方源は生来慎重な性格で、世の中的に他者は一切当てにできず、真に頼れるのは己のみだと確信していた。
故に、六臂天尸王の殺招を手にした時、即座に其の研究に取り掛かったのである。
此の殺招は、元々(もともと)彼の基盤の上に修繕を加えて得られたものだ。
其れに加え、此れまでの日々(ひび)、墨瑶の指導の下で、方源の煉道の造詣は絶えず深まり、眼識も以前とは比べ物にならぬ程に向上していた。
従って、彼の六臂天尸王へ理解は、既に明瞭透徹の域に達していた。
此の時、彼は完成形の殺招を目にし、試驗するまでもなく、其れが極めて完璧なものであることを看取した。
墨瑶は原版を基に、数多の補助蛊虫を削除し、核心と六大支柱蛊虫には手を加えず、代わりに幾つかの補助用途の蛊虫を追加していたのである。
其の巧妙な箇所に気付き、方源は絶え間なく賞賛の声を上げた。
脳裏で、墨瑶意志が説明した。
「此れは潘平と常飚の身に付けていた心意蛊の功績よ。彼等の詳細な体感と心得が有ってこそ、此の程までに修繕できたのです。此の殺招は既に極致まで完成されており、一炷香の時間を超えなければ、如何に頻繁に発動しても体内に尸気が蓄積せず、尸斑も生じません。」
方源は頷き、墨瑶の言うことが虚では無いと理解した。
此の殺招は実に極致まで完成され、此の思路に沿えば最善が尽くされている。
今後、仙蛊を追加するか、核心蛊虫を取り替えない限り、此れ以上の改良の余地は無いだろう。
しかし仙蛊を追加すれば、必ずや元の体系が崩れ、再構築により面目を一変させる。
正に「一髪を引けば全身が動く」が如しである。
仮し核心蛊虫を取り替えれば、それは思路全体の変更を意味する。
思路が変われば、殺招全体が様変わりし、再構築後は「六臂天尸王」と言うより、寧ろ新しい殺招と称すべきものとなる。
総合的に観ると、六臂天尸王の殺招は、核心蛊であれ支柱蛊虫であれ、或いは補助蛊虫に至るまで、極致まで高められ、完璧な調和を実現している。
もはや修整の余地は無いと言って過言では無い。
但し、依然として後遺症は残る——
一炷香の時間制限を超えると、尸気が蛊師の身体を侵食し始める。
制限時間を大幅に超えて使用すると、蛊師が完全な僵尸へと変貌する危険性さえある。
しかし、此れは蛊師の使用不適切に起因するもので、完全に回避可能だ。
何故なら、使用回数が幾ら増えようとも、尸斑が蓄積することは無いからである。
蛊師は頻繁に殺招を発動することで、長時間の使用効果を擬似的に得ることができる。
然し、方源は此の様な多大な成果に対しても、未だ少しの不満を抱いている。
「貴様に殺招を完善させる他の思案が有るなら、本宗師は耳を傾けてやろう。」
墨瑶は幽かな冷笑を発した。
「此の段階まで来れば、六臂天尸王は既に極致に達しており、改良の余地は無い。
だが、依然として一点、本座を満足させない部分が有る。
其れは此の殺招の後遺症だ。」
方源は言い放った。
「改良を経て、現の六臂天尸王は威力が倍増し、持続時間も一炷香に伸びた。
凡塵の如何なる挑戦にも十分対処できる。
其方に何の不満が残ろうか?
知るが良い、凡ての殺招は蛊虫の組み合わせ運用であり、蛊虫を使う以上、必ず弊害が伴う。
殺招の後遺症は避け難、只だ其の程度が酷いものも有れば、微かなものも有る。
此の如き力道殺招の威力の強さは、我が記憶の中でも五指に数え入る。
小僧、其方は人心不足蛇って象を吞むような真似は止めよ。」
墨瑶は訓戒するように言った。
方源は冷ややかに鼻で笑った。
彼の仮想敵は、正に蛊仙――凡俗を超越した存在であったのだ。
六臂天尸王を手に入れた方源は、たとえ奴道を捨てたとしても、凡塵を縦横することができる。
しかし蛊仙に対抗するには、まだはるかに及ばない。
凡をもって仙を討つという目標は、あまりにも傲慢で、人々(ひとびと)を震撼させるものだ。
方源はそれを軽蔑し、墨瑶に告げるのも適切ではないと考えた。
即座に、彼は言葉を続けた。
「凡事は予め備えれば成り、備えなければ廃る。
万一ある日、状況が特異で、殺招を使い過ぎて僵尸に変わってしまったらどうする?
