「改めて言えば、此の中洲の蛊仙も並大抵では無い。良くも八十八角真陽楼の漏洞を見破り、斯くも見事に利用し得たものだ。明らかに、彼(あるいは彼女)も煉道の大家、いや、此の域に達する以上、少なくとも煉道の宗師と呼ぶに相応しい!」
「良くも仙蛊を一匹、伝承の品として遺したものだ。此れは真の仙蔵である!偽物の灰白石板を手掛かりとして用いた発想は、独創の匠心に満ち、実に奇抜な考えと言わねばなるまい。如何なる継承者を選定せんとしているのか……」
最も重要な密語が解けた事で、却って新しい疑問が湧き上がってきた。
方源は軽く首を振り、脳裏に渦巻く雑多な思考を払い落とした。
「何れにせよ、此の伝承は仙蛊に関わる。是が非でも試みる価値がある。次は関連する蛊虫の準備に取り掛からねばなるまい。此れには少なくとも半月余りは要するだろう……」
地中光を蘊み、芒は万丈高く、百里天に遊び、梅雪の香を詠う——
此の四句の言葉は簡素ながらも、方源に煉道の大師としての基盤が無ければ解読できなかったであろう。
現時点で方源が理解した成果に基づけば、八十八角真陽楼の偉力回流を借りて神秘の仙蛊を煉成するには、二百余りもの蛊虫が必要であり、其中四转・五转蛊だけで二十八匹に及ぶ。
此れは飽く迄も一回限りの成功を想定した場合の数量である事を忘れてはならない。
方源が煉蛊の準備を整えるには、少なくとも三倍量は必要だ。何故なら煉成過程での失敗により煉蛊が頓挫する事を防がねばならず、失敗時には予備の蛊虫が必須となるからである。
十六日後。
大殿の中で、黒楼蘭は「黒の暴君」の風範を遺憾なく発揮し、獰猛に咆哮し、心の怒りを恣に爆発させていた。
黒楼蘭に訓斥されて頭も上げられず、中には拳打蹴蹴を加えられる家老たちも、皆声も出せず震え上がっていた。
黒楼蘭は王庭福地に入って以来、性格が日増しに狂暴さを増していた。八十八角真陽楼が開かれてからは、更に拍車がかかり、火薬の樽のような性格と化り、些かの事で配下を罵倒し殴打するようにまでなった。今日に至るまで、既に三人の黒家の家老が重傷を負い、未だ病床に臥せったままである。
「族長様、決して我々(われわれ)が怠っている訳ではございません。此の七十八関は実に難関極まりません。守りを固める金白虎虚像の実力は強靭で、既に荒獣の三割程の力を有しております。此方は只の凡人の身、全力を尽くしても、辛うじて攪乱できるのみで、強力な攻撃手段に欠けております。其上、一たび金白虎が攻勢に転じれば、此方の蛊師たちには防ぎ様がございません。」
家老の筆頭である黒沛は、黒楼蘭の怒りが一息ついた頃を見計って、慎ましく進言した。
黒楼蘭は彼を睨みつけ、罵倒した。「其の言う事は全て戯言だ!金白虎虚像の攻勢は確かに強いが、我々(われわれ)が一丸となり、犠牲を厭わなければ、必ず制限時間内に倒し遂げられる!其れなのに貴様等は難を恐れて前へ進まず、我が黒家の勇武の名を地に落としている!」
家老たちは罵声に縮み上がり、眉を垂れて、誰一人として口を開こうとしなかった。
黒楼蘭の言い分は、実際的に考えれば一理ある。
金白虎虚像への対処は、初めての事ではない。
若し本気で犠牲を厭わず、進んで誰かが盾となれば、仮令金白虎虚像の爪の下に散ったとて、他の者に時間を稼ぐ事が出来るのである。
黒家の者共の攻勢は、綿々(めんめん)と力無きが如くに見えても、時間さえ十分に有れば、塵も積もって山と成り、必ずや群蟻象を噬むが如く、金白虎虚像を打ち倒す事が出来よう。
然るに現実は、金白虎虚像が一旦攻撃を開始すると、皆死を恐れて生き延びんとし、尻込みする為、黒楼蘭の八十八角真陽楼へ向けた攻略は此の関で足踏みし、一歩も前進できずにいる。
大殿中には、黒楼蘭の咆哮が轟々(ごうごう)と反響していた。
此の時、怒り狂えば六親とも見做さない此の黒の暴君に逆らおうとする者は一人もいない。
黒楼蘭は一しきり鬱憤を晴らした後、曇った面持ちで主座に着いた。
彼の心中には鬱積した憤りが渦巻いていた。特に、声も立てずに黙り込む家老達を眺めれば、腹立たしさが一層募るのであった。
怒りの他に、彼には無奈の念もあった。
王庭之争においては、此等黒家の家老たちは各々(おのおの)勇奮争先し、勇猛無畏であっ た。然るに此処に至っては、臆病風に手足を縮め、胆力は何処へ消え失せたのか?
