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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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壊れた時計塔

時間は、本当に前へ進んでいるのでしょうか。


 昨日を忘れ、今日を繰り返し、明日へ辿り着けない場所があるとしたら。

 そこにいる人々は、生きていると言えるのでしょうか。


 灰の王国で、ユノたちは最初の怪物――灰騎士エリオと出会いました。


 怪物になってもなお、最後に妹の名前を思い出した彼の姿は、ユノたちの胸に深く残ります。


 このページでは、灰の王国の奥にある“壊れた時計塔”へ向かいます。


 止まった時間。

 繰り返される一日。

 そして、壊れた時計塔に隠された黒翼騎士団の記憶。


 ユノたちは、またひとつ、この国の罪へ近づいていきます。

灰騎士エリオが消えた場所には、まだ灰が残っていた。


 風が吹くたび、その灰は少しずつ廃墟の空へ舞い上がり、焦げた匂いを含んだ空気に溶けていく。


 ユノはしばらく、その場所から動けなかった。


 怪物だった。


 確かに怪物だった。


 爪は鋭く、身体は巨大で、魔女を殺すためだけに動いていた。けれど最後に名前を取り戻したエリオは、ただの苦しんでいる人間に見えた。


 妹の名前を思い出して、灰になった。


 リナ。


 その名を、ユノは何度も心の中で繰り返した。


 忘れないために。


「ユノ」


 ミアが声をかけた。


 彼女は心配そうにユノの肩を見ている。


 灰騎士の爪が掠めた傷は浅くはなかった。包帯はすでに赤く滲んでいる。


「少し休もうよ」


「でも、先へ進まないと」


「進むために休むの」


 ミアはきっぱり言った。


 こういう時のミアは強い。


 ユノが反論しようとしても、彼女は工具袋から薬草と布を取り出し、半ば強引にユノを崩れた石段へ座らせた。


「痛む?」


「少し」


「少しって顔じゃない」


「じゃあ、結構」


「最初からそう言って」


 ミアは傷口を確認しながら眉を寄せた。


「深くはないけど、ちゃんと手当てしないと熱出るよ」


「分かった」


「本当に?」


「本当」


「信用ないなぁ」


 ミアはそう言いながらも、手際よく包帯を替えてくれた。


 リゼは少し離れた場所に立ち、エリオが残した黒い羽根の鍵を見つめている。


 鍵は小さな金属片だった。


 黒い羽根の形をしていて、中心に赤黒い線が走っている。


 それを見るだけで、ユノの胸には嫌な感覚が広がった。


「リゼ」


「何?」


「その鍵で灰の王国に入れるんだよな」


「おそらく。黒翼騎士団の通行証なら、封鎖された門や地下通路を開けられるはず」


「騎士団って、まだいるのかな」


 ミアが小さく聞いた。


 リゼはすぐには答えなかった。


 灰色の城壁の奥を見つめる。


「本来なら、千年前に滅んでいるはずよ」


「でも、黒い羽根の人はいた」


「ええ」


「エリオも、千年前の騎士だった」


「灰騎士は生きていたわけではないわ。呪印に縛られた残骸よ」


「じゃあ、黒い羽根の人も残骸?」


 リゼは首を振った。


「違う気がする」


 声が低かった。


「彼は意思を持っている。星涙石を利用し、記憶を奪い、私たちを灰の王国へ誘導している」


「誘導……」


 ユノは胸元の星涙石を握った。


 確かに、ここまでの道には黒い羽根の痕跡が多すぎた。


 夜空の墓場。

 フェルカの村。

 壊れた結界の石橋。

 そして灰騎士エリオ。


 まるで誰かが、ユノたちを試しながらここへ導いているようだった。


「何のために」


 ユノが呟くと、リゼは黒い鍵を手の中で握った。


「それを知るためにも、進むしかない」


 三人は再び歩き出した。


 廃墟の道は、灰で白く覆われていた。


 建物の壁には黒い焦げ跡が残り、石畳には馬車の車輪跡が焼きついたまま消えていない。


 この国では、時間そのものが千年前の火事を覚えているようだった。


 ユノたちは名前を呼び合いながら進んだ。


