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43.名を得た日

 魔王軍高機動遊撃部隊隊長、ワッファル。

 この名前も肩書きも、ワッファルがワッファルになる前に先代の魔王からもらったものだ。

 それは今でも目を閉じれば思い出せるあたたかい記憶。

 そのはずだが、何故かそれを思い出す度にワッファルの心は痛む。突然の氷河期が訪れたように、身も心も凍てついて打ち震える。


 先代の魔王はその名をグロリオスと言った。その名に違わぬ偉丈夫で、顔のほりは深く、目は常に未来を見据えていた。豪気で、刹那主義で、人族に対する冷酷な感情の反面に、魔族に対する優しさを持っていた。


 ワッファルは別に最初からグロリオスに懐いていたわけではない。むしろ忠誠心など微塵もなかった。

 それでも戦場には立った。魔族に生まれた以上、人族と争うことは宿命だと思っていたから、そこに別段疑問は感じなかった。

 戦いたくはなかったが、戦いたくないわけでもなかった。

 ワッファルには、意思というものが著しく欠けていた。


 そんな気持ちで死地たる戦場に立つものだから、そうなるのは仕方のないことだったのだろう。ワッファルは人族に捕まり、捕虜となった。

 それでも別に感情が動くわけでもない。

 嫌だとは思わなかった。

 ただ、痛みは感じていた。

 人族はまるで拷問のように、ワッファルを痛めつけた。

 それを仕方のないことだと思うくらいの知性はある。

 その頃人族と魔族は長い戦争状態にあり、どちらの陣営にも尋常ではない被害が出ていたのだ。人族の中には大切な人を失った者も多かっただろう。一方魔族には、大切な人など居ないことの方が多い。

 何故なら魔族には血の繋がりがない。長く魔王軍に居れば仲良くなる魔族も居るのかもしれないが、しかしワッファルはまだ降臨して間もなく、その感覚は分からなかった


 とにかく人族は、そういうことの恨みつらみを、全てワッファルにぶつけていたのだろう。

 拷問の方がまだましだ。あれは吐くものを吐いてしまえば終わる。

 生かされるか殺されるかは分からないが、それでも終わりは終わりだ。

 だからワッファルに対して行われていたのは、ただの迫害だった。


 ワッファルは一人の人族も殺していなかった。それでもそんなことは関係なく、魔族というだけで人族はワッファルを虐げた。

 そこで初めて、ワッファルは人族を醜いと思った。弱いと思った。


 ワッファルを復讐の代替に据えている。そのことに何の意味があるのか分からない。何の解決にもならないと、何故分からないのだろうか。

 醜く、弱く、愚かでもある。

 本当に怒っているのであれば、それはその原因となった魔族にぶつけるべきだろう。

 俺が何をしたんだ。どうして俺が、こんな目に遭わなければならない?


 疑念は、身体の傷とともに日に日に深く刻まれていった。

 それでもなすすべなくされるがままのワッファルは、ある日解放された。


 ワッファルが複数人の人族に虐げられているその時、突如魔王・グロリオスが現れたのだ。

 ワッファルは魔王の顔を知らなかったが、しかし膨大な魔力の気配が、言外にその存在を示していた。

 それは恐らく、人族にも圧力として伝わった。

 魔王を視認した人族達に戦慄が走る。ある意味一番復讐するべき相手が目の前に現れたというのに、どうしてか立ち向かおうとする者が居ない。

 皆一様に怯えた表情を浮かべ、脚をガクガクと震わせ、立ち尽くしていた。

 本当に醜く弱く愚かで、どうにも救いようがない。

 ワッファルはそんな感情で傍観していた。

 別に希望を見い出したわけではなかった。ただ、その運命を受け入れていた。



「我が同胞を痛めつけたのは貴様らか」



 魔王は言った。ワッファルのことを同胞と。



「魔族のしたことの罪はすべて我にある。報復するなら我にするがいい。そして同時に、すべての魔族は我が半身だ。その魔族を痛めつけたということは、我の身体を斬りつけたのと同じこと。よもや、報復される覚悟がないなどと言うまいな?」