六臂天尸王の殺招がもはや改良できないことも理解している。
次は、此の後遺症を解決しなければならない。」
墨瑶は初めて方源の真意を理解し、沈黙に陥った。
方源は若年にして志を遂げ、墨瑶は彼に此の様な慎重な一面が有るとは予想していなかった。
実を言えば、此れには墨瑶も方源を見直すところが有った──
「此奴は、天分も有れば資源も機縁も有り、更に性格も堅忍で、柔軟に対応できる。
一方では勇猛に突進し、他方では慎重さを兼ね備え、行き届いた配慮ができる。
此奴は、遅く早く天下に名を轟かせる日が来るだろう。」
沈黙は短かった。
間もなく、墨瑶は低吟した。
「此の後遺症を解決するのは、少し面倒だ。
六臂天尸王は、普通の僵尸では無い。
尸気が極度に濃厚で、蛊師が一旦転化すると、陰陽轉身蛊さえ使えなくなるのだ。」
「煉道の宗師たる貴様にすら、手段が無いというのか?」
方源は信じなかった。
墨瑶は挑発に乗らず、淡々(たんたん)とした口調で続けた。
「五転蛊師が一人必要だ。六臂天尸王へ完全に転化した者で、其の身で実験を行わねばならぬ。
此の被検者の全ての協力が要る。常時其の状態を把握せねばならぬ——身体の変化、心中の情動、体感や悟り……
此れらは皆、重要な参考情報となる。」
墨瑶は深く思考することを避け、自らの消耗を極力抑えたかった。
彼女は以前と同じ手口で、生身の人間を使った実験で、困難な推論過程を代行させようとしていた。
方源は眉をひそめた。
「五転蛊師だと?
其れも全てに協力させるというのか?」
「然に然り。最も良きは、彼(彼女が心より望んで協力することである。
何故なら、奴隷蛊などで強制した場合、情緒の自然な流露を妨げ、僵尸へ変身する際の体感や感得を損なうからである。」
此れは難題である!
方源が六臂天尸王の後遺症解決を試みるならば、五転蛊師を見つけ出さねばならない。
更に、彼(彼女が心から望み、方源の言に耳を傾け、生死を賭けて全面的に実験に協力する必要がある。
方源は何処に其の様な者を求め得ようか?!
三日後。
中枢室にて。
墨液の渦の中から、楼主令が冉々(ぜんぜん)と上昇し、緩やかに方源の手の平へと飛び移った。
再び煉道殺招「墨化」を催動し、五角楼主令は六角へと昇華した。
方源は喜憂半ば(きゆうなかば)する思いだった。
喜びは、六角楼主令を手にしたこと。
只だ黒楼蘭が手にする楼主令が四角に昇るのを待ち、奪い取って合煉し、十角楼主令を完成させれば良い。
十角楼主令を手にすれば、巨陽仙尊の真伝の一つを継承できる!