「ユノ」


「ミア」


「リゼ」


 声を出すたび、記憶の灰に飲まれそうになる感覚が少し薄れる。


 けれど、奥へ進むほど景色は奇妙になっていった。


 焼け落ちた家の窓から、笑い声が聞こえる。


 誰もいない市場に、売り子の声が響く。


 崩れた噴水の周りを、見えない子どもたちが走っているような足音がする。


 ミアが肩を震わせた。


「ねえ……聞こえる?」


「聞こえる」


「人、いないよね」


「いない」


「じゃあ何?」


 リゼが答えた。


「記憶の反響」


「また記憶……」


「灰の王国には、燃え残った記憶が多すぎる。現実と過去の境界が薄くなっているの」


「つまり幽霊みたいなもの?」


「近いけれど違うわ」


「もう幽霊でいいよ……」


 ミアは青ざめながらユノの袖を掴んだ。


 ユノも怖くないわけではない。


 だが、この場所に漂うものは、ただの恐怖ではなかった。


 悲しみだ。


 消えきれなかった悲しみ。


 やがて、道の先に大きな広場が見えた。


 広場の中央には、高い時計塔が立っていた。


 灰色の石で作られた塔。


 上部は半分崩れ、巨大な時計盤には亀裂が走っている。


 針は二本とも、同じ時刻を指して止まっていた。


 十一時五十七分。


 あと三分で日付が変わる時間。


 だが、その針は千年もの間、そこで止まっているように見えた。


「あれが……壊れた時計塔」


 リゼが呟いた。


 その声には、かすかな緊張があった。


「知ってるのか?」


「星白王国の中央広場にあった時計塔よ。王都の時間を告げる場所だった」


「ここが王都?」


「外縁の一部ね。本来の王城はもっと奥」


 ミアが時計塔を見上げる。


「針、止まってるね」


「千年前、魔女裁判の日に止まった」


 リゼの声が硬くなる。


「王が魔女の処刑を命じた夜。最初の火が放たれる三分前に」


 ユノは時計盤を見た。


 十一時五十七分。


 火が放たれる三分前。


 この塔は、その瞬間で壊れている。


 広場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 風が止まる。


 灰が宙で静止する。


 ユノは息を呑んだ。


「何だ……?」


 次の瞬間。


 鐘が鳴った。


 ゴォン。


 壊れているはずの時計塔から、重い鐘の音が響く。


 ユノは耳を押さえた。


 視界が歪む。


 広場の廃墟が、ふいに色を取り戻した。


 焼け落ちていた建物が元に戻り、石畳から灰が消え、人々の姿が現れる。


 市場の屋台。


 笑いながら歩く親子。


 水を運ぶ女。


 馬車を引く男。


 王都の広場は、突然千年前の姿になった。


「え……?」


 ミアが呆然とする。


 ユノも言葉を失った。


 人々は三人に気づかない。


 まるで過去の映像の中に入り込んだようだった。


 リゼだけが青ざめていた。


「まずい……」


「何が?」


「時間の記憶に取り込まれた」


 その時、広場の人々が一斉に時計塔を見上げた。


 針は十一時五十七分。


 鐘がまた鳴る。


 ゴォン。


 広場の端から、黒翼騎士団が現れた。


 黒い鎧。


 黒い羽根の旗。


 鎖に繋がれた魔女たち。


 ユノの胸が冷たくなる。


 その中に、幼いリゼがいた。


 今のリゼよりさらに小さい。


 銀色の髪を乱し、両手を鎖で縛られ、裸足で歩かされている。


 ユノは思わず現在のリゼを見た。


 彼女は過去の自分を見つめたまま、動けなくなっていた。


「リゼ」


 ユノが呼ぶ。


 銀の輪がかすかに光る。


 だがリゼは反応しない。


 彼女の目は、完全に過去へ奪われていた。


「リゼ!」


 もう一度呼ぶと、リゼの肩が震えた。


「……見たくない」


 小さな声だった。


「でも、目を逸らせない」


 ユノは何も言えなかった。


 目の前で、過去のリゼが広場の中央へ引き出される。


 群衆が叫んでいた。


「魔女を裁け!」


「星を返せ!」


「災厄を焼け!」


 怒声。


 石が投げられる。


 幼いリゼの頬に当たり、血が流れた。


