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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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星灯りの剣

武器とは、誰かを傷つけるためだけのものなのでしょうか。


 それとも、守れなかったものを、今度こそ守るために握るものなのでしょうか。


 壊れた時計塔で、ユノたちは星喰いの王の名の欠片――“ル”という一音を手に入れました。


 しかし、その名の欠片に触れたことで、ユノの力はさらに強く、そして危うくなっていきます。


 このページでは、ユノが父の遺したもうひとつの手がかり、“星灯りの剣”へ導かれます。


 それは英雄の剣ではありません。

 誰かを倒すためだけの剣でもありません。


 失われた名前を照らし、忘却の闇を切り開くための剣です。

壊れた時計塔の鐘は、まだ鳴り続けていた。


 ゴォン。


 ゴォン。


 ゴォン。


 千年もの間、十一時五十七分で止まっていた針が、十二時を越えて少しずつ進んでいる。


 灰の王国の空へ、重い鐘の音が広がっていく。


 その音は祝福のようでもあり、葬送の鐘のようでもあった。


 ユノは時計塔の最上階で膝をつき、荒い息を吐いていた。


 頭が痛い。


 身体が重い。


 星喰いの王の名の欠片に触れた瞬間、頭の奥に響いた一音。


 ――ル。


 たったそれだけの音なのに、心の奥を爪で引っかかれたような感覚が残っている。


 その音を思い出そうとすると、視界が黒く歪む。


 まるで、何か巨大なものが記憶の奥からこちらを見ているようだった。


「ユノ」


 リゼの声がした。


 ユノの右手首にある銀の輪が、かすかに温かくなる。


 その温度で、自分が今ここにいることを思い出す。


 灰の王国。


 壊れた時計塔。


 リゼ。


 ミア。


 自分の名前は、ユノ。


「大丈夫?」


 ミアが心配そうに覗き込む。


 彼女の頬には灰がついていた。


 さっきまで泣いていたせいで、目元が赤い。


「大丈夫……だと思う」


「その言い方、全然大丈夫じゃない」


 ミアは水筒を差し出した。


 ユノは受け取り、水を飲む。


 喉を通る冷たさで、少しだけ意識がはっきりした。


「名の欠片は?」


 ユノが聞くと、リゼは布に包んだ黒銀の欠片を見せた。


 小指の爪ほどの小さな破片。


 だが、その周囲だけ空気が重く沈んでいる。


 星涙石とは違う。


 星涙石は温かい光だ。


 けれど王の名の欠片は、底のない穴のようだった。


「触らないで」


 リゼが言った。


「あなたはすでに一度触れている。これ以上触れれば、名に引き込まれる」


「名に引き込まれる?」


「星喰いの王の存在に近づきすぎるということ」


「近づくとどうなる」


 リゼは少し黙った。


「あなたの名前が、王の名に上書きされるかもしれない」


 ミアの顔が青ざめた。


「そんなの駄目!」


「だから布で封じている」


 リゼは欠片を慎重に小さな金属筒へ入れた。


 オルド老人にもらった古い地図筒を加工したものだった。


「王の名の欠片は、星涙石とは別に保管する。絶対に一緒にしないで」


「一緒にしたら?」


「星涙石の記憶が汚染される」


「……怖いことばっかりだな」


「怖がっていいものよ」


 リゼは金属筒を鞄の奥へしまった。


 その時、時計塔の機構が大きく軋んだ。


 ギギギ、と歯車が回り、止まっていた鐘の振り子がゆっくり揺れる。


 塔全体がかすかに震えた。


 ミアが顔を上げる。


「崩れたりしないよね?」


「その可能性はあるわ」


「そういうのは早く言って!」


 ユノたちは急いで螺旋階段を下りた。


 塔の中には、まだ過去の声が残っていた。


 けれど、さっきまでのようにユノたちを飲み込もうとはしない。


 魔女を焼け、という怒号も、助けを求める叫びも、遠くなっていた。


 まるで千年間閉じ込められていた記憶が、ようやく眠る準備をしているようだった。


 外へ出ると、広場は静かだった。


 魔女裁判の幻はもう消えている。


 群衆も、黒翼騎士団も、幼いリゼもいない。


 ただ、灰が降っていた。


 雪のように、ゆっくりと。


 リゼは広場の中央に立ち、しばらく何も言わなかった。


 ユノは彼女の隣に立つ。


