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42章 *****なんて絶対にしない

「……そろそろ、終わりの時間だね」


 アルビレオから届いたメッセージを見て、楓は小さな声でそう呟いた。


 今までずっと抱きしめていた水城の体から離れ、楓は彼と目を合わせる。


 ……水城は一度だけ強く頷いた。

 彼ももう、決心を終えている。


 楓は頷き返し――着崩れた服を直して、環境システムへと近づいていく。


 既にほとんどのデータ処理は完了済みだ。

 ……あとは最後のキーを押せば、環境システムは機能を停止し、内部からの物理的隠滅が行われるだろう。


 それが終わりの始まり。

 世界の終わりで、新たな世界の始まり。


 大災害が世界を覆い尽くして、人類が異世界人と共に作り上げてきた文明は消え去る。

 残された世界で人類は再びその種を広げ、いつか消えて無くなるまで生き続けるはずだ。


 二人は、繋いだ手を機械の前に持ち上げて――。


「さようなら。……人類」


 災害を執行するキーを、……二人、一緒に押した。


 ……それは何の偶然か、それとも誰かに定められた運命か。


 世界が終わりを告げたその時は、かつて二人が生まれた瞬間と同時だった。


「外。……もう、誰も戦ってないみたいだね」


「王は死んで転生も消えた。……戦う理由なんて、もうどこにもないからな」


 街のあちこちから上がっていた黒煙も、武具を持った兵士の群れも、空を裂く軍用機ももうどこにもない。


 ただいつも通りの青空と静寂が、世界に戻ってきていた。


「……ねえ、水城。最後に行きたい場所があるの」


「うん。……行こう。最後までついていくよ」


「………………ありがとう」


 窓の外から見える景色を眺めながら、二人はトップデッキを歩き出す。


 まるでいつものように、彼らの学び舎へ向かう時のような軽い足取りで。

 ……今や彼らは、これから訪れる死に何の恐怖も抱いていない。


 だって、もう死ぬことを臆する理由はないのだから。


 異世界転生なんてもう絶対にしない。

 世界中全ての人々と共に死ぬ。

 人類のハッピーエンドを未来に遺せた。

 そして隣には愛する人がいる。


 ……彼らはもう、全てをやり終えた。

 彼らの人生はハッピーエンドに至ったのだ。


 だから、彼らの人生がここで終わろうとも、……それは後悔の無い死。


 老衰と同じ、全ての終わりに待ち受ける必然的な死だった。


 二人はエレベーターに乗って一階へと降りていく。

 軋む鉄箱の運ぶ先は硝煙燻る戦争地帯だが、もう争いの声は聞こえない。


 そして彼らが東京タワーを出た時、もうそこに戦争は存在していなかった。


 ……代わりに、敵味方入り混じる死屍累々が広がっている。

 国衛隊も明星も関係なく、全ての人が血を流して死を享受している歪な世界。


 誰も生き残ることのない同士討ちの征野、それがこの争いの果てだった。


 そしてその中には、誠二とブルカの亡骸も存在している。

 体中を銀戒銃で撃ち抜かれ、夥しい量の血に染まりながらも……どこか満足気な表情を浮かべていた。


「……」


 そんな彼らに近づき、水城たちはそっと跪く。

 そして見開かれた瞳に手を添え、見開かれた瞼を下ろした。


 命を賭して守り抜いてくれた彼らに、ありがとうとさようならを告げて――二人は歩き出す。


 向かうべき場所は、もう分かっていた。


 戦争を失い、群衆も失い、静寂を帯びた世界を二人は行く。

 別れを拒むようにその手を繋いで、血に染まった東京タワーを後にする。


 彼らが死を享受するまで、あと数十分程度しか無いだろう。

 ……それでも彼らは野暮な言葉を交わさない。

 別れを惜しんで云う言葉に価値などないと知っていたから。

 幾億もの言葉よりも深い意味合いを持った痛みを、彼らはもう手に入れていたから――。


 清閑の世界に、桜の花びらが舞い散った。


 やがて二人は、かつてクラスメートたちと通った桜の通学路へと辿り着く。

 自宅と学校を紡ぐ、そして水城たちとクラスメートを繋ぐ桜小道だ。


 この道の先に、二人が行くべき場所が――死ぬべき場所がある。


 二人は、最後の下校路を行く。


 まるであの時と同じで、クラスメートたちが背を叩いて笑顔を見せてくれるかのよう。


 騒がしくも愛おしい日常が、再び始まるかのようだった。


 水城が心に僅かな感傷を憶えたその瞬間は、午後六時丁度。


 それは、全ての終わりが始まる時刻だった。


「……」


 そして、人類の終焉が訪れる。


 定刻に至り、皇紅葉の定めた終末が世界に伝播していった。


 人々の脳に刻まれたプログラムが、彼らに死への衝動を与えていく。


 抗いようのない希死念慮に苛まれ、人々の自意識が罅割れる。


 我先にと争うように、人類は各々が望む死を歓待していった。


