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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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返事をしてはいけない声

声は、心のいちばん柔らかい場所へ届きます。


 会いたい人の声。

 謝りたかった人の声。

 もう一度だけ聞きたかった声。


 星の森エルディアは、その声を真似ます。


 返事をしてはいけない。

 そう分かっていても、心は揺れます。


 このページでは、ユノたちが“返事をしてはいけない声”に試されます。

星の木が示した光の道は、森のさらに奥へ続いていた。


 道といっても、はっきりしたものではない。


 落ち葉の上に細い星明かりが点々と残り、それを辿るだけだった。


 先頭はナギ。


 その後ろにユノ、ミア、カイ。


 最後にリゼが歩く。


 森は、さっきより静かだった。


 けれど、その静けさがかえって怖い。


 鳥も鳴かない。

 虫も鳴かない。

 葉擦れの音さえ、どこか遠い。


 その代わりに、森の奥から時々、声がした。


 ――ユノ。


 ――ミア。


 ――カイ。


 ――リゼ。


 ――ナギ。


 けれど誰も返事をしなかった。


 合図名だけを使う。


 炭。

 灯。

 木。

 銀。

 風。


 それが、今の彼らを繋ぐ細い糸だった。


「風」


 ユノが小さく呼ぶ。


 ナギは前を向いたまま答えた。


「いる」


「あとどれくらいだ」


「分からない」


「森番でも?」


「森が道を変えてる。星の木の光を辿れているだけ、まだましだ」


 ミアが不安そうに周りを見る。


「ましって言葉が安心できない……」


 カイは木剣を握っていた。


 彼の顔には緊張がある。


 森の奥にソラの名前が残っていると分かってから、ナギだけでなくカイもずっと落ち着かない。


 故郷を失った少年は、誰かが消えかけている痛みをよく知っている。


 だからこそ、ソラを他人事にできないのだろう。


 リゼは静かに言った。


「森の声が近づいている」


 その直後だった。


 左の茂みの奥から、声がした。


「ナギ姉!」


 ナギの足が止まった。


 その声は少年のものだった。


 明るく、少し息を切らしている。


「ナギ姉、こっち!」


 ナギの背中が固まる。


 ユノは息を呑んだ。


 ソラの声。


 おそらく本物ではない。


 けれど、ナギにとっては一番返事をしたくなる声だ。


「風」


 ユノが呼んだ。


 ナギは答えない。


 茂みの奥から、また声がする。


「早く来てよ! 見つけたんだ、星の実!」


 ナギの手が震えた。


 彼女は唇を噛み、鈴を握る。


 だが鳴らせない。


 鳴らせば声は消える。


 消えてしまう。


 たとえ偽物でも、弟の声を消すことが怖いのだ。


「風!」


 ミアが鋭く呼ぶ。


 ナギははっとした。


 それでも、目は茂みに向いたままだ。


「……ソラ」


 小さく漏れた声。


 リゼがすぐに言った。


「本名で呼ばないで!」


 森がざわめいた。


 葉の星が一斉に光る。


 茂みの奥の声が、嬉しそうに笑った。


「聞こえた! ナギ姉、やっぱり来てくれた!」


 ナギの足が一歩、道を外れた。


 ユノは迷わず彼女の腕を掴んだ。


「風、戻れ!」


「離して!」


 ナギは叫んだ。


「あれはソラだ!」


「違う!」


「違わない! 私はあの声を知ってる!」


 その叫びは、森ではなくユノたちに向けられたものではなかった。


 自分自身へ向けた叫びだった。


 信じたい。


 弟がそこにいると信じたい。


 ユノには分かった。


 分かってしまった。


 父の声に手を伸ばしかけた自分と同じだったから。


 ユノはナギの腕を掴んだまま言った。


「本物なら、合図を知ってるはずだ!」


 ナギの動きが止まった。


「合図?」


「森番の合図。ソラと決めたものがあるんじゃないのか」


 ナギは息を呑んだ。


 茂みの奥から声が続く。


「ナギ姉、怖いよ。早く来て!」


 ナギは震えながら言った。


「ソラなら……」


 彼女は鈴を握ったまま、森の奥へ向かって叫んだ。


