一日後。
夜宴。
「此度は貴族の御曹司が、小娘を救い下さいまして、常某感激の至りに存じます。
此の第一杯は馬族長に捧げ奉らん!」
常飚は杯を掲げて笑みながら宣う。
馬英傑は慌てて杯を挙げ、謙って言う。
「只だ僥倖の巡り合わせに過ぎませぬ。
図らずも常飚閣下の令嬢をお救い出来ましたことは、此方の者・鴻運の誉れと存じます。」
「呵呵呵。」
常飚は大笑いし、一気に杯を干す。
馬英傑も亦同じく杯中の酒を飲み干した。
馬鴻運はちょうど其の傍に座っており、今や宴席の主役と化り、数十の目線が一斉に彼に注がれていた。
其れら探るような、好奇の、疑わしげな眼差しを感じ取り、馬鴻運は少し居たたまれない様子であった。
常飚は静かに杯を置き、傍らに座る潘平を目配せした。
前もって打ち合わせてあった通り、潘平は合点し、馬鴻運を見て言った。
「賢任、其方が如何にして英雄の如く佳人を救ったか、語って聞かせよ。」
「わ、私は……」
馬鴻運は口籠り、言葉が続かなかった。
実を言えば、彼自身も、どうやって救ったのか分からなかった。
当時は必死に逃げるだけで精一杯、背後には天を覆う鉄嘴鳥が舞い、緊迫した状況下では、常麗を助けたときでさえ、深く考える余裕などなかった。
潘平は目を見開し、馬鴻運の口から一言でも出るのを待ち侘びていた。
幸い、常飚は前もって馬鴻運の性格を見抜き、手を打ってあった。
其れ故、さっと目線を転じ、座中の一人を見やった。
其の者は直ちに席を立ち、中央に進み出ると、拱手して申し上げた。
「常飚長老、諸兄の皆様、小生こそ、当の当事者の一人に御座ります。
全ての経緯を此の目で視届めました。
馬鴻運様は寛厚にして謙遜、其の功績を鼻に掛けること御座いません。
然れど小生、英雄の埋もるるを忍びず、僭越ながら此の酒興に乗り、御座る皆様にご叙述申し上げたく存じます。」
此の言の端を聞いただけでも、其の者が口達者であることが分かる。
常飚は頷いた。「然らば語ってみよ。」
其の者は口を開き、語り出した。
言葉は確かりしており、情が込められて生き生きとして、山あり谷ありの起伏に富み、色とりどりに描き出す。
馬鴻運を孤高の英雄として描き、事に臨んで果断にして、勇あり謀あり、艱難をも恐れぬ者とした。
皆は語りを聞き、折に触れて喝采し、口々(くちぐち)に賞賛した。
馬鴻運へ向ける目も亦、変わり果て、尊敬と温和と賞賛の眼差しと化った。
馬鴻運は目を瞠り、耳を傾けて聞いていたが、其れは天の書を読む如き有様であった。
心中信じ難く思う。
「此奴の語るは我が事なるか?
我何つれの時にか、斯くまでに勇ましきことを為しし?
其は看違えならぬか?」
信じ難きは、他に一人、即ち馬英傑なり。
馬英傑は馬家の族長たり。一世の英傑として、馬鴻運の性情為人を熟知す。
如何して此くの如き綺語に誑かされんや?
表向きは淡く微笑し、妙なる所に至れば、絶えず肯き、馬鴻運に認可の眼差しを投じつつも、心中には琢磨す。
「馬鴻運が僥倖に乗じて常麗を救いしは、何ら怪しむに足らず。
然れど何故常飚長老は、サクラを遣い、斯くの如く馬鴻運のために弁ぜしむるか?
常飚は何を図る?
