表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/128

星灯りの仕事

戦いが終わったあとにも、仕事は残ります。


 壊れたものを直すこと。

 戻った名前を記録すること。

 泣いている人の隣で、その名を一緒に呼ぶこと。


 ルグナの星灯坑を中心に、ユノたちは“名前を守る仕事”を始めます。


 それは剣を振るうより地味で、けれど同じくらい大切な仕事でした。

星灯坑に朝の光は届かない。


 けれど、そこには夜よりも明るい星があった。


 壁に灯った名前の光。

 坑道の奥で静かに揺れる星灯炭。

 記録台に置かれた名簿。

 ミアが作った小さな灯り。

 リゼが描いた魔法陣。


 そして、そこに集まる人々の声。


「この名前も預けたいんです」


「忘れないように、書いてください」


「この子の名を、もう一度呼んでほしい」


 星喰いの王との戦いは終わった。


 けれど、名前を守る仕事は終わらなかった。


 むしろ、ここから始まったのだとユノは感じていた。


 その日、星灯坑の入口には、朝から列ができていた。


 ルグナの人だけではない。


 噂を聞いて、近くの村から来た人もいた。


 戻った名前をどう扱えばいいのか分からない者。

 戻った名前がすぐ薄れてしまう者。

 誰にも呼ばれなくなった名を抱えてきた者。


 ユノの父は、炭鉱夫たちと一緒に入口を整理していた。


「焦らなくていい。一つずつ記録する」


 ミアは記憶灯を使って、名前の光が弱い人を助けていた。


「この灯りを見て、もう一度呼んでみてください」


 カイは子どもや老人の隣に座り、一緒に名前を呼んだ。


「大丈夫。小さくてもいいから」


 リゼは星灯坑の奥で、名を預ける魔法陣を整えていた。


 セレノは黒翼騎士団の名簿を書きながら、時々町の人の記録も手伝った。


 まだ彼を見る目は厳しい。


 けれど、セレノは逃げなかった。


 そしてユノは、星灯りの剣を使って、名前に絡みついた忘却の残りを切り離していた。


 それは戦いではなかった。


 剣を大きく振るう必要もない。


 ただ、かすかに残った黒い糸を見つけ、名前本体を傷つけないよう慎重に切る。


 集中力のいる作業だった。


 最初に来たのは、小さな女の子だった。


 母親に手を引かれ、胸に古い布人形を抱いている。


 母親は不安そうに言った。


「この子の妹の名前が、戻りかけているんです。でも、呼ぼうとするとすぐ消えてしまって」


 女の子は布人形を抱きしめた。


「妹、いたの。いたのに、名前が分からないの」


 ミアがしゃがみ込んだ。


「人形、見せてくれる?」


 女の子は少し迷い、それから人形を差し出した。


 人形の服には、薄い刺繍があった。


 文字はほとんど消えている。


 リゼがそっと魔法をかける。


 ユノは星灯りの剣を小さく出した。


 刺繍の周りに、黒い糸のような忘却が残っていた。


「切る」


 ユノは慎重に剣先を近づけた。


 細い黒い糸を一本だけ斬る。


 人形の服が淡く光った。


 文字が浮かぶ。


 リナ。


 女の子の目が大きく開いた。


「リナ……」


 母親が口元を押さえる。


「リナ……そう、リナ……」


 女の子は人形を抱きしめて泣いた。


「リナ、リナ、リナ」


 星灯坑の壁に、小さな桃色の光が灯った。


 カイが優しく言った。


「もう一回、一緒に呼ぼう」


 女の子は涙をこぼしながら頷いた。


「リナ」


 カイも。


「リナ」


 ミアも。


「リナ」


 ユノも。


「リナ」


 その名は、小さな星になって坑道に残った。


 女の子の母親は何度も頭を下げた。


 ユノは首を振った。


「これからも、呼んであげてください」


 母親は泣きながら頷いた。


「はい。何度でも」


 次に来たのは、年老いた炭鉱夫だった。


 彼は古いヘルメットを持っていた。


「昔、相棒がいた。事故で死んだ。なのに、名前を思い出せなくなっていた」


 老人はヘルメットを机に置いた。


「今朝、夢で呼ばれた気がした。けれど、起きたらまた薄くなっていた」


 セレノが静かに聞いた。


「覚えていることは?」


「笑い方。酒が弱い。歌が下手。坑道では誰より頼りになった」


 ミアが記憶灯を近づける。


 リゼがヘルメットの内側を見る。


 そこに、爪で刻んだような小さな文字があった。


 サム。


