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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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鐘の町を探して

まだ名前になれない記憶がありました。


 鐘の音。

 白い壁。

 春の黄色い花。


 星灯坑に預けられた“鐘の町”の欠片は、正式な名を取り戻せないまま、淡く揺れています。


 ユノたちは、その町の本当の名前を探すため、新しい小さな旅へ出ます。

星灯坑の壁に灯った黄色い光は、朝になっても消えなかった。


 けれど、他の名前の光とは違っていた。


 ルグナの光は銀色に安定している。

 ネリオの光は赤く、温かく揺れている。

 黒翼騎士団の名は灰色ながらも、一つ一つ輪郭を持ち始めている。


 だが、“鐘の町”の光だけは、まだ形を決められないように震えていた。


 名ではなく、仮の呼び名。


 鐘の音。

 白い壁。

 川沿いの黄色い花。


 旅人が持ってきた、故郷の欠片だった。


 ユノはその光の前に立っていた。


「鐘の町」


 呼ぶと、黄色い光が少しだけ明るくなる。


 しかし、すぐにまた淡くなる。


 正式な名が足りないのだ。


 リゼが隣で記録帳を開いた。


「このままでも消えはしないけれど、安定はしないわ。記憶の核が足りない」


「核?」


「町そのものを呼ぶ名よ。仮の名では支えきれない」


 ミアは記憶灯を抱えながら言った。


「昨日の旅人さん、まだルグナにいる?」


「宿に泊まっているはず」


 カイが木剣を肩にかける。


「じゃあ、話を聞こう」


 ユノは頷いた。


「行こう」


 旅人は黒麦亭の二階に泊まっていた。


 名前はハルトという。


 彼自身の名前は戻っていた。


 けれど故郷の町の名だけが戻らない。


 ハルトは古い地図を広げて待っていた。


「来てくださったんですね」


 彼の顔には不安と期待が混ざっている。


 ユノは椅子に座り、地図を見た。


 白く抜けた場所。


 山と川の間にある小さな町。


 だが、その場所だけが霧に覆われたように何も書かれていない。


 リゼが聞いた。


「覚えていることを、昨日より詳しく話してください」


 ハルトは目を閉じた。


「鐘の音があります。朝と夕方に鳴る鐘です。町の中心に白い塔があって、その上に大きな鐘がありました」


 ミアが記録する。


「白い塔」


「川があります。春になると、その川沿いに黄色い花が咲きます。町の人たちは、その花を……」


 ハルトは眉を寄せた。


「何と呼んでいたか、思い出せない」


 カイが優しく言った。


「無理に思い出さなくていい。匂いとか、音とかでも」


「匂い……焼き菓子の匂いがしました。鐘の日には、丸い菓子を焼いていた。子どもたちは塔の前に集まって……」


 ハルトの声が震える。


「誰かが、私の名前を呼んでいた気がします。でも、その人の顔が見えない」


 ユノは胸が痛んだ。


 故郷の名が戻らないということは、そこにいた人々の輪郭も薄いということだ。


 リゼが地図へ手をかざす。


「この白い空白に、忘却の残滓がある。星喰いの王が止まっても、深く喰われた名はまだ眠っているのね」


「起こせる?」


 ミアが聞く。


「現地へ行く必要があるわ」


 ハルトが顔を上げた。


「現地へ……」


「場所の記憶は、土地に残っていることがある。そこへ行けば、正式な名の手がかりが見つかる可能性が高い」


 カイが力強く頷いた。


「ネリオもそうだった」


 ユノはハルトへ言った。


「一緒に行きますか?」


 ハルトは少し怖そうにした。


「行きたいです。でも……もし何も残っていなかったら」


 カイが静かに答えた。


「怖いよな」


 ハルトはカイを見る。


「はい」


「俺もそうだった。ネリオに行く時、何も残ってなかったらどうしようって思った」


「残っていましたか?」


 カイは少し黙った。


「村は壊れてた。でも、栗の木が残ってた。井戸も。父さんと母さんの手紙も」


 ハルトは息を呑んだ。


 カイは続けた。


「全部は戻らない。でも、行かないと分からないものがある」


 ハルトは地図を見つめ、やがて頷いた。


「行きます」


 その日の午後、ユノたちは出発の準備をした。


 目的地は西。


 星灯坑に預けた“鐘の町”の記憶を頼りに、白い空白の場所を探す。


 今回は、ユノ、ミア、リゼ、カイに加えて、ハルトも同行する。


 セレノはルグナに残った。


 黒翼騎士団の名簿作りがまだ途中だからだ。


 出発前、セレノはユノたちを星灯坑の入口で見送った。


「鐘の町の名が戻ったら、ここにも記録する」


 ユノは頷いた。


「頼む」


 リゼがセレノを見る。


「黒翼の名簿、逃げずに」


