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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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星の川

奪われた名前たちは、光になって流れ出しました。


 それは川のようでした。

 星のようで、涙のようで、帰り道を探す祈りのようでした。


 名前を喰らう王は崩れました。

 けれど、解放された名前を世界へ返さなければ、本当の終わりにはなりません。


 このページでは、ユノたちが“星の川”を見届けます。

光の中へ飛び込んだ瞬間、ユノは水の冷たさを感じた。


 星の泉だった。


 黒い玉座の空間から戻ってきたのだ。


 ユノは膝をつき、激しく息をした。


 全身が重い。

 腕が痛い。

 喉が焼けるように乾いている。


 それでも、名前はある。


「ユノ」


 ミアの声がした。


「いる」


 ユノは答えた。


 リゼの声。


「ユノ」


「いる」


 カイの声。


「ユノ!」


「いる」


 その返事をした瞬間、ユノはようやく自分が戻ってきたのだと分かった。


 ミアは記憶灯を抱えたまま座り込んでいた。

 カイは涙と汗でぐしゃぐしゃの顔をしている。

 リゼは封印布を抱きしめ、肩で息をしていた。


 星の泉の中央では、白い星が震えている。


 ルナエルの名。


 その白い星の周囲に、無数の光が流れ込んできた。


 最初は細い糸のようだった。


 やがて、それは川になった。


 星の川。


 王の空白から解放された名前たちが、泉へ流れ込み、そこから世界へ戻ろうとしていた。


 光は一つ一つ違っていた。


 赤い光。

 青い光。

 金色の光。

 白い光。

 緑の光。


 それぞれが、誰かの名前だった。


 誰かの町。

 誰かの家族。

 誰かの祈り。

 誰かの星。


 ミアが震える声で言った。


「綺麗……」


 カイは胸を押さえた。


「ネリオが……」


 星の川の中から、赤い屋根の光がいくつも流れてきた。


 カイの前で、光が小さな村の形を作る。


 井戸。

 畑。

 赤い屋根。

 木の柵。

 小さな道。


 完全ではない。


 まだぼやけている。


 けれど、確かにネリオだった。


 カイの目から涙が溢れた。


「母さんの歌……父さんの手……少し、思い出した……」


 ユノはそっと言った。


「ネリオ」


 ミアも。


「ネリオ」


 リゼも。


「ネリオ」


 カイは泣きながら笑った。


「ネリオ」


 赤い光はカイの胸へ吸い込まれ、静かに灯った。


 星の川は止まらない。


 次に、青い光が揺れた。


 海の底の歌が聞こえる。


 アステラ。


 ミアの歌真珠が震えた。


 遠くから、ミレイアの声が届く。


 ――アステリア。


 ミアは目を閉じた。


「届いてる……海まで届いてる」


 青い光は水の流れとなって、星の泉からどこか遠い海へ向かっていく。


 ユノには見えた気がした。


 海底都市アステラで、眠っていた人魚たちの灯りが一つずつ明るくなる様子が。


 ミレイアが歌っている。


 名前を返す歌を。


 次に、白銀の光が流れた。


 エルディア。


 森の心臓の枝が強く光る。


 白い葉が一枚、水面に浮かび、星の川へ溶けた。


 リゼが静かに言った。


「森にも戻っている」


 ユノは思い浮かべた。


 森の心臓の根元で、ナギがソラの名を呼んでいる姿を。


 ソラが少しずつ身体を取り戻し、白い葉が彼の周りで光っている姿を。


 ユノは小さく言った。


「ソラ」


 光が一つ瞬いた。


 返事のようだった。


 そして、銀色の小さな火が流れてきた。


 ルグナ。


 ミアの記憶灯が大きく揺れる。


 ユノの胸が熱くなった。


 故郷。


 炭鉱町ルグナ。


 父の家。

 ミアの工房。

 ガルドの笑い声。

 煤けた屋根。

 夜空に近い煙突。


 光の中に、そのすべてが一瞬だけ浮かんだ。


 ユノは涙をこらえきれなかった。


「ルグナ」


 ミアも泣きながら言った。


「ルグナ」


 リゼも。


「ルグナ」


 カイも。


「ルグナ」


 銀色の火は記憶灯へ入り、灯りを少し大きくした。


 ミアが記憶灯を抱きしめる。


「帰ろうね」


 ユノは頷いた。


「ああ。帰ろう」


 その時、泉の中央の白い星が強く光った。


 ルナエル。


 白い星から少年の姿が現れる。


 彼は静かに星の川を見つめていた。


 泣いていた。


 けれど、その涙はこれまでとは違っていた。


 逃げる涙ではない。

 忘れたい涙でもない。

 自分が奪った名前たちを見ている涙だった。


「こんなに……」


 ルナエルは震える声で言った。


「こんなに、僕は奪ったんだね」


 ユノは何も言えなかった。


 慰めることはできない。


 それは事実だから。


 ルナエルは水面に膝をついた。


