eclipse21
◆〈視点・呉羽紫苑〉
常磐の件が解決して数日が経過した。電車に揺られながら窓の外の夜景をぼんやり眺める。
白身魚のポワレなんて作るのは久しぶりだったし、ケーキも普段作らないから少し手間取ったけれど、蘇芳が美味しそうに食べていたことを思い出して微笑する。蘇芳だけでなく、枯葉や東雲、空、菖蒲と浅葱も美味しいと騒いでいて、本当にパーティみたいだった。紫土と早苗は仕事があるから、と来ていなかったが。
そういえば、紫土は今朝、空の車に乗って能力者保護協会の本部に向かっていた。常磐に用がある、と僕に説明した彼の横で空が苦笑いを浮かべていたから、きっとなにか良からぬことをするつもりなんだろう。それで常磐の気が変わったらどうしてくれるんだ、と溜息を吐いた。
電車が三日駅に停車して、僕は目の前で眠っている浅葱の肩を軽く叩いた。小動物みたいに面白いくらい肩を跳ねさせた彼女に、微笑みが零れた。
「着いたよ」
「あ、ありがとうございます……!」
今日は浅葱と二人で居待市を見て回り、これから彼女の家で夕食を頂く。涼しい夜風を浴びながら、他愛ない話を交わして、彼女の家まで歩いていく。暫く無言で歩いて、腕時計を何気なく見たら、横から声がかかった。
「紫苑先輩は、凄いですよね」
「ん、なにが?」
「さっき常盤さんと紫苑先輩が話している夢を見たんです。常磐さんに捕まった時、紫苑先輩が来る前に私も常盤さんを説得しようとしたんですけど、綺麗事しか言えなくて、止められなかったんです。それなのに、紫苑先輩はすごいなって」
どんな夢を見ているんだか、と少し呆れてから、僕は照れ臭さを誤魔化すように、落ち着かない手で横髪を耳にかけた。歩いているうちに、それはすぐさらりと落ちてくる。
「別に。僕だって、誰か他の人が聞いたら綺麗事に聞こえることしか言ってないよ。けど綺麗事を言いたかったんじゃなくて、ただ、彼に少しむかついただけ」
「そう、だったんですか?」
「そう。……ほら、着いたから。無駄話は終わり」
「は、はいっ」
浅葱が門を開けて先に玄関の鍵を開けに行く。門を閉じてからそちらに向かうと、ちょうど彼女が鍵を開け終えたところだった。どうぞと促され、靴を脱いで廊下で彼女を待つ。扉の鍵をかけ直して廊下に上がった彼女が、僕をちらと見てからリビングに入っていった。
「ただいま、お母さん、萌葱」
「おかえり」
「おかえりなさい浅葱! 紫苑君は!? ちゃんと来てる!?」
相変わらずどこか冷めている萌葱の声と、浅葱の母親の明るい声が聞こえてきた。僕がリビングに足を踏み入れて「お邪魔します」と軽く頭を下げたら、浅葱の母に飛びつかれて吃驚する。
「紫苑君久しぶりね! おかえりなさいっ」
「え、あ……た、だいま……?」
「お母さん! 紫苑先輩困ってるから! あと勝手にくっつかないで! っもう……!」
確かに困ったが、それ以上になんだか胸が暖かくなって、複雑な気持ちが臓腑に滲んでいた。僕から離れた浅葱の母親と目が合ったため、微笑してみたら、まるで実の息子にするみたいに撫でられて目を見張る。
「ご飯、ちょうど出来たところなの。ゆっくり食べて、のんびりして行ってね」
「ありがとうございます」
元々座っていた萌葱の隣に浅葱が腰掛け、僕は浅葱の正面に座ろうとして「あ」と声に出してしまってから鞄を開いた。今日買ってきたいちごクッキーの箱を取り出し、浅葱の母親に手渡す。
「これ、お土産です」
「えっ、そんな、気を遣わなくて良いのよ!?」
「ホントですよ先輩! いつの間に買ってたんですか!?」
前と横から飛んできた反応が似ていて、親子だなと微笑してしまう。「でもありがとうね」とクッキーの箱を持ち、ソファに座りに行った浅葱母から浅葱に向き直る。
「カフェで君が、入口にいたよく分からない着ぐるみの人に夢中になってた時かな。試食してみたらすごく美味しかったから、食べてもらいたくて」
「う……あの時は、あの店のイメージキャラクターが可愛くて、一人で盛り上がって済みませんでした」
「いや、買える隙が出来て良かった。――いただきます」
