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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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シエラ高原の巡礼路

星の泉へ向かう道は、忘れられた巡礼路でした。


 かつて多くの人が、星に祈り、名前を守るために歩いた道。


 けれど今、その道には人影はありません。


 ユノたちは、シエラ高原へ向かう途中で、巡礼者たちの古い記憶に触れます。


 そして“名を呼ぶ者の涙”とは何なのか、少しずつ知ることになります。

朝の巡礼路は、白い霧に包まれていた。


 古い石畳は草に埋もれ、ところどころ割れている。

 道の両側には、背の低い白い花が咲いていた。


 その花びらには、小さな星の模様がある。


 リゼはそれを見て、静かに言った。


「星涙花ね」


 ミアがしゃがみ込む。


「綺麗……触っても大丈夫?」


「強く摘まなければ」


 ミアはそっと指先で花びらに触れた。


 すると花が淡く光り、小さな声が聞こえた。


 ――忘れないで。


 ミアは驚いて手を引っ込めた。


「今、声が……」


 リゼが頷く。


「星涙花は、巡礼者の祈りを少しだけ記憶する花よ」


 カイが周囲の花を見る。


「全部、誰かの祈りなのか?」


「ええ。きっと」


 ユノは白い花の道を見た。


 忘れられた巡礼路。


 けれど、花だけはまだ祈りを覚えている。


 星の泉へ向かった人々が、ここを歩いたのだろう。


 名を守りたい人。

 誰かを忘れたくない人。

 失った名前を取り戻したい人。


 その祈りが、花になって残っている。


 四人はゆっくり歩き始めた。


 リゼが先頭で古い地図を確認する。

 ミアは記憶灯を抱え、歌真珠を胸元に下げている。

 カイは木剣を背負い、時々足元の花を避けながら歩く。

 ユノは最後尾で、王名の封印が揺れないよう意識していた。


 王名は静かだった。


 灰の王都を離れたからか。

 それとも星の泉へ近づいているからか。


 分からない。


 けれど、ユノの胸の奥には、ルナエルの幼き名が穏やかに残っていた。


 泣いている少年ではなく、星を見上げる子どもの姿。


 ユノは小さく息を吐いた。


「ユノ」


 自分の名を呼ぶ。


 ミアがすぐに振り返る。


「ミア」


 リゼも。


「リゼ」


 カイも。


「カイ」


 四つの名前が、朝霧の中に落ちた。


 すると、道端の星涙花が一斉に淡く光った。


 まるで、名前に応えるように。


 カイが目を丸くした。


「花が光った」


 リゼは少し驚いたようだった。


「名前に反応している……この巡礼路はまだ生きているのね」


 ミアが嬉しそうに言った。


「じゃあ、星の泉も本当にあるかも」


「可能性は高くなったわ」


 その言葉に、少しだけ希望が生まれた。


 だが、希望が強くなるほど、失うのが怖くなる。


 ユノはそれも分かっていた。


 昼前になると、霧が少し晴れた。


 遠くに高原が見える。


 広い草原がなだらかに続き、その先に青白い山影がある。


 空は高く、雲はゆっくり流れている。


 灰の王都の重い空とは違う。


 ここには風があった。


 生きている風。


 ミアは深く息を吸った。


「空気が軽い」


 カイも頷く。


「灰の匂いがしない」


 リゼは白い花が続く道を見つめている。


「シエラ高原は、星に近い場所と言われていた。魔女たちが星と最初に契約したのも、このあたりだという伝承がある」


「魔女たちが最初に……」


 ユノはリゼを見る。


「リゼにとっても大事な場所なのか?」


 リゼは少し考えてから答えた。


「そうね。けれど、私が生まれた頃にはすでに失われた聖域だった。憧れに近いかもしれない」


「憧れ」


「魔女は星を読む。けれど、その始まりを知る者はもうほとんどいなかった。ここには、その始まりが残っているかもしれない」


 リゼの声には、少しだけ緊張があった。


 ユノは思った。


 この旅はルナエルの名を探す旅であり、星喰いを止める旅であり、カイの故郷を探す旅であり、セレノを止める旅でもある。


 そして同時に、リゼが魔女として失ったものを辿る旅でもあるのかもしれない。


 道の途中に、小さな石碑があった。


 半分苔に覆われている。


 リゼが苔を払うと、文字が現れた。


「名を忘れぬ者、涙を恐れるな」


 ミアが首を傾げる。


「また涙……」


 ユノはセフィラの記録を思い出した。


 名を奪われた者の涙では開かず、名を呼ぶ者の涙で開く。


 カイが石碑を見つめる。


「泣くのって、そんなに大事なのかな」


 リゼは静かに答える。


「涙は、心がまだ動いている証拠だから」


 その言葉は、リゼ自身の変化を思わせた。


 アステラで、彼女は千年越しに涙を流した。


