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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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旅立ちの朝

朝は、必ず希望だけを連れてくるわけではありません。


 時には、昨夜まで見ないふりをしていた不安や恐怖を、明るい光の中へ引きずり出すこともあります。


 星灯りの剣を手にしたユノは、忘却を斬る力を得ました。

 けれどその剣は、使うたびに誰かの記憶と痛みを背負わせる危うい力でもあります。


 灰の王国の王城へ向かう前、ユノたちは廃墟で一夜を明かします。


 旅を続ける覚悟。

 背負うものの重さ。

 そして、それぞれが帰る場所を胸に刻む朝。


 これは、ユノたちにとって本当の意味での“旅立ち”の朝です。

灰の王国に夜が降りた。


 けれど、その夜はルグナの夜とも、フェルカの夜とも違っていた。


 星は見えない。


 月もない。


 ただ、灰色の雲が空を覆い、その下で廃墟の石壁が静かに冷えていく。


 壊れた時計塔の針だけが、ゆっくりと動いていた。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 その音は小さかった。


 けれど、千年止まっていた場所では、あまりにも大きな音だった。


 ユノたちは時計塔から少し離れた崩れた建物の中で夜を明かすことにした。


 屋根は半分落ちていたが、三方の壁は残っている。風を防ぐには十分だった。


 ミアが瓦礫をどけて場所を作り、リゼが小さな火を起こした。魔法で火をつけたのではない。ミアが火打ち石を使って、何度も失敗しながらつけた火だった。


「魔法でつければ早いのに」


 ユノが言うと、ミアは睨んだ。


「リゼに余計な魔力使わせないの」


「俺はただ言っただけだろ」


「言っただけが一番危ない」


 ミアはそう言って、火に小枝をくべた。


 リゼはそのやり取りを聞きながら、静かに膝を抱えていた。


 火の光が彼女の横顔を照らしている。


 銀色の髪は灰で少し汚れ、赤い瞳はいつもより暗く見えた。


 壊れた時計塔で見た過去。


 魔女裁判。


 幼いリゼ。


 投げられる石。


 燃やされようとする魔女たち。


 ユノはそれを思い出し、胸が痛くなった。


 契約を結んだせいで、リゼの恐怖の一部が流れ込んできた。


 あれは記憶というより、傷だった。


 千年経っても塞がらない傷。


「見ないで」


 リゼが言った。


 ユノはぎくりとした。


「え?」


「心配そうな顔で見ないで」


「そんな顔してたか?」


「していたわ」


 リゼは火を見つめたまま言った。


「あなたは分かりやすい」


「よく言われる」


「でしょうね」


 ミアが横から頷いた。


「ユノは顔に出るよ」


「二人して言うなよ」


 少しだけ空気が緩んだ。


 けれど、すぐに沈黙が戻る。


 火の音だけが響いた。


 ぱち。


 ぱち。


 遠くで時計塔の針が鳴る。


 カチ。


 カチ。


 ユノは右手首を見た。


 銀の輪が淡く光っている。


 そこには、星灯りの剣の小さな模様が浮かんでいた。


 剣は今、形を失って契約の光の中に眠っている。


 必要な時だけ現れる。


 リゼはそう言った。


 けれどユノには、その剣が本当に眠っているとは思えなかった。


 ずっと見られている気がする。


 星の記憶に。


 父の言葉に。


 剣に宿る、忘れられた名前たちに。


「怖い?」


 今度はミアが聞いた。


 ユノは少し笑った。


「今日はみんなそれ聞くな」


「顔に出てるから」


「そんなに?」


「うん」


 ミアは火の向こうからユノを見た。


「怖いなら、怖いって言っていいんだよ」


 その声は優しかった。


 ユノは返事に迷った。


 怖い。


 それは本当だった。


