王名の半分
名前の形をした命令がありました。
アスト。
それは、ルナエルを王へ変えた王名の半分。
けれど、それは彼自身の名前ではなく、彼を縛る鎖でした。
落ちた王座で星冠の欠片を手に入れたユノたちは、地上へ戻る道を探します。
王名の半分を抱えたことで、ユノの中にも小さな変化が起き始めていました。
星舟の墓場を戻る道は、来た時よりも静かだった。
落ちた王座はもうない。
砕けた王座の欠片は星屑となり、空の奥へ溶けていった。
けれど、そこから得たものは消えなかった。
アスト。
王名の半分。
名前ではなく命令。
祝福ではなく鎖。
王であれ、器であれ、個を捨てよという冷たい響き。
それは今、封印布に包まれ、リゼの鞄の奥にしまわれている。
だが、しまったからといって完全に遠ざかるわけではなかった。
ユノの胸の奥で、何度もその響きが揺れる。
ルナエル。
アスト。
幼き名と、王名の半分。
二つを繋げてはいけない。
そう分かっているのに、響きは互いを探すように近づいてくる。
ユノは自分の名前を呼んだ。
「ユノ」
すぐにミアが続ける。
「ミア」
リゼ。
「リゼ」
カイ。
「カイ」
四つの名前が、星屑の道に落ちる。
そのたび、ユノの胸の中に戻る場所ができた。
ミアは何度もユノの顔を見ていた。
「大丈夫?」
「大丈夫……って言いたいけど、少し変な感じがする」
「どんな?」
ユノは言葉を探した。
「自分の中に、誰かの命令が残ってる感じ」
ミアの表情が曇る。
リゼが足を止めた。
「その表現は正しいわ。王名の半分は、名ではなく命令。触れた者の内側に入り込んで、役割を押しつける」
「役割?」
「王であれ。器であれ。背負え。捨てろ。そういう命令よ」
カイが不安そうに言った。
「ユノにも、それが来てるのか?」
「少しな」
ユノは正直に答えた。
「でも、まだ俺は俺だ」
ミアがすぐに言う。
「ユノ」
リゼも。
「ユノ」
カイも。
「ユノ」
ユノは息を吐いた。
「いる」
リゼはユノの手首に触れた。
銀の輪が淡く光る。
「しばらくは、王名に触れた後の揺らぎが続く。違和感があったらすぐ言って」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
ミアがじっと見る。
「今回は信じる」
「今回は?」
「前科が多いから」
カイも頷く。
「多い」
ユノは苦笑した。
星舟の墓場の中心から離れるにつれ、空の圧力は少し軽くなっていった。
それでも足元は不安定だ。
星屑の道は細く、ところどころ欠けている。
ミアは歌真珠を握りながら慎重に歩いている。
カイは木剣を背負い直し、落ちないように一歩ずつ進む。
リゼは先頭で、星図片を見ながら道を確認していた。
「昇降台へ戻るには、この道を下ればいいはず」
「はず?」
ミアが反応する。
「空の道は変わりやすいの。断言はできない」
「また怖いことを……」
その時、遠くで鐘が鳴った。
ごうん。
ごうん。
星舟の墓場に響く、壊れた鐘の音。
けれど今度は、その音の中に言葉が混ざっていた。
――アスト。
ユノの足が止まる。
胸の奥がきゅっと締めつけられた。
王名の半分が呼ばれた。
自分の名前ではない。
それでも、身体が反応してしまう。
リゼがすぐに振り返った。
「ユノ!」
ユノは答えようとした。
だが、口から出かけたのは別の言葉だった。
「ア……」
ミアが叫ぶ。
「ユノ!」
歌真珠が鳴る。
カイがユノの腕を掴んだ。
「ユノ! そっちじゃない!」
リゼの銀の輪が強く光る。
「あなたはユノ!」
ユノは歯を食いしばった。
アストではない。
器ではない。
王ではない。
自分は。
「ユノ……!」
声を絞り出す。
すると、胸の奥で絡みかけていた命令が少しほどけた。
鐘の音は遠ざかる。
ミアは泣きそうな顔で言った。
「今、危なかった」
「悪い」
「謝るより、もっと早く言って」
「今のは……自分でも気づくのが遅れた」
リゼの表情は厳しかった。
「王名の半分が、あなたを器として認識し始めている」
「器……」
「星灯りの剣を持ち、多くの名を背負い、王名に触れた。条件が揃いすぎている」
カイが青ざめる。
「じゃあ、ユノが王みたいになるってこと?」
「ならない」
リゼは即答した。
「させない」
ミアも強く頷いた。
「絶対させない」
カイも。
「俺も止める」
ユノは三人を見た。
怖い。
