星の泉
星の泉は、ただ願いを叶える場所ではありません。
名前を映し、痛みを映し、隠していた真実を映す場所。
ユノたちはついに、星の泉の内側へ辿り着きます。
幼き名ルナエル。
王名アスト・レギア。
星喰いの王。
重なってしまった三つを分けるため、泉の儀式が始まります。
星の泉の内側は、夜空の底のような場所だった。
足元には水がある。
けれど沈まない。
水面は静かで、ユノたちの姿ではなく、無数の星を映していた。
上を見ても星。
下を見ても星。
まるで空と泉の境目がなくなったようだった。
中央には、小さな星が沈んでいる。
それは宝石でも炎でもない。
心臓のように、ゆっくり脈打っていた。
リゼが息を呑む。
「星核……」
ミアが小さく聞く。
「星核?」
「名前の核を映すものよ。ここに幼き名を沈めれば、ルナエルと王名の絡まりをほどけるかもしれない」
ユノは胸元に手を当てた。
ルナエル。
その名は、今までよりも静かだった。
怖がっているようにも、待っているようにも感じる。
リゼは持ってきたものを水面へ並べた。
星涙石。
海涙石。
森の心臓の枝。
歌真珠。
ルグナの記憶灯。
セフィラの記録板。
王名を封じた布。
それぞれが泉の水面に浮かび、円を描くように光り始める。
ミアは記憶灯を両手で支えた。
「この火、消えないよね」
「消させない」
ユノが答えると、ミアは少しだけ笑った。
カイは木剣を胸に抱えていた。
「俺は何をすればいい?」
リゼが言う。
「名前を呼び続けて。ユノが沈みかけたら、必ず」
カイは頷いた。
「分かった」
リゼはユノを見た。
「儀式の中心はあなたになる。ルナエルの名を一番深く抱いているから」
「分かってる」
「王名はまだ呼ばない。幼き名だけを泉へ沈める」
「もし王が邪魔したら?」
リゼは少し黙った。
「その時は、全員で止める」
ミアが歌真珠を握る。
「絶対戻すからね、ユノ」
「ああ」
ユノは泉の中央へ進んだ。
水面に足を置くたび、星が波紋のように広がる。
中央の星核の前に立つと、胸の奥から声が聞こえた。
――ユノ。
ルナエルの声。
ユノは静かに答えた。
「いる」
――怖い。
「俺も怖い」
――僕を分けたら、王は怒る。
「分かってる」
――僕の罪も、見える。
「見る」
――それでも?
ユノは深く息を吸った。
「それでも」
そして、その名を呼んだ。
「ルナエル」
泉の水面が大きく揺れた。
中央の星核が光り、幼い少年の姿が現れる。
ルナエル。
白い衣。
金の髪。
不安そうな瞳。
彼はユノを見つめた。
「本当に、僕を呼ぶの?」
「呼ぶ」
「王じゃなくて?」
「ルナエルを呼ぶ」
その言葉に、ルナエルの瞳が揺れた。
リゼがセフィラの記録板を開く。
記録板から初代星詠みセフィラの声が響いた。
『幼き名を泉へ沈めなさい。名は沈み、形を取り戻す。王名は浮かび、鎖として現れる』
泉の水が光る。
リゼが続ける。
「ユノ、ルナエルの名を星核へ」
ユノはルナエルへ手を伸ばした。
少年は少し怯えたように後ずさる。
「沈めるって、消えること?」
「違う」
ユノは言った。
「本当の形に戻すことだと思う」
「痛い?」
「分からない」
「分からないことばっかりだね」
「うん」
ルナエルは少しだけ笑った。
「でも、嘘をつかないんだね」
「つけない」
少年はゆっくり頷いた。
「じゃあ、お願い」
ルナエルの身体が小さな光になった。
ユノの両手の中に、幼き名の光が宿る。
温かい。
でも、とても弱い。
ユノはそれを星核へ近づけた。
その瞬間、封印布が激しく震えた。
王名。
アスト・レギア。
声に出していないのに、泉がその存在を呼び起こした。
封印布から黒い鎖が伸びる。
リゼが叫んだ。
「始まった!」
ミアが記憶灯を掲げる。
カイが叫ぶ。
「ユノ!」
ユノは幼き名の光を離さない。
黒い鎖がルナエルの光へ絡みつこうとする。
リゼが魔法で鎖を止める。
「王名を浮かび上がらせる! でも呼ばないで!」
泉の水面に黒い文字が浮かんだ。
アスト。
レギア。
二つの命令が鎖となり、ルナエルの名を縛っている。
ユノの頭に声が響く。
王であれ。
国であれ。
器であれ。
個を捨てよ。
空白を満たせ。
ユノは膝をついた。
幼き名の光が揺れる。
