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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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名を呼ぶ者の涙

涙は、悲しいからだけ流れるものではありません。


 忘れたくないから。

 それでも止めなければならないから。

 誰かの痛みと罪を、同時に見つめるから。


 カイの涙で開かれた道を進み、ユノたちは星の泉の外縁へ辿り着きます。


 そこでは、ルナエルの幼き名を抱くユノが、改めて“名を呼ぶ者”として試されることになります。

谷の奥へ進むほど、水の音は澄んでいった。


 最初は、岩の隙間を流れる細いせせらぎのようだった。

 けれど歩くにつれ、それは広がり、重なり、まるで空から星が降る音のように聞こえ始めた。


 白い星涙花は、足元で淡く光っている。


 カイの涙で開かれた道。


 その事実が、四人の歩みに静かな力を与えていた。


 カイは少し照れくさそうにしていたが、どこか誇らしげでもあった。


 彼は何度も自分の胸元に手を当て、小さく「ネリオ」と呟いている。


 ユノもそのたび、心の中で同じ名を呼んだ。


 ネリオ。


 消えた村。


 まだ戻らない故郷。


 けれど、呼ぶ者がいる限り完全には消えない。


 それを、カイの涙が証明した。


 ミアは歌真珠を握りながら歩いていた。


「さっきのカイ、すごかったね」


 カイは顔を赤くする。


「泣いただけだろ」


「泣いただけじゃないよ」


 ミアは優しく言った。


「ちゃんと名前を守ったんだよ」


 カイは少し黙った。


 そして小さく頷いた。


「……うん」


 リゼは白い花の道を見ながら言った。


「涙は、名前と記憶を結び直す力を持つのかもしれない」


「魔法的に?」


 ミアが聞く。


「ええ。けれど、それだけではないわ」


 リゼは少しだけユノを見た。


「心が動かなければ、魔法は働かない」


 ユノは何も言わなかった。


 自分の胸の奥には、まだ涙がない。


 ルナエルの痛みを知った。

 怒りも悲しみも感じた。

 それでも、泣けない。


 泣けないことが悪いのかは分からない。


 でも、星の泉へ進むためには、いつか自分も涙と向き合わなければならないのだろう。


 道が開けた。


 谷の底に、広い水辺があった。


 けれどそれは、まだ星の泉そのものではないようだった。


 円形の湖。


 水面は鏡のように静かで、空を映している。

 だが、空には昼の光があるはずなのに、水面に映るのは夜空だった。


 無数の星。


 その中心に、白い光の門が立っている。


 リゼが息を呑んだ。


「星の泉の外縁……」


 ミアが湖を覗き込む。


「外縁ってことは、本物の泉はこの先?」


「ええ。あの光の門を越えた先でしょうね」


 カイが湖の水を見た。


「歩いて渡るのか?」


 湖には橋がない。


 だが、白い花びらが水面に浮かび、門まで細い道を作っている。


 ユノが一歩踏み出そうとすると、水面に文字が浮かんだ。


 ――名を呼ぶ者の涙を示せ。


 四人は立ち止まった。


 カイが少し驚いたように言う。


「さっき泣いたけど……」


 水面は反応しない。


 リゼが静かに言った。


「カイの涙で巡礼路は開いた。でも、泉の内側へ入るには別の涙が必要なのでしょう」


 ミアがユノを見る。


 カイも。


 リゼも。


 ユノは分かっていた。


 次は自分だ。


 ルナエルの名を最も深く抱えている者。


 王名を知り、星灯りの剣を持ち、名を呼ぶ旅の中心に立っている者。


 ユノは湖の前に立った。


 水面には夜空が映っている。


 その中に、幼いルナエルの姿が浮かんだ。


 白い衣。

 金の髪。

 泣きそうな目。


『ユノ』


 声が聞こえた。


 ユノの胸が痛む。


