5章 疑似家族
身の上話として気持ちのいい内容ではないが、水城には両親がいない。
未婚の状態で懐妊した母親は、水城の出産時に産科危機的出血を起こして死亡した。
父親が誰なのかは未だに分からない。
だから彼を育てたのは母親の父、水城にとっての祖父だった。
どこの馬の骨と拵えた子供かも分からないのに、祖父は男手一つで、水城を我が子同然のように育ててきた。
妻を事故で失ってから余生のような人生を過ごしていた祖父にとっては、水城の存在が唯一の生き甲斐だったのかもしれない。
水城が転生を快く思わないのも、それが原因の一つだ。
妻も娘も失った祖父は、水城がいなくなれば一人になってしまう。
そんなの耐えられるわけがなかった。
だが世間の若者は、残された家族の喪失感を承知しながらも転生を望む。
それは仕方のないことかもしれない。
転生に反対する行為は、、子供を己の支配下に置いて飼い殺そうとしているのだと叩かれる世の中なのだ。
……いつから世界は狂い始めたのだろうか?
最初から……狂っていたのかもしれない。
気付かないまま人々は生きていたのかもしれない。
「ただいまー」
「……ただいま」
帰路を経て、水城と楓が柊家に到着した。
薄暗い渡り廊下の奥からは、僅かに賑やかな声が聞こえてきている。
恐らく祖父がテレビを見ているのだろう。
働く必要のない世界が故に悠々自適な老後だからといって、自堕落な生活ばかり送るのはどうなんだろう――と思いながら玄関の扉を閉めた瞬間、まるで子供が親に抱っこをねだるかのように、楓が両手を水城に向かって伸ばした。
「……ん」
彼女から放たれる言葉はたった一文字。
でもその恥ずかしそうな表情を見れば、何を欲しているのかはすぐに推し量れる。
「よしよし。……今日も一日疲れたねえ」
そう言いながら、水城は彼女の体を優しく抱きしめた。
この玄関の扉一枚が、楓にとっての境界線。
彼女の態度を一変させるボーダーラインだ。
恥ずかしがり屋の彼女は人前では甘えられず、水城から必要以上の接触を受けることを拒んでいた。
……でも人目が無ければ、恥ずかしがり屋ではなく甘えたがり。
友達でもなく恋人でもない、それでも一番大切な幼馴染に甘える一人の少女になる。
その表情は学校にいた時とは比べ物にならないほど柔和で、きっとクラスメートたちが見たら驚くくらいに緩んでいる。
でもこれが本当の鈴蘭楓、自分を支え続けてくれた水城にだけ見せる彼女の真意だった。
無駄な言葉を発さず、水城は彼女の背をトントンと優しく叩いた。
そして頭を撫でて、その頬に触れて、少し体を引いて至近距離から彼女の目を見据える。
数秒間視線を交わして――楓は、水城の首元に体を預けた。
まるで猫が体を摺り寄せるように、彼女は幼馴染の匂いを感じ取る。
目を瞑って視覚を閉じて、慣れ切った香りで安心感を得ていった。
そんな彼女の体を不意に抱き上げ、水城は渡り廊下に固定されている室内用車椅子へと近づいて座らせる。
それでもしばらく彼女は離れようとはしなかったが、やがて名残惜しそうに離れていった。
「……だれにも言わないでね?」
「言わないよ」
友情も家族愛も恋心も全てが入り混じる、形容し難いその感情。
分かるのは、人前では決してできないということと、居心地が良いということだけだった。
そして水城は車椅子を押して、渡り廊下を歩き出す。
最奥の扉に行きつくまでに、少しだけ紅潮した顔が平静を取り戻すよう心掛けながら。
「おじいちゃん、ただいまー」
扉を開けてリビングに立ち入れば、そこにはテレビを見ながら竹刀の素振りをしている老人がいた。
彼は水城たちが帰ってきたことに気付くと、高齢剣道用の竹刀を専用の袋に収める。
「よーう真っ直ぐ帰ってきやがったかジャリ共。せっかく思春期なんだから逢い引きでもしてから帰ってくりゃいいのに真面目だなァ」
見事な白銀に染まった髪、彫り深く刻まれた皴、咥えられた紙巻き煙草。
侘び錆びが分かる粋でいなせな者ならきっと、江戸っ子を体現していると評するであろう見た目。
六十五歳前後ではあるが同年代の中ではきっと若く見えるだろう、少なくとも水城が生まれてからはずっと今の見た目を維持し続けていた。
彼の名は柊誠二。
水城にとって唯一の家族で、かけがえのない祖父だ。
「……そんなことしてクラスメートに見つかったら恥ずかしいですから」
「俺は全然いいけどなー! ショッピングデートとか遊園地デートとかなんでも来いだ、ドン引くほどの綿密なデートプランを立ててドギマギさせてやる」