テーブルの上にはステーキとサラダ、スープが並べられていて、それだけでも手間をかけてくれたのだろうなと思ったのだが、手作りと思われるアップルパイが卓上の中央に置かれており、思わず笑ってしまった。簡単なもので良かったのに、と思いながら食べ始める。
「そういえば紫苑さん、姉さんが昨日、紫苑さんの為にって頑張って作ったクッキー食べます?」
「え?」
「ちょっ、萌葱! それ言っちゃダメなヤツでしょ!」
テーブルに手を突いて立ち上がってしまうほど隠したいことなのか、浅葱の必死さに首を傾げていたら、萌葱が席を立ってどこかに向かう。その間、浅葱は絶望したような顔で両手をばたつかせていた。戻ってきた萌葱が僕に皿を差し出したが、それは浅葱にかっ攫われる。
「だ、駄目です! 見ちゃダメです!」
「浅葱、思い切り見えてるんだけど」
「えっ……いやぁぁぁぁ!」
「それ、オレオのクッキーでも作ろうとしたの? それともイカスミでも入れた?」
「違います!! って、ぁあ!」
彼女の皿の上からクッキーを一つ摘んで口に放り込む。見てすぐに予想はしていたが、真っ黒に焦がしたのだろう、炭みたいなそれは可笑しいくらい苦かった。
「っはは……すごい独特な味」
「む、無理に褒めないでくださいっ! ちょっと失敗しちゃっただけです! いつもは上手く出来るんです!」
「作ろうと思ってくれたことが嬉しいよ、ありがとう。でも、ここまで焦げてると体に悪いから無理に食べない方が良いね」
「ですよね」
即座に同意してきたのは、僕にこのクッキーを勧めてきた萌葱だ。彼女を咎めるようにちらと見たら、悪戯っぽく笑われた。全く、と思いつつステーキを一口食べ、柔らかい肉とソースの風味に頬を緩めた。
「美味しい」
「なら良かったわ。浅葱にも料理の仕方を教えなきゃね! 夫に家事をさせるのはどうかと思うもの」
「お、おか、お母さん!? おおおおっとって、な、なに、言ってるの!」
「え? 付き合って結婚するんじゃないの?」
「いつかは!! ……って、ち、違います先輩!」
浅葱は、僕に呆れられると思ったのか、慌てて否定をした。申し訳なさそうに眉を下げられたけれど、本音で話しているような会話の中で、いつかは結婚する、みたいな話を出されたら流石に動揺して返し方に困る。普段のように冷めた顔をすることも、笑い飛ばすことも出来ず、僕は頬杖を突いて壁に向いた。
「いつか、ね」
相槌みたいに返してしまってから、はっとして弁解するべく立ち上がる。
「ち、違う! 今のは、そういう意味じゃなくて、ただ相槌打っただけっていうか、別に深い意味は」
「わ、私だって深い意味はないですから! 気にしないで下さいね!? なんかすみません! ゆっくりご飯食べる環境じゃなくて!」
「あぁ、それは……良いんだ。こういうの、なんか、家族団欒って、こんな感じなのかなって思えてさ。少し……楽しく、なるから。嫌いじゃないというか、たまには悪くないと思う」
席に付き直して、何気なく横髪を耳にかける。先程まで明るかったリビングがしんとしていることに気が付いて、失言をしたと思った。言葉は選んだつもりだったけれど、暗くさせてしまうような発言をした、かもしれない。咄嗟に「ごめん」と言おうとしたが、言い終える前に正面にいた浅葱が僕の横まで来て、いきなり抱きついてきた。
「浅葱?」
「じゃあ、これからもたまに、気が向いたら、来たいって言ってくださいね。ウチはうるさいですけど、寂しくは、なりませんからね」
「……別に、寂しいなんて思ってないよ」
「仮の話です! もし寂しくなりそうな時でも、寂しくさせませんから!」
きつく抱きしめられて、僕は彼女の頭を軽く撫でた。ありがとうと呟けば、僕から少し身を離した彼女が満足げに破顔する。泣き出しそうにも見えるのに心から嬉しそうに笑う彼女へ、微笑みかけた。
「紫苑君、来たくなったらいつでも来ると良いわ。夫もあなたのことは気に入ると思うし」
「わたしも、紫苑さんのことは人として好きなので。毎日来ても良いんですよ?」