「分かっている」


 セレノは静かに答えた。


「セレノ」


 リゼが呼ぶ。


「いる」


 その返事を聞いてから、リゼは頷いた。


 ユノの父は保存食を渡してくれた。


「無理はするな」


「分かってる」


 父はじっとユノを見た。


「本当に?」


「……できるだけ」


「それでいい」


 ミアが笑った。


「ユノにしては正直」


 父も少し笑った。


 ルグナの門を出る時、町の人々が声をかけてくれた。


「気をつけて」


「鐘の町、見つかるといいな」


「戻ったら教えてくれ」


 ハルトは驚いたように人々を見た。


「私の故郷のことなのに、皆さんが……」


 カイが言った。


「名前は、一人で探すよりみんなで呼んだ方が強い」


 ハルトは目を潤ませた。


「ありがとうございます」


 西へ向かう道は、緩やかな丘を越えて続いていた。


 ルグナの煤けた山が遠ざかる。


 代わりに、草原と川の多い土地へ入っていく。


 道中、ハルトは少しずつ記憶を話した。


 白い塔。

 鐘の音。

 黄色い花。

 丸い焼き菓子。

 石畳の広場。

 川にかかる小さな橋。


 どれも断片だった。


 でも、断片を呼ぶたび、リゼの地図の白い空白に少しずつ線が浮かぶ。


 ミアが言った。


「町が自分の形を思い出してるみたい」


 リゼは頷いた。


「ええ。記憶は繋がると地図になる」


 夕方、川沿いの野営地に着いた。


 そこには、黄色い花が咲いていた。


 小さな花。


 星涙花とは違う。


 丸い花びらが、鐘の形のように下を向いている。


 ハルトはその花を見た瞬間、立ち尽くした。


「これ……」


 ユノが聞く。


「見覚えが?」


 ハルトは震える手で花に触れた。


「この花です。町の川沿いに咲いていた花」


 リゼが慎重に花を観察する。


「鐘花……いえ、正式名は別にありそうね」


 ハルトは目を閉じた。


「子どもの頃、この花を摘んで……塔の前に飾った。鐘が鳴る日に」


 ミアが優しく聞く。


「鐘が鳴る日は、お祭り?」


「たぶん。町の名前と関係があった気がします」


 その時、遠くで鐘の音が聞こえた。


 ごうん。


 ごうん。


 ユノたちは一斉に顔を上げた。


 周囲に塔はない。


 鐘もない。


 だが、確かに聞こえた。


 ハルトは涙を浮かべる。


「この音……」


 リゼが地図を見る。


 白い空白の一部に、薄い文字が浮かんだ。


 しかし、まだ読めない。


「近づいているわ」


 その夜、黄色い花のそばで野営した。


 ミアは花を傷つけないように小さな灯りを置いた。


 カイはハルトと一緒に川のそばに座った。


「怖い?」


 カイが聞く。


 ハルトは頷いた。


「怖いです。でも、少し嬉しいです。音を聞けたから」


「俺もネリオの栗の木を見た時、怖いのに嬉しかった」


「カイさんは、強いですね」


 カイは慌てた。


「強くない。泣きまくった」


「でも行った」


「みんながいたから」


 カイは少し照れながら言った。


「だから、ハルトも一人じゃない」


 ハルトは小さく頷いた。


 ユノは少し離れて二人を見ていた。


 カイは本当に守る者になり始めている。


 誰かの名前を、隣で一緒に探す者に。


 リゼが地図を見ながら言った。


「明日、川を下れば町跡に近づくはず」


 ミアが花を見ながら言う。


「町跡ってことは、やっぱり壊れてるのかな」


「分からないわ。でも、星喰いに深く喰われた場所なら、人々が町を忘れて離れてしまった可能性もある」


 ユノは川の流れを見た。


 鐘の町。


 名を失った町。


 もし町の人々が自分たちの町の名前を忘れたら、どうなるのだろう。


 看板が読めなくなる。

 広場の意味が薄れる。

 祭りが消える。

 誰かがどこかへ移り住み、町は空っぽになる。


 名前を失うというのは、ただ言葉を失うことではない。


 場所が、自分の輪郭を失うことだ。


 翌朝、川沿いを進んだ。


 黄色い花は、道しるべのように続いている。


 ハルトは時々立ち止まり、花を見て記憶を辿った。


「この花、朝露がつくと鐘みたいに光るんです」


 ミアが目を細める。


「本当だ、少し光ってる」


 リゼが言った。


「花も町の名を覚えているのかもしれない」


 昼近く、川の向こうに白いものが見えた。


 塔だった。


 半分崩れている。


 けれど、確かに白い塔だった。


 ハルトは息を止めた。


「あれ……」


 ユノたちは橋を渡り、塔へ向かった。


 橋は古く、欄干には蔦が絡まっている。


 だが、石畳はまだ残っていた。


 橋を渡った先に、町があった。


 いや、町跡だった。


 白い壁の家々は多くが崩れ、窓は割れ、広場には草が生えている。


 人の気配はない。


 ただ、中央の白い塔だけが、空へ向かって立っていた。


