方源が来客止歩碑を越えた途端、思わぬ嬉びが待ち受けていた。
一匹の借力蛊が、彼の視界に飛び込んできた。
此の力道上の五转蛊は、既に絶滅した種であり、全力疾走蛊よりも稀少である。単独で使用することは出来ず、必ず他の蛊虫と組み合わせねばならない。
天力蛊と組み合わせれば蛊師は天穹の力を借り、地力蛊と組めば大地の力を借り受け、火力蛊と併用すれば炎から力を引き出し、水力蛊と共に用いれば水流から力を汲み取ることができる。
「我が殺招『四臂風王』は、風霸王蛊と霸力蛊を採用している。此の蛊虫の組合わせは、元々(もともと)借力蛊の代替品であり、其の効能は原版の五割にも満たない。此の借力蛊を手にすれば、殺招を全く新しい高みへと昇華させ得る!」
方源は内心で大いに喜んだ。
当然、借力蛊は他の蛊虫と組み合わせて使用する必要がある。
現在に至っては、天力蛊も既に絶滅している。然し地力蛊・火力蛊・水力蛊・风力蛊などは、未だ広く流布している。
但し、此れら蛊虫の使い方は、本来の作用範囲からは逸脱している。
地力蛊は、主に土地の肥力を増進させ、蛊師が作物を栽培する際の補助と為ったり、木道蛊虫と併用されたりする。
火力蛊は、或る炎道蛊師によって補助蛊として用いられ、火道蛊虫の効果を微かに増強する。水力蛊・风力蛊・电力蛊等も同様である。
方源は水晶壁の前に立ち、十匹近くの泉蛋蛊を取り出し、借力蛊と交換した。
来客止歩碑を過ぎて後も、彼が水晶壁内の珍宝を手に入れるには、相変わらず交換の一途しか無かった。
方源は先へ進み続けた。
此処の水晶壁に収められた珍宝は、明らかに以前のものより一、二段階も格上である。
流星雨蛊・星馳電撃蛊・風鬢霧髪蛊・星火燎原蛊・水幕天華蛊……
外界では極めて稀な五转蛊が、此処では珍しくない。反に四转蛊の方が少ない。然し一旦四转蛊が現れれば、必ずや珍稀なものばかりで、其の価値と効果は普通の五转蛊に匹敵する。
方源の視線は縦横無尽に走り、彼の身体を包む血焰の光は絶え間なく消え去っていった。
此の血焰の光は、彼の身元を隠す保護膜である。一旦此れが消磨し尽くされれば、彼は八十八角真陽楼に感知され、瞬時に駆除される運命にある。
「保護膜が消え失せる前に、必ずや楼主令を見つけ出さねば!」
時の経過と共に、方源の心中にも焦燥感が徐ろに募ってきた。
此れら偽装用の蛊虫は、煉化が容易ならざるのみならず、製造原価も莫大である。其の主原料は黄金家族の血液千斤を要し、更には九十八段階にも及ぶ長大な精製過程を経ねばならない。
今や王庭之争は終結し、方源が此れら血液を大規模に調達するのは、一層困難となっている。
更に悪い事に、眼前の水晶廊下が何と分岐路に突き当たったのである!
方源は已む無く足を停め、細心の注意を払って見分けようとした。
果れの道が、彼の進むべき方向なのか?