 魔王は言った。全ての魔族の罪は、自分の罪だと。そして全ての魔族は自分の半身だと。

 人族はそれを聞いて逃げ出そうとしたが、そうすることは出来なかった。踵を返そうとしたその時には、そこに居た10人足らずの人族はすべて、血飛沫を上げてただの肉塊に成り果てていた。首の飛んだもの、胴の落ちたもの、四肢のもがれたもの、内臓の零れ出たもの。影も形もなくなったもの。そのバリエーションはさまざまだったが、しかしそれらは一様に、“者”が“物”になっただけのことだと、ワッファルは思った。

 ただ、瞬間的に広がった血の匂いだけが不快で、ワッファルは顔をしかめた。



「大丈夫か」



 さして心配そうでもなく魔王は言う。



「生きてはいる。大丈夫だったことなんて一度もなかった」



 そもそも大丈夫というのがどういう状態を指すのかさえ、ワッファルにはまだ分からない。



「人族に、復讐したいか?」



 その言葉の意味は、本当に分からなかったから、正直にそう言うことにした。



「何を言ってるんだ、俺が復讐するべき相手はあんたが全員殺して居なくなってしまっただろう。相手が居なければ復讐は出来ない」



 ワッファルのその言葉に、魔王は盛大に笑った。何がおかしいのかワッファルにはさっぱりだったが、とりあえず収まるまで待つことにする。ひとしきり笑うと魔王は、



「お前の名前は?」



「名前なんてないし、欲しいとも思わない」



「名前は大事だ。名前がなければそれは生きていないのと同じだ」



「そうか俺は生きているのか」



 そんな実感はこれまでなかった。今が初めての実感だ。



「当然だ、我が生きているのだから、お前も生きている。であれば、名前が必要だ」



「名前、か」



 しかしワッファルの中には名前を付ける知識などない。どういうものが名前として相応しいのか、何も分からなかった。



「よし、決めた。お前は今日からワッファルだ」



 特に悩んだ素振りも見せずに、魔王は言ってのけた。



「ワッファル」



「ああ、そうだ。ワッファルがお前の名前だ」



「分かった」



 別にその頃は名前などさして興味もなかったし、なんでもよかった。意味など気になるはずもないし、反論する気など起きるわけもない。

 ただその時から、ワッファルはワッファルになった。 



「ワッファル」



「なんだ、魔王」



 ワッファルの態度は今思えばかなり不遜であったが、しかしこの頃は礼節などまったく知らない子供のようなものだったのだ。そして魔王も寛大な心を持っていて、それを咎めるようなことはしない。



「お前、俺の配下になる気はあるか?」



 それを魔王がどういう意図で聞いたのかは分からなかったが、意思のないワッファルにそれを聞かれても困るだけだ。



「分からない」



 そう答える以外なかった。



「なら来い。これは命令だ」



 魔族の王の命令なら、それは聞かないわけにはいかないだろう。ワッファルの意思があろうがなかろうが、それが挟まる余地がない。



「分かった」



 特に感情のこもらないワッファルの言葉に、魔王・グロリオスは満足そうに笑った。


 それから、ワッファルは少しずつ変わっていった。

 魔王に戦い方を教わり、魔王の側近であったフィナンジェにあらゆる知識を叩き込まれ、気付いた時には意思というものを理解し、持っていた。

 ワッファルはグロリオスのことが好きだった。それは子供が父親に向けるような、ある種の愛情だったのかもしれない。だからワッファルは、グロリオスの役に立ちたいと思っていた。


 そんなある日兵士を与えられ、自分の好きなように鍛えてみろと言われた。

 今でこそ高機動遊撃部隊と言われているが、最初からそこを目指していたかというとそんなことはない。

 ワッファルには兵士の鍛え方など分からなかった。だから自分の戦い方をとりあえず与えられた兵士に教え込んだ。その結果機動力を活かした部隊になっただけなのだが、グロリオスはその練度に大いに喜んだし、ワッファルもそれが嬉しかった。


