八十八角真陽楼を煉化するなど、一見奇想天外に思えるが、実は妄想ではない。
実の所、方源は「最初の」煉化者では無いのである。
彼の五百年前の前世において、中洲蛊仙が王庭福地を攻略した際、真っ先に派遣した蛊師を八十八角真陽楼の秘蔵閣に潜入させていた。
作戦成功後、彼等は全過程を蛊虫に記録し、天下に公表した。
王庭福地は北原蛊師の精神的支柱として、非凡なる意義を有つ。其が陥落する映像が五域に流布する事は、中洲の実力を示すのみならず、北原蛊師の精神を崩壊せんとする毒計であった!
更に重要なのは、此の詳細な記録が、巨陽仙尊が北原の蛊虫を収奪し、自家の血脈の為に利益を謀った鉄証と成り得る点である!
映像が公開されるや、北原は大揺れに揺れ、民衆の怒りは天をも焦がす勢いであった。
各黄金部族が局面を鎮圧した為、中洲蛊仙たちが予想した程の内乱には至らなかったものの、暗流渦巻く人心離散の北原を生み出したことには変わりない。
中洲蛊仙の宋且行は此の映像を視聴した後、核心を衝く所見を述べている。「此の如き映像が一旦世に流布せば、北原の自由の精神は、巨陽仙尊の牢獄より解き放たれるであろう!」
方源は此の記録映像に対し、当然ながら強烈な印象を抱いている。
彼は転生後、直ぐに此の映像の巨大な価値に気付いた。
北原行きの実は、蕩魂山の救治は其の一目的に過ぎない。
方源は慎重な性格の為、万事に渡って先ず失敗を想定し、其の後で勝利を考えるのである。
「此の世に、心の侭に事が運ぶ好事など存在する訳が無い。若し蕩魂山の救治が失敗に終われば、八十八角真陽楼から他の方面で補いを得れば良い。」
中洲蛊仙による王庭福地攻略の映像は、方源にとって極めて大きな参考価値を有つ。
然し、只だ此の映像だけでは不十分である。
方源が映像から把らえ得るのは、表層的な事象に過ぎない。幸い、彼は琅琊福地から第一級の情報を入手していた。斯くして理論と実践を結び付ける事が出来、八十八角真陽楼を煉化する確信は大きく増したのである。
「現の我が修為をもってしては、八十八角真陽楼を完全に煉化するのは不可能である。然し其の一部を煉化することは可能であろう。」
方源は現実を透徹して見据えている。
彼は一介の凡人蛊師に過ぎず、仙蛊屋を完全煉化するには、少なくとも八转蛊仙の域に達せねばならない。
方源の計画は、八十八角真陽楼の一部を煉化するに留まる。
八十八角真陽楼は桑滄の歳月を経て、既に消耗が著しく、無数の脆弱点が潜んでいる。其の規模は余りに宏大で、恰かも巨木で組み上げられた籠の如きである。
方源が其れと比較すれば、白蟻の如き存在に過ぎない。
白蟻一匹の力では、巨大な木籠全体を腐食する事はできない。然し其の隅々(すみずみ)を齧り崩すことなら可能である。此の二つの難易度の差は、天と地ほどにも隔たっている。
眼前の来客止歩碑は、特定の蛊虫を射込まれた後、淡黄色の光を放ち始めた。
方源は此の機に乗じて両掌を伸ばし、空竅内の真元を駆り立てて碑に注ぎ込んだ。
同時に、彼の意志も真元に乗って、来客止歩碑の内部へ侵し入った。
蛊師が蛊を煉化するとは、即ち自らの意志で蛊虫の身体を占拠する事であり、此の過程において真元は最良の媒体なのである。
方源は眉を強く寄せ、心神を傾注した。
来客止歩碑は、八十八角真陽楼の一部に過ぎない。
八十八角真陽楼は八转仙蛊屋であり、其の規模は余りに浩瀚としている。
方源の意志が其の中へ入るや、瞬く間に暗黒の世界に放り出された如き感じであった。