 塔の上には、ひび割れた鐘が吊るされている。


 ハルトは広場の入口で立ち止まった。


「ここ……ここです……」


 声が震える。


 カイが隣に立った。


「一緒に行こう」


 ハルトは頷いた。


 広場へ入ると、足元の石畳が淡く光った。


 ミアが記憶灯を掲げる。


 塔の鐘が、誰も触れていないのに鳴った。


 ごうん。


 その音が響いた瞬間、町跡に淡い光の影が浮かんだ。


 人々の影。

 子どもたち。

 白い壁の家。

 黄色い花の飾り。

 丸い焼き菓子を持つ女性。

 塔を見上げる少年。


 ハルトが涙を流す。


「思い出した……ここで、鐘を聞いてた……」


 リゼが地図を開く。


 白い空白に、文字が浮かび始める。


 だが、まだ完全ではない。


 ユノは星灯りの剣を呼び出した。


 塔の鐘に黒い糸が絡みついている。


 忘却の残滓。


「鐘に残ってる」


 リゼが頷く。


「慎重に。鐘そのものが町の記憶の核よ」


 ユノは塔へ向かった。


 階段は崩れかけていたが、なんとか上がれる。


 ミアが下から言う。


「気をつけて!」


「分かってる!」


 塔の上に着くと、鐘が目の前にあった。


 大きな白銅の鐘。


 表面には蔦の模様と黄色い花の彫刻がある。


 その中央に、黒い糸が絡みつき、文字を隠していた。


 ユノは剣先を当てる。


 黒い糸だけを斬る。


 一本。


 また一本。


 鐘が震える。


 下からハルトの声がした。


「鐘の町……」


 カイが続ける。


「鐘の町!」


 ミアも。


「鐘の町!」


 リゼも。


「鐘の町!」


 ユノは最後の糸を斬った。


 鐘が大きく鳴った。


 ごうん。


 音が町跡に広がる。


 白い塔が光り、黄色い花が一斉に咲く。


 そして鐘の表面に、隠れていた文字が浮かんだ。


 ユノは読み上げた。


「ベルフィア」


 その名を口にした瞬間、町跡全体が光った。


 ハルトが広場で泣き崩れる。


「ベルフィア……そうだ……ベルフィア……!」


 ミアも叫んだ。


「ベルフィア!」


 カイも。


「ベルフィア!」


 リゼも。


「ベルフィア!」


 ユノも塔の上で叫ぶ。


「ベルフィア!」


 鐘がもう一度鳴った。


 町の名前が戻った。


 白い壁の町。


 鐘の町。


 ベルフィア。


 光の中で、町の影が一瞬だけ昔の姿を取り戻した。


 広場に人々が集まり、黄色い花を塔へ飾り、丸い焼き菓子を分け合っている。


 ハルトのそばに、女性の影が現れた。


 彼の母だろうか。


 彼女は微笑んで、ハルトの名前を呼んだ。


 声は聞こえなかった。


 でも、唇は確かに動いていた。


 ハルト。


 ハルトは泣きながら手を伸ばした。


「母さん……」


 影は光へ溶けた。


 けれど、ハルトの胸には何かが戻ったようだった。


 ユノが塔から降りると、リゼの地図には正式な文字が浮かんでいた。


 ベルフィア。


 町の名が戻った。


 だが、町そのものは廃墟のままだ。


 ハルトは広場を見渡し、涙を拭いた。


「戻ったのに……誰もいない」


 カイが静かに言った。


「うん」


 ハルトは震える声で続けた。


「でも、名前が戻った。ここが何だったのか、思い出せた」


 ユノは頷いた。


「ベルフィアは、ここにあった」


「はい」


 ミアが言った。


「ルグナの星灯坑に記録しよう。あと、この町にも石碑を立てよう」


 リゼも頷く。


「鐘が残っている。ここを記録の場所にできるわ」


 ハルトは塔を見上げた。


「私、ここへ戻ってきます」


「住むの?」


 カイが聞く。


「すぐには無理です。でも、町の名を守りたい。ベルフィアがあったことを、誰かが思い出せるようにしたい」


 カイは嬉しそうに笑った。


「同じだ。俺のネリオと」


 ハルトも泣き笑いで頷いた。


「はい」


 ユノは白い塔を見上げた。


 星灯りの仕事は、また一つ形になった。


 名を失った町を探し、名を取り戻し、そこにあった時間を見届ける。


 町は元通りにはならない。


 でも、名前は戻った。


 ベルフィア。


 鐘が夕方の空に鳴った。


 ごうん。


 その音は、帰ってきた町の名を、遠くまで運んでいった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、“鐘の町”の本当の名前が戻りました。


 白い塔と鐘の町、ベルフィア。


 町は廃墟になっていましたが、名前が戻ったことで、そこに人々の暮らしがあったことを思い出せました。


 次のページは『ベルフィアの鐘』です。

 ユノたちは、戻った町の名をルグナへ持ち帰り、記録する準備をします。

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