蘇芳が紫苑の服を選ぶ話1(eclipse3.5)
▽〈視点・河内蘇芳〉
東雲さんと朽葉から連絡があって、あたしが能力者に恨みを持たれ、狙われていることを知った。来るなら来なさいよと思うし、ちゃんと償いをしたいと言う意思を彼らに伝えたけれど、今回ばかりは大人しくしていて欲しいと頼まれた。
普段なら、引き下がらなかっただろう。あたしの代わりを呉羽先輩が務めると聞いたから尚更、引き下がりたくはなかった。大切な人に自分のせいで危険が及ぶかもしれないのだから、あたしが敵の前に飛び出したかった。
けれど、その日は宮下センパイと遊ぶ日だ。遊ぶ日にちを変えるのはどうかと東雲さんに尋ねたが、いつ襲われるか分からない日々が来るようになる前に、襲われる可能性がある日に敵を捕えておきたいと返された。となると、無関係で戦えない彼女を巻き込む訳にはいかないし、この件を伝えてしまったら余計な心配をさせるかもしれない。だからあたしは、今回だけ、呉羽先輩達に任せることにしたのだ。
そして今日は呉羽先輩がウチに来るということで気分が良い。宮下センパイと遊ぶ前日である今日、あたしの代わりを務める呉羽先輩がどの服を着るか、決めることになった。おかげで、朝からクローゼットの中身と睨めっこを続けている。
ワンピースに触れていたら、玄関の方からチャイムが鳴った音がして、あたしは慌てて部屋を飛び出した。呉羽先輩に会えるのは嬉しいし、家に来てもらえるのも嬉しいが、あまり祖父母とは会わせたくなくて、早足で階段を駆け下りる。けれど、玄関の扉を開けたのは祖母が先だった。階段を降りた先の廊下の向こうで、制服姿の呉羽先輩が綺麗な微笑を浮かべて祖母に会釈をしているのが見えた。
「朝早くにすみません。蘇芳さんの――」
「っ呉羽先輩、おはようございます」
祖母の前に躍り出るのは、勇気が必要だった。だけど呉羽先輩がいるからか、なんとか玄関まで行けた。あたしは呉羽先輩の腕を引っ張ってから、祖母に笑いかける。それはとても、ぎこちないものだったかもしれないけれど。
「友達と部屋で遊ぶけど、気にしないで」
「あまり騒ぐんじゃないよ」
祖母は、冷たい目であたしと呉羽先輩を一瞥してからリビングの方に戻って行く。申し訳ない気持ちになりながらも、あたしは呉羽先輩の腕を引いたまま階段を上り始めた。祖母のことをすぐにでも謝りたいけれど、今ここで言ったら祖母に聞こえてしまう。何を話してもここでは聞かれてしまうかもしれないし、気を立たせてしまうかもしれない。
気にし過ぎてしまって無言になっていた中、二階の端にある部屋に入ってようやく唇を開くことが出来た。
「あの、すみません。祖母が……」
「いや、気にしてないよ。君の事情はある程度知ってるし……むしろごめん。君の家に押しかける形になって」
「いえっ、呉羽先輩が来てくれることは嬉しいんですけど! それに、やっぱりサイズとかは着てみないと分かりませんしね!」
あたしが空気を暗くしてしまったからか、呉羽先輩が申し訳なさそうにしていたから思わず声を跳ねさせる。けれど綺麗な表情を作ることが出来ている自信はなく、隠すように彼へ背を向けた。クローゼットを開けて、いくつか服を取り出した。
「これとかどうですかねっ、あ、そのカーテンの裏で着替えて大丈夫ですから!」
「え、これ着るの?」
「一先ず色々着てみましょう!」
昨日のうちに、使われていない兄の部屋からカーテンを拝借して、部屋の左手側に着替えのスペースを作っておいたのだ。そこへ呉羽先輩を押し込み、フリルに縁取られた丸襟のブラウスと、編み上げが可愛いコルセットスカートを渡してカーテンを閉める。
衣擦れの音を聞きながら、次はどれにしようかと服を漁っていたら、少ししてカーテンが開かれた。振り向いてみると、スカートの裾を下に引っ張りながら呉羽先輩が引き攣った笑みを浮かべていた。
「蘇芳、これは流石に短いかな」
「そ、そうですね、見れば分かりますけど、ミニスカート可愛いですよ。というか呉羽先輩……可愛いですね」
呉羽先輩は顔立ちが女の子のように綺麗だし、華奢だから似合うだろうとは思っていたが、実際見てみたらとても可愛い。細い足は長さもあるようで、あたしが履くと膝より少し上あたりまであるスカート丈が、太腿を半分以上晒していた。しばらく観察してから、あたしはレースの付いたオーバーニーソックスを取り出して、呉羽先輩に差し出す。