実を言えば、黒楼蘭も内心では理解していた。
王庭之争では、賞罰は公明で、人々(ひとびと)は競って奮戦した。其ては名利の為、強きを求める為、生存の為であった。八十八角真陽楼に至っては、関を突破する褒賞は悉く族長の手に帰す。当然、人々(ひとびと)の闖関への積極性は低くなる。
最も重要な一因は、王庭之争は既に勝利し、生存の危機は最早無く、聖宮以外にも数多の伝承が存在する。只だ此の期間を安らかに過ごせば、王庭福地を出た後には、必ずや一層輝かしい未来が待っているからである。
己が身命を擲って盾となり、他を利する様な真似は、馬鹿げている! 黒家の家老連中は、一人一人が狸親父揃いだ。
生命を保つこそ最優先、其れ以外は、例え黒楼蘭に狗血浴びせられる程罵倒されようが、何の影響があろう? 仮令黒楼蘭に毆り倒され病床に就こうとも、死に比べれば些事ではないか?
黒楼蘭は家老共の腹芸を看過す筈が無い。
「例え我れが五转の強者と雖ども、人心を操る事は出来ぬ。心が離散しては、如何なる強き部族と雖ど統率難し。已むを得ぬ……」
黒楼蘭は心中で一嘆き、口を開いた。「既に然りとあらば、我れは已む無く八十八角真陽楼を開放し、衆知を集して関を攻めん。」
外部の援軍を招くには、来客令が要る。
然るに現の王庭福地には、黒家以外にも、耶律家や馬家など、数多の黄金部族の族員が存在する。
想い描くに、一旦黒楼蘭が彼等に八十八角真陽楼を開放すれば、此れら族員は競って群れ集まる事必定である。斯くして、彼等を盾として利用できる訳だ。
家老たちは黒楼蘭の此の言葉を聞き、互いに目くばせで暗黙の裡に意思を通じ合った。此の方法は自分達を第二線に退けられるが、彼等は少しも好んでいない様子である。
黒沛大家老が進み出て言上した。「族長様、此の計略は巧みでは御座いますが、御油断は成りませぬ。此等の者共は、確かに先祖の血を引いてはおりますが、所詮我が黒家の者では御座いません。一旦関を突破して利益を得れば、恐らく其れを吐き出そうとは致すまいと存じます。」
「其様で御座います、殿。」
黒旗勝家老も同調して申し上げた。
「我が黒家が肝胆を砕き、政に精励し、千辛万苦の末に此度の王庭之争で魁首を得ました。此の八十八角真陽楼は悉く我々(われわれ)の物、何故外部の者に利益を分配せねばならぬのでござりましょう?」
「此の様な措置には先例が御座いますが、歴史を繙けば、歴然として弱小部族が僥倖にも勝利を得た際、自力では関を攻め切れず、他の黄金部族を動員せざるを得なかった事例で御座います。然るに我が黒家は戦力充実、人才豊富、何故として他力を借る必要が御座いましょう?」
「哼!」
黒楼蘭は微かに眉を吊り上げた。
「戦力充実と申すなら、何故一頭の金白虎虚像さえ打ち倒せぬのか?貴様等の狗生畜生め、一人一人が己が身命を惜しみ、外部の者に危険を冒して働かせようとしながら、其の者が利益を得る事を恐れる。此の世に、其れ程都合の好い話が在ると思うか?」
家老連中とは異なり、黒楼蘭の心中には既に焦燥感が募っていた。
彼は大力真武体であり、必ず一つの力道仙蛊を手にしなければ蛊仙へ昇格することは叶わない。
更に、仙の位に昇って初めて、生命の危機を脱する事ができるのである。
然し八十八角真陽楼の中に果たして力道仙蛊が存在するのか? 何層目に在るのか? 此れらは皆未知数である。