此の広大無辺なる暗闇の中に、太陽の如き存在が輝いている。其は極めて微かな光を放ち、光暈は呼吸の如く規則的に脈動していた。
「此れが巨陽仙尊の意志というものか?」
方源の心中に、十二分の警戒心が湧き上がった。
八十八角真陽楼は巨陽仙尊の所有物であり、彼に煉化された以上、其の中には巨陽仙尊の意志が存在して当然であった。
巨陽仙尊の本体はとっくに消え去ったが、此の意志は八十八角真陽楼という器に寄り添い、永えに存続し続けているのである。
「此の如き意志は、実に広大無辺で浩蕩として、真の太陽を目の当たりにしている如き感じだ!仙尊の力は推量し難く、此れは只だ巨陽仙尊の一小股の意志が、永き歳月を経て残留したに過ぎないのだ。」
「幸い此の意志は深い眠りに落ちており、我が動作は微かなれば、之を驚ろす事は無かろう。決して眠りを覚ましては成らぬ。然もなくば、前世に中洲映像に現われ魂飛魄散したあの二人の蛊仙の末路が、我が身に降り掛かる事と成ろう。」
広漠たる暗黒空間は、八十八角真陽楼其の物を表している。
巨陽仙尊の残留意志は、朝日の如く大きく中央に鎮座し、深眠する中微光を放っている。
一方、方源の意志は、其れと比べれば胡麻一粒程の大きさに過ぎず、同様にかすかな光を発ちな(が)ら、最も辺境の片隅に潜んでいる。
方源は絶え間なく真元を注ぎ込みながら、慎重に事を運んだ。
真元が来客止歩碑に侵し入るに従い、彼が八十八角真陽楼に注ぎ込む意志も次第に増えていった。
暗黒の片隅では、方源を象徴する光が絶えず膨張し、徐ろに暗闇を駆逐しながら、自らの領域を広げている。
時は一瞬一瞬と過ぎ去っていく。
方源は細心の注意を払い、額には徐ろに汗の珠が浮かび上がった。
「思いも寄らぬことだ。此の碑の煉化が此も困難であるとは。二つの五转巅峰の空竅を持ち、九割方方の真元を注いでも、尚不足気味である。若し天元宝王蓮を手にしていなければ、更なる難儀が待ち受けていたことであろう。」
丸二时辰が過ぎ、方源は初めて重い息を吐き、石碑に貼り付けていた両掌を引き離した。
全身は疲労困憊──主に精神的な負荷が極めて大きく、崖ッ淵の綱渡り以上の緊張を強いられていた。
「遂に成功した。」
眼前の来客止歩碑を眺めながら、一股の親しみの情が碑から伝わり、彼の心の奥底に直に響いた。
然し成功の喜悦びは瞬くうちに消え、方源の眉は一層深く刻まれた。「前世の映像は、果たして多くの部分が削除されていた。我れは此れ程の真元を費やしたというのに、映像の中の蛊師は五转中階に過ぎず、途中休憩も無く、僅か半时辰だけで煉化を終えていた。」
或いは、其の蛊師の空竅には何らかの補助蛊虫が含まれていたのかもしれない。然し方源は、映像が編集されている可能性の方を強く疑った。
中洲蛊仙が流布した此の映像の主目的は、北原の黄金部族の勢力を弱体化させ、北原の他部族の精神的自由を解き放つことにあった。
八十八角真陽楼の深奥にまで分け入れば、公開できぬ収穫や、後暗い手段などが必ず存在するはずである。
同時に、映像をより鮮烈かつ簡潔に仕上げ、観客を惹き付ける為に、退屈で長広舌な部分を削除するのも、常識的な演出と言えよう。
然れども、此れは方源に取って、大きな悪報でしか無い。
八十八角真陽楼の煉化は、元々(もともと)危険に満ちた冒険である。若し前世の映像に誤って導かれたなら、一つの手違いが全局の敗北に繋がり兼ねないのだ!