 姉を思って。


 ミレイアの歌を聞いて。


 ミアが言った。


「涙って、弱いから出るものだと思ってた」


「弱いから出る時もあるわ」


 リゼは石碑を撫でる。


「でも、弱さを認められるだけの強さがある時にも出る」


 ユノは黙って聞いていた。


 自分は泣けるだろうか。


 ルナエルの名を呼ぶ者として、彼の痛みを本当に受け止めた時。


 涙は出るのだろうか。


 それとも、剣を握るしかないのだろうか。


 考えていると、突然、道の先に人影が現れた。


 白い衣を着た者たち。


 十人ほどの巡礼者。


 彼らは黙って歩いている。


 だが、その身体は透けていた。


 記憶だ。


 ミアが小さく息を呑む。


「巡礼者……?」


 リゼが頷く。


「過去の残響ね。こちらに害意はなさそう」


 巡礼者たちは、ユノたちを見ることなく進んでいく。


 その中に、一人の少女がいた。


 彼女は小さな人形を抱えている。


 泣きながら歩いていた。


 隣の母親らしき女性が、何度も少女の名前を呼んでいる。


 しかし、その名前は白く抜け落ちて聞こえない。


 少女は言った。


『お兄ちゃんの名前、忘れたくない』


 母親は答える。


『泉へ行けば、星が覚えていてくれる』


『私が忘れたら?』


『その時は、私が呼ぶ』


『お母さんが忘れたら?』


 母親は黙った。


 そして、泣きながら笑った。


『その時は、誰かが呼んでくれるように祈りましょう』


 その記憶は、ユノの胸に深く刺さった。


 誰かが呼んでくれるように祈る。


 名前を守るということは、一人ではできない。


 人から人へ渡していくものなのだ。


 巡礼者たちの記憶は、白い花の中へ溶けて消えた。


 カイは小さく言った。


「お兄ちゃんの名前、戻ったのかな」


 誰も答えられなかった。


 でもユノは、心の中で思った。


 もし名前が残っているなら、いつか誰かが呼べる。


 この道に祈りが残っているなら、完全には消えていないはずだ。


 さらに進むと、道は二つに分かれた。


 右は高原の上へ続く明るい道。

 左は谷へ下る細い道。


 古い標識には、文字がほとんど残っていなかった。


 ミアが困った顔をする。


「どっち?」


 リゼは地図を広げる。


「泉なら水のある場所。谷かもしれない。でも星の泉は空を映す場所だから、高い場所にある可能性もある」


「つまり分からない?」


「分からないわ」


 カイが星涙花を見る。


「花に聞けないの?」


 ミアがぽんと手を打つ。


「それいいかも」


 リゼは少し考えた。


「試してみましょう」


 ユノたちは道端の星涙花の前にしゃがんだ。


 リゼが静かに言う。


「星の泉へ向かいたい。道を示して」


 花は反応しない。


 ユノは少し考え、幼き名を呼んだ。


「ルナエル」


 瞬間、星涙花が淡く光った。


 右の道の花も、左の道の花も光る。


 だが、左の谷へ下る花の方が強く揺れた。


 ミアが言った。


「左?」


 リゼは頷く。


「泉の残響は左に強い」


 カイが谷を覗く。


「暗いけど」


 ユノは頷いた。


「行こう」


 谷へ下る道は細かった。


 草が伸び、石畳はほとんど見えない。


 足元には白い花が点々と続いている。


 進むほど、空気が冷たくなった。


 水の音が聞こえる。


 泉か。


 そう思ったが、辿り着いたのは小さな枯れた水場だった。


 石で囲まれた丸い池。


 しかし、水はない。


 底にはひび割れた泥が残っているだけだった。


 ミアが落胆した声を出した。


「枯れてる……」


 カイも肩を落とす。


「ここじゃないのか?」


 リゼは池の縁に膝をつき、石に刻まれた文字を読んだ。


「涙なき者、水を見ず」


 ユノは胸がざわついた。


 涙。


 またその言葉。


 リゼは続ける。


「ここは星の泉そのものではない。巡礼者が涙を捧げる前庭のような場所かもしれない」


「涙を捧げる?」


 ミアが不安そうに聞く。


 その時、枯れた池の底に映像が浮かんだ。


 先ほどの巡礼者たち。


 少女と母親が池の前に立っている。


 少女は人形を抱きしめて泣いている。


『お兄ちゃんの名前を忘れたくない』


 彼女の涙が池へ落ちる。


 すると枯れていたはずの池に水が満ちた。


 水面に、少年の顔が映る。


 少女が叫ぶ。


『思い出した!』


 だが、次の瞬間、映像は消えた。


 池はまた枯れている。


 ミアが小さく言った。


「涙で水が出た……」


 ユノは枯れた池を見た。


 涙を捧げる前庭。


 名を呼ぶ者の涙。


 ここで誰かのために本当に泣けなければ、星の泉へは行けないのかもしれない。


 カイが不安そうに言った。


「泣かなきゃ進めないってこと?」


 リゼは首を振った。


「無理に泣くのではなく、その名の痛みを受け止めること。それが涙として現れるのだと思う」


