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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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開かない封筒

星灯坑には、伏せられた名が預けられました。


 呼ばないことで守られる名前。

 開かないことで守られる記録。

 待ち灯りだけが、その存在を照らしています。


 けれどある夜、開くはずのない封筒が、静かに反応し始めます。

星灯坑の奥で、封筒が震えていた。


 最初に気づいたのはミアだった。


 待ち灯りの火を見回っていた時、伏せ名の箱の中から、かすかな音が聞こえたのだ。


 紙が息をするような音。


 開かないはずの封筒。


 青い糸で結ばれた、小さな封筒。


 中には、生きている誰かの名が伏せられている。


 預けた女性は言った。


 名前を知られると、その人は追われるかもしれない。


 だから、今は呼ばないでほしい。


 リゼはその意思を記録した。


 セレノは開示条件を書いた。


 ミアは待ち灯りを置いた。


 ユノは、呼ばずに守ると決めた。


 その封筒が、今、震えていた。


「ユノ」


 ミアが小声で呼んだ。


「いる」


「これ、見て」


 ユノが近づくと、青い糸が淡く光っていた。


 封筒そのものは閉じたままだ。


 けれど、中から何かが外へ出ようとしているように見える。


 ミアは不安そうに言った。


「開けちゃ駄目だよね」


「うん。預けた人の声が必要って決めた」


「でも、このままでも駄目そう」


 ユノはすぐにリゼとセレノを呼んだ。


 リゼは封筒を見た瞬間、表情を険しくした。


「名が内側から揺れている」


 セレノも低く言った。


「外部から暴こうとしているわけではない。中の名が危険を知らせているのかもしれない」


 ミアが息を呑む。


「危険?」


 エルネも星灯坑へ来た。


 青い糸を見て、彼女はすぐに膝をついた。


「この結び方は、保護の伏せ結びです。普通は預けた人の声でしか開きません。でも、名の主が命の危機にある場合、糸が反応することがあります」


 ユノの胸が冷えた。


「じゃあ、この名前の人が危ない?」


「可能性があります」


 封筒は開けない。


 でも、放っておくこともできない。


 名前を守るということは、時にこういう場所に立つことなのだと、ユノは思った。


 呼ばないと約束した名。


 けれど、その名が助けを求めているかもしれない。


 リゼは慎重に言った。


「まず、預けた女性を探しましょう。彼女の声があれば、意思を確認できる」


 セレノが頷く。


「私は記録を確認する。預託者の身元は非公開だが、緊急時の連絡先だけは封じてある」


 カイが駆け込んできた。


「何かあった?」


 ミアが説明すると、カイの顔が真剣になる。


「開けない。でも助ける。難しいな」


 ユノは頷いた。


「うん」


 セレノは伏せ名記録の別帳を開いた。


 そこには、名前そのものは書かれていない。


 ただ、預けた人へ連絡するための印だけがある。


 三つの鍵。


 預けた人の声。

 守る場所の灯り。

 記録する者の印。


 セレノが記録する者の印を押し、ミアが待ち灯りを強め、リゼが星灯坑の魔法陣を整えた。


 封筒の外側に、預けた女性の居場所を示す細い光が浮かぶ。


 ルグナの南端。


 古い洗い場の近く。


 ユノ、ミア、カイはすぐに向かった。


 夜のルグナは静かだった。


 待ち灯りの棚だけが、星灯坑の奥で揺れている。


 南端の洗い場には、あの女性がいた。


 彼女は水桶を抱えたまま、青ざめた顔で空を見ていた。


 ユノが声をかける。


「あの封筒が反応しています」


 女性は桶を落とした。


 水が石畳に広がる。


「まさか……」


「名前の主が危険かもしれないと」


 女性は唇を震わせた。


「やっぱり、来たんだ」


 カイが聞く。


「誰が?」


 女性は答えなかった。


 けれど、その目には恐怖があった。


 ミアが優しく言う。


「無理に名前は聞きません。でも、助けたいなら、星灯坑へ来てください」


 女性はしばらく動けなかった。


 やがて、震える声で言った。


「私は、あの人を隠した。呼ばないことで守れると思った。でも、あの人はきっと……また誰かを助けようとしている」


 ユノは聞いた。


「その人は、追われているんですか」


 女性は頷いた。


「王国の残党に。封名札の写しを持って逃げている人です」


 ユノたちは息を呑んだ。


 封名札の写し。


 灰の記録庫に残っていた、消された名の手がかり。


 その人は、それを持って逃げている。


「名前を知られると、見つかるんです」


 女性は涙をこぼした。