「ルナエル」


 名前を呼ぶと、水面が揺れた。


 ルナエルはユノを見上げる。


『君は、僕を助けに来たの?』


 ユノはすぐには答えられなかった。


 助けたい。


 でも、止めなければならない。


 助けるという言葉だけでは、足りない。


「分からない」


 ユノは正直に言った。


「助けたい。でも、君が星を喰うなら止める」


『斬るの?』


 その問いに、胸が詰まる。


 空白の帆でも聞かれた問い。


 名を呼んだ相手を斬れるか。


 ユノは剣の柄を握った。


「斬るしかないなら」


 ルナエルは寂しそうに笑った。


『やっぱり、僕は怪物なんだね』


「違う」


『でも星を喰べた』


「それは本当だ」


『名前を奪った』


「それも本当だ」


『じゃあ、怪物だよ』


 ユノは拳を握った。


「君は怪物になった。でも、怪物だけじゃない」


 ルナエルの瞳が揺れる。


「君はルナエルだ。名前を奪われた子どもでもある。王名に縛られた王でもある。星を喰った罪人でもある」


 ミアが後ろで息を呑む。


 カイも黙っている。


 リゼは何も言わず、ユノを見守っていた。


 ユノは続けた。


「どれかひとつだけにしたら、嘘になる」


『罪人でも、名前で呼んでくれるの?』


「呼ぶ」


『許してくれるの?』


「許すとは言えない」


 ルナエルの顔が曇る。


 ユノは苦しみながらも言った。


「でも、忘れない。君がされたことも、君がしたことも」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。


 忘れない。


 それは簡単なことではない。


 痛みも罪も一緒に抱えるということだ。


 ルナエルは水面の中で小さく震えた。


『誰も、両方見てくれなかった』


「両方?」


『僕をかわいそうな子どもとして見る人は、僕がしたことを見なかった。僕を怪物として見る人は、僕がされたことを見なかった』


 ユノの喉が詰まった。


『どっちかだけなら、簡単だったのかな』


 その声はあまりにも寂しかった。


 ユノは、ようやく分かった。


 名を呼ぶ者の涙。


 それは、かわいそうだと泣く涙だけではない。


 罪があるからと切り捨てる涙でもない。


 痛みと罪を同時に見て、それでも名前を呼ぶ時に生まれる涙。


 ユノの目が熱くなる。


「ルナエル」


 声が震えた。


「君を忘れない。でも、止める」


 涙が一粒、頬を伝った。


 ユノ自身も驚いた。


 その涙は、悲しみだけではなかった。


 怒りもあった。

 悔しさもあった。

 救えなかった過去への痛みもあった。

 これから止めなければならない覚悟もあった。


 涙は水面に落ちた。


 ぽたり。


 夜空を映す湖に、波紋が広がる。


 星が揺れた。


 水面のルナエルが目を見開く。


『あ……』


 湖全体が光り始めた。


 白い花びらの道が、門へ向かってはっきりと浮かび上がる。


 水面に文字が現れた。


 ――涙は示された。

 ――名を呼ぶ者よ、泉へ進め。


 ミアが涙ぐみながら言った。


「開いた……」


 カイも目をこすっている。


「ユノ……」


 リゼは静かにユノの隣へ立った。


「よく向き合ったわ」


 ユノは涙を拭った。


「これでいいのかは分からない」


「分からなくていい」


 リゼは言った。


「分からないまま、逃げずに見た。それで十分よ」


 ルナエルの姿は水面から消えていなかった。


 彼はユノを見ている。


『ユノ』


「何?」


『泉の中で、僕と王を分けられるかもしれない。でも、分けたら君はもっと苦しむ』


「どうして」


『王の中にある罪は、消えないから』


 ユノは息を呑む。


『僕だけを取り出しても、星喰いの王は残る。王を止めるには、結局、戦わなきゃいけない』


「分かってる」


『それでも、僕を分けるの?』


 ユノは頷いた。


「君がまだ君としているなら、そこは王から分けたい」