 ワッファルの鍛えた兵士の中に、特別優秀な女性の魔族が一人居て、その彼女を副隊長に任命した。別に恋愛感情などがあったわけではないが、グロリオスは息子に恋人ができたように喜んでいたから、事実とは違うがそれでいいと思った。


 そんな風に、だんだんワッファルは一人じゃなくなった。魔王が、グロリオスがワッファルを変えてくれたのだと、本気で思っている。魔王はまるで親のようで、魔天七星将の連中は兄弟のようだった。そしてワッファルの兵士達――――【穿光】は自分の子供たちのように感じていた。


 ワッファルは何度も魔王の元で戦い、戦功を上げてきた。

 いつの間にか全能感を覚えていた。グロリオスの元に居れば何でも出来ると思い始めていた。


 しかし、それがただの思い上がりでしかなかったということに気付くのには、そう時間を要さなかった。



 魔王上の周辺まで人族の騎士団が攻め寄せてきているという報告が入ったのは夕方のことだった。西日の方向から逆光に身を潜ませながら進行してきた王国騎士団を迎え撃つべく、ワッファルを含む4人の魔天七星将がそれぞれの部隊と一緒に魔王と出陣した。


 本当であれば、ワッファルは魔王のそばを離れるべきではなかったのだ。

 あの時ワッファルがグロリオスの傍を離れなければ、グロリオスはその存在を散らすことはなかったかもしれない。

 しかしそれに気付いた時には後の祭りだ。

 ワッファルはその時も【穿光】らしく先行していた。

 自分たちの持ち味である高機動を最大限に活かし、他の魔天七星将を出し抜いて戦功をかっさらうつもりだった。



「隊長、魔王さまの本隊と距離が離れすぎています! ここは追撃を一度やめて後方に下がり、相手の出方を窺うべきかと!」



 副隊長のクーカがそう言っていた。クーカは文武両道を地でいく優秀な部下で、戦略の面ではワッファルよりも秀でているくらいだったが、しかしその時のワッファルは聞く耳を持たなかった。

 ワッファルの中の全能感がそうさせた。人族など警戒するほどの種族ではないと、そう思っていた。



「いや、このまま敵本隊に突撃を掛け、一気に敵大将を討つ」



「しかし敵の罠の可能性も……」



「大丈夫だ。罠だろうがそれすらも打ち破る勢いで駆けるんだ」



 クーカは納得はしていなかっただろう。それでも隊長であるワッファルの判断に従う。それが組織というものの闇だと、その時は気付いていなかった。



「分かりました。お供します」



 クーカの覚悟を受け止めて頷くと、ワッファルは前を見た。前しか見なかった。

 【穿光】が突出することで軍全体の陣形が乱れ、その距離の分だけ隙が出来ていることなど露とも知らず。

 敵本隊に特攻を掛ける。



 思ったよりも敵の前衛は堅かった一人一人の兵士が一つずつ巨大な長方形の盾を持ち、それを横並びに展開することで壁の様相を呈していた。

 速さが殺されている。おかしいと思った。

 相手は防御に徹するだけで、一向に反撃の兆候を見せない。こちらとしては時間さえ掛ければその構えを崩すことは出来るだろうが、それが釈然としない。

 だってそれは、逆に言えば敵は時間を稼ぐことしか出来ないということだ。



 時間を稼ぐ?

