此の問題は実は早くから明らかであったが、普通の人なら容易に見逃してしまう所である。
何故此の神秘の蛊仙は、大きな危険を冒してまで、巨陽仙尊の布局を鑽り、利用して、自らの伝承を設置しなければならなかったのか?
「立場を置き換えて考えるなら、若し私が此の蛊仙だとしたら、伝承を設けようとする時、何故わざわざ八十八角真陽楼の漏洞を鑽る必要が有ろう?独立して伝承を設置し、少し工夫を凝らせば、十分良く布置できるではないか!」
「八十八角真陽楼は八转仙蛊屋であり、巨陽仙尊自らが布置したものだ。其の漏洞を利用する危険性は実に大きい。若し私が一心に伝承を遺そうとするなら、決して近きを捨てて遠きを求め、故意に危険を冒したりはしない。除非し……」
方源の瞼が微かに垂れ、漆黒の瞳に電光の如き冷たい光が走った。
「除非し——伝承が必ず此くの如く布置せねばならない場合に限る!」
此れに思い至った時、方源の脳裏に渦巻く霧が、恰かも巨大な両腕で払い退けられる如く晴れ渡った。
人の行動には必ず動機が伴う。
只だ巨大な動機が有ってこそ、初めて蛊仙は巨大な危険を冒すのである!
或いは此の蛊仙は、巨陽仙尊を快く思わず、遺恨が有ったのかもしれない。然し巨陽仙尊は既に悠久の歳月を経て逝去している。此の可能性は極めて低い。
然らば、感情と云う要素を排除すれば、利益以外に有り得ない。
「神秘の蛊仙は、此の利益の為に、仙尊布局に触犯する生命危険さえも厭わなかった。果たして彼(あるいは彼女)は、八十八角真陽楼の何を利用しようとしているのか?」
此れに思い至り、方源の脳裏には琅琊地霊から授かった資料が自然と浮かび上がった。
此の資料は、彼が百や千と繰り返し研鑽してきたものだ。例え王庭之争の大戦前夜においても、読み耽けるのを止めなかった。
假令え此れ程幾度と無く読み返しても、其の内容を毎回再確認する度に、あるいは回想する時に、胸の内に敬服の念が湧き上がらずにはいられない。
八十八角真陽楼は実に天工を驚かす妙であり、其の構想の奇抜さは世を驚かすほどである。
此れは一つの狂想曲が現実と化ったものと言え、奇跡の如き成就である!八十八角真陽楼は本質的に仙蛊屋の一つである。
当年、巨陽仙尊は子孫の為に策りを巡らせ、自ら進んで長毛老祖を尋ね、永劫不滅の伝承の重宝を煉製する様求めたのであった。
巨陽仙尊の求むる所は高く、長毛老祖は其の基準に達する為、脳髄を絞り百十日思索に耽けるも、未だ得るところ無かった。
或る日、突然霊感が爆発し、彼は新しい蹊径を開き、独特なる方法を思い付いた。
斯くも膨大な仙蛊屋は、実に過りに巨大である。長毛老祖は已む無く次善策を採り、其れを無数の子体、即ち小塔楼に分散させた。
此等の小塔楼は千万と数え、十年を期として野生蛊虫を吸引し駐留させる。
十年周期が訪れる度に、彼等は順次に沈降し、塔内の野蛊を犠牲に捧げると共に、北原外界の雪災に呼応し、奇妙なる偉力を獲る。
此れら奇妙なる偉力は一つ一つ凝結し、量変が質変に達するや、八十八角真陽楼の一層を形成する。
層を重ねる事次第に、遂には完全な八十八角真陽楼が完成するのである!
視点を変えて言えば、八十八角真陽楼が形成される度に、それは蛊を煉り上げる工程の再現なのである。
長毛老祖は古今に認められる煉道第一の仙と称されるに相応しく、その蛊煉の技量は既に聖域の域に達している。凡人が蛊を煉る場合、完成品を煉り上げるだけでも極めて困難である。蛊仙が仙蛊を煉るのは、更に言うまでもない。
しかし長毛老祖は既はや普通の蛊煉の範疇を超え、独創的な工夫に満ち、神業の如き域に達していると言えよう。
八十八角真陽楼は煉成されたのか?