仙尊の真伝は、誰にとっても非常に大きな誘惑である。
憂いの理由は、此の第六次墨化の為に、方源は本当に蓄えを尽くしてしまったことだ。
資金調達の為、彼は以前の仙蛊残方を再販し、其の結果此れら残方は全く価値を失った。
同時に、彼は大量の石人、狐群、狼群、蛊虫、更には貴重な毛民や少数の泡沫魚までも放出した。
例えば、以前の四転詩情蛊、金龍蛊、金風送爽蛊、五転の数種の泉蛋蛊、金剛怒目蛊、点金蛊、松骨蛊、烏七蛊、蛛絲馬跡蛊も、すべて売り払ってしまった。
「現在、我が手に残るは、空窺の中の奴道と力道の蛊虫のみ。
狐仙福地には、血海老祖の真伝の一つである四転血頭蛊、三転骨肉団円蛊、既に陰蛊を使い果たし陽蛊のみが残る陰陽轉身蛊が保管されている。
他にも星門蛊、洞地蛊、通天蛊、神念蛊、葬魂蟾などの補助蛊虫が若干ある。」
此れらの蛊虫の中には、重大な関わりを持つため軽々(かるがる)しく流出できぬものもあれば、必要不可欠(ひつようふか欠)で使用せざるを得ないものもある。
「狐仙福地は殆ど枯渇同然で、一時期の休養生息が必須だ。
然し我が手には六角楼主令が有り、八十八角真陽楼の内任意の六層を支配できる。
此の六層の各関卡の褒賞は、我れが自由に収得可能である。
此の富は極めて膨大で、仮し全て(すべて)を手中に収め得れば、我が資産は元の基盤から六十倍以上も暴騰するであろう!」
方源の心中には既に計算が巡っている。
しかし現時点では、此れら富に手を付ける訳には行かない。
黑楼蘭は大勢の強者を集結させ、既に第五層を最終関卡まで攻略しつつある。
遠くない将来、彼は一角楼主令を手にすることだろう。
此の令を以てすれば、八十八角真陽楼の何層であれ、各関卡の褒賞を閲覧できるようになる。
方源が若し其中の褒賞を抜き取ってしまえば、途端に馬脚を露わすことにならないか?
「最終段階に至り、王庭福地が閉鎖され、人々(ひとびと)が送り出される瞬間に、褒賞を抽出すれば良い。
其の時こそ、人知れず事を運べるのだ。」
……
轟!
熊掌が地を強打し、瞬く間に地動山揺す。
石塊が砲彈の如く飛散する。
煙塵が散じた後、五、六個(ご、ろっこ)の馬車程も巨大な熊掌が徐ろに上げられ、地面には巨大な深坑が残された。
不幸にも熊掌の直撃を食らった四転蛊師は、鮮紅な肉泥と化し、骨片や脳漿と混じり合っていた。
「速さが速過ぎる! 反応する暇すらない。」
「最終関卡は、流石に天に登る如き難易度だ……」
「此れで只だ一頭の飛熊の虚像、本物の半分の威力に過ぎない。
本物の荒獣飛熊なら、我々(われわれ)は逃げる事さえ出来はしない!」
戦場に居る蛊師たちは、各々(おのおの)傷負い、狼狽し、肝を冷やしていた。
第五層の第百関卡を鎮守するのは、一頭の荒獣飛熊の虚像であった。
其の体躯は巨大で、恰かも小山の如し。
全身は白毛に覆われ、霜雪の如く潔白である。
体には野蛊が揃い、何れも良質なものばかりだ。
攻勢は猛烈である上に、動作は軽やかで、電光の如く迅速であり、其の少し臃腫した体形と不釣合いである。
戦い始めて一炷香も経たぬ内に、関を破らんとする蛊師たちは、既に甚大な被害を被っていた。
「族長様、此度は撤退された方が宜しいかと。
今回は偵察が主目的であり、既に飛熊の蛊虫はほぼ把握致しました。
我々(われわれ)の目的は実は達せられております。」
孫濕寒は黑樓蘭の傍に立ち、諫言した。
黑樓蘭は眉をひそめ、戦場を見渡した。
彼は兵をよく知り戦いを巧みにする者である。直ちに味方の士気が低迷していることを悟った。
「八十八角真陽楼に挑んで以来、最も強き敵は此の飛熊の虚像である。
之を倒すには、我々(われわれ)のみでは遥かに足りぬ。更に多くの助力を集めねばなるまい。」
黑樓蘭は心中で覚悟を決め、冷ややかに鼻を鳴らし、一言を吐いた。
「撤。」
孫濕寒は胸を撫で下ろした。
彼のみならず、其の他の蛊師たちも、早くから退却を望ってはいたが、黑暴君の凶名を畏れ、口に出せずにいたのである。