星喰いの玉座へ
幼き名は、星の泉に残されました。
ルナエルは星喰いの王から分かたれましたが、王はまだ消えていません。
むしろ、空白を埋めるために、さらに強く名前を求め始めます。
ユノたちは星の泉を離れ、最後の戦いの場所――星喰いの玉座へ向かう準備を始めます。
名前を守る旅は、いよいよ決戦へ進みます。
星の泉の水面は、何事もなかったように静かだった。
先ほどまで黒く揺れ、王の影が暴れ、ルナエルの名が白い星となって沈んでいた場所とは思えないほど、湖は穏やかだった。
けれど、ユノには分かっていた。
この静けさは、終わりではない。
嵐の前の息継ぎだ。
泉の中央には、小さな白い星が浮かんでいる。
それが、ルナエルだった。
幼き名。
奪われた名前。
王名から切り離された少年の核。
彼はまだ、完全に自由になったわけではない。
星の泉の中で形を保ち、星喰いの王と細い糸で繋がったまま、静かに眠っている。
ユノは水面を見つめた。
「ルナエル」
その名を呼ぶと、白い星がかすかに瞬いた。
返事の代わりのようだった。
ミアは記憶灯を抱え、疲れ切った顔をしていた。
泉の儀式で、ルグナの火は何度も揺れた。
けれど消えなかった。
ミアが必死に守り続けたからだ。
カイも座り込んでいた。
木剣を抱え、目元にはまだ涙の跡がある。
カイの涙で巡礼路が開き、ユノの涙で泉の門が開いた。
そのことが、彼の中にも何かを残したのだろう。
リゼは泉の文字を何度も確認していた。
水面に浮かんだ言葉。
――幼き名は分かたれた。
――王は空白を失い、飢えを増す。
――最後の戦いは、星喰いの玉座にて。
星喰いの玉座。
その名前を聞くだけで、胸の奥が冷たくなる。
ユノはリゼに聞いた。
「星喰いの玉座って、どこにあるんだ」
リゼは顔を上げる。
「星喰いの王が最初に星を喰らった場所。そして、今も忘却の中心にある場所」
「地上?」
「地上ではないわ」
リゼは空を見上げた。
「星と記憶の狭間。世界から奪われた名前が集まる場所。普通の道では辿り着けない」
ミアが疲れた声で言う。
「また普通じゃない場所……」
カイも小さく呻いた。
「海の底、森、空、泉の次は、星と記憶の狭間……」
「だんだん意味が分からなくなってきた」
ミアが言うと、ユノは少し笑った。
笑う余裕があることに、自分でも驚いた。
リゼは続けた。
「でも、道はあるはず。星の泉が示した以上、ここから玉座へ繋がる入口が開く」
「今すぐ?」
「いいえ。たぶん、夜を待つ必要がある」
ユノは空を見た。
まだ夕方にもなっていない。
泉の周囲には白い花が揺れ、風は穏やかだった。
決戦へ向かうには、あまりにも静かな場所だった。
ミアが言った。
「じゃあ、休もう」
その言葉に、ユノはすぐ頷いた。
「ああ。休もう」
ミアが目を丸くする。
「即答した」
カイも。
「また成長した」
ユノは肩をすくめた。
「ここで倒れたら意味ないだろ」
リゼが少しだけ微笑んだ。
「正しいわ」
四人は泉の外縁に戻り、白い花のそばに腰を下ろした。
食料は少し残っていた。
硬いパン。
干し肉。
水袋の水。
ミアが小さな携帯鍋で温めた薄いスープ。
それだけでも、今の四人には十分だった。
カイはスープを飲んで、深く息を吐いた。
「生き返る」
ミアが笑う。
「カイ、本当に食べると戻るよね」
「食べるのは大事だ」
リゼも少しだけスープを飲み、頷いた。
「確かに。身体が現在に戻る感覚がある」
ユノもスープを口にした。
温かさが喉を通り、胃へ落ちる。
その感覚が、自分がまだ生きていることを教えてくれた。
