それでも、名前が朝の中で呼ばれている。


 それは、消された夜への返事だった。


 歌が終わると、セレノが前へ出た。


 広場が静まる。


 彼は深く頭を下げた。


「私は、かつて王国の秩序を守る側にいました。直接この十の名を消した者ではありません。しかし、同じ仕組みの中にいました」


 誰も言葉を挟まない。


 セレノは続けた。


「私は、消された名を記録します。罪を軽くするためではありません。忘れないためです」


 彼は名簿を開いた。


「ノア。ダリオ。サリア。メルク。イオナ。ファル。テッサ。ルオ。ニーナ。オル」


 十の名をもう一度呼ぶ。


 声は震えていた。


 けれど、逃げなかった。


 黒麦亭の女将が腕を組んで言った。


「あんたも毎朝呼びな」


 セレノは顔を上げた。


「はい」


「忘れたら怒るよ」


「忘れません」


 そのやり取りに、少しだけ広場の空気が緩んだ。


 許しではない。


 けれど、逃げずに続けることを見張る声があった。


 カイが小さくユノに言った。


「セレノ、変わったな」


「うん」


「でも、まだ怖い時ある」


「それでいいと思う」


「うん」


 カイは木剣を握った。


「名前を呼ぶって、簡単じゃないな」


「簡単じゃない」


「でも、呼ばないと戻らない」


「ああ」


 広場の読み上げが終わったあと、十の名は星灯坑へ改めて預けられた。


 町の人々は列を作り、一人ずつ坑道の入口で名前を呼んだ。


 ノア。

 ダリオ。

 サリア。

 メルク。

 イオナ。

 ファル。

 テッサ。

 ルオ。

 ニーナ。

 オル。


 星灯坑の壁には、十の光がより強く灯った。


 ミアは記憶灯を持ったまま、ぽつりと言った。


「この人たち、やっと朝になったのかな」


 リゼは少し考えた。


「朝の始まりね」


「始まり?」


「ええ。名が戻っただけでは終わらない。これから、彼らが何を守ろうとしたのか、誰が覚えているのか、どこに記録が残っているのかを探す必要がある」


 ユノは頷いた。


「また仕事が増えたな」


 カイが笑った。


「星灯りの仕事、終わらないな」


 セレノが静かに言った。


「終わらせてはいけない仕事なのかもしれない」


 その言葉に、誰も反論しなかった。


 午後、ユノたちは封名札の記録を整理した。


 ノアの札はリリアの歌の近くへ。

 ダリオの札は橋に関する記録の棚へ。

 サリアの札は出生名の記録へ。


 リゼは一つ一つ慎重に分類した。


「星灯坑を、ただ名前を預ける場所から、失われた記録を守る場所へ整える必要があるわ」


 父は頷いた。


「棚を増やそう。湿気を避ける箱もいる」


 ガルドがすぐに言った。


「俺が作る」


 ミアも。


「記憶灯の小さい版を作れないかな。棚ごとに置けるように」


 カイが言う。


「俺は、名前を呼ぶ練習会をする」


 ユノが笑った。


「練習会?」


「消された名前って、初めて呼ぶ時にみんな緊張するだろ。だから、呼ぶ練習」


 リゼは真剣に頷いた。


「良い考えね。名を雑に扱わないためにも、声に出す場は必要だわ」


 カイは少し驚いた。


「本当に?」


「ええ。守る者らしい発想よ」


 カイは照れた。


「そっか」


 セレノは封名札の写しを取りながら言った。


「私は、灰の記録庫に残る札の一覧を作る。次に持ち帰る優先順位も決める必要がある」


 ユノは彼を見る。


「無理するなよ」


 セレノは少し苦く笑った。


「君に言われるとは」


 ミアがすかさず言った。


「みんなユノにそれ言われると同じ顔するよね」


 少し笑いが起きた。


 重い朝のあとだったから、その笑いはありがたかった。


 夕方、星灯坑の入口に子どもたちが集まった。


 カイの“名前を呼ぶ練習会”が始まったのだ。


 最初に呼ぶのは、ノア。


 カイは子どもたちへ言った。


「この名前は、リリアの歌を覚えていた子の名前。ふざけないで呼ぶ。でも怖がりすぎなくていい」


 子どもたちは真剣に頷いた。


「ノア」


「ノア」


「ノア」


 声が重なる。


 星灯坑の小さな黄色い光が揺れた。


 次はサリア。


「赤ちゃんの名前を守った人」


「サリア」


「サリア」


 子どもたちの声は明るかった。


 その明るさに、ユノは胸を打たれた。


 消された名前が、子どもたちの声で呼ばれている。


 それは、王国が最も恐れたことかもしれない。


 名前が、次の世代へ渡ること。


 夜、ルグナの広場で再びリリアの歌が歌われた。


 その日から、歌詞の間に十の名を挟むようになった。


 ――歌え、消された名を。

 ノア。

 ダリオ。

 サリア。

 ――呼べ、眠らされた名を。

 メルク。

 イオナ。

 ファル。

 ――夜がどれほど長くとも、

 テッサ。

 ルオ。

 ニーナ。

 オル。

 ――名を呼ぶ声に、朝は来る。


 歌は、少しずつ変わっていく。


 名前を迎えながら、成長していく。


 リリアの歌は、もうリリアだけの歌ではなくなっていた。


 消された者たちの朝を呼ぶ歌になっていた。


 ユノは広場の端で、星空を見上げた。


 遠くの星の泉にも、この歌は届くだろうか。


 ルナエルは、聞いているだろうか。


 そして、まだ灰の記録庫に眠る封名札の中の名たちにも、いつか届くだろうか。


 届かせたい。


 ユノはそう思った。


 歌が終わったあと、父が隣に来た。


「今日も重かったな」


「うん」


「だが、昨日より朝に近い」


 ユノは父を見る。


「父さん、詩人みたいなこと言う」


 父は少し眉を上げた。


「炭鉱夫もたまには言う」


 ユノは笑った。


 父も少し笑った。


 その笑いの後、父は静かに言った。


「消された者たちの朝か」


 ユノは頷いた。


「まだ始まったばかりだけど」


「ああ。始まっただけで十分な日もある」


 その言葉が、ユノの胸に残った。


 始まっただけで十分な日。


 今日が、きっとそういう日だった。


 ノアたちの名前は戻った。


 まだ分からないことは多い。


 彼らの家族。

 生きた場所。

 残したもの。

 消された理由の詳細。


 全部これからだ。


 でも、朝は来た。


 名前を呼ぶ声に、朝は来る。


 ユノは星灯坑の方を見た。


 地の底で、十の新しい星が灯っている。


 その光は小さい。


 でも、もう消された夜の中にはいない。


 ルグナの朝に迎えられたのだ。


 ユノは心の中で、もう一度十の名を呼んだ。


 ノア。

 ダリオ。

 サリア。

 メルク。

 イオナ。

 ファル。

 テッサ。

 ルオ。

 ニーナ。

 オル。


 名前は、胸の中で静かに応えた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、封名札から戻った十の名を、ルグナの町が朝の読み上げで迎えました。


 消された者たちに、ようやく朝が来ました。


 次のページは『十の星』です。

 戻った十の名前をさらに辿り、それぞれが守ろうとしたものが明らかになります。

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