 ミアはユノを見る。


「ユノが泣くの?」


「俺だけとは限らない」


 そう言ったが、ユノには分かっていた。


 ルナエルの名を最も深く抱えているのは、自分だ。


 王名に触れ、幼き名を呼び、彼の残響と何度も向き合った。


 星の泉へ進むためには、自分がその痛みを受け止めなければならないのかもしれない。


 ユノは池の前に立った。


 目を閉じる。


 ルナエル。


 王になりたくなかった少年。


 名前で呼ばれたかった子ども。


 誰かのために逃げなかった優しい子。


 そして、星を喰らう王になった存在。


 かわいそうだ。


 許せない。


 助けたい。


 止めたい。


 その全部が混ざって、胸が苦しくなる。


 ユノは小さくその名を呼んだ。


「ルナエル」


 池は反応しない。


 涙も出ない。


 ユノは唇を噛んだ。


「駄目か……」


 ミアがすぐに言った。


「無理に出すものじゃないって」


 リゼも頷く。


「今ここで開く必要はないのかもしれない」


 カイが池の縁に座り込んだ。


「でも、道はここで止まってる」


 確かに、星涙花はこの池の周りで途切れていた。


 先へ続く道が見えない。


 四人はしばらく黙った。


 風が谷を抜ける。


 枯れた池の底で、ひび割れた泥が乾いた音を立てた。


 その時、カイがぽつりと言った。


「俺、ネリオのことで泣けるかも」


 ユノたちはカイを見る。


 カイは恥ずかしそうに目を逸らす。


「ルナエルのことじゃないけど。名前を忘れたくない気持ちは、分かるから」


 リゼが静かに言った。


「それも、名を呼ぶ者の涙よ」


 カイは池の前に立った。


 木剣を抱きしめる。


「ネリオ」


 声が震える。


「父さん。母さん。村のみんな。顔はまだ全部思い出せないけど、忘れたくない」


 カイの目から涙が落ちた。


 一粒。


 それが池の底に落ちた瞬間、ひび割れた泥の間に青い光が走った。


 ミアが息を呑む。


「光った……」


 カイは涙を拭かずに続けた。


「俺だけじゃ覚えられないかもしれない。でも、ユノたちが呼んでくれる。だから、まだ消えない」


 もう一粒、涙が落ちる。


 池の底に、少しだけ水が湧いた。


 ほんの薄い水。


 けれど確かに、水だった。


 ユノの胸が熱くなる。


 カイだけに背負わせてはいけない。


 ユノは隣に立った。


「ネリオ」


 ミアも。


「ネリオ」


 リゼも。


「ネリオ」


 池の水が少し増える。


 カイは泣きながら笑った。


「ありがとう」


 その時、水面に道が映った。


 谷の奥へ続く光の道。


 白い花が再び咲き始める。


 リゼが言った。


「開いたわ」


 ユノはカイの肩に手を置いた。


「カイが開いた」


 カイは目をこすった。


「俺が?」


「ああ」


 ミアが笑う。


「すごいよ、カイ」


 カイは少し照れくさそうに、でも誇らしげに頷いた。


 涙は弱さだけではない。


 その意味を、ユノはまた少し理解した気がした。


 星の泉への道は、カイの涙で開いた。


 それはルナエルのためだけではなく、ネリオの名を呼ぶための涙だった。


 名を呼ぶ者の涙。


 誰かを忘れたくないと願う涙。


 その涙が、枯れた水場に道を戻した。


 四人は谷の奥へ進み始めた。


 白い花が足元で光る。


 水の音が、今度ははっきり聞こえる。


 星の泉は近い。


 ユノは胸元に手を当てた。


 ルナエル。


 今はまだ泣けないかもしれない。


 けれど、彼の名を軽く扱うつもりはない。


 痛みも罪も抱えたまま、泉へ向かう。


 その先で、答えを探す。


 谷の奥から、星を映すような青い光が漏れていた。


 ミアが小さく言った。


「見えてきた……?」


 リゼが頷く。


「ええ。たぶん、星の泉の外縁よ」


 カイは涙を拭い、木剣を握り直した。


「行こう」


 ユノは頷いた。


「ああ」


 四つの名前が、白い花の道を進む。


 ユノ。

 ミア。

 リゼ。

 カイ。


 そして、呼び続ける名。


 ルナエル。

 ネリオ。


 星の泉は、もうすぐそこにあった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、シエラ高原の巡礼路を進みました。


 星涙花に残された巡礼者たちの祈り。

 枯れた水場。

 そして“名を呼ぶ者の涙”。


 星の泉へ続く道を開いたのは、ユノではなくカイでした。


 ネリオを忘れたくない。

 自分だけでは覚えきれなくても、仲間が呼んでくれる。


 その涙が、枯れた池に水を戻し、星の泉への道を開きました。


 次のページは『名を呼ぶ者の涙』です。

 ユノたちは星の泉の外縁へ辿り着き、さらに深く“涙”の意味と向き合います。

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