「森番の合図を言え!」


 茂みの声が止まった。


 一瞬の沈黙。


 そして、少年の声が笑った。


「そんなのいいから、早く来て」


 ナギの顔から血の気が引いた。


 ユノは言った。


「偽物だ」


 ナギは目を閉じた。


 次の瞬間、鈴を鳴らした。


 ちりん。


 ソラの声は、悲鳴のように歪んで消えた。


 茂みの奥で、黒い葉が何枚も落ちる。


 ナギはその場に膝をついた。


 肩が震えている。


 ミアがそっと近づく。


「風……」


「大丈夫」


 ナギは答えた。


 でも大丈夫ではなかった。


「大丈夫じゃない。でも、進む」


 その言葉に、リゼが静かに頷いた。


「それでいいわ」


 ナギは立ち上がった。


 目元は赤い。


 でも視線は前を向いている。


「今の声は、森が私から拾った記憶だ。つまりソラの名はまだ近い」


「そう考えるのか」


 ユノが聞くと、ナギは頷いた。


「そうでも思わないと、折れる」


 その正直さに、ユノは何も言えなかった。


 五人は再び進んだ。


 森の光はさらに暗くなる。


 星明かりの道は細く、少しでも目を離せば見失いそうだった。


 やがて、今度はミアの足元で小さな歯車が転がった。


「え……?」


 ミアが立ち止まる。


 歯車は古びているが、見覚えがあるようだった。


 彼女は思わず拾おうとした。


 ナギがすぐに言う。


「触るな」


 ミアの手が止まる。


 その時、森の右側から男の声がした。


「ミア」


 低く、不器用な声。


 ミアの顔が変わった。


「お父さん……?」


 ユノは息を呑む。


 声は続けた。


「その歯車、まだ直せてないのか」


 ミアの目が揺れる。


 彼女の父の声なのだろう。


 アステラで預けた記憶の中でも、父に褒められた日のことを思い出していた。


 ミアにとって大事な声。


 森はそれを真似ている。


「灯」


 ユノが呼ぶ。


 ミアは返事をしない。


 男の声は、少しだけ柔らかくなる。


「こっちに来い。工具の使い方を教えてやる」


 ミアの手が震える。


「お父さんが……そんな優しく言うわけない」


 ミアは小さく呟いた。


 だが、声はさらに近づく。


「まあまあだな」


 その一言で、ミアの瞳に涙が浮かんだ。


 アステラで取り戻した記憶。


 初めて時計を直した日。

 父が不器用に褒めた言葉。


 森はそれを使った。


 ミアは歯を食いしばる。


「ずるい……」


 リゼが言った。


「灯、鈴を」


「分かってる」


 でもミアの手は動かない。


 声は優しい。


「ミア、もう頑張らなくていい。こっちで直せばいい」


 ユノは一歩前へ出た。


「灯!」


 ミアははっとした。


 ユノは続ける。


「ミアの父さんなら、そんなこと言わない!」


 ミアは涙をこぼしながら笑った。


「そうだね」


「不器用に、もっとちゃんと見ろって言うだろ」


「言う」


「それで、最後にまあまあだなって言う」


「うん」


 ミアは鈴を握った。


「私、まだ直すものがあるから」


 ちりん。


 鈴の音が鳴った。


 歯車は黒い花びらになって散った。


 父の声も消える。


 ミアは少し震えながら、歌真珠を握った。


「灯、いる」


 ユノがすぐに答える。


「炭、いる」


 リゼも。


「銀、いる」


 カイも。


「木、いる」


 ナギも。


「風、いる」


 ミアは深く息を吐いた。


「行こう」


 次に試されたのはカイだった。


 森の奥へ進むほど、霧が濃くなる。


 視界が白く霞む。


 足元の星明かりだけを頼りに進んでいると、霧の中に赤い屋根が見えた。


 カイが息を止めた。


「ネリオ……?」


 霧の中に、小さな村が浮かんでいた。


 赤い屋根。

 井戸。

 畑。

 木の柵。


 カイが探し続けている故郷。


 ネリオ。


 ユノはすぐに言った。


「木、見るな」


 カイは首を振る。


「でも、あれ……」


 霧の村から、女の声が聞こえた。


「カイ」


 母の声。


 続いて男の声。


「カイ、木剣の握りが甘いぞ」


 父の声。


 カイの目から涙が溢れた。


「父さん……母さん……」


 ナギが低く言う。