「これ履いてみてください」
「え、なんで」
「呉羽先輩は、可愛い女の子の役をやるんですよ? 可愛くしなきゃ意味がないじゃないですか。どうしたら良いかなってコーディネートしてるんですから」
「……仕方ないな」
細い足に靴下を通していく姿すらとても艶美に見えて、一瞬彼の性別が分からなくなる。あたしは眉間を押さえてから、靴下を履き終えた彼を爪先から頭の先まで眺めていく。
「うん、すごく可愛い女の子です」
「それは良かった、けど嬉しくはないね」
「でも物足りないですね……呉羽先輩足綺麗だから生足の方が魅力的かも」
「蘇芳、一応言っておくけど、もしかしたら戦闘になるかもしれないから、出来るだけ動きやすそうな服にして欲しい。それと、出来ればもう少し丈が長いと嬉しいかな」
「呉羽先輩矛盾してます、動きやすさを重視するならミニスカートです」
「いや、普通にジーンズとかさ」
「女の子らしさを全力で出さなきゃ駄目なんですよ!? 女の子だって思わせなきゃ負けですからね!? だからほら、次これ着てみてください! その次はこれで!」
取り敢えず、着てみて欲しいものを片っ端から渡していく。次に着てもらったのはニットのワンピースだ。丈は短いし可愛いし、そこまで動きにくくはないだろうからアリだとあたしは思ったのだが、呉羽先輩が不服そうな顔をしていた為次にいく。
三着目は時計のシルエットがプリントされている可愛いTシャツと、短いキルトスカート。肩から落ちてしまっているTシャツを持ち上げる姿を見て、あたしは唇をへの字に曲げた。
「呉羽先輩、あたしすごく今負けた気分なんですけどなんなんですかそのスタイル」
「は? いや、まぁ、男女の違いってあると思うし」
「あたしが着たらサイズちょうど良いTシャツを男が着て、普通肩から落ちませんからね!? 肩幅なさすぎじゃないですか!? というか痩せすぎですよね、お肉食べてます?」
「ちゃんと食べてるよ……。悪かったね、男らしくなくて。というか君にだけは痩せすぎって言われたくないんだけど。この服は動くのにイマイチだから次のに着替えるよ」
言いつつ、呉羽先輩はあたしに背を向けてカーテンの向こうへ行ってしまう。あたしは自分が痩せ型であるのを自覚してはいるけれど、まさか呉羽先輩にそう思われていると思っていなくて、少し複雑な気分だ。太っていると思われていないのは良かったが、あまりに痩せすぎなのも好みではないだろうか。
なんて彼の好みを考え出してしまったことに自分で動揺し、頭を左右に振り回す。落ち着いてからカーテンの隙間をちらと覗くと、シャツを脱いだ彼の背中が少しだけ見えた。服の上からでも分かっていたけれど、男らしくはない。けれど呉羽先輩は充分かっこいい。あたしを庇って助けてくれた時も、あたしに偽物の世界を壊させた時も、今回あたしの代わりになろうとしているところも、全部かっこいい。それを考えているうちに彼への好意が溢れ出してきて頬が染まる。
再度頭を左右に振って思考を落ち着かせ、顔の熱を冷まそうとした。四着目の、白と赤を基調としたフリフリのワンピースを纏った彼がカーテンを開いて、あたしと目を合わせる。何着ても可愛いなぁなんて思いながら見ていたら、彼が数歩あたしに近付いた。頭を撫でるように触れた手が側頭部にさらりと滑って、心臓が跳ねてしまった。
「えっ、く、呉羽先輩……?」
「そういえば、今日は髪結んでないなって思って。新鮮だね」
「あ……め、めんどくさくて!」
間近で見た微笑みがとても綺麗で、冷ました顔がまた熱を帯びる。彼の優しい微笑が、こんなにも目の前にある。今の時間が、堪らなく幸せに感じた。手に入らないと思っていたものが、今、あたしに真っ直ぐ向けられているのだ。
普段と違うところに気付いてくれて、微笑んでくれた。それだけなのに、表情がだらしなく緩んでいくほど嬉しかった。抱きつきたい気持ちを押さえ込むのが苦しい。
あははと誤魔化すように笑っていたら、あたしから離れた呉羽先輩が柔らかく目を細めた。
「髪型だけで雰囲気って変わるよね。たまにはそういうのも良いと思うよ」
「え、へへ……ありがとうございます」
「それにしても、当たり前なことを言うけど、やっぱりどの服も君じゃないと似合わないな。なんていうか、僕には、その……可愛らしすぎて、着せられてる感じがどうしても出てる気がする」