『どうして』


「君に、自分の罪を自分の名前で見てほしいから」


 ルナエルは黙った。


 ユノは続けた。


「王名に縛られたままじゃ、君は全部を王のせいにできる。逆に、全部を君のせいにもされる。でも、分けられたら……君は君として、自分の痛みと罪を見られる」


 ルナエルの瞳に涙が浮かんだ。


『それは、救い?』


「分からない」


 ユノは正直に答えた。


「でも、逃げないための道だと思う」


 ルナエルは小さく頷いた。


『怖い』


「俺も怖い」


『一緒だね』


「ああ」


 その言葉のあと、ルナエルの姿は水面へ溶けた。


 白い花びらの道だけが残る。


 ミアがユノの袖を軽く掴んだ。


「大丈夫?」


「泣いたら少し楽になった」


「よかった」


 カイが少し照れくさそうに言う。


「涙って、悪くないな」


「そうだな」


 リゼは湖の門を見つめていた。


「この先が星の泉の内側。おそらく、幼き名を沈める儀式がある」


「儀式……」


 ミアが不安そうにする。


「何か必要?」


「星涙石、海涙石、森の枝、歌真珠、記憶灯、セフィラの記録。そしてユノの涙で開いた道」


 リゼはひとつずつ確認する。


「揃っているわ」


 ユノは深く息を吸った。


 涙の余韻がまだ残っている。


 胸は痛い。


 でも、何かが少しだけ澄んだ気がした。


 王名の圧力も、さっきより遠い。


 ルナエルの幼き名が、湖の光に包まれている。


「行こう」


 ユノが言うと、三人は頷いた。


 白い花びらの道へ、一歩踏み出す。


 足元に水の感触はない。


 花びらが光り、四人を支える。


 湖の上を歩くたび、水面に星が広がった。


 ミアが小さく言う。


「落ちないよね」


 カイが答える。


「落ちないって信じよう」


「それ、ユノみたいな返事」


「え、嫌だ」


「ひどいな」


 ユノが笑うと、少しだけ緊張が解けた。


 門へ近づくと、周囲の星涙花が歌い始めた。


 言葉のない歌。


 でも、そこにはたくさんの名前が含まれているように感じた。


 巡礼者たちの祈り。

 カイの涙。

 ユノの涙。

 ルナエルの残響。

 セフィラの願い。


 すべてが、水面に重なっている。


 白い光の門の前に立つと、そこに文字が浮かんだ。


 ――名を沈める者よ、問う。

 ――その名を救うためではなく、真実へ戻すために沈める覚悟はあるか。


 ユノは目を閉じた。


 救うためではなく、真実へ戻すため。


 それは優しいだけの言葉ではない。


 真実へ戻れば、ルナエルは自分の罪を見る。


 それは苦しい。


 でも、王名の鎖から解かれるには必要なのだろう。


 ユノは答えた。


「ある」


 門が開いた。


 中から、星明かりの水音が溢れる。


 ミアが記憶灯を抱え、リゼが封印布を抱え、カイが木剣を握る。


 ユノは星灯りの剣を手首に感じながら、一歩踏み出した。


 門の向こうには、本当の星の泉が待っていた。


 水面いっぱいに夜空を宿し、中央に小さな星が沈んでいる。


 その星は、幼いルナエルの心臓のように静かに光っていた。


 ユノは胸の中で名前を呼んだ。


 ルナエル。


 今度は、返事が聞こえた気がした。


 ――ここにいる。


 その声を頼りに、四人は星の泉の内側へ入っていった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、ユノが“名を呼ぶ者の涙”を示しました。


 ルナエルをかわいそうな子どもとしてだけ見るのではなく、星を喰った罪人としてだけ見るのでもない。


 痛みと罪の両方を見つめ、それでも名前を呼ぶ。


 その覚悟が、ユノの涙となって星の泉への門を開きました。


 次のページは『星の泉』です。

 いよいよ泉の内側で、ルナエルと星喰いの王を分ける儀式が始まります。

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