「でも、今、見つかりそうなのかもしれない」


 ユノは言った。


「星灯坑へ」


 女性は頷いた。


 星灯坑へ戻ると、封筒の震えはさらに強くなっていた。


 青い糸が光り、待ち灯りの火が細く伸びている。


 女性は封筒の前に座った。


 手が震えている。


 リゼが静かに言った。


「開けるかどうかは、あなたが決めてください」


 女性は首を振った。


「全部は開けないでください。名前を外へ出したくない。でも、助けたい」


 エルネが言った。


「なら、名前そのものではなく、居場所の記憶だけを開く方法があります。星約の伏せ結びなら可能です」


 セレノが確認する。


「名を秘匿したまま、危機の方角を読む」


 リゼは頷いた。


「できるわ。ただし、預けた人の声が必要」


 女性は封筒に手を置いた。


 そして、名前ではなく、呼びかけた。


「あなた」


 封筒が震えた。


「聞こえるなら、居場所だけ教えて。名前はまだ守る。だから、生きて」


 青い糸がほどけないまま、封筒の表面に光が走った。


 地図のような線が浮かぶ。


 ルグナではない。


 灰の王都の外縁。

 古い水路。

 崩れた石橋。

 そして、鎖と筆の紋章。


 セレノの顔が強張る。


「誓約官の残党か」


 ユノは拳を握った。


「行く」


 リゼはすぐに言った。


「待って。相手が名を追跡する力を持っているなら、こちらの名も隠す必要がある」


 エルネが青い糸を取り出した。


「伏せ結びを簡易的に使います。完全に名を隠すのではなく、名の輪郭を薄くする。呼び合う声で戻れるように」


 カイが少し不安そうに言う。


「白紙の野みたいにならない?」


「だから、三つの名を確認し続ける」


 ユノは頷いた。


「ユノ。ルグナ。名を呼ぶ者」


 ミア。


「ミア。ルグナ。記憶灯の守り手」


 カイ。


「カイ。ネリオとルグナ。守る者」


 リゼ。


「リゼ。ルグナ。星詠みの魔女」


 エルネ。


「エルネ。アイリシアの塔、谷の家、ルグナ。星約守り」


 セレノが前へ出た。


「私も行く」


 ユノは彼を見た。


「でも、星灯坑の記録は」


「相手が誓約官の残党なら、私が必要だ。彼らの印を知っている」


 リゼは少し迷い、頷いた。


「分かったわ。でも無理はしないで」


 セレノは静かに答えた。


「無理をするためではなく、逃げないために行く」


 女性は封筒を抱えたまま、泣いていた。


「名前は……」


 ユノは言った。


「呼びません。守ります」


 女性は深く頭を下げた。


「お願いします」


 出発前、封筒は星灯坑の伏せ名箱へ戻された。


 開かないまま。


 ただ、封筒の表に待ち灯りが強く灯っている。


 名前を守りながら、助けに向かう。


 それが今回の旅だった。


 夜明け前、ユノたちは灰の王都外縁へ向かった。


 ユノ、ミア、カイ、リゼ、エルネ、セレノ。


 六人の旅。


 それぞれの手首には、エルネが結んだ青い伏せ糸がある。


 名を薄く隠し、でも呼び合えば戻れる糸。


 道中、何度も名を確認した。


 名前を完全に隠すのではない。


 奪われないように守りながら、互いに呼び合う。


 灰の王都の外縁に近づくと、空気が重くなった。


 崩れた石壁。


 水の枯れた水路。


 古い監視塔。


 そこには、王国の残った影がまだあった。


 セレノが低く言う。


「ここは、旧誓約官の保管路だ。封名札の写しや禁記録を運ぶための裏道だった」


 ミアが小さく言った。


「嫌な場所」


 カイが木剣を握る。


「その人、ここにいるのか」


 リゼが封筒から写した光の地図を見た。


「この先。崩れた石橋の下」


 ユノは星灯りの剣を出した。


 名を傷つけないように、細く。


 石橋の下へ近づくと、声が聞こえた。


「その名を渡せ」


 冷たい男の声。


 もう一つ、かすれた声。


「渡せない」


 ユノたちは身を隠した。


 石橋の下には、三人の男がいた。


 黒い外套。

 鎖と筆の印。

 旧誓約官の残党。


 その前に、一人の旅人が倒れている。


 顔は布で隠されている。


 手には小さな筒。


 おそらく、封名札の写し。


 残党の一人が筆を掲げる。


「名を伏せても無駄だ。伏せ名は暴けばいい」


 セレノの顔が怒りで強張った。


「違う」


 リゼが小声で止める。


「まだ」


 残党は筆で空中に文字を書いた。


 名を暴く術。


 伏せられた名を無理やり引きずり出す術。


 旅人の周囲の空気が震える。


 ユノはもう待てなかった。


 飛び出し、星灯りの剣でその文字を斬った。


 白い火花が散る。


 残党たちが振り返る。


「誰だ!」


 ユノは名乗らなかった。


 今は名を守るために来ている。


 エルネの伏せ糸が光り、ユノたちの名の輪郭を薄くする。


