深幽たる大殿の中、只だ一人方源のみが立ち尽くす。
死の如き沉寂が垂れ込める。
昏黄の光暈が一體と繋がり、蛊屋の形を成す。
光屋の中には、無数の屍体が累々(るいるい)と横たわる。
二百に近き蛊師たちが、惨死を遂げていた。
其の屍は、或いは全身鱗甲に覆われ鉄の如く硬直し、
或いは怪腕を生やし顔面を歪め、
或いは爆散四散し、断肢碎片と化して散乱せり。
方源は顔色を沈凝とし、脑海の中で墨瑶を詰った。
「此れが貴様の構想し出した殺招というのか?」
墨瑶は却って理を堂々(どうどう)と説いた。
「此れら蛊師は必ず死ぬる定めであった。六臂天尸王は力道上の殺招にして、蛊師の身体に極めて高きを求む。
今見るに、例え貴方の力道の底蕴と雖も、此の烈度に耐え担うは難し。」
方源は冷ややかに鼻を鳴らし、不満を込めて言った。
「此れが貴様の解釈か?
我れに見抜けぬとでも思うのか?
此の殺招は欠陥山積なり。
最初に五六十人が即死し、中盤までに百人近くが斃れ、後期に至っては六七人のみが辛うじて持ち堪えた。
欠点は少なく見積もっても十七箇所!
忘れるな、我々(われわれ)には協定が有るということを。」
「ふふふ……」
墨瑶は嬌声を上げて笑い、脅されても意に介さず、
応えた。「小弟弟、焦りは禁物よ。
六臂天尸王は未だ草創期の域、少しの瑕疵は仕方あるまい。
此れから徐々(じょ)に修繕を重ねれば、徐ろに理想の域に近づくであろう。」
彼女は方源に応えながら、心の内で思う。
「此の小僧、只者ではない。良くも十七箇所もの欠陥を見抜いた。
普通の煉道大師の造詣では十一箇所が見える程度。
其の力道の修為も、準宗師の域に触れているのか。」
然し墨瑶は知らない。
方源が実は一芝居打っていたことを。
「我れが見抜いた欠陥は七箇所のみ。
敢えて十を加えて言い、彼女を試そうとしたのだ。
此の殺招の欠陥は、十七箇所どころではないらしい。」
方源は心中で計算する。
墨瑶が彼の深浅を測る中、
方源も亦墨瑶の素性を探っているのである。
六臂天尸王。欠陥重畳し、試驗に用いた蛊師は全員死亡す。
然れど方源は憂いずして反って喜ぶ。
「道理を以てすれば、墨瑶は煉道宗師の境界を有す。
仮令え草創の殺招と雖ども、斯くの如く多き欠陥あるべからず。
墨瑶が煉道宗師なるは真なれど、今此処に在るは、彼女が残した一意志に過ぎず……」
方源の妥協は偽り、墨瑶の意志を根絶せんとする打算は、実は変わらずあり続けている。
今の試探が、墨瑶の意志の一つの弱点を暴き出した。
「我れは智道に詳しからずと雖ども、先に大なる代価を払い、宝黄天より多くの高価なる情報を購入せし。
其れも価値ありしものとなった。」
「智道は智慧を求むる道なり。『念』『意』『情』の三つに分かつ。
念は基礎なり。凡なる人思考する時、自ずから一つ一つの念が生ず。
許多の念が凝集して、意を成す。
異なる意が絡み合い止まず、情を形づくる。
念は雑草の如し。焼き尽くせども吹けば又生ず。
意は変転自在なり。或いは鋼鉄の如く硬く、或いは蒼空の如く渺茫たり。或いは烈火の如く燃え盛る。
而して情は水の如し。浅薄なるときは細流の若く、断ち切り難し。
深沈なるときは汪洋の如く、天を滔とうと覆い地を覆す。
此の三つの中、情は最も根絶し難、意は其れに次ぎ、念は最も摧き易けれど、また最も生じ易し。
我れは慶ぶべし、今我が脑海に留まるは、墨瑶の意のみにして、其の情に非ざることを。」
「人思考する時、念を生じ、念と念が相撞き合い、或は滅び或は融け合う。
最終的に新しき念を生じ、此れを以て思考の結果と為す。
然らば一段の意志は如何に?
呵呵呵……」
方源は妙なる所を想い至り、思わず腹中に冷笑を滾らせた。
無秩序な念を無闇に集め合わせれば、即ち意志が形成される訳では無い。
然れど意志は、正に無数の念の結晶に他ならぬ。
一旦意志が問題を思索すれば、自らが有する念を駆使し、互いに碰撞させ、新しき念を生じて思考の結果を得る。
「墨瑶は煉道宗師なれば、其の意志も亦煉道宗師の境界を継承せり。
然るに欠陥多き六臂天尸王を構想せるは、其の能力足らざるに非ず、
己が安危を顧み、深く思索するを敢えざるが故なり。」
此に至り、方源は墨瑶の意志の弱点を看破した!