王名。
ルナエル。
星喰いの王。
名を呼ぶ者の涙。
大きすぎるものばかりを抱えていると、自分の身体が遠くなる。
けれど、温かいものを食べると戻ってくる。
自分はユノだ。
まだここにいる。
ミアが静かに言った。
「最後の戦いって、何をすればいいのかな」
リゼは少し考えた。
「王名を呼ぶ必要があるかもしれない。でも、ただ呼べば王が完全に目覚める」
「じゃあ呼べないじゃん」
カイが言う。
「だから、ルナエルを分けたのよ」
リゼは泉の中央を見た。
「幼き名が王から離れたことで、王名を呼んでもルナエルごと呑まれる危険は少し減った。けれど、王そのものは強くなる」
ユノは剣の模様に触れる。
「王名を呼んで、王を形にして、それから倒す?」
「おそらく」
ミアが顔をしかめる。
「すごく危ない」
「ええ」
「ユノが一番危ない」
「ええ」
ユノは苦笑した。
「そこは否定してほしかった」
リゼはまっすぐ言った。
「否定しないわ。だから対策を考える」
彼女は持ち物を並べた。
星涙石。
海涙石。
森の心臓の枝。
歌真珠。
記憶灯。
セフィラの記録板。
王名の封印。
星灯りの剣。
「役割を決めましょう」
ミアが背筋を伸ばす。
「うん」
リゼはまずミアを見る。
「ミアは記憶灯と歌真珠を守る。ユノが王の記憶に沈みかけたら、ミレイアの歌とルグナの火で現在へ引き戻して」
「分かった」
ミアは記憶灯を抱きしめた。
「絶対消さない」
次にカイを見る。
「カイは名前を呼ぶ役。特にユノの名を」
「俺?」
「ええ。あなたはネリオの名を抱えている。名を失う怖さを知っているから、呼ぶ声が強い」
カイは少し驚き、それから真剣に頷いた。
「分かった。ユノを呼ぶ」
リゼは自分の銀の輪に触れた。
「私は王名の封印を管理する。必要な瞬間まで絶対に完全には開かない。そしてユノが王名に呑まれそうになったら、銀環契約で引き戻す」
「リゼは危なくないのか」
ユノが聞くと、リゼは静かに答えた。
「危ないわ」
「なら――」
「でも必要な役目よ」
ユノは言葉を飲んだ。
リゼも危険を承知で立っている。
自分だけが守られる側ではない。
ミアも、カイも、リゼも、それぞれ危険を背負っている。
だからこそ、ユノも一人で背負ってはいけない。
「俺は?」
ユノが聞くと、リゼはまっすぐ見た。
「あなたは、王の名を呼び、星灯りの剣で忘却を斬る」
ユノは頷いた。
「それで王を倒せるのか」
「分からない」
リゼは正直に言った。
「でも、ルナエルを分けた今なら、王の空白そのものを斬れる可能性がある」
カイが不安そうに聞く。
「空白を斬るって、どういうこと?」
リゼは少し考えた。
「王の中には、奪われた名の空洞がある。その空洞を埋めようとして、彼は名前を喰らい続けている。星灯りの剣で、その空洞と星喰いの力の繋がりを断つ」
「それで終わる?」
「終わるかもしれない。けれど、王という存在も壊れる可能性が高い」
ミアがルナエルの白い星を見る。
「ルナエルは?」
「泉の星核に分けてあるから、すぐには消えないはず。でも、王が消えれば影響は出る」
ユノは胸が重くなった。
救いは完全ではない。
どの道にも痛みがある。
でも、それでも選ばなければならない。
ルナエルの罪を消さない。
王の忘却を止める。
奪われた名前を返す。
そのために、星喰いの玉座へ行く。
休息を終えると、四人は泉の周囲を調べ始めた。
玉座への入口を探すためだ。
白い花の間には、小さな石碑がいくつもあった。
リゼがそれを読み解く。
「星が沈む時、玉座への水鏡が開く」
