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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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朝を歌う人々

歌は、町に広がりました。


 最初は一人の老女が口ずさんだだけでした。

 けれど、ミアが覚え、カイが子どもたちへ伝え、町の人々が少しずつ声を重ねていきます。


 リリアの歌。


 消された名前のために歌われた歌は、今、ルグナで新しい朝を呼び始めます。

翌朝、ルグナの町に歌が流れた。


 最初に聞こえたのは、黒麦亭の前だった。


 パンを焼く煙の中で、女将が小さく口ずさんでいた。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。


 その声は、まだ少し不安定だった。


 昨日覚えたばかりの歌だから、旋律を探るようにゆっくり歌っている。


 けれど、店先を掃いていた子どもが、その続きを口にした。


 ――王冠は名を奪えど、母の声は子を呼ぶ。


 女将は驚いて子どもを見る。


 子どもは少し照れたように笑った。


「昨日、カイ兄ちゃんが教えてくれた」


 そのすぐ向こうでは、炭鉱夫たちが道具を担ぎながら、低い声で同じ旋律を繰り返していた。


 完璧ではない。


 音が外れる者もいる。


 歌詞を間違える者もいる。


 それでも、歌は町の中にあった。


 ユノは家の前で、その声を聞いていた。


 リリアの歌。


 封じられた歌。


 消された名前を呼び戻す歌。


 それが今、ルグナの朝の音になっている。


 父が隣に立った。


「良い朝だな」


「うん」


「歌がある朝は、町が少し強くなる」


 ユノは父を見る。


「父さんも歌うの?」


「坑道では歌うこともある」


「知らなかった」


「お前の前ではあまり歌わなかったからな」


 父は少しだけ笑った。


 その顔を見て、ユノは思った。


 自分は父のことを、まだ全部知らない。


 旅から帰ってきて、故郷の知らなかった名前を知ったように、父にもまだ知らない声がある。


 それを知っていけるのは、少し嬉しかった。


 星灯坑では、朝からリリアの歌を記録する作業が続いていた。


 リゼは歌詞を清書し、ミアは旋律を記憶灯へ写し取る方法を考えている。


 カイは子どもたちに歌を教えていた。


「そこ、ちょっと違う」


「カイも外れてるよ」


「俺はいいんだよ」


「よくないよ!」


 子どもたちの笑い声が坑道の入口に響く。


 セレノは少し離れた机で、封歌印の記録を続けていた。


 彼は時折、歌の方へ目を向ける。


 苦しそうな顔をすることもあった。


 けれど、耳を塞がなかった。


 リゼがそれに気づく。


「セレノ」


「いる」


「聞いているのね」


「ああ」


「苦しい?」


「苦しい」


 セレノは正直に答えた。


「だが、聞くべき歌だ」


 リゼは頷いた。


「ええ」


 セレノは筆を置いた。


「封じられた歌は、他にもあるはずだ」


「そうでしょうね」


「王都の記録を調べる必要がある」


 リゼの表情が少し硬くなる。


「灰の王都の誓約官記録庫ね」


「危険だ」


「分かっているわ」


「だが、そこに名を消された者たちの記録があるかもしれない」


 ユノは二人の話を聞いていた。


 また灰の王都。


 あの場所へ戻ることになるのかもしれない。


 だが、今度は星喰いの王と戦うためではない。


 人の手で消された名を探すためだ。


 リリアの歌が、その扉を開いた。


 ミアが記憶灯を掲げた。


「この歌、灯りに少しだけ写せたよ」


 記憶灯の中で、火が揺れる。


 その揺れに合わせて、かすかな旋律が聞こえた。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。


 カイが目を輝かせる。


「これなら、遠くの町にも持っていける?」


 ミアは頷いた。


「たぶん。歌を全部閉じ込めるんじゃなくて、思い出すきっかけにする感じ」


 リゼが感心したように見た。


「記憶灯が、歌の灯火になるのね」


 ミアは少し照れた。


「まだ試作だけど」


 ユノは笑った。


「すごいな」


「もっとすごくする」


 その声は、旅に出る前のミアよりずっと強かった。


 工房で道具をいじっていた少女は、今、町の名前と歌を守る灯りを作ろうとしている。


 それがユノには嬉しかった。


 昼前、北の丘の老女が星灯坑へ来た。


 彼女はリリアの墓に花を供えてから来たらしい。


 手には、小さな柳の枝を持っていた。


「リリアの墓の柳から、落ちていた枝だよ」


 彼女はそれをリゼへ渡した。


「歌を覚える場所に置いてやっておくれ」


 リゼは丁寧に受け取った。


「ありがとうございます」


 柳の枝を星灯坑の壁に置くと、リリアの光がやわらかく揺れた。


 老女はその前に立ち、静かに歌い始めた。


 今日は昨日よりも、はっきり歌えた。


 町の人々も集まってくる。


 黒麦亭の女将。

 炭鉱夫たち。

 墓地で名を戻した家族。

 橋の名を思い出した老婆。

 羽墨屋の姉弟。

 ハルトも、ベルフィアの名を抱えてやって来た。


 そして全員で歌った。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。

 ――王冠は名を奪えど、母の声は子を呼ぶ。

 ――剣は碑を砕けど、土は名を覚える。

 ――歌え、消された名を。

 ――呼べ、眠らされた名を。

 ――夜がどれほど長くとも、

 ――名を呼ぶ声に、朝は来る。


 星灯坑の光が一斉に揺れた。


 それぞれの名前が、歌に応えるように瞬いた。


 ルグナ。

 ネリオ。

 ベルフィア。

 柳音橋。

 羽墨屋。

 リリア。

 黒翼騎士団の名。

 ルナエル。

