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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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呼び合う町

ミナルセラから持ち帰った声の種は、ルグナに新しい習慣を生みました。


 名前を呼ぶ。

 返事をする。

 帰る場所を確かめる。


 それは特別な儀式ではなく、毎日の暮らしの中にある大切な灯りでした。


 このページでは、ルグナが“呼び合う町”へ変わっていきます。

ルグナの朝に、新しい声が増えた。


「おはよう、ユノ」


「いる。おはよう」


「ミア、起きてる?」


「いるよ」


「カイ、パン焦げるよ」


「いる! っていうか焦げてない!」


 以前から町に挨拶はあった。


 けれど今は、名前を呼んで、返事をする。


 ただの返事ではない。


 “ここにいる”と確かめるための声。


 ミナルセラから持ち帰った声の種は、星灯坑の中で静かに育っていた。


 朝の読み上げの後、町の人々は日替わりで三つの名を呼ぶ。


「ミナルセラ」


「ミナ」


「ラナ」


 次の日は。


「トウ」


「エリ」


「サナ」


 そのたびに、星灯坑の銀色の光が揺れた。


 ミナの水が、ルグナの声を受け取っているようだった。


 黒麦亭では、女将が客の名前をできるだけ呼ぶようになった。


「ガルド、今日は大盛りかい?」


「もちろん」


「エルネ、スープのおかわりいるかい?」


「はい、いただきます」


「カイ、三杯目は少し考えな」


「考えた結果、いります」


 女将は呆れたように笑った。


 けれど、その声は温かかった。


 エルネは、名前を呼ばれるたびに少しだけ背筋を伸ばす。


 最初は涙ぐんでいたが、今は笑って返事ができるようになった。


「エルネ」


「います」


 その返事は、以前より自然だった。


 広場の名を書く壁にも変化があった。


 戻った名前を書くだけではなく、“呼び返す欄”が作られた。


 子どもたちはそこに、こんなふうに書いた。


 ラナ――いる。

 トウ――いる。

 ネリオ――ここにある。

 ベルフィア――鐘が鳴る。

 アイリシア――空にいる。

 ミナルセラ――声の中にいる。


 カイはそれを見て、腕を組んだ。


「いいな」


 ミアが笑う。


「カイが先生みたい」


「守る者だからな」


 ユノは壁の前で、ミナルセラの文字を見つめた。


 守ることは閉じ込めることではない。

 呼び合えるように支えること。


 自分で書いたその一文が、少しずつ町の人々の中へ入っていくのを感じた。


 リゼは星灯坑で、呼び合いの記録を作っていた。


「名の読み上げとは別に、応答記録を残すわ」


 ユノが聞いた。


「応答記録?」


「ええ。名前を呼んだ時、どのような返事があったか。光の揺れ、声の有無、周囲の反応。ミナルセラのような声の名には、呼び返しが重要だから」


 セレノも隣で記録している。


「王国の記録は、名を固定しようとした。だが、名は固定だけでは保てない。呼ばれ、返されることで保たれる」


 リゼは頷いた。


「その通りね」


 セレノは筆を止め、少し苦い顔で言った。


「昔の私なら、こんな記録を無駄だと言っただろう」


 ユノは言った。


「今は?」


「必要だと思う」


 ミアが微笑む。


「変わったね、セレノ」


 セレノは少し困ったように目を逸らした。


「変わらなければ、記録する資格がない」


 その声に、逃げる響きはなかった。


 呼び合う習慣は、町のあちこちへ広がった。


 炭鉱へ入る前、炭鉱夫たちは互いの名を呼ぶ。


「ロイド」


「いる」


「ベルク」


「いる」


「ユノの父さん」


「名前で呼べ」


 周りが笑う。


「オルヴァ」


「いる」


 ユノはその場で初めて、父の名がオルヴァだと、改めて胸に刻んだ。


 知っていたはずなのに、父さんと呼ぶことが多すぎて、名前として呼ぶことは少なかった。


 仕事へ向かう父へ、ユノは少し照れながら言った。


「オルヴァ」


 父は振り返った。


「いる」


 その返事に、ユノは胸が熱くなった。


 父は父であり、オルヴァでもある。


 名前で呼ぶと、少し違う距離でその人が見える。


 夕方、星灯坑でミナルセラの声の種へ水をやるように名前を呼んでいると、銀色の光の中からラナの声がはっきり聞こえた。


「ルグナ、あったかい」


 子どもたちが驚いて歓声を上げる。


 カイが嬉しそうに叫んだ。


「ラナ!」


「いる!」


 トウの声も続いた。


「トウもいる!」


 広場に笑いが広がる。


 ミナルセラの声は、少しずつ強くなっていた。


 ミナの声も星灯坑に届いた。


 ――呼ばれるたび、村の色が戻る。

 ――ルグナの声、ミナルセラへ届いている。


 リゼが記録しながら言った。


「外から呼ぶことで、白紙化がさらに解けているのね」


 エルネはアイリシアへもその報告を送った。


 アイリシアから返事が来る。


 ――ミナルセラ、空から少し見えた。

 ――白紙ではなく、銀の水の村。


 ミアが目を輝かせた。


「空から見えたんだ!」


 エルネは嬉しそうに頷いた。


「はい。アイリシアが覚えてくれています」


 地の星灯坑。

 空のアイリシア。

 白紙の野のミナルセラ。


 三つの場所が、声で繋がり始めていた。


 けれど、呼び合う町になることは、良いことばかりではなかった。


 ある日、広場で一人の男が声を荒げた。


「呼ばれたくない名もあるだろう!」


