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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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伏せられた名

名前は、呼ぶことで守られます。


 けれど時には、すぐに呼ばないことで守られる名前もあります。


 伏せられた名。

 まだ声にできない名。

 本人が望むまで、外へ出さない名。


 このページでは、名前を“出さないまま守る”ことを、ルグナが学んでいきます。

待ち灯りの棚に、名前のない札が増えていった。


 ルカ。

 名の分からない人々。

 道の石。

 ミルザ。

 シイ。

 ナギ。

 まだ戻らない名。


 その中に、何も書かれていない札があった。


 真っ白な札。


 けれど、それは空白ではなかった。


 誰かが、そこに名前を預けた。


 でも、まだ声にも文字にもしたくない。


 そういう札だった。


 ミアは、その札の前に小さな待ち灯りを置いた。


「名前が書いてなくても、ちゃんと灯るんだね」


 ユノは頷いた。


「名前がないんじゃなくて、今は伏せてるだけだから」


 リゼは記録帳に、慎重に書いた。


 ――伏せられた名。本人の希望により非公開。待ち灯りあり。


 セレノはその一文を見て、少し考えた。


「記録に残すことと、隠すことの境目は難しい」


 リゼは頷く。


「ええ。でも、王国の封名とは違うわ。これは奪うための隠蔽ではなく、本人を守るための伏せ名」


 セレノは静かに言った。


「本人の意思があるかどうか」


「そう」


 ユノは白い札を見つめた。


 名前を呼ぶことは大切だ。


 けれど、本人の心がまだ耐えられない時、無理に呼ぶことは傷になる。


 名前を守るとは、声に出すことだけではない。


 時には、誰にも見せない場所にそっと置くことでもある。


 その日、星灯坑には一人の若い女性が来ていた。


 彼女は名前を名乗らなかった。


 顔を布で半分隠し、手には古い紙を持っている。


 紙には名前が書かれているらしい。


 けれど、彼女はそれを誰にも見せなかった。


「ここでは、名前を伏せたまま預けられると聞きました」


 声は震えていた。


 リゼが穏やかに答える。


「はい。本人が望むまで、公開しません」


「記録には残りますか」


「残します。ただし、あなたが望む形で」


 女性は長い間黙っていた。


 そして言った。


「その人は、生きています。でも、名前を知られると追われるかもしれません」


 ユノたちは顔を見合わせた。


 リゼはすぐに頷いた。


「では、公開してはいけない名ですね」


 女性は涙ぐんだ。


「でも、忘れたくないんです。私しか覚えていないから。私が忘れたら、その人はいないことになってしまう」


 ミアが待ち灯りを持ってきた。


「ここに置きましょう」


 女性は紙を小さな封筒に入れた。


 封筒には何も書かない。


 ただ、青い糸で結んだ。


 エルネがその糸を見て言った。


「星約の伏せ結びに似ています。開ける時に、預けた人の声が必要です」


 リゼは頷いた。


「では、その方法を使いましょう」


 女性は封筒を星灯坑の小箱へ入れた。


 その前に待ち灯りを置く。


 灯りは静かに揺れた。


 女性は小さく言った。


「生きていて」


 名前は呼ばれない。


 けれど、その願いは確かに灯りへ届いた。


 セレノは記録した。


 ――伏せられた名。生存中。保護目的。開示には預託者本人の声が必要。待ち灯りあり。


 女性は帰る前に、ユノへ言った。


「名前を呼ばないのに、守っていると言えるんでしょうか」


 ユノは少し考えた。


「言えると思います」


「どうして?」


「呼ぶために守る時もあるけど、呼ばれないで済むように守る時もあるから」


 女性は目を伏せた。


 そして、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その背中が星灯坑を出ていくまで、誰も名前を聞かなかった。