 ユノの手が震えた。


「やめろ……」


 声は過去の人々には届かない。


 幻だ。


 記憶だ。


 分かっているのに、胸が焼けるように痛かった。


 ミアも涙目になっている。


「ひどい……こんなの……」


 広場の高台に、一人の王が立っていた。


 白いマント。


 金の王冠。


 だが顔は黒い影で隠れている。


 記憶がそこだけ欠けているのだ。


 王は手を上げた。


「星が消えたのは、魔女が星を盗んだからである」


 群衆がさらに叫ぶ。


「魔女を焼け!」


「魔女を殺せ!」


 王は続けた。


「この国は、星を取り戻すため、すべての魔女を断罪する」


 その声を聞いた瞬間、リゼの身体が震えた。


「違う……」


 彼女は呟いた。


「私たちは、守ろうとしたのに……」


 ユノはリゼの手首を掴んだ。


 銀の輪が熱い。


「リゼ、これは過去だ」


「分かってる」


「今はここにいる。俺たちといる」


「分かってる!」


 リゼの声が初めて荒くなった。


 だがその瞳は、過去の炎から離れない。


 時計塔の針が動いた。


 十一時五十八分。


 ゴォン。


 時間が進んだ。


 広場の空気がさらに重くなる。


 黒翼騎士が松明を持って進み出る。


 魔女たちの足元に薪が積まれている。


 ユノは息が苦しくなった。


「これ、最後まで見ないと出られないのか?」


 ミアが震えながら聞く。


 リゼは答えない。


 代わりに、広場の奥から声が聞こえた。


「いいえ」


 三人は振り返った。


 時計塔の入口に、黒い外套の人物が立っていた。


 黒い羽根の紋章。


 フェルカで見た者。


 ユノの胸に怒りが燃え上がる。


「お前……!」


 黒い外套の者は、ゆっくり頭を下げた。


「ようこそ、灰の王国へ。鍵よ。魔女よ。そして、記録を持たぬ娘よ」


 ミアが身構える。


「誰が記録を持たぬ娘よ!」


「あなたの名は、まだ星に深く刻まれていない」


「は?」


「だからこそ、あなたは面白い」


 ユノは前に出た。


「お前は誰だ」


「名を持たぬ者に、名を尋ねるのか」


「ふざけるな」


「ふざけてなどいない。名はすでに捨てた」


 黒い外套の者は時計塔を見上げた。


「ここは、灰の王国が罪を犯した時刻を閉じ込めた場所。壊れた時計塔は、千年前から同じ三分を繰り返している」


「何のために」


 リゼが低く聞いた。


 黒い外套の者は彼女を見た。


「忘れないためだよ、魔女リゼ」


「あなた……私を知っているのね」


「もちろん。君は封印の核。星喰いを千年眠らせた最後の魔女」


「あなたは黒翼騎士団の者?」


「かつては」


 黒い外套の者は笑った。


「今は、王の名を探す者」


 ユノは拳を握る。


「星喰いの王の名を取り戻してどうするつもりだ」


「救う」


「誰を」


「すべてを」


 その答えがあまりにも穏やかだったため、ユノは逆に寒気を覚えた。


「忘却こそが救いだ。名前があるから人は苦しむ。記憶があるから憎しみが続く。ならば、すべてを忘れればいい」


「それは救いじゃない」


「フェルカの子にも同じことを言ったのだろう」


 ユノの目が鋭くなる。


「ノアの母親を奪ったのはお前か」


「奪ったのではない。痛みを軽くした」


「ふざけるな!」


 ユノは星涙石を握った。


 だがリゼが腕を掴む。


「挑発に乗らないで」


 黒い外套の者は楽しそうに首を傾げた。


「契約したのか。銀環契約とは懐かしい」


 リゼの表情が変わる。


「なぜ知っているの」


「黒翼騎士団は、魔女を殺すために魔女を学んだ」


 その言葉に、リゼの手が震えた。


 ユノはリゼの名前を呼んだ。


「リゼ」


 銀の輪が光る。


 リゼは呼吸を整えた。


「ありがとう」


 小さな声だった。


 時計塔の針がまた動く。


 十一時五十九分。


 ゴォン。


 広場の炎が大きくなる。


 過去の黒翼騎士が松明を掲げる。


 幼いリゼが顔を上げる。


 その瞳には恐怖があった。


 でも同時に、怒りもあった。


 黒い外套の者が言った。