「幻だ」


「でも!」


 カイは叫んだ。


「俺、顔を思い出せないんだ! 今なら見えるかもしれない!」


 その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


 カイはまだ子どもだ。


 故郷を失い、両親の顔を失い、村の名さえ消えかけた。


 その彼が、目の前に現れた故郷へ手を伸ばしたいと思うのは当然だった。


 リゼが静かに言った。


「木。見たいなら、私たちと一緒に見る」


 カイがリゼを見る。


「一人で行かない。道を外れない。ここから見るだけ」


 カイは震えながら頷いた。


 霧の中の父が呼ぶ。


「カイ、こっちへ来い」


 カイは唇を噛む。


「行かない」


 母の声。


「カイ、寒いでしょう。家に入りなさい」


「行かない!」


 カイは泣きながら叫んだ。


「俺は行かない! でも、忘れない!」


 森がざわめく。


 霧の村が揺れる。


 父の顔は見えない。


 母の顔も。


 けれど、カイは木剣を握りしめて言った。


「父さんの手は覚えてる。母さんの歌も少し覚えてる。ネリオの名前も覚えてる。だから、偽物には行かない」


 ユノは胸が熱くなった。


 カイは鈴を鳴らした。


 ちりん。


 霧の村は崩れた。


 赤い屋根は星屑のように散り、井戸も畑も消える。


 カイは声を殺して泣いた。


 ミアがそっと肩を抱く。


「木、いる?」


 カイはしゃくり上げながら答えた。


「いる」


 ユノも言った。


「木、いる」


 リゼも。


「木、いる」


 ナギも。


「木、いる」


 カイは何度も頷いた。


「俺、いる」


 その次に、森が呼んだのはリゼだった。


 森の空気が変わる。


 白い霧が銀色に光り、木々の間に懐かしい朝の光が差した。


 リゼの足が止まる。


 ユノは銀の輪が急に冷たくなるのを感じた。


「銀」


 リゼは答えない。


 森の奥から、優しい女性の声がした。


「リゼ」


 リゼの瞳が揺れる。


 姉の声。


 あまりにも優しく、あまりにも自然だった。


「リゼ、髪が乱れているわ。こちらへおいで」


 リゼの手が、自分の髪に触れる。


 アステラで思い出した記憶。


 姉に髪を結ってもらった朝。


 森はそれを真似ている。


「銀」


 ユノはもう一度呼んだ。


 リゼは小さく言う。


「姉様……」


 声が近づく。


「リゼ、泣いていたの?」


 リゼの顔が歪む。


「私は……」


「もう頑張らなくていいのよ」


 姉の声は、あまりにも優しい。


「こちらへ来なさい。セレノのことも、王国のことも、全部忘れていい」


 ユノは息を呑んだ。


 それは姉の言葉ではない。


 忘れていい。


 それはセレノの言葉だ。


 リゼも気づいた。


 彼女の目に怒りと悲しみが浮かぶ。


「姉様は……そんなこと言わない」


 森の声はなおも優しく囁く。


「苦しかったでしょう、リゼ」


「苦しかった」


「なら忘れていいの」


「忘れない」


 リゼの声が震える。


「私は忘れない。姉様の声も、髪を結ってくれた手も、最後の言葉も。苦しくても忘れない」


 ユノはリゼの手首に触れた。


 銀の輪が温かくなる。


「銀、いる」


 リゼは涙を浮かべながら答えた。


「いるわ」


「鈴を」


「ええ」


 リゼは鈴を鳴らした。


 ちりん。


 姉の声は消えた。


 しかし、消える直前に、別の声が混ざった。


 低く、優しい男の声。


『リゼ』


 セレノの声。


 リゼの身体が震えた。


 ユノは星灯りの剣を呼び出す。


 森の霧が黒く染まりかける。


 だがリゼは首を振った。


「大丈夫」


 彼女は自分で言った。


「銀、いる」


 ユノは剣を下ろした。


「炭、いる」


 ミアも。


「灯、いる」


 カイも。


「木、いる」


 ナギも。


「風、いる」


 リゼは深く息を吐いた。


「進みましょう」


 最後に、森はユノを呼んだ。


 それは父の声ではなかった。


 ミアでも、リゼでも、カイでもない。


 幼い自分の声だった。


「ユノ」


 ユノは立ち止まった。


 森の奥に、小さな少年がいた。


 屋根の上で星を見ていた頃のユノ。


 まだ星喰いも、魔女も、王の名も知らないユノ。