臙脂色の裾を摘んで、呉羽先輩は嘆息を一つ零す。何を着ても不満げな顔をしていたのは、もしかしたら彼の言う、着せられている感じを気にしていたからかもしれない。
けれどあたしから見たらそんな感じは全くないので、どうしても首を傾げてしまう。
「そう、ですかね? どれ着ても似合ってますし可愛いですし、たくさん着せ替えたくなりますね! 呉羽先輩、お人形みたいで綺麗なんですもん! そういうロリータ系とか着せると人形っぽさ増しますよね!」
「……僕は君の服を着て遊ぶわけじゃないから、着せ替えを楽しんでいるところ悪いんだけど、そろそろ真面目にシンプルなものを選んで欲しい」
彼が似合っているかを気にしていたのは任務を完璧に遂行しようとしている為、というのは分かっていた。けれどつい、今彼とこうしていられるのが楽しい、という気持ちの方が溢れてしまって、余計なことを紡いだ唇に手の平を当てる。
真剣な色を灯した虹彩に射抜かれて、たじろいだ。彼と二人きりの時間を一人で楽しんではしゃいで、馬鹿みたいだった。情けなさと申し訳なさが喉に膜を張る。すぐに言葉を返せなくて、彼に背を向けクローゼットの方へ歩いた。
「……蘇芳」
「あ、えっと、ちょっと待ってくださいね、ちゃんとしたの、探すので」
「――これ、着てみて良いかな?」
あたしの真横から手が伸びてきて、肩が跳ねる。顔を上げてみると、服に目を向けている呉羽先輩の横顔が傍にあった。視線に気付いたようで、彼がこちらを向いて、困ったように笑みを象った。
「君だけに任せて偉そうなことを言うのも違うから、さ。けどやっぱり、女の子の服って分からないから、僕が選んだものに駄目出しして良いし、そこから君好みにアレンジして欲しい」
白魚のような指先が、ハンガーに触れて一着のワンピースを手元へ寄せていく。彼が手にしたのは、薄桃色の無地のものだ。胸元にフリルがあしらわれているだけのシンプルなもの。確かにそれは可愛いし、生地が薄目で動きやすいからあたしも気に入っている。
選ばれたそれを見つめていたら、呉羽先輩が、ふっと柔らかな吐息を落とした。
「前君に会った時、これ着てたよね。君に服を借りるって決まってから、見たことのある私服姿を思い返してたんだけど、これが一番動きやすそうで良いなって思ってたんだ。膝丈くらいだった気がするし」
「呉羽先輩……あたしが着てた服なんて、覚えてたんですか?」
それは、愚問だっただろう。彼の言った通り、彼に会った時そのワンピースを着ていたことがある。本当に、覚えていてくれたのだ。視線が泳いでしまう。今彼を、真っ直ぐ見つめられそうになかった。情けない顔を真っ向から見せ付ける勇気はなかった。
「印象に残ってたんだと思う。君によく似合っていたから。向日葵畑を背景にして写真を撮ったら絵になりそうだよね」
「……向日葵、好きです。あのっ、呉羽先輩」
ワンピースを片腕に下げながら、クローゼットの中を観察している彼の名を呼ぶと、その美貌が振り向く。きょとんとしていた目顔は優しい色を携えて、先を促してくる。あたしは、頭を下げた。
「その、ごめんなさい。あたし、呉羽先輩と会えるの、嬉しくて、二人でいられる時間も、その、嬉しく、て。だから、呉羽先輩が真剣なのに、あたし一人で盛り上がって。すみませんでした。呉羽先輩がこんな服着なきゃいけないのもあたしのせいなのに。呉羽先輩が危ない目に遭うかもしれないのもあたしのせいなのに、本当に、ごめんなさい」
「……いや、敵を前にするのは今日じゃないんだし、今日は、もっと肩の力を抜くべきだった。それに気付くのが遅くなってごめん。だから、盛り上がってて良いよ、好きなだけ」
どこまでも優しい声色に涙が出そうになる。それをどうにか押さえ込んで、頷く勢いのまま俯いた。はい、と漏らした声は彼に届いただろうか。落ち着こう、と思っていたら「それと」と続けられる。
「君のせいじゃない。僕がただ、君には幸せになってもらいたいって勝手に思っているだけ。それに、僕が君の手を引くって言ったでしょ。手を引く先に障害があるなら、それをなくしておきたいんだ」
「呉羽先輩……」
無意識下で、好きです、と続けそうになって慌てて口元を抑えた。もう恋ではないと結論付けたのに、そういった言葉はどうにも溢れてきてしまう。「ありがとうございます」と返した声は情けないくらい小さかった。




