ベルフィアの鐘
鐘は、町の名を覚えていました。
白い塔。
黄色い花。
春の日の祭り。
人々が集まった広場。
ベルフィア。
失われていた町の名が戻った時、廃墟の鐘はもう一度鳴りました。
このページでは、ユノたちがベルフィアの名を守るため、鐘に残る記憶を記録します。
ベルフィアの鐘は、夕暮れの空に長く響いていた。
ごうん。
ごうん。
音は廃墟になった町を渡り、白い壁の欠片を震わせ、川沿いの黄色い花を揺らした。
ハルトは広場の真ん中で、ずっとその音を聞いていた。
「ベルフィア……」
何度も、何度も、確かめるように名を呼ぶ。
そのたびに、塔の鐘がかすかに光った。
ミアは記憶灯を抱えながら、白い塔を見上げた。
「この鐘、名前の中心なんだね」
リゼは頷いた。
「ええ。町の記憶の核になっているわ。星灯坑がルグナの名を地に留める場所なら、この鐘はベルフィアの名を空へ響かせる場所」
カイが小さく言った。
「ネリオには栗の木。ベルフィアには鐘」
ユノは頷いた。
「場所ごとに、名前を覚えているものが違うんだな」
ハルトは涙を拭い、塔へ歩いた。
「この鐘を、残したいです」
声は震えていたが、決意があった。
「町をすぐに戻すことはできない。でも、この鐘が鳴れば、ベルフィアを思い出せる気がする」
リゼは塔を見上げる。
「鐘にはまだ忘却の残滓が少し残っている。今のままでは、時間が経つとまた名が薄れるかもしれない」
「どうすれば?」
ハルトが不安そうに聞く。
リゼはユノを見る。
「ユノの星灯りの剣で残滓を切り離し、ミアの記憶灯で鐘の響きを固定する。さらに、ルグナの星灯坑へベルフィアの名を記録すれば、二重に支えられる」
ミアが頷いた。
「やろう」
カイも木剣を握る。
「俺も名前を呼ぶ」
ユノは星灯りの剣を呼び出した。
塔の階段を再び上る。
白い石はひび割れ、足元は危うい。
けれど、さっきより怖くなかった。
鐘の名が戻ったからだろうか。
塔そのものが、少しだけユノを支えてくれている気がした。
鐘の前に立つ。
表面には、戻った文字が刻まれていた。
ベルフィア。
その周囲に、まだ細い黒い糸が残っている。
ユノは息を整えた。
「ベルフィア」
下から、みんなの声が続いた。
「ベルフィア」
ミア。
「ベルフィア」
カイ。
「ベルフィア」
リゼ。
「ベルフィア」
ハルト。
「ベルフィア」
名が重なる。
ユノは剣先で、鐘に絡む黒い糸を斬った。
一本。
また一本。
最後の一本が切れた瞬間、鐘が大きく鳴った。
ごうん。
その音の中に、町の記憶が流れ込んできた。
白い塔の下で、子どもたちが黄色い花を飾っている。
丸い焼き菓子を配る女性たち。
川沿いで笑う老人。
鐘の音に合わせて踊る人々。
春の日差し。
白い壁。
ハルトの幼い声。
ユノは目を閉じた。
これは戻せない過去だ。
でも、忘れてはいけない過去でもある。
ユノは鐘に手を当てた。
「ベルフィア。ここにあった町。鐘の町。白い塔の町」
鐘が静かに震えた。
下で、ミアの記憶灯が強く光る。
銀色の火が塔を包み、鐘の響きを固定していく。
リゼの魔法陣が広場に広がった。
黄色い花が一斉に揺れる。
カイがハルトの隣で叫んだ。
「ベルフィア!」
ハルトも泣きながら叫ぶ。
「ベルフィア!」
その声に応えて、町跡のあちこちに光が灯った。
広場。
川沿いの道。
白い塔。
焼き菓子の店跡。
小さな橋。
ベルフィアは廃墟のままだ。
けれど、名を取り戻した。
ユノが塔から降りると、ハルトが深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「まだ終わりじゃないです」
ユノは言った。
「ルグナへ戻って、星灯坑にも記録しましょう」
ハルトは頷いた。
「はい。でも、その前に……少しだけ、ここを片づけてもいいですか」
誰も反対しなかった。
五人は広場の草を払い、倒れた石を脇へ寄せ、鐘の塔の入口を少し整えた。
大きな復興ではない。
ほんの小さな片づけ。
けれど、ハルトにとっては大事な一歩だった。
カイは石を運びながら言った。
「ネリオも、最初はこうだった」
ハルトが微笑む。
「一緒ですね」
「うん。壊れた場所を、すぐ元通りにはできない。でも、名前を呼びながら少しずつ直せる」
ミアは黄色い花を数本摘まずに、根元の周りを整えた。
「花、増えるといいね」
リゼは塔の壁に小さな保護の印を刻んだ。
「これで、しばらく鐘は名を保てるはず」
夕暮れが深まる頃、ハルトは白い塔の前に立った。
「また来ます」
彼は鐘を見上げる。
「ベルフィアを、誰も知らない町にしないために」
鐘が小さく鳴った。
ごうん。
返事のようだった。
ルグナへ戻る道で、ハルトは何度も町の名を呼んだ。
「ベルフィア」
カイが続ける。
「ベルフィア」
ミアも。
「ベルフィア」
リゼも。
「ベルフィア」
ユノも。
「ベルフィア」
名前は、もう消えそうな仮の呼び名ではなかった。
確かな町の名として、五人の間にあった。
夜、ルグナへ戻ると、星灯坑の前ではセレノが記録を続けていた。
ユノたちを見ると、彼は静かに顔を上げた。
「見つかったのか」
ハルトは胸を張った。
「はい。ベルフィアでした」
星灯坑の壁に、黄色い光が強く灯った。
セレノは名簿を開く。
「記録しよう」
ハルトはゆっくり言った。
「ベルフィア。白い塔と鐘の町。川沿いに黄色い花が咲き、春の日に鐘を鳴らす町」
セレノが丁寧に書き留める。
リゼが魔法陣を添える。
ミアが記憶灯を掲げる。
カイが名を呼ぶ。
「ベルフィア」
星灯坑にいた町の人々も続いた。
「ベルフィア」
黄色い光が安定した。
ハルトは涙を流しながら、その光を見つめた。
「戻った……」
ユノはその隣に立った。
また一つ、名前が帰った。
町はまだ廃墟だ。
人々も戻らない。
失われた時間は戻らない。
それでも、ベルフィアはもう空白ではない。
名前を呼ぶ者がいる。
鐘がある。
花がある。
記録がある。
それは、未来へ続くための始まりだった。
星灯坑の壁に、ルグナ、ネリオ、ベルフィアの光が並んで灯っている。
地に灯る星が、また一つ増えた。
ユノは小さく自分の名を呼んだ。
「ユノ」
ミアがすぐに答えた。
「いるよ」
カイも笑った。
「いる」
リゼも静かに頷く。
「いるわ」
ハルトも、涙を拭いて言った。
「ベルフィアも、あります」
その言葉に、星灯坑の黄色い光がもう一度、優しく瞬いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
“鐘の町”の本当の名は、ベルフィアでした。
町は廃墟のままですが、鐘と花と記録によって、名前は守られ始めます。
次のページは『名前を守る旅人たち』です。
ユノたちは、ルグナを拠点にしながら、各地の失われた名を探す役目へ進みます。