 ミアが記憶灯を掲げる。


 カイが旅人の前に立つ。


 リゼが魔法陣を展開する。


 セレノが一歩前に出た。


 残党の男が彼を見て、目を見開く。


「黒翼騎士団長……?」


 セレノは低く言った。


「その名で呼ぶな」


「裏切ったのか」


「違う。遅すぎただけだ」


 残党が笑う。


「我らは記録を取り戻すだけだ。伏せられた名など、王国の秩序に反する」


 セレノの声が冷えた。


「伏せ名は、暴くものではない」


 残党が筆を振る。


 鎖の文字が飛ぶ。


 ユノが斬る。

 リゼが防ぐ。

 ミアが旅人を照らす。

 カイが近づく敵を止める。

 エルネが伏せ糸を守る。


 名を奪う戦いではない。


 名を暴かせない戦い。


 残党の術は、ユノたちの名前を探ろうとする。


 ――ユ……


 文字が浮かびかける。


 ユノは歯を食いしばる。


 カイが叫ぶ。


「名を呼ぶな!」


 エルネの糸が光り、文字を包む。


 ミアが記憶灯の火で術を逸らす。


 セレノが敵の筆に向かって叫んだ。


「誓約筆は、人の名を暴くためにあるのではない!」


 その声に、敵の術が一瞬揺らいだ。


 セレノは自分の筆を取り出す。


 星灯坑で使っている記録筆。


 彼は空中に書いた。


 ――伏せられた名を守る。


 その文字が盾になり、残党の鎖文字を弾いた。


 リゼが驚いたように彼を見る。


 セレノは息を切らしながら言った。


「筆は、閉じ込めるためではなく、守るために」


 ユノはその隙に踏み込み、残党の筆を斬った。


 一本。

 二本。

 三本。


 筆が砕け、名を暴く術が消えた。


 残党たちは逃げようとしたが、リゼの魔法陣が足元を封じた。


 カイが木剣を向ける。


「もう名前を奪うな」


 その声は怒っていた。


 けれど、震えてもいた。


 怖かったのだ。


 名を暴かれることが。


 旅人は倒れたまま、筒を抱えている。


 ミアが駆け寄った。


「大丈夫?」


 旅人はかすかに頷いた。


 声は出ない。


 ユノは言った。


「名前は聞かない。ルグナから来た。あなたを守るために」


 旅人の目が揺れた。


 封筒の女性の声を思い出したのかもしれない。


 彼は筒を差し出した。


 中には、封名札の写しがあった。


 まだ星灯坑へ持ち帰っていない、多くの名の手がかり。


 リゼが受け取り、深く頷いた。


「預かります」


 セレノは残党たちを見た。


「彼らはルグナへ連れて行く。裁くためではない。記録し、二度と同じ術を使わせないために」


 ユノは頷いた。


 旅人は立ち上がろうとしてふらついた。


 カイが支える。


「無理すんな」


 旅人は小さく言った。


「……名前は」


 ユノが答える。


「聞かない」


 旅人の目に涙が浮かぶ。


「ありがとう」


 その言葉だけで十分だった。


 ルグナへ戻る頃には、夜になっていた。


 星灯坑の伏せ名箱の前で、女性が待っていた。


 旅人を見ると、彼女は口元を押さえた。


 名前を呼びそうになって、飲み込む。


 旅人も彼女を見る。


 お互い、名前は呼ばない。


 でも、生きている。


 それだけで、二人は泣いた。


 封筒はまだ開かない。


 けれど、待ち灯りの火は穏やかに戻っていた。


 リゼが記録した。


 ――伏せられた名。保護対象救出。名は非公開継続。本人および預託者の意思を尊重。封名札写しを回収。


 セレノは残党の筆を机に置き、別帳へ記録した。


 ――名を暴く術の危険性。

 ――伏せ名を守る規定の強化が必要。


 ユノは開かない封筒を見つめた。


 開かないまま守れた。


 名前を呼ばずに、助けられた。


 それは、ユノにとって大きな学びだった。


 名前を守るとは、必ずしも名前を知ることではない。


 知らないまま、守ることもある。


 伏せたまま、生かすこともある。


 女性は旅人のそばで、涙を拭いながら言った。


「まだ、名前は出しません」


 リゼは頷いた。


「それでいいです」


 旅人も小さく頷いた。


 ユノは待ち灯りを見た。


 その灯りは、今夜も封筒の前で揺れている。


 開かない封筒。


 けれど、その中の名は消えていない。


 守られている。


 呼ばれないことで。


 暴かれないことで。


 そして、いつか呼べる日まで、待たれていることで。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 開かない封筒は、名の主の危機を知らせていました。


 ユノたちは名前を暴かず、伏せたまま守ることに成功します。


 次のページは『名を暴く者』です。

 捕らえられた誓約官残党たちと、名前を知ることの危険に向き合います。

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