 老人はその文字を見た瞬間、震えた。


「サム……」


 星灯坑の壁に、深い黄色の光が灯った。


 老人はヘルメットを抱きしめて、声を上げずに泣いた。


 セレノはその様子を見て、しばらく動けなかった。


 ユノは彼に気づいた。


「セレノ」


「いる」


「大丈夫か」


「……分からない」


 セレノは老人を見つめたまま言った。


「忘れていた名が戻る時、人はこう泣くのだな」


「うん」


「私は、それを奪おうとした」


 ユノは何も言わなかった。


 セレノは目を伏せる。


「書く。忘れないために」


 彼は名簿の余白に、サムの名を丁寧に記録した。


 黒翼騎士団ではない。


 けれど、名前を守る記録として。


 昼になっても、列は途切れなかった。


 ミアは疲れた顔をしていたが、記憶灯を離さなかった。


 ユノは何度も休むように言ったが、ミアは首を振った。


「もう少し」


「無理するな」


「ユノに言われたくない」


「最近そればっかりだな」


「事実だから」


 カイが横から言った。


「でもミアも休め」


 ミアはカイを見る。


「カイまで?」


「守る者だから」


 カイは少し得意げに言った。


 ミアは笑い、ようやく椅子に座った。


「じゃあ、少しだけ」


 リゼも休憩を取るように言い、星灯坑の入口で簡単な食事が配られた。


 黒麦パンとスープ。


 町の人々が持ち寄ってくれたものだった。


 星灯坑の仕事は、いつの間にかルグナ全体の仕事になり始めていた。


 ユノの父が言った。


「名前を守るには、飯も要る」


 カイが強く頷く。


「本当にそうです」


 その真剣さに、みんなが笑った。


 午後、リゼは星灯坑の入口に新しい看板を立てた。


 そこには、こう書かれていた。


 星灯坑

 戻った名を預かる場所

 名を呼ぶ者は、忘れず、急がず、偽らず


 ユノはその言葉を読んだ。


「いいな」


 リゼは少しだけ頷いた。


「名前を扱うには、決まりが必要よ。無理に思い出させることも、勝手に記録することも危険だから」


 セレノが低く言った。


「忘却と同じ過ちになる」


 リゼは彼を見た。


「ええ。だから慎重に」


 セレノは頷いた。


「覚えておく」


 その返事に、リゼは少しだけ表情を緩めた。


 夕方、最後に来たのは、旅人だった。


 ルグナから遠い西の町の出身だという。


 彼は、古い地図を持っていた。


「地図に町の名前が戻りません」


 地図には、山と川は描かれている。


 けれど、ある場所だけが白く抜けていた。


「そこに、私の故郷があったはずなんです。でも、名前が分からない。家族の名前も、まだ」


 カイが真剣な顔になった。


 自分と同じ痛みだからだ。


 彼は旅人の隣に座った。


「何か覚えてる?」


「鐘の音。白い壁。春になると、川沿いに黄色い花が咲いた」


 カイは頷いた。


「それ、全部大事」


 ユノは地図を見た。


 白い空白に、黒い糸が絡みついている。


 星喰いの残滓。


 かなり深い。


「すぐには無理かもしれない」


 旅人は肩を落とした。


 しかしカイがすぐに言った。


「でも、預けられる」


 旅人が顔を上げる。


「名前が分からなくても?」


 リゼが答えた。


「記憶の欠片を預けられます。鐘の音、白い壁、黄色い花。それらがいつか名を呼び戻す手がかりになる」


 旅人は地図を抱きしめた。


「お願いします」


 ミアが記憶灯を掲げる。


 カイが一緒に声を出す。


「鐘の町」


 旅人が戸惑う。


「それは名前では……」


「仮の呼び名でいい」


 カイは言った。


「俺も最初、全部は分からなかった。でも呼び続けたら、ネリオが戻った」


 旅人の目に涙が浮かんだ。


「鐘の町」


 ユノたちも呼んだ。


「鐘の町」


 星灯坑の壁に、まだ名前にならない淡い黄色の光が灯った。


 それは不完全だった。


 けれど、消えなかった。


 旅人は何度も礼を言った。


 カイは優しく言った。


「戻ったら、また来て。名前、探そう」


 旅人は頷いた。


 その姿を見て、ユノは思った。


 星灯りの仕事は、こういうことなのだ。


 完全な答えを渡すことではない。


 今はまだ名にならないものを、消えないように一緒に抱えること。


 夜になり、星灯坑の仕事はようやく一段落した。


 全員が疲れ切っていた。