ミアが叫ぶ。
「ユノ!」
カイも。
「ユノ!」
リゼも。
「ユノ、あなたは王じゃない!」
その声で、ユノは踏みとどまった。
「俺は……ユノ!」
星灯りの剣が手首から現れる。
ユノは剣で黒い鎖を斬ろうとした。
だが、ルナエルの声が響く。
「待って!」
ユノの手が止まる。
「鎖だけを斬って。僕ごと斬らないで」
「分かってる」
だが、それは難しかった。
王名の鎖は、ルナエルの名に深く食い込んでいる。
無理に斬れば、幼き名まで傷つける。
リゼが叫ぶ。
「星涙石を!」
星涙石が銀色に光る。
鎖の輪郭がはっきりする。
「海涙石!」
海涙石の青い光が、ルナエルの痛みを包むように広がった。
「森の枝!」
森の心臓の枝が白銀に光り、幼き名を固定する。
ミアが歌真珠を鳴らした。
ミレイアの歌が泉に広がる。
記憶灯の火が温かく揺れる。
ルグナの火。
海の歌。
森の名。
星の涙。
すべてが重なった。
ユノは剣を構えた。
「ルナエル」
「うん」
「痛かったら言え」
「たぶん、痛い」
「じゃあ、我慢するな」
ルナエルは泣きそうに笑った。
「変なの」
ユノは剣を振った。
銀の刃が、王名の鎖だけを裂く。
一つ目の鎖が砕けた。
アストの響きが水面で暴れる。
王であれ。
器であれ。
ルナエルの光が震える。
少年が叫ぶ。
「嫌だ! 僕は王じゃない!」
ユノは叫ぶ。
「ルナエル!」
ミアも。
「ルナエル!」
カイも。
「ルナエル!」
リゼも。
「ルナエル!」
四つの声が重なり、アストの鎖が薄くなる。
ユノは二つ目の鎖へ剣を向けた。
レギア。
国であれ。
星を背負え。
空白を満たせ。
それはアストよりも重かった。
ルナエルの名だけでなく、星喰いの王の影にも繋がっている。
泉の水が黒く染まり始めた。
中央の星核が激しく揺れる。
そして、闇の奥から王の声が響いた。
『その名を返すな』
星喰いの王の影が、泉の水面から現れた。
巨大な黒い影。
その胸に、無数の星の名が沈んでいる。
『ルナエルは私だ』
ユノは剣を構えた。
「違う」
『違わない。痛みも、飢えも、罪も、すべて私だ』
「でも、全部を王名の鎖に閉じ込めるな」
『分ければ罪が残るぞ』
「残る」
『子どもに罪を背負わせるのか』
「背負わせるんじゃない。向き合わせる」
王の影が笑う。
『残酷だな』
「そうかもしれない」
ユノは答えた。
「でも、忘却よりはましだ」
王の影が襲いかかる。
リゼが銀の魔法で防ぐ。
ミアの記憶灯が王の影を照らす。
カイが木剣を握り、震えながらもルナエルの名を呼び続ける。
「ルナエル! 消えるな!」
ルナエルの光が震えながら、星核へ近づいていく。
ユノはレギアの鎖へ剣を振った。
重い。
斬れない。
王の影がユノの腕を掴む。
『お前も器になれ』
命令が流れ込む。
王であれ。
背負え。
個を捨てよ。
世界を救うなら、自分を捨てよ。
ユノの意識が揺れる。
自分を捨てれば、全部背負えるのかもしれない。
自分が器になれば、みんなを救えるのかもしれない。
その誘惑は、恐ろしいほど甘かった。
けれど、ミアの声が届いた。
「ユノ! 自分を捨てないで!」
カイも叫ぶ。
「ユノがいなくなったら意味ない!」
リゼが銀の輪を強く光らせる。
「ユノ、あなたは星になるな!」
その言葉が、星図盤の警告を思い出させた。
星を読む者は、星になるな。
世界を救おうとして、世界の一部になって消えるな。
ユノは歯を食いしばった。
「俺は……ユノ!」
星灯りの剣が強く輝く。
王の影の手が弾かれる。
ユノは叫んだ。
「ルナエル!」
幼き名の光が応える。
「ここにいる!」
ユノはレギアの鎖へ剣を叩きつけた。
今度は、斬れた。
黒い鎖が砕け、泉の水面へ散る。
王名の二つの命令が、ルナエルの名から離れていく。
幼き名の光が星核へ沈んだ。
泉が一瞬、完全な夜空になった。
そして、白い光が爆ぜた。
ユノたちは水面に投げ出された。
音が消える。
光だけがある。
その中で、二つの影が分かれた。
一つは幼い少年。
ルナエル。
もう一つは巨大な黒い王。
星喰いの王。
二つはまだ細い黒い糸で繋がっている。
完全には分かれていない。
けれど、重なってはいなかった。
ミアが息を呑む。
「分かれた……?」
