9章 既に狂っていた世界
……施設の中は、一言で言えば研究所そのものだった。
筒状の水槽がいくつも面並び、中には何やら肉の塊のようなものが浮遊している。
その付近のモニターには顕微授精の様子が映し出され、水城たちと同じ作業服を着た男がそれを見て何やら呻っている……ように見えた。
曖昧な言い方なのは、その音が聞こえなかったからだ。
実際施設内には色々な音が響いている。
しかしそれは全て物音、人の声らしきものは全く耳に入ってこない。
いや、皆喋ってはいる。
しかし水城にとってそれは口パクにしか見えず、音は届かない。
きっとこちらの声も向こうには届いていないのだろう、さっきアルビレオが言った通り認証されていない相手には言葉が伝わらないのだ。
「……何の研究をしているかは分からないですけど、すごい設備ですね」
「でしょー。なんせこの地球に生まれた人類の中でもぶっちぎりの大天才が作った施設だからね。……数百年前に異世界の存在を知り、交易通路を作ったのもその天才。今この世界を取り巻くほとんどは、たった一人の人間がきっかけになっているんだよ」
「一人の人間が……」
時代を動かす発明は、たった一人の天才が考案したイノベーションで生まれていく。
いつの時代もそうだった、人類の系譜を進めていくのは個人の天才的な頭脳によるものだった。
「……尤も、その天才は転生してしまったけどね」
アルビレオの表情は郷愁に満ちていた。
まるで死に別れた想い人を思い浮かべているかのような、懐かしさと寂しさの入り混じる色を瞳の中で揺らして――。
そんな彼の背を、ハルが優しく叩いた。
彼の心を案ずるかのように。
「……ところで水城君、胚培養って知ってるー?」
仕切り直すかのように、やたら明るい口調でアルビレオはそう問いかけた。
「詳しいことは知らないですけど……体外受精関係の研究ですよね」
「まあその認識でいいよ。で、ここでは胚培養士を中心に様々な医師・学者が集って赤ン坊を大量生産してるわけ」
「大量生産という言い方は気に入らないですけど、まあ……転生のせいで出生率が落ちてる今の世の中では重要な研究ですよね。妊娠が難しい人たちの救いになりますし」
「……いや、大量生産で合っているんだ」
アルビレオに手招きされて次の部屋に移動すると……少しだけ、水城は眉を顰めてしまった。
だってその部屋には緑色の液体が入った筒状の水槽が面並び、水槽の中には赤子になりかけている胎児が入っているのだから。
授業でエコーの写真くらいは見たことがある、でもここまでハッキリと受精九週間……あるいは十二週間目の胎児を見たことはない。
「体外受精は受精卵を母体に戻すんだけどねー、ここでは培養液の中だけで人を作ってるんだ。いわゆる試験管ベビーってやつ。受精元となる遺伝子もAIで遺伝子レベルまでデザインされた人工精子と人工卵子。無から人間を産み出す感じかな。神の領域の研究だよー」
「そ……」
そんな行き過ぎた研究がこの現代で許されるのか、という言葉すら出なかった。
しかしそんな疑問すら抱いていないのか、ここで働いている人は淡々と人間の培養を続けている。
まるで疑問を持つ方が非道徳的かつ冒涜的なもので、世界の理に反しているかのように。
「そんな研究が実を結び、一人の大天才は決して至ってはならない領域に辿り着いた。『思想をデザインされた人間の培養』だ」
思想は本人が本人たる存在意義であると言われる。
培った人生の凝縮体が思想であり、その人たる所以なのだと。
きっと人格を支える支柱であると哲学者は論ずるだろう。
「脳に刻まれた実行プログラムを、己の意思と誤認して遂行する人類の創生。……死をも恐れぬ神風のような総軍を作ることも容易だ。無償で隣人を愛す国民を作ることも、利己的な行為のみを良しとする危険人物を作ることも。……水城君なら、その技術を使って国家がどんなデザイナーベビーを作っているか分かるんじゃないかなー?」
「……分かりたく、なかったですけどね……」
死をも恐れぬ神風のような総軍。
もしそれが軍を作る目的ではなく量産されたならば?
自死を是とする人間を国が作ったのならば……?