 その沈黙も、守ることだった。


 午後、ルグナでは“伏せ名”について話し合いが開かれた。


 町長は難しい顔で言った。


「名前を守る町として、伏せられた名をどう扱うか決めなければならない」


 黒麦亭の女将が腕を組む。


「むやみに聞かない。これが一番だろう」


 羽墨屋の姉が言った。


「封筒や箱に入れる場合、誰が管理するのかも大事です」


 セレノが答える。


「管理者を複数にすべきです。一人だけが知ると、その者が消えた時に開けられなくなる」


 リゼは頷いた。


「ただし、中身を知る人数は最小限に。知ることが危険になる名もある」


 エルネが静かに言う。


「星約守りの家では、伏せられた約束は三つの鍵で守りました。預けた人の声、守る場所の灯り、記録する者の印」


 ミアが目を輝かせる。


「星灯坑でもできそう」


 カイが聞く。


「でも、本人が帰ってこなかったら?」


 場が静まった。


 それは大切な問いだった。


 リゼはゆっくり答える。


「その場合も、勝手に開けるべきではないわ。条件を決める必要がある。本人が指定した時、危険が去った時、またはその名を伏せたままでは失われてしまう時」


 ユノは白い札を思い出した。


 名を出さないことは、守ることになる。


 でも、伏せたまま誰にも継がれなければ、また別の形で消えてしまう。


 守ることと閉じ込めること。


 ミナルセラで学んだ境目が、ここにもあった。


 町長は結論をまとめた。


「伏せ名は、本人または預けた者の意思を尊重する。むやみに開かない。けれど、完全に忘れられぬよう、存在だけは記録する」


 セレノが記録する。


 ――伏せ名の誓い。

 ――名を奪わない。

 ――名を暴かない。

 ――名を忘れない。

 ――開く時は、守るために。


 その言葉は、星灯坑の壁に刻まれた。


 夜、白い札の前に、子どもたちが集まった。


 一人が聞く。


「名前が書いてないのに、どうやって呼ぶの?」


 カイは少し困った顔をした。


 そして、ミアを見た。


 ミアはしゃがんで答えた。


「呼ばないで待つんだよ」


「待つだけ?」


「うん。今日は、ここにいるよって灯りを見るだけ」


 子どもは不思議そうに白い札を見た。


「名前、ないみたい」


 ユノは静かに言った。


「ないんじゃない。大事にしまってある」


 子どもは少し考え、それから頷いた。


「じゃあ、小さい声で言う。待ってるよ」


 白い札の灯りが揺れた。


 名前を呼ばずに、待つ。


 それも、子どもたちは少しずつ覚えていった。


 その夜、セレノが星灯坑の奥で一人、伏せ名の箱を見ていた。


 ユノが近づくと、彼は静かに言った。


「私は、かつて名を伏せることを命令として行った」


 ユノは隣に立つ。


「うん」


「王国の伏せ名は、本人の意思など関係なかった。都合の悪い名を隠し、存在を消すためだった」


 セレノの声は低く震えていた。


「だから、今日の伏せ名を見るのが怖い。同じ行為に見えてしまう」


 ユノは箱を見た。


 青い糸で結ばれた封筒。


 その前の待ち灯り。


「違うと思う」


「なぜ」


「この箱の前には灯りがある」


 セレノは顔を上げた。


「灯り?」


「王国は隠したあと、忘れさせた。でもこれは、隠しても忘れないための灯りだ」


 セレノは黙った。


 長い沈黙のあと、彼は小さく言った。


「隠しても、忘れない」


「うん」


 セレノは筆を取り出し、記録に一文を加えた。


 ――伏せることと消すことは違う。

 ――伏せ名には、待ち灯りを添えること。


 ユノはそれを見て頷いた。


 その一文は、とても大切に思えた。


 数日後、伏せ名の箱にもう一つ封筒が預けられた。


 今度は、年配の女性だった。


 彼女は昔の恋人の名前を預けた。


 家族には言えない。

 町の誰にも話せない。

 けれど、自分が死んだら、その人を覚えている者がいなくなる。


 だから、名前だけを星灯坑に置きたい。


 そう言った。


 リゼは尋ねた。


「開示の希望はありますか」


 女性は少し笑った。


「私がいなくなって十年経ったら。誰かがその名を読んで、ああ、そういう人がいたのだと思ってくれればいい」


 封筒には、開示の条件が記された。


 十年後。


 女性の声は、その日まで封じられる。


 待ち灯りが置かれた。


 ミアはその灯りを見て、静かに言った。


「未来へ置く灯りだね」


 エルネが頷いた。


「約束に似ています」


 ユノは思った。


 名前は、今だけのものではない。


 未来へ渡すために伏せることもある。


 その名が安全に読まれる日まで。


 その人の想いが、傷つけられずに受け取られる日まで。


 待つ時間ごと、名前を守る。


 それが伏せ名なのだ。


 ルグナの広場には、新しい札が加わった。


 ――伏せられた名について。

 ――ここには、今は呼ばないことで守られる名前があります。

 ――知ろうと急がないでください。

 ――聞き出そうとしないでください。

 ――灯りがある限り、その名は忘れられていません。


 黒麦亭の女将はそれを読んで、深く頷いた。


「人には言えないことの一つや二つあるからね」


 カイが言う。


「俺もある」


 ミアがすぐ聞く。


「何?」


「言えないから伏せ名」


「それはただの秘密」


「秘密も守られるべきだろ」


 リゼが微笑んだ。


「そうね。ただし、片付けをしない言い訳には使えないわ」


 カイはまた黙った。


 笑いが起きる。


 伏せ名の話は重い。


 でも、日常の中に入ると、少し柔らかくなる。


 それがルグナらしさだった。


 夜、ユノは星灯坑の壁を見つめた。


 呼ばれる名。

 返事をする名。

 返事のない名。

 待ち灯りの名。

 伏せられた名。


 名前の守り方は、どんどん複雑になる。


 けれど、根は同じだ。


 その人がいたことを、なかったことにしない。


 その人の意思を、できるだけ傷つけない。


 急がず、偽らず、忘れずに。


 ユノは白い札の前に立った。


 何も書かれていない。


 けれど、灯りがある。


 ユノは名前を呼ばずに、ただ言った。


「ここにいることは、覚えてる」


 白い札の灯りが、ほんの少し揺れた。


 返事ではない。


 でも、届いたように見えた。


 その隣で、セレノも静かに頭を下げた。


 名前を出さないまま守ること。


 それは、名前を呼ぶ者にとって難しい学びだった。


 けれどユノは、その難しさを忘れないようにしようと思った。


 呼ぶ勇気。

 待つ優しさ。

 伏せる誠実さ。


 どれも、名前を守るために必要なものだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、伏せられた名について描きました。


 名前を出さないことは、消すことではありません。

 本人や大切な誰かを守るために、灯りを添えて伏せることもあります。


 次のページは『開かない封筒』です。

 伏せ名として預けられた封筒のひとつが、静かに反応し始めます。

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