「この三分の中に、王の名の欠片がある」


「何?」


「灰の王国の王が魔女を裏切った時、彼は星喰いの王の名を一部だけ聞いた。その恐怖に耐えられず、名の欠片を時計塔へ封じた」


「じゃあ、ここに……」


「そう。欲しければ塔の中へ入るがいい」


 ユノは時計塔を見る。


 扉は開いている。


 中は暗い。


「罠だろ」


「もちろん」


 黒い外套の者はあっさり言った。


「だが、進むしかない。君たちはそういう者たちだ」


 ユノは歯を食いしばった。


 悔しいが、その通りだった。


 リゼが黒い外套の者を睨む。


「あなたの目的は何」


「王の名を完成させること」


「完成させれば、星喰いの王が目覚める」


「そうだ」


「それで救いだと言うの?」


「すべての記憶が消えれば、罪も罰も悲しみも消える」


 黒い外套の者の声は優しかった。


 だからこそ、恐ろしかった。


「魔女リゼ。君も本当は望んでいるのではないか。千年前の炎を忘れたいと」


 リゼの顔が凍った。


 ユノの銀の輪が熱くなる。


 リゼの痛みが流れ込んでくる。


 炎。

 鎖。

 叫び声。

 姉の手。

 置き去りにされた記憶。


「リゼ!」


 ユノは彼女の肩を掴んだ。


「戻ってこい!」


 リゼの瞳が揺れる。


 黒い外套の者は静かに笑った。


「今の君に、時計塔の記憶に耐えられるかな」


 次の瞬間、彼の姿は灰になって消えた。


 広場に鐘の音だけが残る。


 十一時五十九分。


 あと一分。


 ミアが震える声で言う。


「どうするの?」


 ユノは時計塔を見た。


 リゼはまだ顔色が悪い。


 でも、その目には決意が戻っていた。


「入るわ」


「リゼ、大丈夫か」


「大丈夫ではない」


 彼女ははっきり言った。


「でも、行く」


「なら俺も行く」


「私も」


 ミアも頷いた。


 三人は時計塔へ駆け込んだ。


 中は狭い螺旋階段になっていた。


 壁には無数の歯車が埋め込まれている。


 それらは壊れているはずなのに、ゆっくり動いていた。


 ギギギ。


 ギギギ。


 時間を無理やり回す音。


 階段を上るたびに、過去の声が流れ込んでくる。


 魔女を焼け。

 星を返せ。

 違う。

 助けて。

 お母さん。

 王よ、お許しを。

 火を。

 火を。

 火を。


 ユノは頭を押さえた。


 ミアも苦しそうにしている。


 リゼは唇を噛みながら階段を上っていた。


「リゼ」


 ユノが呼ぶ。


「何」


「リゼ」


「聞こえてる」


「何度でも呼ぶ」


 リゼは一瞬だけ振り返った。


 その顔に、ほんの少しだけ救われたような色が浮かんだ。


「……ありがとう」


 最上階へ辿り着くと、そこには巨大な時計の機構があった。


 無数の歯車。


 折れた振り子。


 止まった鐘。


 その中央に、黒い水晶のようなものが浮かんでいる。


 中には文字が閉じ込められていた。


 読めない。


 けれど見るだけで、頭が割れそうになる。


「王の名の欠片……」


 リゼが呟く。


 ユノは近づこうとした。


 その瞬間、歯車が一斉に動き出す。


 過去のリゼの声が響いた。


「やめて!」


 ユノたちの目の前に、幼いリゼの幻が現れる。


 黒翼騎士に押さえつけられている。


 その足元に火が放たれようとしていた。


 現在のリゼが動けなくなる。


「いや……」


 小さな声。


 ユノの胸に痛みが走る。


 契約を通して、リゼの恐怖が流れてくる。


 耐えがたい恐怖。


 焼かれる恐怖ではない。


 誰にも信じてもらえない恐怖。


 守ろうとした相手に石を投げられる恐怖。


 自分が怪物だと思われる恐怖。


「リゼ!」


 ユノが叫ぶ。


 彼女は聞こえていない。


 黒い水晶が強く光る。


 このままではリゼが過去に呑まれる。


 ユノは銀の輪を握った。


「リゼ!」


 届かない。


 なら。


 ユノは星涙石を取り出した。


 ルグナとフェルカ、二つの石が震えている。


 使えば代償が来る。


 でも迷っている時間はない。