 星灯りの剣を手にした時、父の記憶を見た。


 父は知っていた。


 ユノがいつかこの道へ進むことを。


 本当は普通に生きてほしかったと言いながら、それでも道を残していた。


 その愛情が嬉しくて、苦しかった。


 父が自分に背負わせたかったわけではない。


 けれど父が残した道を歩くのは、自分しかいない。


 その事実が重い。


「怖いよ」


 ユノは言った。


 ミアは頷いた。


 リゼも黙って聞いていた。


「剣を持ったら、少しだけ強くなった気がした。でも同時に、もう普通には戻れない気もした」


「普通……」


 ミアが小さく呟く。


「ルグナにいた頃の普通?」


「ああ」


「朝起きて、炭鉱に行って、ユノが屋根から落ちそうになって、私が怒って、ガルドさんに叱られて」


「俺、そんなに落ちそうになってたか?」


「なってた」


 ミアは即答した。


 ユノは苦笑した。


 けれど、その普通はもう遠い。


 戻りたいと思っても、戻れない。


 たとえルグナに帰れても、星喰いを知る前の自分には戻れない。


 星が消えていることに気づかないふりはできない。


 消えた名前を、なかったことにはできない。


 ミアは膝を抱えた。


「私も怖いよ」


 声が小さかった。


「足手まといになるのが怖い。ユノやリゼみたいに魔法が使えるわけじゃないし、星涙石に触れる力もないし、剣も出せない」


「ミアは十分助けてくれてるだろ」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも怖いの」


 ミアは工具袋に触れた。


「機械なら分かる。壊れたところを見つけて、部品を替えて、動くようにする。でも人の記憶とか、星とか、魔法とか、そういうのは分からない」


「俺も分からないことだらけだよ」


「でもユノは進むでしょ」


「ミアも進んでる」


 ミアは少し黙った。


 それから、小さく笑った。


「そうだね。進んじゃってるね」


 リゼが静かに口を開いた。


「分からないまま進むのは、悪いことではないわ」


 ユノとミアは彼女を見る。


 リゼは火を見つめたまま続けた。


「千年前、魔女たちも分からないことだらけだった。星喰いが何なのか。どうすれば止められるのか。封印が本当に成功するのか。誰も確信なんてなかった」


「それでも戦ったのか」


「ええ」


「怖くなかった?」


 ミアが聞いた。


 リゼはすぐには答えなかった。


 火の中で小枝が崩れる。


「怖かった」


 短い答えだった。


「みんな怖かった。姉様も、他の魔女たちも。私も」


「でも、強かったんだろ」


 ユノが言うと、リゼは首を振った。


「強かったから戦ったのではないわ。怖くても、他に守る方法がなかっただけ」


 その言葉は、ユノの胸に深く沈んだ。


 強いから進むのではない。


 怖くても、進むしかない時がある。


 それが旅なのかもしれない。


 それが、世界を守るということなのかもしれない。


 夜が深くなるにつれ、灰の王国の廃墟はさらに静かになった。


 時折、遠くで過去の声が聞こえる。


 けれど時計塔の時間が動き出したからか、その声は前よりも弱い。


 ユノたちは交代で眠ることにした。


 最初の番はリゼだった。


 ミアは毛布にくるまると、疲れが限界だったのかすぐに眠った。


 ユノも横になったが、なかなか眠れなかった。


 目を閉じると、父の顔が浮かぶ。


 星灯りの剣の記憶。


 父の最後の言葉。


 ――お前自身の名前を、最後まで忘れるな。


 ユノは自分の名前を小さく呟いた。


「ユノ」


 すると、火の向こうからリゼが答えた。


「聞こえているわ」


「別に呼んだわけじゃない」


「知っている」


「なら返事しなくても」


「契約の確認よ」


 リゼは真面目な顔で言った。


 ユノは少し笑った。


「便利だな」


「便利ではないわ」


「それも聞き飽きた」


 リゼは少しだけ口元を緩めた。


 ユノはその表情を見て、胸が温かくなった。


