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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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返事のない名前

名前を呼べば、必ず返事があるとは限りません。


 声になれない名。

 まだ痛みの中にいる名。

 呼ばれることを怖がっている名。


 返事がないからといって、そこにいないわけではありません。


 このページでは、ルグナが“待つこと”を学んでいきます。

その朝、星灯坑の読み上げで、ひとつの名前が返事をしなかった。


「オルマ」


 町長が呼んだ。


 いつもなら、ミナルセラの声の種から小さく「いる」と返ってくる。


 けれど、その日は何も聞こえなかった。


 広場が静かになる。


 もう一度、町長が呼ぶ。


「オルマ」


 やはり返事はない。


 子どもたちが不安そうに顔を見合わせる。


 カイも木剣を握りしめた。


「昨日は返事してたよな」


 ミアが記憶灯を掲げる。


 ミナルセラの銀色の光は消えていない。


 オルマの小さな光も、星灯坑の壁に残っている。


 ただ、声がない。


 リゼが静かに言った。


「消えたわけではないわ」


 町長は頷き、広場へ向かって言った。


「今日は、オルマの返事を待ちます。無理に呼び続けません」


 その言葉に、空気が少し緩んだ。


 ユノは星灯坑の壁に灯るオルマの光を見た。


 小さく、震えている。


 返事がない名前。


 それは、空白とは違う。


 いる。


 でも、答えられない。


 その違いを、ルグナは学び始めていた。


 読み上げが終わったあと、ミアがユノの隣に来た。


「オルマ、どうしたんだろう」


「分からない」


「怖くなったのかな」


「そうかもしれない」


 カイが言った。


「ミナルセラの名前が外に出たから?」


 リゼは記録帳を見ながら答えた。


「あり得るわ。ミナルセラは長く白紙の中で名を守ってきた。外から呼ばれることが増えたことで、安心する名もあれば、怖くなる名もある」


 エルネが静かに言う。


「アイリシアも、最初はありがとうと言うのが怖いと言っていました」


 ユノは頷いた。


「戻ることは、嬉しいだけじゃない」


 セレノが奥から低く言った。


「名が戻ると、記憶も戻る。痛みも戻る。応えられない時があるのは当然だ」


 リゼはセレノを見た。


「ええ」


 その日、オルマの光の前に、小さな札が置かれた。


 ――今日は返事を待っています。

 ――急がなくていい。


 ミアが書いたものだった。


 カイはその隣に、少し不器用な字で書き足した。


 ――いるなら、それでいい。


 ユノはそれを見て、胸が温かくなった。


 星灯坑の光は、ほんの少しだけ穏やかに揺れた。


 午後、ルグナの町では“返事のない名前”について話し合いが開かれた。


 場所は星灯坑の前。


 集まったのは、町長、リゼ、セレノ、ユノたち、そして町の人々。


 黒麦亭の女将が最初に言った。


「毎日返事しろっていうのは、人間でも疲れるからね」


 その一言に、何人かが笑った。


 でも、その笑いは優しかった。


 北の丘の老女が続けた。


「墓に眠る人も、すぐ返事はしないよ。それでも花を置く。名前も同じだろう」


 羽墨屋の姉が言った。


「返事がない日も記録するなら、空欄じゃなくて“待ち”と書いた方がいいかもしれません」


 リゼは頷いた。


「良い提案ね」


 セレノも記録帳に書いた。


「応答状態。返答あり、沈黙、待機、拒否、不明……分類が必要だ」


 カイが眉をひそめる。


「分類しすぎると冷たくならない?」


 セレノは手を止めた。


 少し考え、それから頷いた。


「そうだな。分類は補助にする。名前より前に置いてはいけない」


 カイは少し驚いた顔をした。


「うん。それならいい」


 ミアが言った。


「返事がない名前には、音じゃなくて灯りで話しかけるのはどうかな」


 リゼが聞く。


「灯り?」


「記憶灯の小さい火を近くに置くの。呼ぶ代わりに、ここで待ってるよって分かるように」


 エルネも頷いた。


「星約守りの家にも、声を出せない夜に窓辺へ青い布を掛ける習慣がありました。返事はできないけれど、見ていますという印です」


 町長は考えた末に言った。


「では、返事のない名には、待ち灯りを置こう」


 待ち灯り。


 その呼び名が決まると、ミアはすぐに小さな灯りを作り始めた。


 強い光ではない。


 眠る人のそばに置くような、柔らかい灯り。


 オルマの光の前に置くと、星灯坑の壁が静かに照らされた。


 呼び続けるのではなく、そばにいる灯り。


 それが、オルマへの返事だった。


 夕方、カイは子どもたちを集めて話した。


「今日は、オルマの名前は一回だけ呼ぶ。その後は待つ」


 子どもの一人が聞いた。


「返事しないと、忘れちゃわない?」


 カイは少し考えた。


「忘れないために、待ち灯りを置く。返事しなくても、いるって信じる」


「返事がなくても?」


「うん。返事がなくても」


 その言葉は、カイ自身にも必要だったのかもしれない。


 ネリオの父と母の名は、まだ完全には戻っていない。