実を言えば、完全には煉成されていない。
普通の基準で要求するならば、真に完成した八十八角真陽楼とは、形を成した塔が福地の中に永しえに存在し、聖宮の頂きに聳え立つもののはずである。
しかし此の基準は余りに難し過ぎる。
当時、巨陽仙尊が此の要求を提出した際、長毛老祖は大いに眉をひそめ、即座に口を開いて言った。「若し真に煉成するならば、此の仙蛊屋は必ず九转の級数に達せねばなるまい!」と。
九转仙蛊と申すは、如何なる概念か?
伝説の力蛊・智慧蛊・宿命蛊など、皆九转仙蛊である。此等の仙蛊は珍中の珍たる由、既に絶跡し、只『人祖伝』の中に其の輝きを拝する事が出来るのみである。
例えば九转蛊仙は、世の人より「尊」と称せられる。漫漫たる歴史の中に在って、其の数十に過ぎない。
未だ曾て九转級数の仙蛊屋は存在した事が無い。然れども巨陽仙尊は強いて求めて止まぬ。
長毛老祖は仙尊の威に妨げられ、已む無く承諾する外無かった。
遂に彼は手段なき手段を思い付き、「只だ一時的に存在し得る九转仙蛊屋」を手にいれた。故に、現の八十八角真陽楼は八转級数なのである。
巨陽仙尊は当初不満であったが、其の真相を察明するや、態度を一転して賞賛の言葉を贈り、更に直言して曰く「八十八角真陽楼其の物が、凡人をして蛊仙を成さしむる秘なのである!」と。
何故斯く言うのか?
凡ては凡人が蛊仙を成す難関たる、三気を渡らねばならぬことに由る。
一気は天である。天は上に在り、天威は測り難く、冥冥として浩蕩たり。
一気は地である。地は下に在り、厚徳は物を載せ、沈凝として深重なり。
一気は人である。人は中央に在り、万物の霊として、奮発して狰昂たり。
凡人は微塵の如き存在である。唯天地と相通じる事に依ってのみ、凡俗を超え、其の生命を本質的な進化へと発展せしめ得る。
而して八十八角真陽楼の形成は、正に此の三気を以て為される。
王庭之争は人気を散布し、十年風雪は険悪なる天気であり、小塔楼が地底に沈没するは福地の地気を借りる所以である。
三気合して一と為り、凡をして仙を成さしむ。
三気合して一と為り、八十八角真陽楼を鋳造し、北原の資源を収奪し、黄金部族の超勢力を鍛え上げ、巨陽仙尊の影響力を千万載に渡り不磨不滅ならしめる。
「少し待て。まさか…!?」
方源の巨躯は微かに震え、双眸から鋭い光芒が迸った。
「小塔楼其の物が八十八角真陽楼の一部である。地丘伝承を布置した神秘の蛊仙は、此の小塔楼を破砕する事で漏洞を形成したのだ。」
「漏洞が出来上がれば、八十八角真陽楼の煉製原理に従い、偉力の回流が生じ、新しい小塔楼が凝練される。」
八十八角真陽楼は八转仙蛊屋であり、破壊は極めて困難である。然し小塔楼は容易に破壊でき、丁度蛊仙と凡人の差の如きものである。故に巨陽仙尊は此等の小塔楼を全て王庭福地内に布置し、福地の力を利用して厳重に保護し、殆どの被害から遮断したのである。
長毛老祖は煉道第一の仙たる以上、当然小塔楼の毀損も想定内であった。故に十年周期毎に八十八角真陽楼の主体を凝造する際には、まず凝集された偉力が回り流れて小塔楼の欠損を補い、其の後初めて主体の形成が始まるのである。
然るに!