「ごめんなさい」


 その声は、星の川の中へ落ちた。


 けれど、名前たちは止まらない。


 許すとも言わない。

 責めるとも言わない。


 ただ、それぞれの場所へ帰っていく。


 リゼが静かに言った。


「罪は、謝っただけでは消えない」


 ルナエルは頷いた。


「分かってる」


「でも、見たのね」


「うん」


 ルナエルは涙を拭わなかった。


「もう、王名のせいだけにはしない」


 ユノは胸が痛くなった。


 これは救いではない。


 でも、逃げない始まりだった。


 ルナエルはユノを見た。


「王は?」


「止まった」


「消えたの?」


「分からない。でも、名前を喰らう力は斬った」


 ルナエルは目を伏せた。


「ありがとう、って言っていいのかな」


 ユノは少し考えた。


「今は、言わなくていい」


 ルナエルは小さく笑った。


「ユノはいつも難しい答えをするね」


「簡単に言えないことばかりだから」


「うん」


 星の川はさらに強くなる。


 泉全体が光で満たされる。


 リゼが緊張した声で言った。


「このままでは、名前の流れが強すぎる。道を整えないと、戻るべき場所を見失う名が出る」


「どうすれば?」


 ユノが聞く。


 リゼはすぐに指示を出した。


「ミア、記憶灯を中心に。帰る場所を持つ名前は灯りを目印にする」


「分かった!」


 ミアは記憶灯を泉の縁へ置いた。


 銀色の火が道しるべになる。


「カイ、ネリオの名を呼び続けて。村の名は村へ戻るための軸になる」


「分かった!」


 カイは涙を拭い、叫んだ。


「ネリオ! ネリオ! ネリオ!」


「ユノ、あなたは星灯りの剣で流れを裂かないように導いて」


「導く?」


「斬るのではなく、道を開くの」


 ユノは頷いた。


 星灯りの剣を呼び出す。


 銀の刃を水面へ向けると、星の川が二つ、三つに分かれ、それぞれ別の方向へ流れ始めた。


 青は海へ。

 白銀は森へ。

 赤はネリオへ。

 銀火はルグナへ。

 金色は失われた星へ。


 リゼはセフィラの記録板を開き、古い星図を読み上げる。


「帰るべき名は、呼ばれた場所へ。覚えている者の胸へ。記録された星へ。祈られた水へ」


 その言葉に従うように、名前たちは流れていく。


 星の川は、ただ美しいだけではなかった。


 ひとつひとつに重さがあった。


 誰かの人生の重さ。


 誰かの帰り道の重さ。


 ユノは剣を握りながら、何度も自分の名前を確かめた。


「ユノ」


 ミアが応える。


「ユノ!」


 カイも。


「ユノ!」


 リゼも。


「ユノ!」


 ルナエルも小さく。


「ユノ」


 名前が戻ってくる。


 だから、ユノは流れに呑まれなかった。


 やがて、星の川の中に黒い光が混ざり始めた。


 ミアが気づく。


「何か黒いのがある!」


 リゼの顔が強張る。


「王の残滓……!」


 黒い光は、解放された名前たちに絡みつこうとしている。


 星喰いの王が完全に消えたわけではない。


 飢えの残りが、まだ名前を掴もうとしているのだ。


 ユノは剣を構えた。


「斬る」


 リゼが叫ぶ。


「名前ごと斬らないで!」


「分かってる!」


 ユノは黒い光だけを狙った。


 星灯りの剣を細く、鋭く振るう。


 黒い残滓が裂ける。


 だが、次々と現れる。


 ミアが歌真珠を鳴らした。


 ミレイアの歌が黒い光を弱める。


 カイが名前を呼ぶ声を強める。


「ネリオ! ルグナ! アステラ! エルディア!」


 リゼが魔法で星の川を保つ。


 ルナエルは震えながら、自分の両手を水面へ置いた。


「僕も……」


 ユノが叫ぶ。


「無理するな!」


「これは、僕がしなきゃ」


 ルナエルは涙を流しながら言った。


「僕が奪った名前だから」


 彼の白い光が星の川へ広がる。


 黒い残滓に絡まれた名前が、少しずつ解けていく。


 ルナエルは一つ一つに頭を下げるように、光を送った。


「ごめんなさい」


 その言葉で許されるわけではない。


 けれど、黒い残滓は少しずつ薄れていった。


 ユノはその姿を見ながら、剣を振り続けた。


 ルナエルは逃げていない。


 自分が奪ったものを見ている。


 それは苦しい。


 でも、必要なことだった。


 やがて、最後の黒い残滓が消えた。


 星の川は澄んだ光だけになった。


 泉から空へ、水へ、森へ、町へ、記憶へ、名前が戻っていく。


 ミアは泣きながら笑っていた。


「流れてる……ちゃんと帰ってる……」


 カイは胸を押さえ、何度もネリオの名を呼んでいる。


 リゼは疲れ切っていたが、目は輝いていた。


「成功しているわ」


 ユノは剣を下ろした。


 星の川はまだ流れている。


 でも、もう暴れてはいない。


 それぞれが自分の帰る場所を思い出したように、静かに進んでいる。


 その時、泉の中央に文字が浮かんだ。


 ――名は帰る。

 ――されど、失われた時間は戻らず。

 ――帰る名を、誰が迎えるか。


 ユノはその言葉を見つめた。


 名前は戻る。