今日此の夜宴、数十の賓客あれど、真の主役は唯二人、即ち常飚と潘平なる二人のみ。」
馬英傑は心中密かに警戒を強めた。
馬家は王庭之争に敗れ、盛りから衰えへと転じ、馬英傑の師匠も父も戦陣に散った。
艱難辛苦と挫折が、馬英傑を速やかに成熟させ、一りの英傑へと成長させたのである。
彼は常飚の企みを暗り推量しつつも、表向きは微だに色に出さなかった。
今の馬家は衰退し、常家は方源の故に、天を衝く勢いである。
潘平は魔道を脱し、黒家に転じ、今や黒家の外姓長老という身分である。
此れら両名の内、誰一りとて、現在の馬家、現在の馬英傑が逆らえる相手では無い。
「善し、善し、善し。」
其の者が馬鴻運の英雄事跡を語り終えた後、常飚は三つも善しと叫んだ。
「果たして英雄は少年より出ずとは此の事よ。」
常飚は馬鴻運を見つめ、惜しみ無き賞賛を送る。
一呼吸置いて、更に続けて言う。
「古より、英雄は美人を愛で、美人は英雄に配すと申します。
衆に隠すこと無く申せば、娘が救われて戻りし後、常に黙り込み、魂ここに非ずの状でございます。
其の訳を問い正して初めて知り得たことは、娘が心を寄せる者有り、危難の中で己を救いし英雄的少年に、思いを焦がせているという事実でございました。
此度此の宴を催しましたのは、一つには感謝の意を表す為、二つには正に此の故でございます。」
此の言葉一出、堂中大いなる嘩然と為りき。
数多の眼差しが、羨望や嫉妬、衝撃、信じ難き思いを込めて、馬鴻運へと注がれた。
「此奴は如何なる棚ぼたを拾ったのだ?
常家の令嬢の寵愛を得るとは!」
「常麗は清雅で愛おしき娘というに、何と其様な間抜けを選ぶとは?
ああ、然ると知りせば、我も鉄嘴鳥の棲む密林へ赴きしものを。」
「常麗は常飚長老の実子では無いが、幼き頃より養育され、常に寵を受け、長老の掌中の珠である。
馬鴻運の此奴、若し常麗を娶らば、舅は常飚となるのだぞ!」
瞬時く間に、衆人の心緒は沸騰した。
馬英傑は呆然とする間も無く、速やかに我に返った。
「果たして此れが、常飚が大々的に宴を催うす理由なのか?
例え昔の蘇仙が夜奔した故事有りと雖ど、此の話は少し出来過ぎてはおらぬか?」
然れど、更なる驚愕は後に続く。
衆人の面前に、常飚は二つの白銀舍利蛊を取り出した。
「長江の後浪前浪を推す、と申します。
賢任は我が北原の少年英雄、賞せずんば有るべからず。
此の二つの白銀舍利蛊は、救命之恩への些かな謝意に御座ります。
何卒賢任にお納め頂きとう存じます。」
堂中の騒めきは、一層大きくなった。
「は?」
馬鴻運は慌てて馬英傑を振り返見た。
馬英傑は微かに肯き、笑みながら指導した。
「長者の賜う所、敢えて辞せず。
鴻運、急ぎ跪き礼拝して恩賞を謝せよ。」
馬鴻運は慌てて席を離れ、進み出でて跪き礼拝した。
「常飚閣下、賞賜賜わり奉りて、感謝の至りに存じます。」
常飚は呵呵大笑し、自らも席を立ち、手ずから二つの白銀舍利蛊を馬鴻運の手に渡した。
衆人睽睽の目の下、彼は親しげに馬鴻運の手を叩き、問う。
「賢任、我が娘に就き、如何なるご感想をお持ちでござるか?」
「は、はあ……?」
馬鴻運は顔を上げ、顔中を真赤に染め、言葉に詰まった。
暫し沈思した後、遂に喉を絞るようにして零した。
「常麗お嬢さまは……美しい、大変お美しいです。」
「はははは!」
常飚は天井を仰向け大笑いした。
「それで良し、それで良し。
賢任、どうぞお席にお戻りください。」
再び着席し、宴は続けられた。
夜宴は夕暮れから夜半まで続き、賓主尽く歓しみ、各々(おのおの)去って行った。
人々(ひとびと)が散り散りになるに従い、
「常家の令嬢が嫁入り、幸運児・馬鴻運」の噂は、
忽ちの内に広く伝わり始めた。
二日目、常飚は再び馬英傑と馬鴻運を宴に招いた。
但し此度は規模が更に小さく、前回の大宴とは異なり、僅か数名のみの招宴であった。
馬英傑は手にした請柬を眺め、目を凝らして沈思する。
宴から帰りし後、一晩中眠れず、此の件を琢磨していた。
小さな請柬が、彼の手の中で、異様な重みを感じさせる。
彼は請柬を机に置き、下僕を呼び付けた。
「行け、馬鴻運を呼び寄せ、謁見せしめよ。」
僕従は慌てて命令を受け、馬鴻運の住居に駆け付けた。
丁度其の時、趙憐雲が馬鴻運に對して機宜を授けている最中であった。
「此の間抜け、何の犬の糞を踏んだのか、斯くも運が良くなるとは?