「地丘伝承は布かれてから多年を経ているというのに、此処の小塔楼は未だ凝練補完されず、神秘の蛊仙が何らかの手法で此の欠孔を封印し、八十八角真陽楼を欺いている。合点がいった。彼(あるいは彼女)が此くも仕組んだのは、他でもない、八十八角真陽楼を形成する此の偉力を利用せんが為である!」
「土中光を蘊み、芒は万丈高く、百里天に遊び、梅雪の香りを詠う……斯くの如く見れば、此の密語は正に炼蛊の語であるに違いない!」
実を言えば、方源も以前から此の方面の推測をしてはいた。
然し彼には確実な根拠が無かった。
今でこそ只だ一つの推測方向に過ぎないが、此度の実践と探検を経て、方源は以前より大いに自信を深めた。
専心思索に耽ける時は、常に時間の経つのが早い。
黒楼蘭らは金白虎虚像に敗れ、楼外へ伝送された。方源は疑いを招かぬ為、已む無く琉璃楼閣主令を動用し、暫し塔楼を出る外無かった。
一群の者が突然現われ、塔楼一階の入口に立ち現わた。
「現われた! 大人達が帰還されました!」
「配下拝見仕る。族長様、並びに諸位の大人様。」
此処を警護する黒家の嫡系蛊師たちは、直ぐに駆け寄り恭しく跪拝した。
黒楼蘭らは皆、顔に煤け塵を浴び、或いは血痕にまみれ、皆見るも無様な有様であった。
失敗には終わったが、少からぬ収穫が有り、更に関を十数も突破していた。
只此度は状況が特異で、黒楼蘭らは皆人群中の方源に視線を集中させ、探るような、好奇の、疑念の、審査するような眼差しを迸らせていた。
「ははは、此度の闖関、諸君の労苦と功績は大きく、中でも狼王の功は第一と称すべきだ。戻り次第、直ちに酒宴を準備せよ。三日間大いに祝勝を執り行うぞ!」
黒楼蘭は高笑いしながら、方源の肩を軽く叩き、親密さを示した。
上等突破の功績により、方源の彼にとっての価値は、更に一段階高められたのである。
「此度の闖関に少しばかり心得が出来たので、閉関して固めたい。黒楼蘭様にはご容赦頂けますよう」
方源は淡く笑いながらも、率直に辞退した。
黒楼蘭の笑顔は一瞬止まったが、直ぐに回復し、「構わぬ」と述べて、人を大いに容れる上位者の気量を示した。
内心如何に怒り狂い、他の者が如何に羨望し嫉妬し悔しがろうとも、方源は意に介さない。彼は今、早く戻り、静かに地丘伝承の秘密を研鑽したいだけなのである。
六日後。
方源は窓を押し開け、足下に広がる聖宮を見下ろしながら、瞳に一筋の喜悦の光が走るのを感じた。
地丘伝承の密語は、完全に解読され尽くされたのである。
此種の猜謎は、一旦正しい方向を見出せば、後は只時間の問題に過ぎない。
方源が以前推測していた通り、密語は正に仙蛊を煉成する為の秘方であった。
此の伝承を布置した神秘の蛊仙は、八十八角真陽楼の漏洞を利用し、仙蛊を凝造する偉力を借りて、一つの仙蛊を煉成したのである。
只だ密語に記された手順に従って一歩一歩煉蛊を進めれば、例え凡人蛊師であっても、必ず成功裡に煉成できる。
何故なら、仙蛊の煉成は凡人蛊師の力に依るのではなく、八十八角真陽楼の偉力を借りているからに他ならない。
然し此の仙蛊が果たして何であるかは、方源とて知る由も無く、只だ密語から推測するのみである。
「此の蛊仙は、高い確率で中洲の出身であろう。其の炼蛊の法は、中洲の風格が満ち溢れている。更に前世の映像を併せ考えると、此の伝承は完結した連鎖を有つはずで、我れが得た物は其の一片に過ぎまい。」
方源は心中で推量を巡らせた。
五百年前の前世において、中洲蛊仙は謀りを巡らせて此の漏洞を利用し、八十八角真陽楼を攻破した。恐らくは、此の伝承へと導く前段の手掛かりを発見していたのであろう。
此れは別に奇しむに足らない。
数多の蛊師が伝承を布置する際には、斯くの如く一環一環と繋ぎ、一歩一歩を重ね、且つ一片一片の手掛かりを遺すものだ。縁有る者若し其の実力以て突破し得れば、完璧な伝承を継承できる。若し実力が足りなければ、一部の利益を得るに止まるのである。
中洲蛊仙が得たのは、恐らく此の伝承の前段の手掛かりであり、後段の密語までは知り得なかったのであろう。
若し仙蛊を獲得出来る可能性が有れば、彼等が此くまで大材を小用にすることは必然無かったはずだ。
一方方源が予想外に手にしたのは、後段の一部分に過ぎない。前段の手掛かりが無ければ、極めて理解し難く、假令方源が八十八角真陽楼の情報を掌握し、更に前世の記憶を有していたと雖も、さもなくば何年何月が掛かろうとも解読成功は覚束なかったであろう。