「八十八角真陽楼は流石が非凡である。此れ程苦労してようやく、半分も煉化できたかどうか疑わしい。」
方源は感慨深げに来客止歩碑を軽く叩き、立ち上がった。
仮し八十八角真陽楼を十割と見做せば、巨陽仙尊の残留意志は其の三割を占める。
一割は十分に分かれる。方源が煉化した来客止歩碑は、半分にすら満たない。
「然れど假令此の様にてとも……」
方源の口元に、微かな笑みが浮かんだ。
彼は悠然と身を翻えし、数歩戻ると、恣意に宝材が封印された水晶壁の前に立った。
其の瞳は微かに凝り、手を伸ばして、直に水晶壁へと探り入れた。
若し此れが以前であれば、水晶壁は氷りの牆の如く、手の行く手を阻んだであろう。然し今、来客止歩碑が微かに光り輝くや、水晶壁は光と影を変え、実体から虚像へと変容した。
方源の手は、水中に探り入る如く滑らかに其中へ進み、中の宝材を見事に取り出した。
一旦来客止歩碑を煉化してしまえば、此の区画の水晶壁内の如何なる珍宝も、方源は自由に獲得でき、何の代償も払う必要が無くなるのだ!
「おや?此れは奔雷石ではあるまいか……」
手の平に載った宝材を眺め、方源は仔細に鑑定して、漸く確信した。
奔雷石は、極めて稀な煉蛊の宝材である。現今では殆ど絶滅状態に有り、宝黄天にて極稀に販売される程度である。
此の石は、九重天の雷霆が相互に激突する際に生成される雷霆真精である。
然し太古時代より、九重天の内七重天は既に隕落し、白昼天と黒夜天の二天のみが残る。此の二天の雷霆が互いに衝突する確率は極めて低く、太古時代以降、奔雷石の産出は甚だ稀少となっている。
雷道が盛隆した時代には、奔雷石は煉蛊の材料として大量に消費された。
其の為、現在に至っては奔雷石の現存量は極めて少ない。
「天地は変転し、滄海は桑田と化す。雷道も亦た変革を遂げ、奔雷石を必要としなくなった。只だ古の雷道蛊虫を研究せんとする蛊師や蛊仙のみが、奔雷石に興味を抱くのである。」
秘蔵閣の価値は非凡であり、方源が無造作に取り出した一品が、早くも奔雷石であった。
然ながら、方源は其の後、此の奔雷石を再び水晶壁の中へ戻した。
小を忍べば則ち大を乱す。
何れも交換によらなければ獲得できず、水晶壁内の収蔵品の数量は厳密に固定されている。
而して此処の一つ一つの収蔵品は、各超大勢力は元より、特定の大規模黄金部族に至るまで、詳細に記録が残されている。
若し今後、上等突破を成し遂げた後の者が此処に来て、収蔵品が減っている事を発見したなら、どれ程驚き疑う事か!
方源は一片の未練も無く、試しに取り出しては、再び水晶廊下の奥深くへと歩き出した。
再び来客止歩碑の前に立った時、彼の足取りは微かに停まり、速度を緩めた。
数时辰前に彼の行く手を阻んでいた無形の気壁は、既に消散して影も形も無い。然し此れ以て、彼が安然として其中へ入れる訳では無い。
八十八角真陽楼は長毛老祖が煉製したもの、当然他の識別手段も備えている。
然し方源は、当然の如く万全の準備を整えていた。
彼は心念を頻りに動かし、瞬時く内に五、六種の異なる奇態な蛊虫が空竅から飛出し、幾つもの色煙と化って其の全身を覆い隠した。方源は入念に確認した上で、漸く来客止歩碑を越え進んだ。
各色の煙りは瞬くうちに沸騰し、一道の血光と化って方円に瀰漫した。
方源が周囲を見回すと、水晶壁の中に収められた珍宝が、先程の区画より確かに一階級上の品揃えであることに気付いた。
「ふむ?此れは……」
突然、方源の瞳が微かに凝り、水晶壁の中に封印された五转の力道蛊を目にした。
内心に大きな喜びが湧き上がった。