リゼが震える声で言った。
「完全ではない。でも、成功した」
カイは涙ぐみながら言う。
「ルナエルが……いる」
ルナエルは水面に立っていた。
初めて、王の影に隠れずに。
彼は自分の手を見つめている。
「僕……僕だ」
ユノは立ち上がった。
「ルナエル」
少年は顔を上げる。
その瞳には涙があった。
「ユノ」
名前を呼び返された。
その瞬間、ユノの胸が温かくなる。
だが、次の瞬間、星喰いの王が咆哮した。
『返せ』
泉全体が黒く揺れる。
『その名は私の空白を満たすものだ』
ルナエルが震える。
だが逃げなかった。
「違う」
小さな声。
でも確かな声。
「僕は、あなたの空白じゃない」
王の影が怒りで膨れ上がる。
『お前は私だ』
「僕はルナエル」
その名が泉に響いた。
王の影が苦しそうに揺れる。
リゼが叫ぶ。
「今は退く! 泉が持たない!」
確かに、星の泉の水面にひびが入っている。
儀式は成功したが、王の影が暴れれば泉ごと壊れる。
ユノはルナエルへ手を伸ばした。
「一緒に来い!」
ルナエルは首を振った。
「僕はまだ、泉にいないと形を保てない」
「でも――」
「ユノ、また来て」
少年は涙を浮かべて笑った。
「今度は、王を止めるために」
王の影が再び襲いかかる。
ルナエルは泉の星核へ身を寄せた。
白い光が彼を包む。
リゼがユノの腕を掴む。
「行くわ!」
ミアが記憶灯を抱え、カイがユノの背中を押す。
四人は白い門へ向かって走った。
背後で、王の声が響く。
『名を分けたところで、罪は消えぬ』
ユノは振り返らずに叫んだ。
「消すつもりはない!」
門をくぐる瞬間、ルナエルの声が届いた。
「ユノ、僕の罪を忘れないで」
ユノは答えた。
「忘れない!」
光が弾けた。
四人は泉の外縁へ戻っていた。
湖の水面は静かだった。
だが、中央には小さな白い星が浮かんでいる。
そこにルナエルがいる。
星喰いの王から、完全ではないが分けられた幼き名。
ユノは膝をついた。
全身が重い。
でも、自分の名前はある。
「ユノ」
ミアが呼ぶ。
「いる」
リゼが呼ぶ。
「ユノ」
「いる」
カイが呼ぶ。
「ユノ」
「いる」
ユノは息を吐いた。
星の泉の儀式は終わった。
ルナエルは王から分かれた。
けれど、王はまだいる。
むしろ、幼き名を失った王は、さらに激しく飢えるかもしれない。
リゼは湖を見つめながら言った。
「これで、王を倒す準備が整った」
「倒す……」
ミアが小さく呟く。
カイも黙る。
ユノは泉の中央の白い星を見た。
ルナエル。
彼は救われたわけではない。
ただ、自分の名を取り戻した。
そしてこれから、自分の罪を見ることになる。
それはとても苦しい道だろう。
でも、忘却よりはいい。
ユノはそう信じた。
湖の水面に文字が浮かぶ。
――幼き名は分かたれた。
――王は空白を失い、飢えを増す。
――最後の戦いは、星喰いの玉座にて。
リゼが息を呑む。
「星喰いの玉座……」
ユノは立ち上がった。
次の目的地。
星喰いの王が待つ場所。
第二章の終わりが近づいている。
ユノは星灯りの剣の模様に触れた。
もう、ルナエルを斬るためではない。
星喰いの王を止めるために。
その罪を消さず、痛みを忘れず、名前を奪われた者たちのために。
ユノは小さく言った。
「行こう」
ミアが頷く。
「うん」
リゼも。
「ええ」
カイも。
「行く」
星の泉の水面に、四つの名前が映った。
ユノ。
ミア。
リゼ。
カイ。
そして中央に、もう一つの名が静かに光っていた。
ルナエル。
その名を背に、ユノたちは最後の戦いへ向かうことになる。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
このページでは、星の泉での儀式が行われました。
幼き名ルナエルは、王名アスト・レギアの鎖から切り離され、星喰いの王と完全ではないものの分かたれました。
ルナエルは救われたわけではありません。
これから、自分の罪と向き合うことになります。
けれど、もう王名の命令に隠れるだけの存在ではなくなりました。
次の目的地は、星喰いの玉座。
次のページは『星喰いの玉座へ』です。
ユノたちは、いよいよ星喰いの王との決戦へ向かいます。