でも、その怖さを隠す必要はない。
「頼む」
その一言に、三人は頷いた。
さらに進むと、壊れた小舟の残骸が集まる場所に出た。
来た時には通らなかった場所だ。
星図片の光が少し乱れる。
リゼが眉を寄せた。
「道がずれている」
「迷ったのか?」
ユノが聞く。
「完全には。でも、墓場が私たちを別の記録へ導いている可能性がある」
ミアが肩を落とした。
「まっすぐ帰らせてくれない……」
カイが残骸のひとつを指差した。
「あれ、光ってる」
小さな星舟の船首に、水晶の箱があった。
半分割れているが、中に何かが残っている。
リゼが近づく。
「航海記録ね」
「見た方がいい?」
ミアが聞く。
「必要なものかもしれない」
ユノは少し警戒しながら剣を呼び出した。
リゼが水晶箱を開くと、中から小さな星図が浮かび上がった。
そこには、灰の王都と星舟の墓場を繋ぐ古い航路が記されている。
さらに、その横に文字があった。
リゼが読む。
「星冠は空へ。誓約書は地へ。二つを離し、王名が再び繋がらぬよう封じる」
「つまり、王名の半分ずつを分けて隠したってことか」
ユノが言うと、リゼは頷いた。
「ええ。セフィラか、その協力者がそうしたのでしょうね」
「でも今、俺たちはそれを集めようとしてる」
カイが不安そうに言う。
「集めて大丈夫なのか?」
誰もすぐには答えられなかった。
王名を知らなければ、星喰いは止められない。
けれど集めるほど危険は増す。
ミアが静かに言った。
「集めるけど、ひとつにしない。必要な時まで」
リゼは頷いた。
「そうね。封印を分けて管理する必要がある。星冠の欠片は私が持つ。次に見つける誓約書は……」
「俺が持つ?」
ユノが言うと、三人が同時に首を振った。
「駄目」
「駄目よ」
「駄目だろ」
「分かったよ」
ユノは少しだけ笑った。
ミアが考える。
「私が持つのは?」
リゼは首を振る。
「歌真珠と記憶灯を持っているあなたに、王名の封印まで持たせるのは重すぎる」
カイが手を上げた。
「俺は?」
リゼは少し考えた。
「カイもネリオの名を抱えている。危険はあるけれど……ユノよりは影響を受けにくいかもしれない」
カイは真剣な顔になった。
「俺、持てるなら持つ」
ユノは心配になった。
「無理するな」
「ユノに言われたくない」
即答だった。
ミアが頷く。
「それはそう」
リゼも。
「同意するわ」
ユノは反論できなかった。
リゼは言った。
「誓約書を見つけてから決めましょう。ただし、王名を一人に集中させるのは避ける」
「分かった」
航海記録には、もうひとつ情報があった。
灰の王都へ戻るための古い降下路。
風鳴りの断崖へ戻る昇降台とは別に、星舟の墓場から灰の王都近くへ下りる道があるらしい。
ミアが目を丸くした。
「直接行けるの?」
リゼは星図を確認する。
「ただし、かなり古い。今も使えるかは分からない」
「でも、風鳴りの断崖へ戻ってから灰の王都へ行くより早い?」
「ええ」
カイが不安そうにする。
「ナギとソラに言わずに行くのか?」
ユノは首を振った。
「それは駄目だ。戻るって言った」
ミアも頷く。
「ナギさんたち待ってるし」
リゼも同意した。
「一度戻りましょう。ソラの状態も確認したい。それから灰の王都へ向かう方法を決める」
ユノは少しほっとした。
急がなければならない。
でも、約束を置いていく旅にはしたくない。
それはセレノの道に近づく気がした。
正しさのために誰かの名前や約束を置き去りにする。
そうなりたくはなかった。
星図を記録して、四人は再び昇降台への道を探した。
今度は星図片が安定して光った。
星屑の道を下り、壊れた船たちの間を進む。
やがて、遠くに昇降台が見えた。
断崖から上がってきた時の石台。
それは星屑の道の端で静かに待っていた。
ミアが息を吐く。
「よかった……ちゃんとあった」
カイも安心したように笑った。
「戻れる」
ユノは最後に星舟の墓場を振り返った。
旗艦アルシオン。
空白の帆。
落ちた王座。
星冠の欠片。
ここで得たものは重い。
そして、まだ終わりではない。
灰の王都。
地下誓約堂。
王名の残り半分。
そこに向かわなければならない。
昇降台に乗る前、リゼが言った。
「降りる前に確認」
ユノは頷く。
「ユノ」
ミア。
「ミア」
リゼ。
「リゼ」
カイ。
「カイ」
四つの名前が空に響く。
その直後、遠くの星舟の墓場から、かすかな声が返ってきた。