「リゼ」


「……大丈夫」


「まだ何も聞いてない」


「聞く前に答えただけ」


 リゼは静かに時計塔を見上げた。


 動き始めた針は、十二時を少し過ぎている。


「ここで止まっていた時間が、動いた」


「ああ」


「それなのに、胸が軽くならないのね」


 リゼの声は小さかった。


「過去が消えたわけじゃないからかな」


 ユノが言うと、リゼは彼を見た。


「あなたは時々、痛いことを言う」


「悪い」


「違う。必要な痛みよ」


 リゼは灰を手のひらで受けた。


 灰は彼女の白い手の上で、淡く光って消えた。


「忘れれば楽になる。黒い羽根の者はそう言った」


「でも、忘れたくないんだろ」


「ええ」


 リゼはうなずいた。


「苦しくても、忘れたくない。姉様のことも、魔女たちのことも、この国で起きたことも」


「なら、俺も覚えてる」


 リゼの銀の輪が淡く光った。


「ありがとう」


 ミアが少し離れた場所から声を上げた。


「二人とも! ちょっと来て!」


 ユノとリゼは顔を見合わせ、ミアの方へ向かった。


 彼女は時計塔の裏側にある崩れた石壁の前に立っていた。


 そこには、半分灰に埋もれた地下への扉があった。


 扉は黒い鉄でできていて、中央に星白王国の紋章が刻まれている。


 ただし、その紋章の上から黒い羽根の傷が深く刻まれていた。


「これ、さっきまでなかったよ」


 ミアが言った。


「時計塔の時間が動いたから出てきたのかも」


 リゼは扉に触れようとして、手を止めた。


 ユノがそれに気づく。


「どうした?」


「この扉……魔女の封印がかかっている」


「黒翼騎士団じゃなくて?」


「ええ。魔女が何かを守るために閉じた扉」


「開けられるのか」


「たぶん。でも……」


 リゼは扉の紋章を見つめた。


「この封印の形、知っている」


「誰のもの?」


 リゼは唇を噛んだ。


「姉様の封印」


 ユノは息を止めた。


 リゼの姉。


 第七坑道の魔女の墓場で、棺の中に眠っていた金色の瞳の少女。


 彼女がこの灰の王国にも何かを残していた。


「姉様は、ここで何かを隠した」


 リゼは震える指で扉に触れた。


 銀色の光が広がる。


 扉に刻まれた紋章が、少しずつ浮かび上がった。


 星の形。


 その中心に、剣の模様。


 ユノの胸元で、父の星針盤が震えた。


「え?」


 ユノは星針盤を取り出した。


 針は激しく揺れ、扉の奥を指している。


 同時に、父の手帳も淡く光った。


 ユノは慌てて手帳を開く。


 最後の方の白紙だったページに、文字が浮かび上がった。


 ――時計塔の下。

 ――星灯りの剣。

 ――ユノが鍵となる時、剣は目覚める。

 ――これは人を斬るための剣ではない。

 ――忘却を斬るための光。


 ユノは息を呑んだ。


「星灯りの剣……」


 ミアが目を丸くする。


「剣って、武器?」


「父さんの手帳に書いてある」


 リゼは手帳の文字を見つめ、静かに言った。


「星灯りの剣は、伝承にあるわ」


「どんな剣なんだ」


「星の記憶を鍛えて作られた剣。星喰いの闇を切り裂くことができる唯一の武器だと言われていた」


「唯一の武器……」


「でも、実在しないと思われていた」


 ユノは扉を見た。


 父はこれを知っていた。


 なぜ。


 父はただの炭鉱夫だったはずだ。


 第七坑道で星を見つけただけではない。


 星涙石、星針盤、王の名、そして星灯りの剣。


 父はいったい、どこまで知っていたのか。


 リゼが扉に手を当てる。


「開けるわ」


「大丈夫か?」


「姉様の封印なら、私に反応するはず」


 彼女は目を閉じ、古い言葉で何かを唱えた。


 銀の光が扉全体を包む。


 しかし、扉は開かない。


 代わりに、低い声が響いた。


『名を示せ』


 ユノたちは身構えた。


 声は扉から聞こえている。


 リゼが答えた。


「リゼ。星の封印に眠りし十三番目の魔女」


 扉は沈黙した。


 そしてまた声が響く。


『鍵の名を示せ』


 リゼがユノを見る。


 ユノは一歩前へ出た。


「ユノ。ルグナの炭鉱町で生まれた者。星涙石に選ばれた鍵」


 扉の紋章が強く光った。


『守るものを示せ』


 ユノは迷わなかった。


「名前」


 声が止まる。


 ユノは続けた。


「消された人の名前。忘れられた人の記憶。まだ生きている人の明日。俺は、それを守りたい」