生ける者の思考すら、絶え間なく続けば尚お身体を損なう。
ましてや、遺されし一片の意志においてをや。
意志は思考を重ねる程に、自らを消耗し、脆く弱って行く。
若し墨瑶が生存しているならば、其の意志の消耗した念は、彼女の脑海において補わるるを得た。
然るに現状は──墨瑶は既に死している!
何故彼女の意志が、近水楼台の中で永しえに眠り続け、方源の到来を待って初めて驚き覚めたのか?
其は正に、意志は常に清醒たるを得ざるが故である。
清醒している時の思惟の敏捷さは、即ち思考を意味する。
思考すれども補給無ければ、意志は次第に脆弱となり、最終的には消え失せるのである。
再び八十八角真陽楼を看る。
此の雄大奇偉なる八転仙蛊屋の中には、巨陽仙尊の意志が棲息せり。
然れど、強きこと巨陽仙尊と雖も、
其の遺されし意志は、今沈眠せり!
巨陽意志と雖ども、墨瑶意志と雖ども、
共に無根の水にして、何れの補給も得ず、
唯だ弱まる一途なり。
「我が智道の造詣は、浅薄極まり無し。
然れど我れには一つ、巨大なる利点有り。
其れは我が未だ生き在りと云う事なり。
現段階では、墨瑶意志に匹敵し難しと雖ども、
只だ時間を以て対峙せしめば、彼は消え我れは長ぜん。
結果は必ずや我が勝利ならん。」
此の一歩まで思考を巡らせし方源は、
此の方面に関する思考を停めたり。
畢竟、彼の脑海には墨瑶の意志が潜む。
思考過多れば念多く、仮令空念蛊を用いると雖ども、墨瑶に破綻を見破られぬ保証は無し。
「はあ……」
大殿に、方源の幽かな嘆息が響く。
墨瑶意志は巨大なる累赘たり。
方源が問題を思索する毎に、顾忌を要せしむる。
元来、王庭福地に潜入し、江山如故仙蛊を謀るは、既に心機を費やし、思慮を竭さしめたり。
今又此の大敵を加え、己が脑海に潜伏せしむるにより、
方源は鼠を撃てば器を恐れるが如く、毎回思考するに当り、
他事を顧みて言い紛らわし、余計な念を雑えざるを得ず。
此の程の思索は、若し以前なれば、只だ心を落とし着けて精神を凝らせば足りしことなり。
然れど方源は今此れを為し、心力尽き果て、疲労困憊の感有り。
墨瑶意志は此の嘆息を聞き、方源を誤解して、直ちに慰めたり。
「呵呵呵、小弟弟、若きを以て当に奮発図強すべし。
何ぞ蕭索たる嘆息を為すや?
安心せよ、我れは既に殺招を改良せり。
其の中六匹の蛊虫を換え、更に三匹を加うるを要す。」
「ふむ?」
方源は眉を上げつつも、声色を動かさず、
「詳しく聞かせよ。」
墨瑶は即ち一つ一つ詳説せり。
方源は狐仙福地を有し、宝黄天と通じて凡蛊を換えるに問題なし。
同時に、方源は葛光・常極右の両人に命じ、密かに蛊師を捕えさせ、大殿に連行せしむ。
三日後、再び人体試験が行われた。
試験結果は前回より幾分か良好なりしも、未だ欠陥残る。
墨瑶は結果を踏まえ、再び改良案を提ず。
方源は其の言に従い、斯くの如く三度五度と繰り返す。
煩わしと為さず。
彼は心に明らかなり:
墨瑶意志は煉道宗師の境界を有すれど、深く思索して自らを弱めんとはせず。
故に絶え間ない試験により、現実の効果を以て、自が思索の力度を減らさんとす。
然れど、斯くの如くするも、墨瑶意志は尚思索を要す。
如何にして殺招を改良すべきか?
此の問いの答えを得んとせば、思索は避け難し!
