第百ページの星
物語は、百ページ目へ辿り着きました。
ルグナ。
ネリオ。
ベルフィア。
リリア。
アイリシア。
戻った名前は、もう数えきれないほど増えました。
このページでは、ユノたちがこれまで呼び戻してきた名を振り返り、次の旅へ向かうための小さな節目を迎えます。
ルグナの夜に、星が降るような光が灯っていた。
空にはアイリシア。
地には星灯坑。
その間に、町の人々の声がある。
その日は、特別な読み上げの日だった。
星灯坑に灯った名前が百を超えたのだ。
百。
ただの数ではない。
忘れられかけた名。
消された名。
戻りきらない名。
仮の名。
罪を抱えた名。
涙を持つ名。
約束を継ぐ名。
それらが百を超えた。
広場には、町の人々が集まっていた。
ユノ、ミア、リゼ、カイ、エルネ。
セレノ、父、ガルド。
黒麦亭の女将。
北の丘の老女。
ハルト。
羽墨屋の姉弟。
炭鉱夫たち。
子どもたち。
星灯坑の扉は開かれていた。
奥から、たくさんの名前の光が溢れている。
町長が言った。
「今日、星灯坑に預けられた名は、百を超えました」
人々は静かに聞いていた。
「これは祝う日であり、忘れてはいけない日でもあります。百の名が戻ったということは、百の名が失われていたということでもあります」
その言葉に、広場の空気が少し引き締まる。
ユノは胸に手を当てた。
最初の旅を思い出す。
名前を失っていく恐怖。
星喰いの王の空白。
ルナエルの涙。
ルグナの星灯坑。
カイのネリオ。
ベルフィアの鐘。
リリアの歌。
封名札の夜。
十の星。
アイリシアの塔。
エルネの帰る場所。
どの名前にも、物語があった。
町長は名簿を開いた。
「最初に、ルグナ」
人々が続く。
「ルグナ」
銀色の光が揺れる。
「ネリオ」
「ネリオ」
カイの目が少し潤む。
「ベルフィア」
「ベルフィア」
ハルトが胸に手を当てる。
「リリア」
「リリア」
老女が静かに歌の一節を口ずさむ。
「ノア」
「ノア」
「ダリオ」
「ダリオ」
「サリア」
「サリア」
十の星の名が続く。
メルク。
イオナ。
ファル。
テッサ。
ルオ。
ニーナ。
オル。
町の声は、一つずつ丁寧に名を迎えた。
それから、黒翼騎士団の名。
アデル。
ロウ。
ミルザ。
カーナ。
ヘルク。
ジオ。
リーヴ。
トルファ。
ノエ。
サディル。
セレノは広場の端で立っていた。
その名が呼ばれるたび、彼は深く頭を下げた。
許されたわけではない。
それでも、彼は逃げずに聞いている。
リゼはその隣に立っていた。
「セレノ」
彼女が小さく呼ぶ。
「いる」
彼は答えた。
次に、星の名。
「アイリシア」
「アイリシア」
空の青白い星が瞬いた。
「アリナ」
「アリナ」
「エルネ」
「エルネ」
エルネは涙をこぼしながら答えた。
「います」
その返事に、星灯坑の青白い光が揺れた。
読み上げは長く続いた。
百の名を呼ぶには時間がかかる。
途中で声がかすれる人もいた。
子どもたちは少し疲れた顔をした。
けれど、誰も雑に呼ばなかった。
名前は、ただ音を並べるものではない。
そこに誰かがいたと認めること。
だから、一つずつ。
急がず。
偽らず。
忘れず。
読み上げの最後、町長は名簿を閉じた。
「百番目の名は、まだ正式な名ではありません」
広場が静かになる。
町長はユノを見る。
ユノは頷き、前へ出た。
「百番目の名は、“待っている名”です」
人々が少しざわめいた。
ユノは続けた。
「まだ本当の名前が分からない人、場所、歌、星があります。星灯坑には、仮の名や、名になる前の記憶も預けられています」
ユノは星灯坑の方を見た。
「だから百番目は、今はこう呼びます」
深く息を吸う。
「まだ戻らない名」
広場の人々が続いた。
「まだ戻らない名」
その瞬間、星灯坑の壁に、淡い透明な光が灯った。
名前ではない。
でも、空白でもない。
待っているものの光。
ミアが涙ぐんだ。
「綺麗……」
リゼが静かに言った。
「待つことにも、名を与えたのね」