 扉の奥で、何かが動いた。


『斬るものを示せ』


 ユノは拳を握る。


「星喰い」


 言いかけて、止まった。


 本当にそれだけか。


 エリオを思い出す。


 怪物にされた騎士。


 魔女を憎むように壊された人間。


 黒い羽根の者の言葉。


 忘却こそ救い。


 ユノは首を振った。


「いや、違う」


 リゼとミアがユノを見る。


 ユノは扉へ向き直った。


「俺が斬りたいのは、忘却だ」


 銀色の光が爆発した。


 扉の鎖が砕ける。


 黒い鉄扉がゆっくり開いた。


 中から、冷たい星の光が流れ出した。


 地下への階段が続いている。


 三人は慎重に降りた。


 階段の壁には、古代文字が刻まれている。


 リゼが読みながら進む。


「星を刃に。記憶を灯に。名を鞘に。忘却を断つ者へ」


「何かすごそう」


 ミアが小さく言う。


「でも、嫌な感じはしないね」


「姉様の封印だから」


 リゼの声には、ほんの少しだけ温かさがあった。


 階段の先には、小さな地下室があった。


 灰の王国の地下とは思えないほど清らかな場所だった。


 壁も床も白い石でできていて、天井には星のような結晶が埋め込まれている。


 部屋の中央には、一本の剣が浮いていた。


 剣と呼ぶには、少し不思議な形だった。


 刃は透明で、内側に銀色の光が流れている。


 金属というより、光そのものを固めたような刃。


 柄は黒い古木でできていて、中央には小さな星涙石が埋め込まれている。


 それは美しかった。


 でも、ただ美しいだけではない。


 見ていると、胸の奥に眠る記憶が静かに照らされるような感覚があった。


「星灯りの剣……」


 リゼが呟いた。


「本当にあったのね」


 ユノは一歩近づいた。


 剣の光が、ユノの胸元の星涙石と共鳴する。


 手首の銀の輪も淡く輝いた。


「触っていいのか?」


 ユノが聞くと、リゼは真剣な顔で言った。


「慎重に。剣は使い手を選ぶ」


「選ばれなかったら?」


「最悪、記憶を焼かれる」


「また最悪が重いな……」


 ミアがユノの袖を掴む。


「無理しないで」


「分かってる」


「分かってないから言ってるの」


 ユノは苦笑した。


 それから剣へ手を伸ばす。


 指先が柄に触れた瞬間、世界が白く染まった。


 そこは、どこか懐かしい場所だった。


 ルグナの屋根の上。


 幼いユノが座っている。


 隣には父がいた。


 父は夜空を見上げている。


 星がまだ今より多かった頃。


「ユノ」


 父が言った。


「星が消えても、空を見上げることをやめるな」


 幼いユノが首を傾げる。


「なんで?」


「誰かが見ていないと、本当に消えてしまうからだ」


「見るだけで守れるの?」


「最初はな」


 父は笑った。


「見ること。覚えること。名前を呼ぶこと。それが守ることの始まりだ」


 景色が変わる。


 第七坑道。


 父が星針盤を持っている。


 隣には、見知らぬ女性が立っていた。


 顔は見えない。


 けれど、銀色の光をまとっている。


 魔女だ。


 父はその女性から、星灯りの剣の話を聞いていた。


「いつか、あの子が必要とする」


 女性の声。


「あの子?」


 父が聞く。


「星に選ばれた子。世界が忘れようとしている名前を聞ける子」


「ユノのことか」


「ええ」


 父は拳を握った。


「あいつには、普通に生きてほしかった」


「普通の世界が残れば、そうできる」


 女性は静かに言った。


「でも、世界はもう普通ではいられない」


 父は目を閉じた。


 苦しそうだった。


「俺に何ができる」


「道を残して」


 女性は答えた。


「剣は時計塔の下にある。けれど、使うには鍵が必要。あなたの記憶が、その子を導く」


 父はしばらく黙っていた。


 やがて、静かに頷いた。


「分かった」


 景色がまた変わる。


 父が手帳を書いている。


 手が震えている。


 外では坑道が崩れる音がしている。


 父は最後の力で文字を刻んだ。


 ――ユノ。

 ――お前に背負わせたくなかった。

 ――でも、もしこの手帳を読んでいるなら、世界はまだお前を必要としている。

 ――星灯りの剣は、人を殺すために握るな。

 ――忘れられた名前を照らすために使え。

 ――そして、どうか。

 ――お前自身の名前を、最後まで忘れるな。


