表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/128

幼き名の残響

名前は、呼ばれたあとにも残ります。


 声の余韻のように。

 水面に広がる波紋のように。

 誰かの胸に残る痛みのように。


 星見の塔で、ユノたちは王子の幼き名を知りました。


 ルナエル。


 その名は、星喰いの王になる前の少年の名でした。


 このページでは、塔を下りたユノたちが、ルナエルの名の残響と向き合います。

塔を下りる階段は、上る時よりも長く感じられた。


 ユノの足は重かった。


 一段降りるたびに、頭の奥で小さな声が響く。


 ルナエル。


 呼んではいけないと思うほど、その名は胸の奥に残った。


 星喰いの王になる前の少年。


 名前を奪われ、王になるために“個”を捨てさせられた子ども。


 ユノはその姿を見てしまった。


 泣いていた。

 名前を呼んでほしがっていた。

 誰かに覚えていてほしいと願っていた。


 けれど、同時に彼は星を喰った。


 数えきれない人の名前を奪い、村を消し、世界を泣かせた。


 かわいそうだった。


 でも、止めなければならない。


 その二つの感情が、ユノの中でぶつかり合っていた。


「炭」


 ミアが小さく呼んだ。


 ユノは顔を上げる。


「いる」


「本当に?」


「いる」


「じゃあ、今考えてることを一個だけ言って」


 ユノは少し迷った。


「ルナエルのこと」


「やっぱり」


 ミアは眉を寄せた。


「考えるなって言っても無理だと思うけど、沈まないでね」


「ああ」


 リゼが前を歩きながら言った。


「幼き名は強い。特に、本人が誰かに呼ばれることを強く望んでいた名なら、残響が長く残る」


「残響……」


 カイが不安そうに言う。


「それって、まだ近くにいるってこと?」


「近くにいるというより、名が空気に染み込んでいる状態ね」


 ユノは壁に刻まれた星図を見た。


 上る時は黒く濁って見えた星の線が、今は少しだけ澄んでいる。


 ルナエルの名を知ったことで、塔の傷が少し緩んだのかもしれない。


 けれど、完全には癒えていない。


 星喰いの傷は、まだ塔の頂に残っている。


 塔を出ると、森の空気が変わっていた。


 さっきまで重く沈んでいた霧が、少し薄くなっている。


 木々の星模様も、静かに瞬いていた。


 ミアが周囲を見回す。


「森、少し明るくなった?」


 リゼが頷く。


「ルナエルの幼き名が戻ったことで、塔に縛られていた記憶が解け始めている」


「じゃあ良いことなんだよね?」


「良いことではあるわ。でも、同時に危険でもある」


 ユノはリゼを見る。


「どういうことだ?」


「名が戻れば、記憶も戻る。記憶が戻れば、痛みも戻る」


 リゼは森の奥を見た。


「エルディアはこれから、ルナエルの記憶を思い出していく。森にとっても負担になるはず」


 カイが小さく言った。


「名前って、戻れば全部幸せってわけじゃないんだな」


「ええ」


 リゼは静かに答えた。


「でも、忘れたままよりは進める」


 その言葉は、リゼ自身にも向けられているようだった。


 ユノは何も言わず頷いた。


 白い根を辿り、森の心臓へ戻る。


 途中、森の声はほとんど聞こえなかった。


 代わりに、遠くから幼い歌声のようなものが聞こえた。


 言葉にはならない。


 でも、誰かが自分の名を探しているような響きだった。


 やがて、森の心臓が見えてきた。


 巨大な星の木は、出発前よりも明るく光っていた。


 根元では、ナギが弓の手入れをしながらソラを見守っている。