故に、彼は慣例を打ち破り、黄金部族が協力して関を攻める局面を促す事に一心であった。一層攻略する毎に、手中の楼閣主令は昇格し、更なる攻略が容易になるのである。
此度の関で足止めを食らい、屡々(しばしば)戦い屡々(しばしば)敗れてはいるが、黒楼蘭に取って此れは寧ろ好機である。
彼は此の機に乗じて難題を吹っ掛け、再び堂上どうじょう)で怒号を轟かせ始めた。
怒号が大殿に轟き、人々(ひとびと)の耳を嗡えさせた。
黒楼蘭の威勢と凶名に憚り、家老たちは妥協せざるを得なかった。
黒沛大家老は憂慮の面持ちで言上した。「八十八角真陽楼を開放するは、洪水を放つに等しき。一旦勢いを得ば、必ずや惨憺たる損害を被りましょう。老臣の申し上げまするに、是が非でも抑制を加えるべし。狼王常山陰の教訓は、眼前の出来事で御座います」
此の言葉は、家老連中の深い共感を直ちに呼び起こした。
或る者は渋い口調で言った。「同感だ。狼王のあの無頼さと言ったら。利益を独り占めし、未だに閉関したきり。陰で嗤笑っているに違いない!」
或る者は軽蔑したように鼻で笑った。「八十八角真陽楼は全て我が黒家の物、彼に関を攻めさせたのは、目を掛けてやったのだ。其の結末が此の仕打ちとは。ふん、何が北原の英雄だ、実は恩を忘れた不義者と私は見る!」
或る者は冷たい目で言った。「私見では、此度の八十八角真陽楼開放には、常山陰を呼ぶ必要は無い。一つ教訓を与うべきだ!」
黒楼蘭は冷ややかに鼻を鳴らした。常山陰の振る舞いに対し、勿論彼も大いなる不満を抱いている。假令他の者であれば、とっくに手を下していた所だ。
只常山陰は並ならぬ存在で、王庭決戦での戦い姿が未だに深く心に刻まれている。畏れを抱いてないと言えば、それは虚偽の謳い言である。
しかし明らかに方源を排斥するのは、得策とは言えない。度量が無いと見なされる上、万一狼王を怒らせれば、常山陰自ら手を下さずとも、天青狼群を差し向けられる恐れがある。
「黒沛大家老、其の方から此の提言を出した以上、詳しく述べてみよ。」
黒楼蘭が言下した。
黒沛は微かに笑みを浮かべ、理路整然と説き終えて結んだ。「明日より、八十八角真陽楼を開放されよ。但し入楼に際しては、誰であれ費用を納めしむべし。一日八百名のみ入楼を許し、其の費用は順位に応じて逓増せしむ。同時に毒誓蛊を用い、得たる褒賞の五割は我が黒家に帰属せしむべし。」
一息置いて、更に続けた。「外の者は、楼に入らんと欲すれば、高値にて我々(われわれ)の来客令を購入せしむべし。」
此の言葉に、居並ぶ家老たちは目を輝かせ、口々(くちぐち)に賞賛した。
黒楼蘭は視線を一巡させ、上体を後ろに倚り掛かると、緩やかに双眼を閉じた。「良かろう。其の件は貴様に任せる。黒沛。」
黒沛は大いに喜び、「族長様の英明神武、此の度は御認め頂き誠に有難き仕合せで御座います」と恭しく謝辞を述べた。
八十八角真陽楼開放の報せが伝わるや、聖宮内に瞬くうちに大騒動が巻き起こった。
数多の人々(ひとびと)が申込み場所に殺到し、一方で「黒家の族人は黒心臓め、良くも此れ程入楼料を吊り上げるものだ」と罵倒しつつ、他方では競って財布の紐を緩め、入楼の名額を巡っては互いに乱闘を演じた。
方源は冷眼を以て傍観し、心中ひそかに喜んだ。
今彼にとって、地丘伝承を継承する事こそが焦眉の急である。
假令黒楼蘭が自ら進んで協力を求めて来とも、彼は必ずしも乗り気では無い。今や他の者は皆八十八角真陽楼に気を取られている。正に伝承に着手する絶好の機会である!