 セレノ。


 ユノはその光景を見つめていた。


 歌は、名前を繋ぐ。


 自分一人の声では届かない場所へ、みんなの声が届いていく。


 星灯りの剣で斬れるものがある。


 記憶灯で照らせるものがある。


 そして歌でしか運べないものもある。


 リリアはそれを知っていた。


 だから、封じられた。


 でも今、戻った。


 歌が終わると、しばらく誰も話さなかった。


 やがてハルトが言った。


「ベルフィアでも、この歌を歌いたいです」


 カイが頷く。


「ネリオでも」


 ミアも。


「アステラにも届けたい」


 リゼが静かに言った。


「エルディアにも。名を守る場所には、この歌が必要になるわ」


 セレノは低く呟いた。


「黒翼の祭壇にも」


 リゼは彼を見た。


 セレノは目を伏せる。


「騎士たちの名を呼ぶ時、歌があれば……少しは届くかもしれない」


 リゼは少しの間沈黙し、それから頷いた。


「そうね」


 その日の午後、星灯坑の掲示板に新しい項目が加えられた。


 ――リリアの歌を覚えたい方へ。

 ――朝と夕方、星灯坑前で練習します。

 ――歌えない方は、名前を呼ぶだけでもかまいません。


 ミアがそれを見て笑った。


「歌えない人への配慮、大事」


 カイが少し気まずそうに言う。


「俺のこと?」


「少し」


「ひどい」


 ユノも笑った。


 笑いながら、胸の奥に温かさが広がる。


 こうして、町は少しずつ変わっていく。


 戦いの傷を抱えながら。


 戻った名前に泣きながら。


 それでも、朝に歌う。


 夕方、ユノは一人で北の丘の墓地へ向かった。


 リリアの墓標の前には、柳の葉が揺れている。


 墓には黄色い花と、ルグナの黒麦パンが一切れ供えられていた。


 誰かが置いたのだろう。


 ユノは墓標の前に立つ。


「リリア」


 墓標が淡く光った。


「歌、町に広がってる」


 風が吹いた。


 柳の葉が鳴る。


 それは歌の返事のようだった。


 ユノは続けた。


「あなたの歌、これからいろんな場所へ行くと思う。ネリオにも、ベルフィアにも、アステラにも、エルディアにも」


 墓標は静かだった。


 でも、名前はそこにある。


「消されても、戻った。だから、俺たちも忘れない」


 ユノは墓標に手を合わせた。


 その時、背後から声がした。


「ユノ」


 振り返ると、セレノが立っていた。


「セレノ」


「いる」


 セレノは墓標の前へ進み、深く頭を下げた。


「リリア」


 墓標が揺れる。


「私は、あなたのような歌を封じる側にいた。直接あなたを封じた者ではないとしても、同じ闇にいた」


 セレノの声は震えていた。


「許しは求めない。ただ、あなたの歌を記録し、広げることを手伝う」


 風が吹いた。


 柳の葉がセレノの肩に落ちた。


 彼はそれを見つめた。


「これは、返事だろうか」


 ユノは少し考えて言った。


「分からない。でも、聞いてはいると思う」


 セレノは小さく頷いた。


「それで十分だ」


 二人はしばらく墓標の前に立っていた。


 許されることと、聞いてもらえることは違う。


 でも、聞いてもらえるなら、言葉を続けることはできる。


 セレノは少しずつ、それを覚えているのかもしれない。


 ルグナへ戻ると、星灯坑の前で子どもたちが歌っていた。


 カイが指揮のようなことをしているが、本人もずれている。


 ミアが笑いながら修正している。


 リゼは歌詞を壁に貼っている。


 父は炭鉱夫たちと一緒に低い声で練習していた。


 ユノはその光景を見て、胸がいっぱいになった。


 朝を歌う人々。


 それは、ただ歌を覚える人たちではない。


 消された名前に朝を届ける人たちだ。


 ユノも輪の中へ入った。


 ミアが笑う。


「ユノも歌う?」


「歌う」


 カイが驚く。


「ユノ、歌えるの?」


「たぶん」


「たぶんは危険」


 ミアが笑い、リゼも少しだけ口元を緩めた。


 セレノは離れて立とうとしたが、リゼが呼んだ。


「セレノ」


「……いる」


「あなたも」


 セレノは戸惑った。


「私は歌が得意ではない」


 カイが言った。


「俺もだから大丈夫」


 ミアが頷く。


「名前を呼ぶだけでもいいって書いてある」


 セレノはしばらく迷い、それから輪の端に立った。


 歌が始まる。


 最初はばらばらだった。


 でも、少しずつ重なる。


 ――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。


 ユノも歌った。


 ミアも。

 カイも。

 リゼも。

 父も。

 セレノも、小さく。


 星灯坑の光が揺れる。


 地の底で、名前たちが歌を聞いている。


 夜はまだ来る。


 失われた時間は戻らない。


 罪も痛みも消えない。


 それでも、歌う人々がいる。


 名を忘れぬ者の上に、朝は来る。


 ユノはその歌詞を胸の中で繰り返した。


 そして思った。


 これから先、どんなに遠い場所へ行っても、この歌を持っていこう。


 名前を探す旅に。

 消えた町へ。

 封じられた墓へ。

 誰も呼ばなくなった橋へ。

 そして、星の泉にいるルナエルへも。


 朝を歌う人々の声は、きっと届く。


 その夜、ルグナの空には星が多かった。


 地にも星が灯っていた。


 空と地の間で、人々の歌が静かに続いていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 リリアの歌は、ルグナの町に広がりました。


 名前を守る力は、剣や魔法だけではありません。

 歌も、人から人へ名前を運ぶ大切な力です。


 次のページは『星の泉への手紙』です。

 ユノたちは、星の泉にいるルナエルへ、戻った名前と歌のことを伝えようとします。

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