 呼んでも返事がない名を、彼はずっと待っている。


 ユノはその背中を見ていた。


 カイは守る者になっている。


 大声で守るだけではなく、待つことで守る者に。


 夜の読み上げで、オルマの名は一度だけ呼ばれた。


 町長が静かに言う。


「オルマ」


 広場の人々も続く。


「オルマ」


 それ以上は呼ばなかった。


 ミアが待ち灯りを置く。


 カイが小さく言う。


「返事は明日でもいい」


 星灯坑の光は、弱く震えた。


 声はない。


 でも、灯りは消えなかった。


 その夜、ユノは星灯坑に残った。


 待ち灯りの前に座り、オルマの光を見ていた。


 すると、かすかな気配がした。


 声ではない。


 記憶の影。


 ミナルセラの村の広場。


 十二本の柱。


 その中の一つ、オルマの柱のそばに、背の高い男の影が立っている。


 彼は何かを抱えていた。


 小さな木箱。


 その中に、村の名を閉じるための白い布が入っている。


 オルマはその箱を守っていたのかもしれない。


 白紙化の儀式で、何か重い役目を担った人。


 だから、名が外へ戻り始めた今、返事ができなくなった。


 ユノは影へ向かって言った。


「オルマ」


 影は震えた。


 ユノは慌てて続ける。


「返事しなくていい。見えたから、記録するだけ」


 影の震えが少し収まる。


「重かったんだな」


 木箱を抱えた影は、ゆっくり膝をついた。


 ユノは胸が痛くなった。


 名前が戻ると、役目も戻る。


 誇りだけではない。


 後悔も、恐れも戻る。


 ユノは小さく言った。


「待ってる。急がない」


 待ち灯りが、やわらかく揺れた。


 翌朝、ユノはそのことをリゼに伝えた。


 リゼは記録帳に丁寧に書き込む。


「オルマ。白紙化に関わる木箱を守っていた可能性。応答不能は記憶負荷によるものかもしれない」


 セレノが低く言った。


「役目を果たした者ほど、戻る時に苦しむことがある」


 ユノはセレノを見る。


「セレノも?」


 セレノは少し沈黙した。


「私も、そうだ」


 リゼが静かに呼ぶ。


「セレノ」


「いる」


 その返事は、少しだけ苦しそうだった。


 だが、確かに返事だった。


 その日の読み上げでも、オルマは返事をしなかった。


 けれど、待ち灯りは少し明るくなった。


 三日目。


 四日目。


 オルマは沈黙したままだった。


 ルグナの人々は、最初は不安そうにしていたが、少しずつ待つことに慣れていった。


 黒麦亭の女将は、毎朝待ち灯りの前に小さなパンを置いた。


「食べられないだろうけど、気持ちだよ」


 北の丘の老女は、花を一輪置いた。


「墓と同じさ。返事がなくても置くんだよ」


 子どもたちは、オルマの前で騒がずに手を振るようになった。


 カイは毎日一度だけ言った。


「オルマ、いるならそれでいい」


 ミアは灯りを調整し、エルネはアイリシアへ報告を送った。


 アイリシアからは、こんな返事が来た。


 ――星も、雲に隠れて返事できない日がある。

 ――でも、消えたわけではない。


 その言葉は、星灯坑の壁に記録された。


 五日目の夜。


 リリアの歌が終わったあと、星灯坑の奥から小さな音がした。


 木箱を置くような音。


 ユノたちは振り返った。


 オルマの光の前に、白い小さな箱の幻が浮かんでいる。


 そして、かすかな声がした。


「……いる」


 広場が息を呑んだ。


 カイが目を見開く。


「オルマ?」


 また沈黙。


 けれど、今度は完全な沈黙ではなかった。


 オルマの光が、少し強くなる。


 ミアが泣きそうな声で言った。


「返事した……」


 リゼが静かに記録する。


 ――五日目。待ち灯りへの応答あり。「いる」。


 セレノは筆を止め、深く息を吐いた。


 ユノはオルマの光へ言った。


「おかえり、とはまだ言わない。戻る途中だと思うから」


 オルマの光が揺れる。


 ユノは続けた。


「でも、聞こえた。いるって」


 カイが小さく言った。


「いるなら、それでいい」


 その言葉に、広場の人々が静かに頷いた。


 返事のない名前。


 その日々は、ルグナに待つことを教えた。


 呼ぶだけではなく、待つ。


 返事がないことを、消えたことにしない。


 沈黙の中にも、名前がいると信じる。


 星灯坑の待ち灯りは、その後も残された。


 オルマが返事をした後も、必要な名の前へ置けるように。


 そして、広場の札には新しい一文が加えられた。


 ――返事のない名前にも、夜を越える灯りを。


 ユノはその札を見て、胸に手を当てた。


 名前を守る旅は、またひとつ深くなった。


 呼ぶこと。

 返すこと。

 待つこと。


 そのすべてが、名前を守るために必要だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 このページでは、返事のない名前“オルマ”を通して、ルグナが待つことを学びました。


 返事がない日も、そこにいる。

 沈黙にも灯りを置く。


 次のページは『待ち灯り』です。

 返事ができない名のために生まれた小さな灯りが、さらに多くの名前を支えていきます。

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