 まさか――――。



 盾を殴りつけるワッファルの頭にようやく一抹の不安がよぎった、その時だった。



「ワッファル隊長!」



 近くで同じように戦っていたクーカが、手を止めて叫んでいた。



「本隊が大勢の敵兵に攻められています!」



 ワッファルは、その事実をすぐに受け止めることは出来なかった。




 * * * 




 それでも反射的に指示を飛ばし、ワッファルは【穿光】を反転させ、全速力で自軍の本陣を目指した。

 遮るもののない進行は驚くほどスムーズだったが、しかしワッファルにはその時間も長く感じた。

 そして辿り着いたとき、驚くべき光景を目の当たりにすることになった。


 魔王・グロリオスの率いる本隊と周囲を取り巻いていた【穿光】以外の魔天七星将の部隊との間に、壁が出来ていたのだ。勿論それは本物の壁でない。ワッファルも先ほど相手にしていた、人族の強固な陣形の作り出す即席の壁だ。それは本隊を取り囲むように連なっていて、どの魔天七星将も突破に手こずっている。

 魔王の本隊は孤立を強いられていた。


 ワッファルもすぐに壁を崩す為に部隊を動かしたが、防御に徹した人族はやはり強固で、突破することが出来ない。



「くそっ!」



 ワッファルの口から怨嗟が漏れる。それとほぼ同時に、不思議な感覚がワッファルを襲った。

 身体の力が抜ける。魔力が枯渇していく。喉が渇く。息が苦しくなる。視界がぼやけ、音が遠のき、地面に立っている感覚すらも薄れてくる。

 気付けばワッファルはそこに崩れ落ちていた。視界の中に人族達が居る。だが何故かその人族は、隙だらけになったワッファルを傷つけることなく、むしろ興味すら失せたように目の前から霧散していく。

 遠くなった耳の中に、人族の不快な歓声だけが響いていたが、時間が立つとそれも消えていた。


 いつの間にか人族は一人も居なくなっていた。

 それに気付いて、ワッファルは力尽きそうな身体を地面に這いつくばらせたままで、グロリオスの姿を探す。

 魔力の気配を手繰り、その方向に進む。

 しかし、魔王の魔力の色濃い場所に、魔王の姿はなかった。そこには、魔王の魔力が残滓として残り、闇の形で残っていた。


 ワッファルはようやく、その現実を――――魔王が死んだことを認識した。

 せめて、その魔王の残った魔力を自分の身体に取り込もうと手を伸ばす。


 もう少し、あと少し。


 だが、そんなワッファルの想いを嘲笑うかのように、指先の少し先で、魔王の魔力は空気に溶けて消えてしまう。


 ワッファルは、最後の力を振り絞って、声にならない声で叫んだ。

 それがワッファルにとって最後の、戦いの記憶だった。




 * * * 




 新たな魔王、アールメリアが降臨しワッファルはあの戦場で目覚めた。

 しかしワッファルが目覚めた時には、魔王軍がおかしなことになっていた。

 人族を襲うな。そんな命令が下されていた。


 意味が、分からなかった。

 ワッファルは人族が憎い。

 グロリオスを殺した人族が、憎くて仕方がない。

 復讐をしなければ。


 皮肉なことに、ワッファルは昔自分を虐げていた人族の感情を、この時理解した。

 どうして大切な人を殺した魔族ではなく、自分が虐げられなくてはいけないのか。

 思えばあの時、人族を愚かと思った自分こそが、愚かだった。

 あの人族達にとって、誰が自分の大切な人を殺したのかなど、どうでもよかったのだ。


 殺した者が悪いのではない。

 人族という種族そのものの存在が、罪だ。

 だから人族は滅ぼさなければいけない。

 グロリオスがそうしようとしたように、今度は俺が。



 そんな思いとともに、ワッファルは戦場に立っている。

 【穿光】にとっても、久々の戦だ。

 草原の匂いは青々しい。だがしかし、もう少しで、周辺一帯が血生臭くなる。

 人族の王を討ち、人族の歴史を終わらせる。

 ワッファルは拳を握りしめていた。



「隊長! 前方に敵影が現れました!」



 クーカの声が聞こえた。



 ――――来たか。



 慌てることもなく、ワッファルは歩き出す。

 ワッファルは今日、最後の戦いを更新する。




 

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