 リゼが少しずつ表情を取り戻している気がしたからだ。


「ユノ」


 今度はリゼが呼んだ。


「何?」


「もし私がまた過去に呑まれそうになったら」


「ああ」


「名前を呼んで」


「分かってる」


「何度も」


「何度でも呼ぶ」


 リゼは頷いた。


「私も、あなたが剣に呑まれそうになったら呼ぶわ」


「頼む」


「ユノ」


「届いてる」


「確認よ」


 彼女はそう言って、静かに火を見つめた。


 ユノはようやく目を閉じた。


 眠りは浅かった。


 夢を見た。


 ルグナの屋根の上にいる夢だった。


 星が降っていた。


 空いっぱいに、無数の星がある。


 ユノは幼い姿で、それを見上げている。


 隣には父がいた。


 父は何も言わない。


 ただ、ユノの頭を撫でている。


 その手が温かい。


 でも、空の星がひとつずつ消えていく。


 星が消えるたび、父の輪郭も薄くなる。


「待って」


 ユノは父の袖を掴む。


「消えないで」


 父は微笑む。


「覚えていろ」


「覚えてる!」


「なら、消えない」


 ユノは叫ぼうとした。


 その瞬間、夢の空に黒い王が現れた。


 顔のない巨大な影。


 その口が開く。


 星を喰らう闇。


 そして、頭の奥に一音が響く。


 ――ル。


 ユノは飛び起きた。


 息が荒い。


 汗で背中が濡れていた。


 火は小さくなっている。


 ミアはまだ眠っている。


 リゼがすぐに振り返った。


「ユノ」


 銀の輪が強く光っている。


「大丈夫?」


「夢……」


「王の名?」


「たぶん」


 ユノは額を押さえた。


 あの一音が、まだ頭の中に残っている。


 触れたくないのに、向こうから近づいてくる。


「名の欠片があなたを探っているのかもしれない」


「どういう意味だ」


「王の名は完成したがっている。欠片同士が引き合うように、鍵であるあなたにも干渉している」


「じゃあ、これからも夢に出るのか」


「可能性はある」


「最悪だな」


「ええ」


 リゼは否定しなかった。


 ユノは少し笑った。


 笑わないと、怖さに押し潰されそうだった。


「ユノ」


「何?」


「眠れないなら、少し歩く?」


「いいのか?」


「見張りも兼ねて」


 二人はミアを起こさないように、廃墟の外へ出た。


 夜の灰の王国は、昼よりも白く見えた。


 灰が月の代わりにぼんやり光っている。


 時計塔の針は進み続けている。


 壊れた王国の中で、そこだけが生き返ったようだった。


 リゼは塔を見上げた。


「不思議ね」


「何が」


「昨日までは、この国へ来るのが怖かった。今も怖い。でも、時計塔の針が動くのを見ると、少しだけ……救われた気がする」


「時間が進んだから?」


「たぶん」


 リゼは手首の銀の輪に触れた。


「止まっていたのは、時計塔だけじゃなかったのかもしれない」


 ユノは彼女の横顔を見た。


「リゼも?」


「ええ」


 リゼは静かに頷いた。


「千年前で止まっていた。目覚めても、私はまだあの時のままだった。姉様を失った時。魔女が焼かれた時。世界に裏切られた時」


「今は?」


「まだ止まっている部分はある。でも……少しだけ進んだ」


 ユノは何も言わなかった。


 言葉にすると壊れてしまいそうな静けさだった。


 しばらく二人で時計塔を見上げた。


 やがてリゼが言った。


「明日、王城へ向かう」


「ああ」


「黒い羽根の者は、そこで待っているはず」


「罠だろうな」


「間違いなく」


「それでも行く」


「ええ」


 ユノは空を見上げた。


 星は見えない。


 けれど星灯りの剣が手首の輪の中で静かに眠っている。


 その小さな光を感じることはできた。


「俺、剣をうまく使えるかな」


「最初からうまく使える人はいないわ」


「リゼも?」


「私も」


「魔女なのに?」


「魔女でも失敗する。むしろ、失敗を知っている者ほど慎重になる」