然し此の事は良過ぎて、却って人の心を不安にさせる。
私が思うに、馬英傑族長は必ずや貴様を呼び出して此の事を問いただすであろう。
其の時は有りの侭を語り、少しも隱す所有べからず!」
「は、はい。」
馬鴻運は直ぐに受け答えた。
「尚、」
趙憐雲は大きな目をキョロリと動かし、
「常飚が貴様に二つの白銀舍利蛊を賜わったであろう?
族長が貴様を召した時、此れら二つの蛊を献上せよ。」
「何ですと!?」
馬鴻運は二つの目を瞠り、声を上げて叫んだ。
「此れは我が命懸けで、辛うじて得たもの!
常飚様から賜わった蛊虫で、使えば二転高階に直ちに昇進出来!
何と素晴らしいことでしょう!」
「此の間抜けが!」
趙憐雲は怒りで馬鴻運の脛骨を蹴った。
馬鴻運は直ぐに脛を抱え、痛さに叫んだ。
「何で又俺を蹴るんだよ!」
趙憐雲は白眼を向け、業を煮やして叱り付けた。
「貴様に何が分かる!
例え二転高階になろうと、貴様の腕前で何が出来る?
我々(われわれ)二人の立身の基は何だ?
二転の修為では無く、馬英傑族長との情誼だ!
貴様は如何にして二転に昇った?
馬英傑族長が貴様に下さった三つの青銅舍利蛊だ!
白銀舍利蛊を献上すれば、忠誠を示すことになる。
族長が貴様の其の二つの白銀舍利蛊を着服すると思うのか?
ふん、族長自身は使えぬもの、必ず受け取って、然る後に返して呉れるに決まっている!」
「あれ?
族長が蛊を受け取ったのに、何故返してくれるの?」
馬鴻運は首を傾げて問い質した。
「馬鹿!」
趙憐雲は又白目を向けた。
「馬家は今衰退し、族人数も少なく、百事休すで再建の最中。
族全体で三転家老の馬由良一人が居るだけ、そ(れ)も身体障害有り。
馬英傑は新しく首領となり、使える人材が少ない。
其は一族再興に一心、今正に人材を登用し、腹心を育てようとしている時。
貴様は元は費と名乗っていたが、今は馬を名乗り、何より馬英傑の奴僕長だった。
馬英傑は貴様の根も葉も知り尽くしている。
他の者より貴様を使う方が安心出来るのだ。
貴様が蛊を献上し、忠誠を示せば、其は必ず喜び、貴様の蛊を受け取るだろう——
其れは貴様の忠誠心を認めた証しなのだ。」
「然れど馬英傑は決して吝嗇な凡主では無い。
蛊を受け取るのは単なる姿勢示しに過ぎず、必ず貴様に返して呉れる。
何故なら――
其れは貴様を手本として、族員らに忠誠の手本を示さんが為だ。
私は想定する、彼は白銀舍利蛊を返すのみならず、更なる賞をも与えんと。
貴様は能力不足ながらも、忠誠心は有り。
此れを『千金馬骨を買う』と云うのだ。」
馬鴻運は理解し兼ねた様子で聞いた。
「千金馬骨を買うとは何の事ですか?」
「はあ……言って聞かせど解り兼ねまい。
とにかく私の言う通りにせよ。
必ずや貴様の為になる。」
「ふ、ふん……」
馬鴻運は頭を掻きながら、渋々(しぶしぶ)頷いた。
二人が話を終えると同時に、馬英傑の下僕が走り寄り、伝令を伝えた。
馬鴻運は言われた通り、二匹の白銀舍利蛊を献上した。
然し趙憐雲の予想に反し、馬英傑は蛊を受け取った後、馬鴻運に返そうとはしなかった。
此れに馬鴻運は帰った後、趙憐雲に対し大きく怨み言を並べた。
「豈我が予測違いたりしというのか?」
趙憐雲も亦少し困惑した。