ユノは頷いた。
「戻らないからって、ないことにしたくない」
カイが力強く言った。
「うん。待つ名前も、守る」
エルネも。
「アイリシアも、長く待っていました」
セレノが低く言った。
「待たせた名も、記録する」
父はユノを見て、静かに頷いた。
百番目の星。
まだ戻らない名。
それは、これまで戻った名たちと同じように、星灯坑に灯った。
読み上げの後、リリアの歌が始まった。
今日は、歌にアイリシアの旋律も重なった。
地の歌と、空の歌。
百の名を抱く歌。
――朝は、名を忘れぬ者の上に来る。
その歌詞が、今夜はいつもより深く響いた。
朝が来た名もある。
まだ夜の中にいる名もある。
けれど、呼ぶ声がある限り、朝へ向かう道は消えない。
歌が終わると、広場には温かいスープが配られた。
ルオの日ではなかったが、女将は言った。
「百も呼んだら腹が減るだろ」
カイが大きく頷いた。
「絶対減ります」
エルネも笑って椀を受け取る。
ミアはアイリシアの歌を子どもたちに教え始めた。
リゼは疲れた顔で名簿を確認している。
セレノは黒翼騎士団の名をもう一度書き写していた。
ユノは少し離れて、その光景を見ていた。
父が隣に来る。
「百か」
「うん」
「まだ続くな」
「うん」
「怖いか?」
ユノは少し考えた。
「怖い。でも、前よりは怖くない」
「なぜ」
「一人じゃないから」
父は微笑んだ。
「それでいい」
ユノは星灯坑を見た。
百の光。
戻った名。
消された名。
罪ある名。
星の名。
まだ戻らない名。
全部が、地の底で灯っている。
空にはアイリシアがある。
遠く星の泉にはルナエルがいる。
東にはアイリシアの塔がある。
ネリオには栗の木がある。
ベルフィアには鐘がある。
北の丘にはリリアの墓がある。
名前は、世界のあちこちに灯り始めていた。
その夜、ユノは星灯坑の奥へ一人で入った。
百番目の透明な光の前に立つ。
「まだ戻らない名」
光が揺れた。
「待ってる。急がない。でも忘れない」
透明な光は、返事のように優しく瞬いた。
背後から、ミアの声がした。
「ユノ」
「いる」
ミアは隣に来て、透明な光を見上げた。
「百ページ目みたいだね」
「え?」
「なんか、ここまで来たんだなって感じ」
ユノは少し笑った。
「そうだな」
カイもやって来た。
「何してるんだ?」
「百番目を見てた」
リゼも来る。
「節目ね」
エルネも。
「百の星……」
セレノも少し遅れて現れた。
「記録しておくべき光だ」
父も入口に立った。
気づけば、みんながいた。
ユノは透明な光を見つめながら言った。
「次は、まだ戻らない名を探す旅になるのかな」
リゼは頷く。
「おそらく。灰の記録庫にはまだ封名札がある。アイリシアの塔にも空白の額がある。星の泉にも、ルナエルが見届けている名がある」
ミアが記憶灯を抱えた。
「忙しいね」
カイが笑う。
「でも、嫌じゃない」
エルネが頷く。
「私も、手伝いたいです」
セレノが静かに言う。
「私も、逃げずに記録する」
父が最後に言った。
「なら、明日も食べてからだ」
その言葉に、みんなが笑った。
重い光の前で、笑えること。
それもまた、百の名が教えてくれたことだった。
ユノは透明な光へ手を伸ばさず、ただ見つめた。
待つ。
呼ぶ。
記録する。
歌う。
食べる。
帰る。
また旅に出る。
それを繰り返して、名前は世界へ戻っていく。
百番目の星は、まだ名前ではなかった。
けれど確かに、そこにあった。
まだ戻らない名。
それは、これからの旅へ続く扉だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
100ページ目では、星灯坑に灯った百の名を振り返りました。
百番目は、まだ正式な名前ではない“まだ戻らない名”。
戻った名だけでなく、これから戻る名も守るために、ユノたちの旅は続きます。
次のページは『まだ戻らない名』です。
百番目の透明な星が、新しい旅の手がかりを示します。