 リゼはユノを見る。


「剣を振るう時、忘れないで。怒りではなく、名前を呼ぶために使うこと」


「分かってる」


「怒りは簡単よ。相手を壊せばいい。でも、名前を呼ぶのは難しい。相手が怪物でも、罪人でも、敵でも、その奥に残るものを見なければいけない」


 エリオを思い出した。


 灰騎士。


 魔女狩りの騎士。


 けれど最後に妹の名前を呼んだ男。


「難しいな」


「ええ」


「でも、やる」


「そう言うと思った」


 リゼは少し笑った。


 その笑顔は本当に小さかった。


 でも、ユノには星より明るく見えた。


 夜が明ける前、二人は野営地へ戻った。


 ミアは寝返りを打ち、寝言で「歯車が足りない……」と呟いていた。


 ユノは思わず吹き出しそうになる。


 リゼが不思議そうに聞く。


「何の夢かしら」


「たぶん機械の夢」


「ミアらしいわね」


 やがて東の空が少しずつ明るくなった。


 灰色の雲の隙間から、薄い光が差し込む。


 朝だった。


 希望というには弱すぎる光。


 けれど夜を終わらせるには十分な光。


 ミアが目を覚ましたのは、その頃だった。


「……寒い」


「おはよう」


 ユノが言うと、ミアはぼんやりした顔で彼を見る。


「ユノ……生きてる?」


「生きてるよ」


「よかった……」


「寝起きの第一声がそれか」


「ここだと確認大事でしょ」


 ミアは起き上がり、目をこすった。


 それから自分の名前を呟く。


「ミア」


 ユノも続ける。


「ユノ」


 リゼも言った。


「リゼ」


 三人の朝は、名前を呼ぶことから始まった。


 簡単な食事を取り、荷物をまとめる。


 ミアは工具袋の紐を締め直し、ユノの肩の包帯も確認した。


「傷、開いたらすぐ言って」


「分かった」


「我慢したら怒る」


「分かったって」


 リゼは金属筒に入れた王の名の欠片を確認し、星涙石を別の袋へ入れた。


 ユノは手帳と星針盤を懐へしまう。


 そして右手首に触れた。


 星灯りの剣の模様が、朝の光の中でかすかに輝いている。


 ユノは深く息を吸った。


 王城へ向かう。


 黒い羽根の者が待つ場所へ。


 星喰いの王の名に近づく場所へ。


 怖さは消えない。


 むしろ、朝になってはっきり見えるようになった。


 でも、もう足は止まらなかった。


「行こう」


 ユノが言った。


 ミアが頷く。


「うん」


 リゼも静かに答える。


「ええ」


 三人は壊れた時計塔を背にして歩き出した。


 塔の針は動き続けている。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 その音は、旅立ちの合図のようだった。


 廃墟の道には灰が積もっている。


 けれど、朝の光を受けた灰は、ほんの少しだけ銀色に輝いていた。


 ユノは振り返らない。


 前を見る。


 灰の王国の王城は、遠く黒い影のようにそびえている。


 そこに何が待っているとしても。


 忘れられた名前を呼ぶために。


 星のない空へ、もう一度光を返すために。


 ユノたちは、旅立ちの朝を歩き始めた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、灰の王国の廃墟で迎える“旅立ちの朝”を描きました。


 星灯りの剣を手にしたユノ。

 過去の記憶と向き合い始めたリゼ。

 自分にできることを探しながら進むミア。


 三人はそれぞれ不安や恐怖を抱えています。

 けれど、名前を呼び合うことで、自分たちが今ここにいることを確かめながら前へ進んでいきます。


 旅はまだ始まったばかりです。

 けれどこの朝は、ユノたちにとって大きな区切りになりました。


 次のページは『置いてきた故郷』です。

 王城へ向かう道中、ユノはルグナの記憶と父の言葉を思い出し、自分が本当に守りたいものと向き合うことになります。

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