目3【ハルムート視点】
…愛ってなんだろう。
僕はその言葉をポロリと口に出していた。
その言葉を彼女が聞き取れていたかどうかはわからない。けれど、一度口に出した言葉は収めることができなかった。
そして僕は目の前にいる彼女に聞いた。
「貴方は愛というものが存在すると思ってる?」と。
彼女がルーウェンの想いに応えないのは、もしかすると彼女自身も愛なんて存在しないと思っているのではないか。そういう一縷の望みもあった。だがそれはやはりすぐに壊された。
彼女は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにその紫の瞳を真っすぐとこちらを向けて迷うことなく言った。
「愛は存在すると思います。」…と。
そうはっきり言ったのだ。
やはり彼女はわかっていなかった。
愛なんて存在しないのに。ああ…かわいそうだ。
その時、鈍く紅く光る彼女の左手首が目に入った。
何とも嫌な色だった。あの時のあの重く苦い感情を思い起こす色。
そしてそこからはあの時の魔力が感じられた。
吐き気がした。今すぐ壊してしまいたいと思った。
けれど、これを壊すには相当な魔力がいるだろう。そんな魔力は僕にはないし、壊すとすぐにルーウェンが駆けつけてくるに違いない。
けれど、その色を見ているとどうしても吐き気がして気持ちが悪い。今すぐに僕の目の届かないところへやってしまいたかった。
だから僕は、そのブレスレットを闇夜に捨てた。強引に。
確かにやりすぎだったかもしれない。けれど、これ以上そのブレスレットを見ていたくなかったし、ルーウェンの魔力を感じていたくなかったのだ。
申し訳ないと思うこと以上に、目の前から消え去ったことにへの安堵が僕の心を支配した。
ソフィリア嬢は戸惑い怒っていた。まぁ、当たり前だろう。
自分の持ち物を勝手に捨てられたのだから。けれどそれはただ自分の持ち物を捨てられたという怒りだけではないようなきがする。大切な物だから怒っているような…そんな雰囲気を感じる。
やはり彼女はルーウェンのことが好きなように見える。けれど、彼女はそれを頑なに認めようとはしない。呆れるぐらい一目瞭然なのに。
なぜだろう?わからない。
やはり、心の底では恨んでいるからか?
だが、そう聞いても彼女は前回同様やはり肯定しなかった。
理解ができない。
やはりソフィリア嬢はルーウェンに対して怨恨があるような心持ではないようだ。
ルーウェンのことを大切に想い、そして僕には靡かない。他の女性たちとは違って。
どうしてだろう。やはりルーウェンの周りには存在しないはずの愛というものが存在しているように見える。
暗く重く苦しく苦い…まるで光も何もない海の底で漂っているような感覚に陥った。
どうして僕には何一つ与えてくれないのだろうか。どうして僕は何一つ持っていないのだろうか。ルーウェンだけが特別なのだろうか。いやそうじゃない。そうじゃないことにはうすうすと気づいていた。けれど認めたくなかった。
ただ…ただ、僕の周りにだけないのだ。僕だけ何もない。
いや、これを認めてしまえば僕は…。
認めたくない。
ソフィリア嬢が何か言いたそうにしているのはわかっていた。けれど、もう何も聞きたくなかった。ルーウェンのことも僕自身のことも。
そう、僕は何もかも認めたくなかった。知りたくなかった。
ソフィリア嬢の瞳を見るとどうしても心が揺れる。認めたくないのに。僕はきつく目を閉じるしかなかった。
それでも声をかけてくるソフィリア嬢に僕は何度も大声を浴びせてしまった。堪らず腰に携えている剣を鞘から抜いてしまった。けれどそうしなければ僕の心は保てなかった。
決して傷つける為ではなく、少し黙っていて欲しかっただけだった。少し脅せばか弱いご令嬢ならこの場から一目散に去っていくだろうと思ったのだ。
ぐしゃり。
何か硬いものを踏んだ。
恐る恐る目を開けて足元を見ると、そこにはソフィリア嬢がつけていたはずの眼鏡があった。柄はひしゃげ、一方のガラスにはヒビが入り、もう一方のガラスは砕けている。
目線を上げると、目の間にはボロボロのドレスを着て、蟀谷の辺りから血を流しているソフィリア嬢がいた。目の前の彼女は逃げ去ることなく、あの瞳で僕を真っすぐと貫いていた。
なぜ、まだ、そこにいる…?
普通なら逃げ去っているはずだ。なぜそんな目で僕を見ている…?
蟀谷から流れる雫が彼女の銀白の髪を赤く染め、髪を伝ったそれがぽたりと床に落ちた。
どうやら知らないうちに僕の魔力は漏れ出ていたらしい。そしてそれがソフィリア嬢を傷つけたようだ。
僕はルーウェンのように魔力が高いわけではない。かといって低いわけでもないが、魔力コントロールは上手くいっていたはずだった。だからまさか、僕の感情にこのように反応するとは思ってもいなかった。
だけど、こうなったのは僕のせいだけではない。
彼女が…ソフィリア嬢が『愛は存在する』なんていうから。そんな馬鹿馬鹿しいことをいうから。本当は…本当はないはずなのに。僕は見てきたんだ。そう、ないんだよ!愛なんてものは。
そう、彼女が間違ってる。彼女が間違っているんだ。
そのはずなんだ…。
『愛は存在しない』
この言葉は真実なんだから。
もはや渇いた嗤いしかでてこない。
自分自身でも何を言っているのかわからなくなってきた。
だけど、愛が存在するなんていうことを認めるわけにはいかなかった。それを認めてしまえば、僕は、生きる価値さえない人間なのではと…そう思うから。
ふと目の前の彼女を見た。僕のせいでボロボロになっている彼女を。
ハルムートは今までに見たこともない反応にひどく戸惑った。
なぜ、どうして、彼女は泣いているのだろう?
ハルムートが声をかけた女の子たちは皆、少し厳しいことを言ったり冷たくあしらうと、この世の終わりかと言うぐらい喧しく泣き喚き、そして怒り狂っていた。その瞳には侮蔑と憎しみが籠っていた。むしろその目で見られることが最近では愉快にも感じていた。
だが目の前の彼女はどうだろう。彼女の瞳には侮蔑も憎悪も恐怖もない。ただ自分を想って泣いてくれているようなそんな気さえする綺麗な美しい涙だと純粋に思った。