 その場が静まった。


 男は、封名札から戻った名の家系に連なる者だった。


 彼の祖父は、王国に協力していた側の人間だったらしい。


 戻った名の中に、祖父が傷つけた相手の名前があった。


「毎朝呼ばれるたびに、家の罪まで呼ばれてる気がする」


 男は震える声で言った。


「呼び合うのが大事だって言うけど、呼ばれるのがつらい名前だってある」


 広場は重く沈黙した。


 ユノはすぐに答えられなかった。


 呼ぶことは大切だ。


 でも、呼ばれる痛みもある。


 その時、セレノが前へ出た。


「その通りだ」


 人々が彼を見る。


 セレノは静かに続けた。


「呼び合うことは、相手を逃がさないための鎖にしてはいけない。名を呼ぶ時は、その人の痛みも聞く必要がある」


 男はセレノを睨んだ。


「あんたが言うのか」


「私だから言う」


 セレノは逃げなかった。


「私は、多くの名を傷つけた側にいた。だから、呼ばれる痛みも、呼ばれるべき罪も消えないと知っている」


 リゼがそっと補った。


「名前を呼ぶことは、無理に許すことではありません。忘れないことです。でも、誰かを責め続けるために使うものでもない」


 ユノは男へ言った。


「つらいなら、そのつらさも記録する。呼び方も考える。名前を消さないために、傷つけ続ける必要はないと思う」


 男はしばらく黙り、それから小さく言った。


「……少し、考えたい」


 町長が頷いた。


「考える時間も、星灯坑は待つ」


 その日、星灯坑の記録に新しい項目が加わった。


 ――呼ぶ時の痛み。

 ――応答できない名。

 ――待つ必要のある名。


 ミナルセラが教えてくれた“呼び合うこと”は、ただ明るく名前を呼ぶだけではなかった。


 呼べない日を認めること。

 返事ができない人を急かさないこと。

 呼ばれて痛む人の声も聞くこと。


 それも、呼び合う町になるために必要だった。


 夜、ユノは星灯坑の前でミアと並んで座っていた。


 ミアがぽつりと言う。


「名前って難しいね」


「うん」


「呼んだら戻る。でも、呼ばれるのがつらい時もある」


「うん」


「それでも、呼ぶのをやめない?」


 ユノは少し考えた。


「やめない。でも、呼び方を考える」


 ミアは頷いた。


「それがいいね」


 カイもやって来た。


「俺、今日ちょっと分かった」


「何を?」


「守る者って、名前を大声で呼ぶだけじゃなくて、今は小さくしようって言うのも守ることなんだな」


 リゼが後ろから言った。


「良い理解ね」


 カイは驚いた。


「また褒められた」


 エルネも微笑んだ。


「カイさん、守る者ですね」


 カイは顔を赤くした。


「まあな」


 セレノは少し離れて、今日の出来事を記録していた。


 ユノは彼を見た。


「セレノ」


「いる」


「今日、ありがとう」


 セレノは筆を止めた。


「礼を言われることではない」


「でも、必要だった」


 セレノは目を伏せた。


「呼ばれる痛みは、私も知っている。私の場合は、受けるべき痛みだが」


 リゼが静かに言った。


「それでも、一人で痛みに沈む必要はないわ」


 セレノは何も言わなかった。


 けれど、筆を握る手の震えは少し収まっていた。


 その夜の読み上げでは、いつもよりゆっくり名前が呼ばれた。


 そして、返事のない名には、無理に返事を求めなかった。


「今日は返事がなくてもいい」


 町長がそう言った。


 星灯坑の光は静かに揺れた。


 ラナやトウは元気に返事をした。


 ミナは水音で応えた。


 アイリシアは空から光で応えた。


 でも、いくつかの名は沈黙していた。


 その沈黙も、記録された。


 呼び合う町は、声だけでなく沈黙も受け取る町になっていく。


 翌朝、広場には新しい札が掛けられた。


 ――名前は、急がず呼びましょう。

 ――返事がない日も、そこにいる日です。

 ――呼ばれたくない時は、待つこともできます。

 ――呼び合うことは、縛ることではありません。

 ――支え合うことです。


 ミナルセラの声の種は、その札の近くで銀色に光っていた。


 ミナの声が、星灯坑から届く。


 ――ルグナは、呼び合う町。

 ――声も、沈黙も、聞く町。


 ユノはその言葉を胸に刻んだ。


 呼び合うことを失わない。


 でも、呼ぶ声で誰かを傷つけすぎない。


 それは難しい。


 でも、ルグナなら学んでいける気がした。


 夜、リリアの歌に新しい一節が加わった。


 ミアが考え、カイが少し直し、リゼが言葉を整えた。


 ――声が出ない夜にも、

 ――名は消えずに灯ってる。

 ――返事を急がぬ町で、

 ――明日の声を待っている。


 人々はその一節を静かに歌った。


 ユノは星灯坑の光を見つめた。


 ルグナは、名前を呼ぶ町になった。


 そして今、返事を待てる町になろうとしている。


 ミナルセラの声が、その道を教えてくれた。


 呼び合う町。


 それは、ただ明るい町ではない。


 声の痛みも、沈黙の重さも、名前の温かさも知っていく町だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 ミナルセラから学んだ“呼び合うこと”は、ルグナの日常へ広がりました。


 でも、名前を呼ぶことには痛みもあります。

 返事ができない日もあります。


 ルグナは、声だけではなく沈黙も受け止める町へ変わり始めました。


 次のページは『返事のない名前』です。

 呼んでも返事がない名と、待つことの意味を描きます。

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