此の時、前世において中洲蛊仙が王庭福地を攻破した映像が、大きな助けと成った。
彼は左側の道を選び、其中へ潜り込んだ。
此の区間の水晶壁内の珍宝は、更に価値が跳ね上がっている。四转蛊は影を潜め、五转蛊のみが存在し、同時に五转珍稀蛊も現れ始めた。
方源は速足で前進しな(が)ら、素早く視界を走らせていた。突然、彼の視線が固まった。「見つけた!」
一つの楼閣主令が、水晶壁の中に封印されており、地面から方源の膝丈程の高さに位置していた。
此の楼閣主令は、中洲蛊仙たちの手になるものだった。
樹大きなれば風を招く。王庭福地が屹立して以来、既に各域の蛊仙たちの注意を引いてきた。中洲蛊仙は数百年前より策を巡らし始めていた。
楼閣主令は一般に盟主の手に掌握され、一旦王庭福地を離れれば自ら崩壊する性質を有つ。
千年前近く、中洲蛊仙が苦心惨憺して暗躍し、当時の盟主を買収したのみならず、一説には仙蛊一匹を消費したと伝えられる。
仙蛊の力を利用して楼閣主令を改竄した後、此の令は八十八角真陽楼内に潜伏させられ、後日の好機を待つ伏線と化った。
方源の前世である五百年前、中洲蛊仙が先ず五域大戦を勃発させ、間もなく好機を創出して、最終的に此処を攻撃陥落させたのである。
王庭福地は巨陽仙尊が布いた陣である。此処を攻破するのは、他の福地を攻略するより遥かに困難を極める。
然し巨陽仙尊は既に逝去し、中洲蛊仙たち千年に渡る籌謀と、苦心孤詣の醞釀が、終に成果を結んだ。
然るに今生、此の楼閣主令は方源の手に落ちる事と成った。
此の楼閣主令を交換する過程は極めて順調であった。然し真に之を己が物と為すは、容易ならざる業である。
此処に至って、最も重要な段階を迎えた。
方源の面貌は厳かさを増し、直に地上に端坐すると、全精神を傾注した。
一只又一只の蛊虫が彼の心の侭に駆り出され、絶え間なく楼閣主令に打ち付けられていく。
ちんちん とんとん……
衝撃音は楽の如く耳に快く、楼閣主令は徐ろに空中に浮遊し始めた。各衝撃の度に、一層の光輪が開いた。
三十八層の光輪に包まれた時、其の表面の灰白色が突然消散し、「楼閣主令」の三文字が顕わになった。
光輪は泡の如く次々(つぎつぎ)とはじけ、楼閣主令は浮力を失い落下した。丁度方源の手の中に収まった。
彼は急いで指を噛み切り、血を楼閣主令に滴した。
血に浸された楼閣主令は、金属の令身が半透明の瑠璃へと変貌した。方源は黒楼蘭の手の楼閣主令も見た事が有ったが、直ぐに気付いた——此の令は普通の楼閣主令とは大きく異なっていると。
「さっきの手法は、前世の映像を参考に、この楼主令の真の姿を目覚めさせただけだ。どうやらこれは仙蛊の力でしかありえないな。仙蛊だけが楼主令を改竄し、八十八角真陽楼に気付かれずに済ませることができたのだろう」
方源は手のひらにある琉璃の楼主令を見つめ、深く思索に沈んだ。
十余回の呼吸を重ねるうちに、彼の全身を包んでいた血焰の煙光は完全に消散した。
その瞬間、世界が静寂に包まれたようで、方源には自分の鼓動がはっきりと聞こえた。
「無事だったか」
鼓動が次第に遠のくにつれ、方源は徐ろに立ち上がり、濁った息を吐いた。「成功だ」
彼は左拳を握りしめ、呟いたが、自らの声が少し掠れていることに気付いた。同時に、全身が汗で濡れており、微かな目眩も覚えている。
此の楼閣主令を真に起動させ、自れを認めさせるのは、容易ならざる業である。五转蛊を煉製するより遥かに困難と言って過言では無い。
僅かな手違いが、修羅の道へと繋がり兼ねない。
方源は膨大な心理的圧力に耐え、遂に成功を収めた。
「今、我が手に琉璃楼閣主令を持てば、秘蔵閣へ自由に行き来できる。もはや上等突破など必要としない!」
楼閣主令を掌握するは、即ち八十八角真陽楼の一小部を掌中に収めるに等しい。
方源が楼閣主令の使用を試みるや、瞬時にして彼の脳裏に黒楼蘭らしき人影が浮かび上がった。
五十四関を突破した後、彼等は第六十一関に到達していた。目下、金白虎の虚像と激戦を繰り広げている。
真の金白虎は荒獣級の存在である。