――ルナエル。
ユノは目を閉じた。
返事はしない。
けれど心の中で答える。
忘れない。
でも、止める。
昇降台が動き出した。
星屑の道が遠ざかり、空の廃墟が小さくなる。
白い雲が近づいてくる。
ミアはユノの袖を掴んでいた。
カイは座り込むようにして石台の中央にいる。
リゼは封印した星冠の欠片を抱え、目を閉じている。
降下の途中、ユノの胸の奥でまた“アスト”が揺れた。
王であれ。
器であれ。
個を捨てよ。
命令が囁く。
ユノはそれに対して、自分の名前を返した。
「ユノ」
小さな声。
でも、確かに自分の声だった。
リゼが目を開ける。
「聞こえたわ」
ミアも。
「私も」
カイも。
「俺も」
ユノは少し照れくさくなった。
「独り言だ」
リゼは静かに言った。
「良い独り言よ」
雲を抜けると、風鳴りの断崖が見えた。
ナギとソラが、石柱のそばに立っている。
二人ともこちらを見上げていた。
ソラが大きく手を振る。
ナギは腕を組んでいるが、その表情には安堵が見えた。
昇降台が断崖へ戻る。
石台が地面に触れた瞬間、ミアが大きく息を吐いた。
「地面……!」
カイも石台から降りると、その場で座り込んだ。
「地面って最高だな……」
ナギが近づいてきた。
「戻ったな」
ユノは頷いた。
「戻った」
「全員?」
ナギが確認する。
ユノが答える。
「ユノ」
ミア。
「ミア」
リゼ。
「リゼ」
カイ。
「カイ」
ソラが嬉しそうに言った。
「全員いる」
ミアは笑った。
「ソラもいる?」
「いる」
ナギがすぐに言う。
「ソラ」
「いるってば」
そのやり取りに、少しだけ笑いが起きた。
けれど、報告しなければならないことは重かった。
ユノたちは星舟の墓場で起きたことを話した。
初代星詠みセフィラの記録。
空白の帆の問い。
ルナエルの残響。
落ちた王座。
星冠。
王名の半分、アスト。
ナギは黙って聞いていた。
ソラも真剣な顔をしている。
話し終えると、ナギは低く言った。
「次は灰の王都か」
「ああ」
「私は一緒に行けない」
ナギはソラを見た。
「ソラを完全に戻すため、しばらくエルディアに残る必要がある」
「分かってる」
ユノは頷いた。
ソラが申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい」
ミアがすぐに首を振った。
「謝らないで。ソラは戻ることが仕事」
カイも頷く。
「ちゃんと戻れよ」
「うん」
ナギは懐から小さな木札を出した。
「灰の王都へ戻るなら、シェルカから古い街道を使え。この木札を見せれば、港の馬車屋が手を貸してくれる」
「いいのか?」
「弟を助けてもらった礼には足りない」
ユノは木札を受け取った。
「ありがとう」
ナギはユノを見た。
「王名に呑まれるなよ」
「努力する」
「努力じゃなくて、戻れ」
その言葉に、ユノは頷いた。
「戻る」
ソラも言った。
「ユノさん、名前忘れないで」
「ああ」
「僕も忘れない。ユノさんたちのこと」
その言葉は、小さな約束だった。
ユノは胸が温かくなった。
星舟の墓場で背負った王名の半分は重い。
けれど地上には、こうして名前を呼んでくれる人がいる。
それが、ユノをユノへ戻してくれる。
夕暮れの風鳴りの断崖で、四人は再び出発の準備をした。
次は灰の王都。
王名の残り半分を探すために。
ユノは最後に空を見上げた。
星舟の墓場は雲の向こうで見えない。
けれど、そこにある。
ルナエルの残響も、アストという鎖も、まだユノの中にある。
ユノはそれを抱えたまま、自分の名を呼んだ。
「ユノ」
そして仲間たちが応えた。
「ミア」
「リゼ」
「カイ」
地上の風の中で、四つの名前は確かに響いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
このページでは、王名の半分“アスト”の意味を整理しました。
アストは名前ではなく、命令でした。
王であれ。
器であれ。
個を捨てよ。
それはルナエルを縛った鎖であり、ユノにも影響を及ぼし始めます。
けれどユノは、仲間に名前を呼ばれることで自分を保ちました。
次の目的地は、灰の王都の地下誓約堂。
そこに、王名の残り半分が眠っています。
次のページは『灰の王都へ戻る道』です。
ユノたちはナギとソラに別れを告げ、再び灰の王国へ向かいます。