 少年はユノを見て言った。


「ねえ、なんで帰らないの?」


 ユノの胸が詰まる。


 幼いユノは続ける。


「父さんの家に帰ろうよ。ミアもいる。ガルドもいる。こんな怖い場所、もうやめよう」


 ミアが小さく言った。


「炭……」


 ユノは答えられなかった。


 これはずるい。


 父の声よりも、もっと深いところを突いてくる。


 自分自身の声。


 逃げたい自分。


 帰りたい自分。


 全部投げ出して、ルグナへ戻りたい自分。


 幼いユノは泣きそうな顔で言う。


「名前を失うかもしれないんでしょ? なら、もう誰の名前も呼ばなければいいじゃん」


 星図盤の予言が胸を刺す。


 名を集める者、やがて己の名を失う。


 幼いユノは言った。


「自分が消えてまで、誰かを助けるの?」


 ユノは動けなかった。


 その問いに、すぐ答えられなかった。


 リゼが呼ぶ。


「炭」


 ミアも。


「炭」


 カイも。


「炭」


 ナギも。


「炭」


 幼いユノは首を振る。


「返事しないで。そっちにいたら消えるよ」


 ユノは目を閉じた。


 怖い。


 確かに怖い。


 名前を失うのが怖い。


 自分が自分でなくなるのが怖い。


 帰れなくなるのが怖い。


 でも。


 ユノは目を開けた。


「帰りたいよ」


 幼いユノが驚いた顔をする。


「逃げたい。怖い。誰の記憶も背負いたくない時だってある」


 ユノは自分自身へ言った。


「でも、見てしまった。名前を奪われた人たちを。忘れられた故郷を。泣いていた世界を」


 幼いユノの姿が揺れる。


「だから進む。帰るために進む」


「消えたら帰れないよ」


「だから、ひとりで背負わない」


 ユノは仲間たちを見た。


「俺の名前は、みんなが呼んでくれる」


 ミアが即答した。


「呼ぶ!」


 リゼも。


「何度でも」


 カイも。


「俺も呼ぶ!」


 ナギも少し遅れて言った。


「必要なら呼ぶ」


 ユノは幼い自分へ向き直る。


「俺はユノ。怖がりで、帰りたくて、それでも忘れたくないと思う者だ」


 幼いユノは、少しだけ笑った。


「じゃあ、忘れないで」


「ああ」


「屋根の上の星も」


「忘れない」


「父さんの手も」


「忘れない」


「自分の名前も」


「忘れない」


 ユノは鈴を鳴らした。


 ちりん。


 幼いユノは、星屑になって消えた。


 森が大きく揺れた。


 五人は息を整えながら立ち尽くした。


 誰もすぐには話さなかった。


 全員が、自分の一番弱い声を聞いた。


 返事をしたくなる声。

 逃げたくなる声。

 戻りたくなる声。


 それでも、誰も森へ渡さなかった。


 ナギが小さく言った。


「全員、いるか」


 ユノが答える。


「炭、いる」


 ミア。


「灯、いる」


 リゼ。


「銀、いる」


 カイ。


「木、いる」


 ナギは最後に息を吐いた。


「風、いる」


 その時、前方の霧が晴れた。


 星明かりの道が、太くはっきりと現れる。


 その先に、巨大な木の影が見えた。


 森の心臓。


 おそらく、そこにソラがいる。


 そして、星喰いの王の三つ目の響きも。


 ナギは弓を握り直した。


「行くぞ」


 ユノは頷いた。


「ああ」


 森はまだ囁いている。


 けれど、もうさっきほど近くはない。


 返事をしてはいけない声に、彼らは返事をしなかった。


 代わりに、自分たちの声で互いを呼び戻した。


 それだけが、森の奥へ進むための道だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、ユノたちが“返事をしてはいけない声”に試されました。


 ナギには弟ソラの声。

 ミアには父の声。

 カイには両親とネリオの幻。

 リゼには姉の声。

 ユノには幼い自分自身の声。


 森は、それぞれが一番返事をしたくなる声を使ってきました。


 けれど、ユノたちは合図名と鈴、そして仲間の声で踏みとどまりました。


 次のページは『森の心臓』です。

 霧の奥に現れた巨大な木のもとで、ソラの名と、星喰いの王の三つ目の響きに近づきます。

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