「星が沈む時?」
ミアが聞く。
「夜、一番星が泉の中央に映る瞬間かもしれない」
カイが空を見る。
「じゃあ夜まで待つんだな」
「ええ」
ユノは少しだけ安心した。
まだ時間がある。
決戦までの時間。
けれど、それは不安を育てる時間でもある。
夕暮れが近づくにつれ、泉の光は少しずつ変わっていった。
昼の空を映していた水面が、だんだん夜色を帯びる。
中央の白い星――ルナエルの名も、静かに瞬いている。
ミアはその星を見つめながら言った。
「ルナエル、怖いかな」
「怖いと思う」
ユノが答える。
「でも、もう一人じゃない」
カイが言った。
「俺たち、呼べるしな」
リゼも頷いた。
「ええ。彼が罪から逃げない限り、名は呼べる」
その言葉は厳しかった。
でも優しさもあった。
日が沈む前、ユノは一人で泉の縁に立った。
水面には自分の顔ではなく、星が映っている。
その星の中に、ルグナの屋根が見えた気がした。
父と見た星空。
ミアと走った路地。
ガルドの笑い声。
まだ帰っていない場所。
ユノは小さく言った。
「父さん」
返事はない。
でも、胸の奥に温かさがあった。
帰りたい。
その思いは、弱さではない。
帰るために戦う。
世界を救うためではなく、自分の名前を持って帰るために。
その時、背後からリゼが来た。
「ユノ」
「いる」
「何を見ていたの?」
「帰る場所」
リゼは隣に立った。
「いいことね」
「そうなのか」
「ええ。帰る場所を思い出せる者は、星になりにくい」
ユノは少し笑った。
「またその警告か」
「大事だから」
リゼは泉を見つめる。
「私も、帰る場所を考えていた」
「どこ?」
リゼは少し黙った。
「まだ分からない。でも、千年前ではないと思う」
ユノは彼女を見た。
「今?」
「ええ。たぶん、今」
その声は小さかった。
けれど、確かな変化だった。
千年前に取り残された魔女が、今を帰る場所にし始めている。
ユノは嬉しくなった。
「それなら、戻ろう。みんなで」
リゼは頷いた。
「ええ」
夜が来た。
空に一番星が現れる。
その星が、泉の中央に映った瞬間、水面が大きく揺れた。
白い星――ルナエルの名が強く光る。
泉の中央に、黒い水鏡が開いた。
そこには、巨大な玉座が映っている。
星の欠片で作られた、黒い王座。
周囲には奪われた名前が星屑のように漂っている。
星喰いの玉座。
リゼが深く息を吸った。
「入口が開いた」
ミアが記憶灯を掲げる。
「行こう」
カイが木剣を握る。
「名前、確認してから」
ユノは頷いた。
「ユノ」
「ミア」
「リゼ」
「カイ」
四つの名前が響く。
泉の中央の白い星が一度だけ瞬いた。
まるで、ルナエルもそこにいると告げるように。
ユノは水鏡の前に立った。
怖い。
でも、もう逃げない。
「行くぞ」
ミア、リゼ、カイが頷いた。
四人は星の泉の水鏡へ足を踏み入れた。
冷たい水の感触。
次の瞬間、世界が反転する。
星の泉の音が遠ざかり、黒い玉座の気配が近づく。
名前を喰らう王が待つ場所へ。
ユノたちは、最後の戦いへ向かった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
このページでは、星の泉を離れる前に、最後の戦いへ向かう準備をしました。
ミアは記憶灯と歌真珠。
カイはユノの名前を呼ぶ役。
リゼは王名の封印。
ユノは星灯りの剣で忘却を斬る役。
それぞれの役目を確認し、夜、星の泉に玉座への入口が開きます。
次のページは『名前を喰らう王』です。
ユノたちは星喰いの玉座で、ついに王と対峙します。