 でも、失われた時間は戻らない。


 ネリオが戻っても、すべてが元通りになるわけではない。


 ルグナも、アステラも、エルディアも。


 奪われた痛みは消えない。


 それでも、名前が戻れば、もう一度始めることはできる。


 ルナエルが静かに言った。


「僕は、どうすればいい?」


 その声は小さかった。


 ユノは彼を見た。


「見届ける」


「見届ける?」


「戻っていく名前を。自分が奪ったものを。逃げずに」


 ルナエルは頷いた。


「うん」


 リゼが言った。


「そして、いつか謝る相手がいるなら、自分の名で謝ること」


 ルナエルは目を伏せた。


「許されなくても?」


「許されなくても」


 ミアが優しく言った。


「でも、名前を持って謝るのは大事だと思う」


 カイも少し迷ってから言った。


「俺はまだ、星喰いを許せない。でも……ルナエルがちゃんと見てるなら、それは見てる」


 ルナエルはカイを見た。


「ネリオ、ごめんなさい」


 カイは唇を噛んだ。


 すぐには答えなかった。


 それでいい。


 簡単に許す必要はない。


 やがてカイは小さく言った。


「今は、聞いた」


 ルナエルは深く頭を下げた。


 星の川は、少しずつ細くなっていく。


 名前の大半が帰っていったのだ。


 最後に残ったのは、小さな光だった。


 それは王の空白から生まれた、名のない願い。


 ここにいたかった。


 ユノはその光を見た。


 それには名前がない。


 でも、確かに存在した。


 ルナエルがそっと手を伸ばす。


「これは……僕の願いだったもの?」


 リゼが静かに答えた。


「そして、王になった空白の核だったもの」


 光はルナエルの手に触れた。


 けれど彼の中へは入らなかった。


 ただ、泉の上で小さく揺れた。


 ユノは言った。


「それは、泉に残そう」


 ルナエルが見る。


「どうして?」


「忘れないために。名前を奪われた痛みが、王を生んだことを」


 リゼが頷く。


「星の泉の記録として残すべきね」


 ミアも。


「同じことが起きないように」


 カイも。


「誰かが見つけられるように」


 ルナエルは少し考え、頷いた。


「うん」


 名のない願いの光は、泉の中央に沈んだ。


 白い星の隣に、小さな透明な光として残る。


 星の川は、最後の一筋を流し終えた。


 泉は静かになった。


 けれど、さっきまでとは違う静けさだった。


 空っぽの静けさではない。


 帰るべきものが帰ったあとの、深い息のような静けさ。


 ユノは剣を手首へ戻した。


 全身の力が抜ける。


 倒れそうになったところを、ミアとカイが支えた。


「ユノ!」


「大丈夫?」


「大丈夫……たぶん」


 ミアが少し睨む。


「たぶん禁止」


「いる」


 ユノは答えた。


 リゼも近づき、銀の輪に触れた。


「ユノ」


「いる」


「よく戻ったわ」


「みんなが呼んだから」


 リゼは少しだけ笑った。


「ええ」


 ルナエルは泉の中央で、帰っていった名前たちの方向を見ていた。


 その背中は寂しそうだった。


 でも、以前より少しだけまっすぐだった。


 ユノは彼へ言った。


「ルナエル」


 少年は振り返る。


「何?」


「これからも、名前を見届けろ」


「うん」


「逃げるなよ」


「うん」


「俺たちも、逃げない」


 ルナエルは小さく頷いた。


 泉の水面に、再び文字が浮かぶ。


 ――王は止まった。

 ――名は流れた。

 ――旅は終わらず。

 ――帰る者たちは、帰る場所へ。


 ミアがそれを読んで、小さく笑った。


「帰ろうってことかな」


 カイが頷く。


「帰ろう」


 リゼも。


「ええ。まずは地上へ」


 ユノは星の泉を見渡した。


 星の川は消えた。


 だが、その光の跡はまだ水面に残っている。


 名前たちは帰り始めた。


 世界はすぐには元通りにならない。


 でも、動き始めた。


 ユノは深く息を吸い、自分の名前を呼んだ。


「ユノ」


 ミア。


「ミア」


 リゼ。


「リゼ」


 カイ。


「カイ」


 そして、泉の中央から。


「ルナエル」


 五つの名前が、静かな星の泉に響いた。


 それは終わりではなく、帰り道の始まりだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、星喰いの王から解放された名前たちが“星の川”となって世界へ戻り始めました。


 ネリオ、ルグナ、アステラ、エルディア。

 それぞれの名が、帰るべき場所へ流れていきます。


 ルナエルも、自分が奪った名前たちを見届けました。


 名前は戻っても、失われた時間は戻りません。

 それでも、名前が戻れば、もう一度始めることができます。


 次のページは『帰る名前たち』です。

 世界各地へ戻っていく名前と、ユノたちの帰り道が描かれます。

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