「いや、毎日は無理かな。でもありがとう。お母さんも、ありがとうございます」
「あらっ、お母さんって呼ばれちゃった! うふふ、浅葱聞いた!? お母さんだって! 息子が出来たみたいっ」
「もうっ、お母さんは紫苑先輩が困るようなことばかり言わないで!」
どう呼ぶべきか分からずお母さんと呼んでしまったが、失礼だったかもしれない。けれど、浅葱の母親はとても嬉しそうな顔をしているし、浅葱も萌葱も楽しそうに笑っているから、僕も口元を弓形に曲げた。はしゃいでいるような親子の姿を微笑ましく思いながら、僕はスープを一口飲んだ。
◆
食事を終えて家を出たら、浅葱が玄関まで見送りに来てくれた。扉を閉めている彼女の前で、顎を少し上に向ける。希望が粉々に砕けた人間の心みたいな、一見真っ暗な星空に一筋の光が流れる。
「紫苑先輩?」
「流れ星、流れてた」
「えっ、私も見たいです!」
「見られると良いね」
僕の横に並んだ浅葱が、両手の人差し指と親指を丸めて眼鏡みたいにしてから、空をじっと見つめ始めた。その姿がおかしくて、くすっと吐息が漏れる。しばらく空を仰いだけれど、星はなかなか流れない。残念そうに両手を下げた彼女の瞳を、僕は覗き込んだ。
「流れ星に願いを掛ける人がたまにいるけど、君なら何を願う?」
きょとんと丸くなった双眸が月光を吸い込んでいるようで、仄かに煌めいて見える。星空を凝縮したみたいに綺麗なその両目を細めて、浅葱は口端を柔らかく持ち上げた。
「紫苑先輩やみんなと、ずっと笑っていられますように」
「……それなら、流れ星に願わなくたってきっと叶うよ」
浅葱の頭にぽんと手を置いて、上目遣いでこちらを見上げた彼女に「今日はありがとう」と微笑みを湛えた。手を離して離れようとした僕に彼女がいきなり詰め寄ると、僕の両肩を掴んだ。ぐっと背伸びをした彼女の息が唇にかかる。けれど、それ以上は近付かなかった。彼女はその距離で、瞠目している僕に、気まぐれな猫みたく笑った。
「奪ってくれるの、待っていますからね」
「……いつかね」
彼女の唇に人差し指を押し当ててにこりと笑んでみせたら、余裕そうだった彼女の顔が途端に赤くなる。あたふたと慌ただしく手足を動かした彼女の手を取り、その甲に口付けを落とした。
「今は、これで許して」
「へ!? ぁ、え、えっ……!?」
「じゃあ、またね」
桜色に色付く顔へ背を向けて、僕は門の方に歩き出す。敷地内から歩道に出たら、「紫苑先輩!」と浅葱に呼ばれた。振り返ってみると、彼女は玄関の前で真っ赤な顔のまま立っていた。
「私、紫苑先輩のこと、好きです!」
「……知ってるよ。僕も、君のことは嫌いじゃない」
月の光に、心の奥底の感情を隠して小さく返した。夜の静寂はその声を彼女に届けてくれたようで、嬉しそうな顔を見ることが出来た。
軽く手を振ってから、僕は夜道を進む。退屈しのぎに見上げた空で、満月に描かれた兎が僕を見返していた。
本物の夜の空気は、どこか暖かい。
お読みいただきありがとうございます。
この作品は作者による二次創作だと思って下さい。
劇場版ifということで「映像にしたら映画一本分くらいになる長さってこのくらいかなー」と考えながら書きました。10万字くらいに収めたかったのでこうなりましたが、もっと書きたかった部分があったり…(小声
書きたかった部分の一つは今夜10時に、カットシーンのような感じでオマケとして、「蘇芳が紫苑の服を選ぶ話」を2話に分けて載せるので興味のある方はどうぞ!eclipse3の朽葉視点の前に入れるか悩んだ部分です。
書き終えてみると、何故か東雲・空・紫土あたりが目立ちすぎた気がします。紫苑は主人公だから出番多くても良いとして。そして紫苑がヒロインポジまでこなしていたような形になったおかげでヒロインがあんまりヒロインしていませんでしたね←ぉぃ
常磐は少し気持ち悪い感じにしたかったんですけどただの変態紳士みたいになりました、変態に幸あれ((
作者が個人的に楽しんで書いたような作品ですが、読者様にも楽しんでいただけたら幸いです。後書きまでお付き合いくださりありがとうございました!