金白虎虚像は荒獣の気勢を備え、黒楼蘭らを押し込んでいる。
黒楼蘭側は人数で勝ってはいるものの、敗色は明らかである。
方源は密かに暫らく観察した。「若し意外が無ければ、黒楼蘭らは三刻も持たずに撤退を余儀なくされるだろう。我れに残された時間は少ない!」
方源は秘蔵閣に入ってはいるが、楼閣主令の保持者が八十八角真陽楼を出れば、彼も同様に退去せねばならない。
今、方源は琉璃楼閣主令を手にしたが、自由に滞留できるとはいえ、現段階では身を曝すわけにはいかない。
「琉璃楼閣主令だけでは、まだ不十分だ。あの缺口を見つけ出し、徹底的に爆破しなければならない。そうすれば八十八角真陽楼に大穴が開き、水晶壁の珍宝を自由に入手できるようになる。」
琉璃楼閣主令が手のなかで微かに揺れると、次の瞬間、方源はその場に消え失せた。
「此処が中枢室のはずだ!」
再び目を開けたとき、彼は円形の密室に立っていた。
星霜の輝く壁が一巡し、中央には白玉の円卓が据えられている。卓上には精巧な模型が築かれ、沙盤の如く王庭福地の全貌を再現していた。
山川や河流ばかりでなく、中央に聳える聖宮、更には福地内に散在する小塔楼までもが、鮮明に視認できる。
方源は蛊虫を呼び出し、次々(つぎつぎ)と空中に飛翔させては黒煙と化し、沙盤に降り注がせた。
沙盤は黒煙に浸され、瞬くうちに墨色へと変色した。
墨色は次第に濃くなり、粘々(ねばねば)とした液と化って沙盤上を緩やかに流れ出した。
方源が凝視する中、沙盤上の一箇所で黒液が漏斗状に渦を巻き始めた。恰かも底に穴が空いた如く、周囲の黒液が徐ろに其の穴へ注ぎ込んでいく。
「見つけた。此れが其の漏洞だ!次は此の穴を拡大し、琉璃楼閣主令を一角楼閣主令へと煉成せねばならぬ。一角主令を手にすれば、八十八角真陽楼の内一層を自由に操る事さえ可能となる!…ふむ?」
其の時、方源の動作が戛然と止まり、両眼は沙盤上の此の漏洞に釘付け(くぎづけ)にされた。
沙盤全体が、濃厚な黒油の如き粘液で覆われていた。其の為、最初の一瞥では、方源は気付かなかった。然し此の時、暫らく凝視する内に、此の漏洞が何処でもなく、正に——地丘伝承の地である事にはっと気付いた!
「何たる事だ? もしかすると、琉璃楼閣主令と同様に、地丘伝承も亦中洲蛊仙が早くから仕掛けた伏線なのではあるまいか!?」
方源は暗かに驚いた。
然し彼は直ぐに冷静さを取り戻し、此の推測の中に不備が有る事に気付いた。
「いや、違う。若し此れが単に福地を攻破する為の前もっての伏線であるなら、例の密語や、灰白色石板の手掛かりは、如何に説明すれば良いのだ? 此れらの手掛かりは、明らかに伝承に関わるものだ。」
方源の双眸に鋭い光が走った。
此の時、前世の映像も、彼に何の助けももたらさない。
「或いは、中洲蛊仙も此の伝承を発見したが、密語を解き明かせず、結局此の様に利用したのではなかろうか? いや、それも違う。立場を変えて考えれば、若し中洲蛊仙が仙蛊を秘めている可能性の有る伝承を発見したなら、必ずや心動かされたであろう。然ば、彼等は伝承の手掛かりを掴めず、只だ此の漏洞を発見しただけなのであろうか?」
「当然、別の可能性も有る。彼等も伝承の奥義を看破できず、福地攻略が優先され、最終的に此の様な漏洞を開けることを選んだのかもしれない。然し其うだとすれば、地丘伝承も破壊されているはずである!」
方源はあれこれ思い巡らせ、此の二つの可能性が有得ると考えた。現在確固たる証拠が無い以上、彼も確信する事は出来ない。
彼は思わず躊躇いの渦に陥(おちいった。
若し彼が前世の映像に倣って此の漏洞を爆破すれば、地丘伝承は完全に破壊される事は必定である。
然し若し其れを止めて地丘伝承を残せば、八十八角真陽楼への攻略は此処で頓挫する。
「八十八角真陽楼の価値は、地丘伝承よりも遥かに勝っている。已む無くば、地丘伝承を捨てる外無い。然し此の伝承を布置した者は実に凄まじい。良くも巨陽仙尊の布局を鑽り抜けたものだ……ふむ? 待て!」
方源は突然心神を震わし、極めて重要な問題に思い当たった!