 ミアは机に突っ伏しそうになり、カイは床に座り込んでいた。


 リゼも珍しく肩を落としている。


 セレノは黙々と名簿を閉じた。


 ユノの父が全員に言った。


「今日は終わりだ。これ以上は名前も人も疲れる」


 誰も反対しなかった。


 星灯坑の入口を閉じる前、ユノは中を振り返った。


 たくさんの光。


 リナ。

 サム。

 鐘の町。

 ネリオ。

 ルナエル。

 セレノ。

 黒翼騎士団の名。

 ルグナの古い場所の名。


 地の底に、星が増えていた。


 家へ戻る途中、ミアが言った。


「戦いより疲れたかも」


 カイが頷く。


「分かる」


 リゼも。


「精神的な負荷が高いわ」


 ユノは笑った。


「リゼがそう言うと本当に大変だった感じがする」


「大変だったのよ」


 セレノが静かに言った。


「だが、必要な疲れだ」


 みんなが彼を見る。


 セレノは少し気まずそうに目を逸らした。


「そう思っただけだ」


 リゼが頷いた。


「ええ。必要な疲れね」


 その夜、ユノの家の食卓はまた賑やかだった。


 父が大量のスープを作り、ガルドがパンを持ってきた。


 ミアは食べながら半分眠っている。


 カイは眠そうなのにしっかり食べている。


 リゼは記録の整理をしようとして、父に止められた。


「食べてからにしなさい」


「でも」


「食べてから」


「……はい」


 セレノは食卓の端に座っていた。


 まだ遠慮がある。


 町の人々の目も、完全には優しくない。


 けれど、父は彼にも同じようにスープを置いた。


「食べなさい」


 セレノは器を見つめた。


「私も?」


「ここにいるなら食べる」


 セレノは少し戸惑い、それから器を受け取った。


「いただきます」


 その声は小さかった。


 だが、ちゃんと現在にいる者の声だった。


 ユノは食卓を見渡した。


 戦いの仲間。

 罪を抱える者。

 故郷を失った者。

 千年を越えた魔女。

 記憶灯を守る少女。

 炭鉱夫の父。

 ルグナの友人。


 みんなが同じスープを食べている。


 それだけで、星灯りの仕事の意味が少し分かった気がした。


 名前を守るとは、特別な儀式だけではない。


 名前を呼んで、同じ食卓に座らせること。


 戻った人を、罪や痛みごと現在に置くこと。


 それは簡単ではない。


 でも、必要だった。


 食後、ユノは外へ出た。


 夜空には星があった。


 地には星灯坑の光。


 空と地の間で、ルグナの町は眠り始めている。


 ミアが隣に来た。


「ユノ」


「いる」


「今日、少しだけ分かった」


「何を?」


「私たち、これからも忙しいね」


 ユノは笑った。


「そうだな」


「でも、嫌じゃない」


「俺も」


 ミアは記憶灯を見つめた。


「この火、戦うためだけじゃなくて、こういう仕事に使えるのが嬉しい」


「ミアらしい」


「ユノの剣もね」


 ユノは手首を見る。


 星灯りの剣の模様が静かに光っている。


 忘却を斬る剣。


 でも今は、名前を傷つけないように、細い黒い糸だけを切る道具にもなっている。


 それが、少し嬉しかった。


「星灯りの仕事か」


 ユノが呟く。


 ミアが笑った。


「いい名前」


「そうかな」


「うん。剣も火も、星灯坑も、みんなでやる仕事」


 ユノは夜のルグナを見た。


 星灯りの仕事。


 戻った名前を迎えること。

 戻らない名前を探すこと。

 まだ名にならない記憶を預かること。

 罪ある名を、忘れずに記録すること。


 戦いより地味で、終わりが見えない。


 けれど、きっとこれこそが、星喰いの王を止めた後に必要な仕事だった。


 ユノは小さく言った。


「明日もやろう」


 ミアは頷いた。


「うん。明日も」


 その声に応えるように、星灯坑の光が遠くで瞬いた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、ユノたちが“星灯りの仕事”を始めました。


 戻った名前を記録すること。

 まだ名にならない記憶を預かること。

 忘却の残りを切り離すこと。


 戦いとは違う、静かで大切な仕事です。


 次のページは『鐘の町を探して』です。

 名を失った旅人の故郷を探すため、ユノたちは新しい手がかりを追います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