 ソラは木の根に背を預け、目を閉じていた。


 けれど、ユノたちが近づくと顔を上げた。


「戻った」


 ナギが立ち上がる。


「無事か?」


 ミアが疲れた顔で笑う。


「無事だけど、精神的には全然無事じゃない」


「何があった」


 ユノは少し黙った。


 言葉にするのが難しかった。


 代わりにリゼが説明する。


「王子の幼き名が分かったわ」


 ナギの表情が変わる。


「星喰いの王の?」


「王になる前の名よ」


 リゼはゆっくり言った。


「ルナエル」


 森の心臓が大きく脈打った。


 ソラが胸を押さえる。


 ナギがすぐに弟を支えた。


「ソラ!」


「大丈夫……今、声がした」


 ソラは目を閉じたまま言う。


「小さい子の声。ありがとうって……でも、泣いてた」


 ユノの胸が痛む。


 ルナエルの残響。


 森の心臓にも届いている。


 ナギは険しい顔で言った。


「その名、森で何度も呼ばない方がよさそうだな」


「ええ」


 リゼは頷く。


「まだ安定していない。名を呼ぶたびに、王子の記憶と星喰いの王の記憶が揺れる」


 カイが不安そうにユノを見る。


「ユノは大丈夫なのか?」


 ユノは答えようとして、少し止まった。


 大丈夫ではない。


 けれど、倒れるほどではない。


「大丈夫じゃないけど、いる」


 正直に言うと、ミアが少しほっとした顔をした。


「それでいい。無理に大丈夫って言わない方が安心する」


 リゼも頷いた。


「今の答えは良いわ」


 ナギは少し意外そうにユノを見た。


「旅人ってのは、変な成長をするんだな」


「最近、怒られるからな」


 ユノが言うと、ミアがすぐに頷く。


「怒ってる」


 カイも。


「俺も怒る」


 リゼも。


「必要なら」


 ソラまで小さく笑った。


「僕も、少しなら」


 ユノは苦笑した。


「味方が多いのか、監視が多いのか分からない」


「両方よ」


 リゼが淡々と答えた。


 そのやり取りの後、ユノたちは森の心臓の根元で情報を整理した。


 星見の塔で得たもの。


 王子の幼き名、ルナエル。


 第四の響き。


 初代星詠みの記録板。


 そして次の目的地。


「星舟の墓場」


 リゼが言うと、ナギは眉をひそめた。


「聞いたことはある。森番の古い話だ」


「どんな話?」


 ミアが聞く。


 ナギは少し記憶を探るように空を見た。


「昔、星を渡る舟があったらしい。地上と空の星域を繋ぐための舟。でも星喰いが現れたあと、空で壊れて、いくつもの残骸が世界の端へ落ちた」


「世界の端……」


 カイが呟く。


「そこが墓場?」


「そう言われてる」


 リゼは記録板を取り出した。


「星舟は、魔女と星詠みたちが使っていた移動手段だった可能性があるわ。空の記憶を保存する場所でもあったはず」


「そこに、王が王になった記録があるってセレノは言った」


 ユノが言うと、リゼの表情が少し曇る。


「セレノの誘導に乗るのは危険。でも、星見の塔の記録も同じ方向を示している」


「行くしかないか」


「ええ」


 ミアがため息をついた。


「海の底、森、今度は空……ほんとに世界一周みたいになってきた」


 カイが言った。


「でも、ネリオの手がかりは?」


 その声は不安だった。


 次の目的地が決まるたび、ネリオから遠ざかっているように感じるのかもしれない。


 リゼは森の心臓へ目を向けた。


「エルディアには、まだネリオに関する記録は見つかっていない。でも、星舟の墓場には世界各地の星図が残っている可能性がある。消えた村の位置も、そこなら辿れるかもしれない」