思春期二人組の反応は対照的、気にしいの楓と楽観的な水城の意見はどうにもすれ違う。
しかし誠二は素振りで掻いたいい汗を拭きながら、満足そうに小粋な笑みを浮かべた。
「おォい今の聞いたか倅、見られるのが恥ずかしいだけでデート自体が嫌なわけじゃないらしいぞ。さっさと免許取って楓ちゃんと遠出しろぃ、過疎地なら何してもいいようだしなァ」
「なるほど賢い! さてはおじいちゃん偏差値高いな?」
「拡大解釈もいいところだから私困るんですけど」
何してもいいとは言ってない……とぶつくさ言いながら、楓がスクールバッグの中から教科書を取り出した。
「どちらかと言えば水城に偏差値高めてほしいよ。だからほら勉強しよ、大学入学までに少しでも柔軟な思考身につけなきゃ落ちこぼれるよ」
「なんで過酷な受験戦争に打ち勝ったのに勉強しなきゃならんのか、そのあたりちょっと問いただしたくなるな! 受験後から卒業までって遊び呆けるロスタイムでしょうに」
「なーにが打ち勝っただって? どこの大学も志望者不足で定員割れしてるんだから過酷も何もないでしょ、現に全国模試の成績わるわるの水城でさえストレートで入れたんだから」
子供たちが受験の選択肢を選ばない昨今、模試は自分の学力を知る為だけのテストでしかなくて、どこを受けてもA判定になる。
だが内容と点数は時代の流れに影響されないせいで、水城は誠二が嘆き悲しむほどの成績を叩き出してしまった。
大学の単位取得も微温湯になってはいるが、バカのまま大学生活を送れば学歴以外に得られるものなど何もない。
それが分かっているから、水城も渋々机の上にノートを広げた。
前述のように、楓はギフテッドなので学校の勉強程度なら授業を聞かずとも教科書を見るだけで全てを理解できる。
だが勉学に不向きな水城は、授業を聞いた上で楓の解説を受けなければ理解できなかった。
そんな悪戦苦闘する水城を見て、満悦そうな顔をしながら誠二が頷いている。
「いつも悪ィな楓ちゃん。このロクデナシったら絵描いたり楽器弄ったりバングルでダチにメッセージ送ってばっかだからな、発破かけてくれる監督がいねェとどーしようもねぇ」
「う、うるさいよ。俺のお一人事情を惜しげなく開陳しないでよ。……ていうか楓、おじいちゃんに言われて思い出したけど皆にメッセ返していい? 今日も今日とて通知が止まらない」
「勉強後にしなさい」
水城の手首に巻かれているバングルには先程から通知アイコンが出まくっているが、楓が鋭い目で睨み抑止する。
やたら交友関係が広くて繋がりの厚い水城に返信を許したら最後、小一時間はバングルを操作し続けるのだ。
「こういう時にしか勉強しねェんだから今くらいちゃんとしろぃ。たった週四なんだから大して苦でもねぇだろ」
「おじいちゃん知ってる? 学校の授業って週五しかないけど大層手強いんだよ」
「うっせ、口答えすんな。楓ちゃんのいる時くれぇシャンとしろォ」
両親を失ったことで、楓は養護施設で生活することを余儀なくされた。
しかし彼女の心の支えが水城だということを施設の職員たちは理解しているので、週四程度なら柊家に外泊することが許可されている――という納得できそうでできない旨の話を過去にされたことがあるが、それはきっと建前なのだろう。
養護施設で暮らしていたならば、彼女が明星の活動に参加できるとは思えない。
だから楓の言う養護施設はきっと架空施設だ。
身寄りを失った彼女を明星が引き取って、最低限の生活を保障したというところだろうか。
でなければ異性の家に外泊するなんて下手すれば人口が増えかねないことを許可されるわけがない。
だから、これは明星によって寛恕されている時間。
組織から楓に与えられた、僅かしかない休息の時なのだろう。
『ユーラシア大陸のラシュアル連邦で発生している大規模革命は激化しており、現在連邦軍による物理的鎮圧が行われております。しかし大規模犯罪組織が国民に武器の横流しを行っていることが発覚し、死傷者×××名を出す銃撃戦が――』
「………………」
テレビから聞こえてくる音声が薄らいで聞こえる程度には、水城も集中して勉強していた。
……だって、こんな時間はいつまでも続いていくものではないから。
いつまでも続くはずのないひと時、いつか失われていく寸刻。
それを知った今だからこそ、水城はこの時間の価値を噛み締める。
記録に残らない平凡な日常を、せめて記憶に焼き付けていくかのように。
終わらせたくない、けれども終わりゆく時間が流れていく――。
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