「父さん!」


 ユノは叫んだ。


 父が顔を上げる。


 彼は笑っていた。


 泣きそうな顔で。


「ごめんな、ユノ」


「待って!」


「生きろ」


 景色が砕けた。


 ユノは現実に戻った。


 地下室。


 星灯りの剣。


 リゼとミア。


 自分の手には、剣の柄が握られていた。


 剣は軽かった。


 驚くほど。


 まるで最初からユノの手に収まるために作られたようだった。


 ミアが息を呑む。


「持てた……」


 リゼの赤い瞳が揺れている。


「剣が、あなたを認めた」


 ユノは剣を見つめた。


 刃の中で、無数の小さな光が流れている。


 それは星の記憶だった。


 誰かの名前。


 誰かの祈り。


 誰かの涙。


 そのすべてが、刃の中で静かに灯っている。


 ユノの目から涙が落ちた。


「父さん……知ってたんだ」


 リゼは黙っていた。


 ユノは剣を握りしめる。


 その瞬間、刃から光が広がった。


 地下室の壁に、隠されていた文字が浮かび上がる。


 リゼがそれを読む。


「星灯りの剣は、忘却を斬る。だが、斬った記憶は消えない。使い手の心に流れ込む」


「どういう意味?」


 ミアが聞く。


 リゼの表情が重くなる。


「この剣で星喰いの闇や呪いを斬れば、そこに奪われた記憶がユノへ流れ込む」


「つまり……」


「使うほど、ユノは他人の記憶を背負うことになる」


 ミアの顔が青ざめる。


「そんなの危険すぎる!」


「危険よ」


 リゼはユノを見た。


「でも、星喰いに対抗できる大きな力でもある」


 ユノは剣を見た。


 父の言葉。


 人を殺すために握るな。


 忘れられた名前を照らすために使え。


 この剣は、強い。


 きっと、星喰いの欠片も、黒翼の呪印も斬れる。


 でもそのたびに、ユノは誰かの記憶を背負う。


 痛みも、悲しみも、罪も。


「ユノ」


 ミアが不安そうに呼んだ。


「使わないって選択肢もあるよ」


「うん」


「全部背負わなくていいんだよ」


「うん」


 ユノは頷いた。


 でも剣から手を離さなかった。


「全部は背負えない」


 正直に言った。


「でも、目の前で誰かの名前が消えそうなら、俺はたぶん使う」


「ユノ……」


「だから、その時は止めてくれ。俺が無理しすぎたら」


 ミアは唇を噛んだ。


 そして、小さく頷いた。


「絶対止める」


 リゼが静かに言う。


「私も止めるわ」


「頼む」


「その代わり、あなたも忘れないで」


「何を?」


「あなたは剣ではない」


 リゼの声は強かった。


「星灯りの剣を持ったからといって、あなたが武器になる必要はない。あなたはユノ。忘れられた名前を呼ぶ人間よ」


 ユノの胸が温かくなった。


 銀の輪が静かに光っている。


「ああ」


 ユノは頷いた。


「忘れない」


 その時、地下室の入口から拍手の音が聞こえた。


 乾いた音。


 ぱち、ぱち、ぱち。


 三人は一斉に振り返った。


 階段の上に、黒い外套の者が立っていた。


 黒い羽根の紋章。


 顔は影に隠れている。


「素晴らしい」


 その声は穏やかだった。


「星灯りの剣まで目覚めさせるとは。やはり君は鍵だ、ユノ」


 ユノは剣を構えた。


 だが手が震えた。


 初めて握る剣。


 構え方すら分からない。


 黒い外套の者は笑う。


「安心するといい。今は戦うつもりはない」


「信用できるか」


「信用しなくていい。ただ、贈り物を見届けに来ただけだ」


「贈り物?」


 黒い外套の者は、時計塔の上を指差した。


「王の名の欠片。星灯りの剣。そして魔女との契約。君は順調に役者を揃えている」


「お前が誘導したのか」


「一部は」


 リゼが鋭く言った。


「なぜ」


「王の名を完成させるには、鍵が必要だから」


 黒い外套の者の声が低くなる。


「星喰いの王の名は、普通の者には聞けない。魔女にも、騎士にも、王族にも無理だった。だが君なら聞ける」


「俺を利用するつもりか」


「すでにしている」


 ユノの怒りが込み上げる。


 剣の刃が銀色に光った。


 黒い外套の者は嬉しそうに首を傾げる。


「怒りで剣を振るうな。星灯りの剣は、怒りに染まると記憶を焼く」


 ユノは歯を食いしばった。


 挑発だ。


 乗るな。


 リゼの銀の輪が温かくなる。


「ユノ」