斯くの如く思索する回数重なるに従い、墨瑶意志は次第に弱まりゆく。
方源は草を打って蛇を驚ろすことを欲せず、
既に持久戦の準備を整えたり。
斯くして半月余り過ぎ、第十五回の試験を迎えたり。
大殿の中、屍体累々(るいるい)として遍し。
方源は、六臂天尸王殺招を構成する十数の蛊虫を悉く収め、
地面を一瞥して、満足げに微かに肯けり。
試驗の対象たる蛊師らの修為は低く、六臂天尸王といふ強力なる殺招を承け容るるは難く、必死なるは疑ひなし。
然れど、如何なる死に方を遂げ、死後の形態如何なるかは、鍵なる所なり。
今、地上に横たはる此れらの屍体は、悉く僵尸と化け、全身昏黄の鱗甲に覆はれ、背後には六本の腕を生じ、其も亦鋭き鱗片を具ふ。腕は同じ程の太さにて、筋肉漲り、手先に至っては漆黒となり、爪は皆鋭く兇惡なり。
「六臂天尸王は、借力蛊を核心とし、六大飛僵蛊を基石とし、其の他十八匹の蛊虫を以て補(おぎなふ。
厳格に言へば、変化道の殺招にて、尸気を凝し、人をして飛僵と化しむ。
斯くして、蛊師の身体強度は十数倍も上昇し、更に強き力道を担当し得る。」
方源は徐ろに口を開き、此れら日々(ひび)の心得を総括せり。
「然れど其の故に、尸気鬱結濃重にして、此の殺招の後遺症は甚だ重し。
仮令い補助蛊の中に、生機を増す三匹の蛊有りと雖ども、殺招を半刻ばかり維持するを得るに過ぎず。
大体斯くの如きであろう?」
方源は脑海の中の墨瑶意志に問い掛けたり。
墨瑶は笑い出し、
「小弟弟、言うこと筋道立てて理に適えり。
借力蛊を用いれば、天地気象の力を借り得れど、
仮令い力道五転の強者と雖ども、随意に施展する能わず。
故に我れは僵尸の体を用うるを思い立てたり。
僵尸の体は鮮活なる肉体より強く、且つ恢復卓絶にして、借力蛊と相俟って益々(えき)彰らかなり。」
「然れど蛊師は生者なり、尸気は死気なり。
汝が六臂天尸王と化ける時間長ければ長き程、体内の尸気は増し、
尸気生気を吞滅する時、汝は全く僵と化り、再び転回する能わず。
此れ即ち此の殺招の後遺症なり。」
「ああ、生気と死気は、泾渭分明にして、恰かも不倶戴天の敵の如し。
生死の融合は万古の難題にして、既に我が能力の範囲を超えたり。
我れは補助蛊の中に、特に生機を増す三匹の蛊を配置せり。
此れ已に極限なり。数多くすれば尸気を干渉し、軽くは殺招の威力を大降せしめ、重くは全殺招の崩壊を招かん。
数少なくすれば、戦闘維持時間を鋭減せしめ、実用性大降せん。」
方源、表向きは絶え間なく肯き、賛同を示せど、心中では冷ややかに笑う。
墨瑶の此の言は、大いに核心的話題を転移せんとする嫌疑有り。
生死融合は、確かに万古の難題なり。
始めより終わりまで、人死して尚生き、生死併存するなど聞いたこと無し。
然れど墨瑶は煉道宗師ならずや?
他の殺招を構想する能わざるべけんや。
何故必ず六臂天尸王を用わねばならぬ?
只だ彼女が思索の力度を節約せんとし、
故に方源の提供せし殺招「四臂風王」を、
少し改良を加えて得たるに過ぎざればなり。
方源は確信する、宗師境を以ってすれば、墨瑶は全く新しい殺招を構想する力が十分にあると。
「墨瑶此の者、乃ち異族にして、墨人なり。
我が族に非ざれば、其の心必ず異ならん。
故に此れら日々(ひび)、前後千名余りの蛊師を試驗に使い、彼女は正道人物、霊縁斎の仙姫なれど、淡泊として之を見る。
彼女が愛人は、名高き剣仙・薄青なり。
想うに、此の愛意の中には、恐らくは強者を推崇する心が多きを占むるであろう。」
薄青は「剣五洲を劈く亜仙尊」と称せられ、彼に比ぶれば、方源は一介の凡夫に過ぎず。
墨瑶の心中では、果たして死し去りし試驗品と大差なきではあるまいか?
「故に、此の世の事は、依る所は己が身のみ。
己こそ最も頼りになる。」
方源は心中で冷笑しつつも、看破を表にせず、墨瑶に請い教う。
「此くの如くして、六臂天尸王の殺招は、完備と為し得るか?」
墨瑶首を振る。
「未だ足らず。試驗の対象は低転の蛊師のみ。
我々(われわれ)は更に高転の蛊師を要す。
五转蛊師最良、若し力道五转なれば、則ち最も完璧なり。」
「力道五转?」
方源は微かに眉を顰む。
其の知る所では、己を除き、他に適任者無し。
方源は軽く首を振り、此の件を一先ず傍らに置くを決す。
「此の事は先ず急がず。
墨化に要する蛊虫は、既に揃えたり。
是れより再び八十八角真陽楼を探る時なり!」