 ユノは石を握りしめ、リゼの名前を叫んだ。


「リゼ! お前はここにいる!」


 青白い光が広がる。


 幼いリゼの幻が揺れる。


 現在のリゼの銀の輪が強く光った。


「リゼ! 千年前じゃない! 今だ!」


 ミアも叫ぶ。


「リゼ! 私たちがいる!」


 リゼの瞳が揺れた。


「ユノ……ミア……」


「そうだ!」


 ユノは手を伸ばした。


「戻ってこい!」


 リゼは震える手で、ユノの手を掴んだ。


 瞬間、時計塔の記憶が砕けた。


 炎の幻が消える。


 幼いリゼも消える。


 黒い水晶だけが残った。


 リゼは荒く息をしていた。


「私……」


「大丈夫」


 ユノは言った。


「戻ってきた」


 リゼの手は冷たかった。


 けれど、確かに握り返していた。


 ミアが涙目で笑う。


「もう、本当に心臓に悪い……」


 ユノは黒い水晶へ向き直った。


「これを取ればいいんだな」


 リゼは頷く。


「でも気をつけて。王の名は、人間の心には重すぎる」


「どうすれば」


「名前として読もうとしないで。音ではなく、欠片として受け取るの」


「難しいこと言うなよ」


「私も詳しくは知らない」


「またか」


 ユノは苦笑しながら、水晶へ手を伸ばした。


 触れた瞬間。


 頭の中に、ひとつの音が響いた。


 言葉ではない。


 文字でもない。


 けれど確かに、名前の一部だった。


 ――ル。


 たった一音。


 それだけで、ユノの意識が吹き飛びそうになった。


 世界が歪む。


 星が落ちる。


 黒い王が振り返る。


 顔は見えない。


 けれど、その存在だけで心が潰れそうだった。


「ユノ!」


 リゼの声。


 銀の輪が熱くなる。


 ミアの声も聞こえる。


「ユノ!」


 ユノは歯を食いしばった。


「俺は……ユノ……!」


 黒い水晶が砕けた。


 その中から、小さな黒銀の欠片が落ちる。


 リゼがそれを布で包んだ。


「王の名の欠片……ひとつ目」


 その瞬間、時計塔の鐘が鳴った。


 十二時。


 止まっていた時間が、千年ぶりに動いた。


 ゴォン。


 鐘の音が灰の王国に響き渡る。


 塔の外で、広場の幻が崩れていく。


 魔女裁判の声も、炎も、群衆も、すべて灰になって風に流れた。


 壊れた時計塔の針が、ゆっくり進み始める。


 十一時五十七分に止まっていた時間が、ようやく明日へ向かう。


 リゼは窓の外を見ていた。


 目には涙が浮かんでいた。


 けれど彼女は泣かなかった。


「終わったのか?」


 ユノが聞くと、リゼは首を振った。


「終わってはいない」


 そして、小さく続けた。


「でも、少しだけ進んだ」


 時計塔の外では、灰が静かに降っていた。


 雪のように。


 千年前に燃えた記憶が、ようやく眠りにつくように。


 ユノは手首の銀の輪に触れた。


 リゼの名前を呼ぶ。


「リゼ」


 彼女は振り返る。


「ユノ」


 その声が、今の時間に確かに響いた。


 壊れた時計塔は、まだ完全には直っていない。


 けれど針は動き始めた。


 止まったままだった過去が、ほんの少しだけ未来へ進んだのだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、灰の王国にある“壊れた時計塔”を描きました。


 十一時五十七分で止まった時計塔。

 それは、魔女裁判が始まる三分前の時間を、千年間閉じ込めていた場所でした。


 リゼは、自分が受けた恐怖と裏切りの記憶に呑まれかけます。

 けれどユノとミアが名前を呼び続けたことで、彼女は今へ戻ってくることができました。


 そして、ユノたちは星喰いの王の名の欠片――最初の一音を手に入れます。


 “ル”。


 それが何を意味するのかは、まだ分かりません。

 けれど、王の名へ近づいたことは確かです。


 次のページは『星灯りの剣』です。

 壊れた時計塔で手に入れた名の欠片をきっかけに、ユノは父が残したもうひとつの遺物――星灯りの剣へ導かれていきます。

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