 その声で、ユノは踏みとどまった。


 黒い外套の者は満足そうに笑った。


「次に向かうべき場所を教えよう」


「聞くと思うか?」


「聞くしかない」


 彼は静かに言った。


「灰の王国の王城へ行け。そこに、二つ目の手がかりがある。王の名の欠片そのものではないが、海底都市へ続く扉が眠っている」


「海底都市……」


 構成一覧で次の大きな目的地となる場所。


 だが今のユノたちは、まだ灰の王国の深部にも辿り着いていない。


「なぜ教える」


 リゼが問う。


「君たちが進まなければ、王の名は完成しない」


「完成させて、世界を忘却で救うため?」


「そうだ」


 黒い外套の者はまったく揺らがない。


「この世界は覚えすぎた。罪も、憎しみも、悲しみも。ならば王の名によって、すべてを白に戻す」


「そんなものは救いじゃない!」


 ミアが叫んだ。


 黒い外套の者はミアを見た。


「君はまだ知らないだけだ。忘れたいほどの記憶を」


 ミアは言葉を詰まらせた。


 ユノは剣を握り直す。


「俺は忘れない」


「今はそう言う」


「何度でも言う」


 ユノは一歩踏み出した。


「俺は忘れない。忘れさせない。この剣は、そのために使う」


 星灯りの剣が強く光った。


 黒い外套の者は、初めて少しだけ沈黙した。


 そして、静かに言った。


「ならば進め、鍵よ。忘れないことが、どれほど残酷かを知るために」


 次の瞬間、彼の姿は黒い羽根となって散った。


 地下室には静寂が戻った。


 ミアが震えた声で言う。


「本当に嫌な人……」


「人かどうかも分からないわ」


 リゼは床に落ちた黒い羽根を見つめた。


「でも、王城へ行く必要はある」


「罠でも?」


「罠でも」


 ユノは星灯りの剣を見た。


 父が残した剣。


 忘却を斬る光。


 この剣を握った以上、もう後戻りはできない気がした。


 けれど、リゼの言葉を思い出す。


 あなたは剣ではない。


 ユノは剣を鞘に収めようとして、鞘がないことに気づいた。


「これ、どうやって持ち歩くんだ?」


 その瞬間、剣は光になって消えた。


「えっ」


 ミアが驚く。


 ユノの右手首の銀の輪に、小さな剣の模様が浮かんだ。


 リゼが言った。


「星灯りの剣は、必要な時だけ形を取る。普段は契約の光に宿るみたいね」


「便利……」


 ミアが呟く。


 リゼはすぐに言う。


「便利ではないわ」


「もうそれ聞き飽きた」


 ユノは少し笑った。


 こんな状況なのに笑えたことが、不思議だった。


 三人は地下室を出た。


 外では時計塔の針が進み続けている。


 灰はまだ降っているが、空気は少しだけ軽くなっていた。


 ユノは塔を見上げる。


 父の記憶。


 姉の封印。


 星灯りの剣。


 すべてがここで繋がった。


 次は王城だ。


 灰の王国の中心へ。


 黒い羽根の者が示した場所へ。


 罠だとしても、進むしかない。


 ユノは手首の銀の輪に触れた。


「ユノ」


 自分の名前を呼ぶ。


 ミアが続ける。


「ミア」


 リゼも言う。


「リゼ」


 三人の名前が、動き始めた時計塔の下に響いた。


 忘却を斬る剣は、ユノの中で静かに眠っている。


 けれどその光は、確かにあった。


 星のない空の下でも。


 灰に閉ざされた王国の中でも。


 失われた名前を照らすための灯りが、ユノの手の中に宿ったのだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、ユノが父の遺した手がかりから“星灯りの剣”を手にしました。


 星灯りの剣は、ただ敵を倒すための武器ではありません。

 星喰いの忘却を斬り、失われた名前や記憶を照らすための剣です。


 けれど、その力には大きな代償があります。


 忘却を斬れば、そこに閉じ込められていた記憶がユノへ流れ込む。

 つまりユノは、剣を使うたびに誰かの痛みや悲しみを背負うことになります。


 父が残した言葉。

 リゼの姉が施した封印。

 そして黒い羽根の者の誘導。


 すべてがユノを、灰の王国のさらに奥へ進ませようとしています。


 次のページは『旅立ちの朝』です。

 灰の王国の王城へ向かう前に、ユノたちは一度この廃墟で夜を明かし、それぞれが“旅を続ける覚悟”と向き合うことになります。

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