 カイはゆっくり頷いた。


「じゃあ行く」


 ミアが優しく言う。


「絶対探そうね」


「うん」


 森の心臓が、また静かに光った。


 その幹に新しい文字が浮かぶ。


 リゼが読む。


「星舟の墓場へ行くには、空へ落ちた港を探せ。森の西、風鳴りの断崖に、古き昇降台が眠る」


「昇降台?」


 ユノが聞く。


 ナギが答えた。


「森番の伝承にある。空へ向かう石の台だ。ただ、今も動くかは知らない」


「動かすには?」


 リゼは文字の続きを読んだ。


「星涙石、海涙石、森の心臓の枝、そして幼き名の記録を揃えよ」


 ミアが指を折る。


「星涙石はある。海涙石もある。幼き名の記録板もある。森の心臓の枝って……」


 全員が森の心臓を見上げた。


 ソラが少し不安そうに言う。


「枝、折るの?」


 ナギがすぐに首を振る。


「森の心臓を傷つけるわけにはいかない」


 その時、森の心臓の枝先から、小さな白銀の枝が自然に落ちてきた。


 それは地面へ落ちる前にふわりと光り、ユノの前で止まった。


 まるで差し出されているようだった。


 リゼが静かに言った。


「森が渡してくれている」


 ユノは両手で受け取った。


 枝は温かかった。


 小さな星の葉が一枚ついている。


 そこには、かすかに文字が浮かんでいた。


 ――名を守る者へ。


 ユノは胸が熱くなった。


「ありがとう」


 森の心臓が穏やかに光る。


 ナギも深く頭を下げた。


「エルディアは、まだ死んでないんだな」


 リゼが頷く。


「ええ。傷ついているけれど、生きている」


 その言葉に、ユノは世界が泣く音を思い出した。


 灰の王国で聞いた、世界の痛み。


 世界は泣いていた。


 でも、泣けるならまだ死んではいない。


 森も同じだ。


 傷ついている。


 歪められている。


 でも、まだ名前を守ろうとしている。


 夜になる前に、今後の動きを決めた。


 ソラはまだ完全に森を離れられない。


 ナギはソラと共に森の心臓に残る。


 ユノたちは一度シェルカへ戻り、補給を整えた後、ナギの案内で風鳴りの断崖へ向かう。


 ただし、ソラが安定するまで半日待つ必要があった。


 その間、ユノたちは森の心臓のそばで休むことになった。


 ミアは歌真珠と記憶灯を並べ、光の状態を確認していた。


 カイはソラの隣に座り、木剣を見せている。


「これ、父さんが作ってくれた」


「いいな」


 ソラは羨ましそうに見た。


「僕の弓、壊れちゃった」


 ナギがすぐに言う。


「直す」


「本当?」


「森を出たらな」


 ミアが顔を上げる。


「私も手伝うよ。弓は専門じゃないけど、部品を見るくらいなら」


 ソラの目が少し輝いた。


「ありがとう、灯さん」


 ミアは照れたように笑った。


「灯でいいよ」


 リゼは少し離れた場所で、初代星詠みの記録板を読んでいた。


 ユノはその隣に座る。


「何か分かったか?」


「少し」


 リゼは水晶板を指差した。


「初代星詠みは、ルナエルを守ろうとした。でも儀式を止められなかった。その後、彼女は星舟でどこかへ向かったらしい」


「星舟の墓場に、その記録がある?」


「おそらく」


 リゼは少し目を伏せた。


「もしかすると、彼女はルナエルの本当の名前を完全に記録していたのかもしれない」


「幼き名が完全な名前じゃないのか?」


「幼き名はルナエル。でも、王となった時に別の名を与えられたはず。星喰いの王の完全な名は、その二つが歪んで結びついたものかもしれない」


 ユノは頭を押さえた。


「名前が増えるな」


「だから慎重に扱う必要がある」


 リゼはユノを見る。


「あなたはもう、ルナエルという名に強く触れた。次に王の名へ触れる時、さらに引き込まれる可能性がある」


「分かってる」


「本当に?」


「怖いと思ってる」


 ユノがそう言うと、リゼは少し表情を緩めた。


「ならいいわ」


「怖がってる方がいいのか?」


「怖さを認めている方が、無茶を止めやすい」


「なるほど」


 ユノは森の心臓を見上げた。


 星の葉が静かに揺れている。


「ルナエルは、俺に似てるって言われた」


 リゼはすぐに言った。


「似ていない」


「前も即答したな」


「何度でも言うわ」


 ユノは少し笑った。


 でも、胸の奥の不安は消えない。


「でも、怖いんだ。もし俺が名前を失いかけた時、誰かの名前を奪いたくなったら」


 リゼはしばらく黙った。


 そして静かに言った。


「その時は、私が止める」


「本気で?」


「本気で」


「剣で?」


「必要なら」


 ユノは少し驚いた。


 でも、不思議と安心した。


 リゼは続ける。


「でも、その前に名前を呼ぶ。何度も。あなたが戻るまで」


 ユノは頷いた。


「頼む」


「ええ」


 森の心臓の根元で、時間がゆっくり流れた。


 久しぶりに、急かされない時間だった。


 もちろん危険は消えていない。


 セレノはどこかで待っている。

 星舟の墓場へ行かなければならない。

 王の名はまだ完成していない。

 ルナエルの残響は、ユノの中に深く残っている。


 それでも今だけは、森の光に守られていた。


 夕方近く、ソラの身体はかなり安定した。


 まだ完全ではないが、歩けるようになっている。


 ナギはほっとしながらも、厳しい顔で言った。


「無理はするな」


「姉ちゃんもね」


「私はいい」


「よくない」


 ソラが言い返したので、ナギは一瞬言葉に詰まった。


 ユノたちは少し笑った。


 出発前、森の心臓の前で全員の名前を確認した。


「ユノ」


「ミア」


「リゼ」


「カイ」


「ナギ」


「ソラ」


 その六つの名前を呼んだ瞬間、森の心臓が強く光った。


 そして遠く、塔の方角から小さな声が聞こえた。


 ――ルナエル。


 それは、泣いているようにも、少しだけ安心しているようにも聞こえた。


 ユノは目を閉じた。


 声には返事をしない。


 でも、心の中で答えた。


 忘れない。


 そして、止める。


 森の心臓を離れ、ユノたちはシェルカへ戻る道を歩き始めた。


 次は風鳴りの断崖。


 そこから星舟の墓場へ。


 幼き名の残響を胸に抱えたまま、旅はまた空へ向かおうとしていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、ルナエルという幼き名が森へ与えた影響を描きました。


 名前が戻ることは救いでもありますが、同時に痛みも戻します。

 森は王子の記憶を思い出し始め、ユノもその残響に揺さぶられます。


 森の心臓から、次の旅に必要な“森の心臓の枝”を受け取りました。


 次なる目的地は、風鳴りの断崖。

 そこに眠る古い昇降台を使い、ユノたちは“星舟の墓場”を目指します。


 次のページは『風鳴りの断崖』です。

 森を抜けた先、空へ向かう古い道が開かれます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