「死は生物が本能的に忌避する現象だ。しかし国家は死へのストッパーを破壊して、死を歓待する人間を製造した。……これが異世界転生の種火だ」
死を受け入れる人間が世間に出回ったならば、世界は一変する。
死への恐れを抱かない若者。
若者の大半が自殺に走る現状。
そして転生の事実に対しほとんど挙げられない糾弾。
国が根回ししたせいじゃない、元々この人類が狂わされていたのだ。
「しかも……そのプログラムを組み込まれた人間と一般人が子を拵えた場合、生まれてきた子供にはそれが継承されるんだ。……そのデザイナーベビーが世に放たれ始めたのが数百年前。どういうことか分かるかい?」
「……まさか……」
「そう、ご想像の通りだよ。今現在世の中の人間は全員がこのプログラムを持っている」
それは全ての人間が死を望んでいるということ。
それは全ての人間がやがて自死を選ぶということ。
「……あまりにも膨大な計画だったよ。各国の王が長年かけて大量のデザイナーベビーを社会に紛れ込ませ、時には病院の赤子をすり替え、外部との接触を断つ部族は災害に見せかけて滅ぼし、時には戦争を起こして一般人を殺して人口を減らし――全ての人類がデザイナーベビーになるよう仕向けられたんだ」
それは信じることすら困難な程、途方もない計画だ。
しかし、異世界転生を是としている今の世界を鑑みると――そこに信憑性が宿る。
「なんでそこまでして、自殺者を増やそうとするんだ……!」
歯噛みをしながらそう唾棄する水城の隣で――培養液に漂う胎児から目を逸らしながら、楓がぽつりと呟いた。
「……今この世界は異世界の力によって成り立ってる。異世界の力が無くなればこの世界は終焉を迎えるの。だから……倫理に逆らってでも、人間を大量に造らなくちゃならない」
「なに……? どういうことだ」
研究員の誰かが笑っていた、そして隣の同胞とハイタッチを交わしている。
彼らの研究は上手くいったのだろう、人の領域から外れた研究は着実な進歩を見せているのだろう。
そんな光景を眺めながら、アルビレオは乾いた口調で言う。
「本来人類はね、既に絶滅しているはずの生命なんだ。かつて大天才が打ち出した想定によれば、二千二百年を超えた辺りで生存資源を失い、かつて多くの動物が絶滅してきたように人類も滅びるはずだった。……しかし、人類は現在延命治療されている」
全身に延命措置を施されたスパゲッティ症候群だよ、とアルビレオは自嘲した。
「今の時代、災害ないでしょ。それに気候や季節、空気の成分量まで全て操作されてる。人類の絶滅を先延ばしにするため、異世界から受け取った制御システムで環境が管理されているんだ。これで本来消えるはずだった資源の培養にも漕ぎ出せるようになったが……じゃあもし異世界側がシステムの停止を宣言したら、この人類はどうなると思う?」
「……延命措置が終わり、地球は人類が生きられない星へと変貌していく……」
「少し語弊があるかな。人類が生きられない星になるんじゃない、生命が生きられない星になるんだ。人類が異世界に延命治療されたせいでね」
そう告げるアルビレオの言葉を引き継ぐように、楓は吐き捨てるように言う。
「システムが解かれた瞬間、長年抑圧されてきた災害が即座に発生するの。想定される被害としては、地球上全地域への地震、津波、竜巻、噴火、熱波、寒波、蝗害、落雷が観測できるみたい。……人類が十回くらい絶滅できる規模のね」
それは今となっては名前だけが残り、形骸化した概念だ。
……しかし歴史の授業でその悲惨さについては理解している。
過去の人類がどれだけ災害に苦しめられ、その命を奪われて来たかは現代人の水城でさえも推し量れた。
「じゃあもう、俺たちは異世界に心臓を掴まれた状態と等しいじゃないか……」
「そう、だから異世界側は転生者の要求人数を年々増やしてる。この地球を人質に取って……ただの異世界転生ブームじゃ賄いきれないくらいにね」
つまり、ここで作られている赤子たちは……その要求に応える為に、初めから転生させる目的で生を受けた者。
殺す為に作る。
培養して大量生産して、きっと彼らは何も知らずに大量殺戮を受ける。
そんな、あり得るはずの無い命。
……死ぬために生まれる家畜と何も変わらない人間。
「そ、その制御システムってヤツを現世側で運用できるようにすればいいだろッ。システムの中身を掻っ捌いて技術を奪えばいい……!」
「それができれば、苦労しないんだよねぇ」
嘲るように言ったのはアルビレオだった。
息を吹いて前髪を揺らし、彼は望みを断ち切るようにはっきりと首を横に振る。
「人類の技術力じゃ、システムを解析して制御するなんて無理無理。……知性だけに全てを注いだ異世界の化物にでもならない限り、その技術力に達することはできないんだ。人類の行く末はどう足掻いても絶滅だけ、本当は人類の未来なんてもうとっくに終わっているんだよ。延命が終われば人の歴史はハイ終了、絶滅して風化するだけの儚い生き物だねー」
「じゃあッ、このままずっと人を死なせ続けろっていうのか……!? 一体何人が……どれだけの人が死ぬんだよ……!」
「……だからこそ、我々がいるんだよ。異世界との関係性を断ち切り、更には首輪となっている環境システムを掌握し、人類を滅びから救うことが我々の使命なのだから」
「そんなことできるのか……!?」
「……詳しいことは奥で話そう、ここだと皆の邪魔になりそうだ」
アルビレオに誘導され、水城たちは施設の奥へと向かう――。