 ある者は包丁で自分の肚を切り裂いて、ある者は首を吊って静かに揺れて。


 ……でも彼らが選んだ死に方のほとんどは、飛び降り自殺だった。

 日頃から見慣れていて一番印象に残っていたのか、彼らの八割以上が飛び降り自殺を選んでいたのだ。


 ありとあらゆる建物から人が飛び降りていく。

 地面に赤い飛沫が広がって、溢れた血が地面を染め上げていって――地球が赤く染まっていった。


「……世界の終わりが来たんだね」


 二人が見上げる空いっぱいに、投身自殺していく人類の姿が映っていた。


 まるでそれは肉の雨、まるでそれは血の海。


 天地の半ばに人が舞い、地には真紅の波紋が広がっていく。

 翼を持たぬ彼らが空を飛べるはずもない、それでも彼らは飛べることを信じて疑わないような表情を浮かべていた。


 それは解放の表情か、それとも安堵の表情か。


 きっと、誰にも分かるはずのない感情だろう。

 死を歓待する者の気持ちなど分かりようもないし、……分かってはいけない世界を二人は望んでいるのだ。


 人類のほとんどが飛び降りていく、その肉が雨のように降り注いでいく。

 彼らの肉体に詰まっていた血液が弾け飛んで、その液体が世界を埋めていき、彼らの生まれし街を流れていった。


 二人が歩く煉瓦造りの桜小道は、気付けば流れゆく血液に染め上げられている。

 天地を揺蕩う桜たちと、彼ら二人だけが知る世界の終わり際だ。


 紅く染まったその道は、まるで二人のバージンロード。


 永遠の愛を誓う道、糾う恋の終着点。


 群雲も無く、夕日が照りし今降りしきるそれはさながら天気雨のよう。

 狐の嫁入りと呼ばれし、婚儀の式を綴った伝承の表れだった。


 環境システムを失って、自分たちの本来咲くべき季節を思い出したのか、万年桜が勢いよく舞い散っていく。

 風などないのに花弁が幹から離れ、世界の終わりを桃花色に変えていた。


 桜と、自殺者と、鮮血が舞う世界。


 二人はそんな世界を、誰よりも優しい表情で見つめていた。


「ねえ、水城」


「どうした?」


「私たち、……初めて手を繋いで歩いてるね」


「……そうだな。今までしたことなかったもんな」


「今ね、すごくドキドキしてるの」


 唐紅に星くくり、世界に舞い散る肉の雨、世界を彩る桜の空。


 そんな中、彼女は恋する少女らしく、無垢に笑った。


「私たちは、……同じ存在から生まれた同一人物だけど、ちゃんと恋できているよね」


「……ああ」


 これは紛れもない恋だよ。


 そう言って、水城はより強く彼女の手を握った。


 やがて桜小道が終わりを告げて、二人の行くべき場所に辿り着く。


 バージンロードを抜けた先には何があるのか。

 ……愛を誓う祭壇があるだろう。

 しかし祭壇は永遠の愛を認め合うだけの場所ではない。

 神に供物を捧げる神聖な聖域でもある。


 異世界転生の存在しない世界を――化物の存在しない世界を作るための供物。


 それは二人の新人類。

 彼らの死によって化物の可能性は潰えて、人類が人類らしく生きるための世界が生まれるのだ。


 だから彼らは、その身を捧げるためにかの地へ向かう。


 ……彼らが見上げたその場所は、二人が暮らしたマンションだった。


 ――ただいま。


 そう呟いて、二人は階段を上がっていく。

 エレベーターになど目もくれず、一段一段自分の足で踏みしめて上っていった。


 この高さが死を呼ぶための距離ならば、その足で生み出したいと言わんばかりに。


「……」


 二人はこの場所で出会い、この場所で共に過ごしてきた。


 そして、この場所でその身を投げ出し――恋をした。


 それが全ての始まりだというのなら、この場所で死を享受することが相応しい。


 あの日の恋と共に、二人は消える。

 ……それが楓の望む、この世界との死別だった。


 ……世界に、地鳴りのような音が響き渡る。

 余震とは思えないほどの揺れが一度、世界の人々を突き上げていった。


 システムに制御されていた青く美しい空が、その模様を変えていく。

 雲が広がって黒ずんでいき、天の頂で帯電しながら雷鳴を轟かせ始めた。


 緩やかな波を漂わせていた海が荒れ、激しいうねりが全国各地で起こり始める。

 浜辺の波が引いていき、海の奥には途方もなく大きな波が発生しつつあった。


 環境システムによって長く抑圧され続けていた災害が、今解き放たれようとしている。


 そんな中、二人は七階の屋上に至っていた。


 冷たい風吹くその場所は、胸の高さ程度の柵に囲まれているだけ。

 乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられるし、死のうと思えば簡単に死ねる場所だ。


 二人は柵に向かって歩いて行く。

 定期的に起こる地震に転びかけながらも、それでもしっかりと手を握り続けて――。


 そして、柵を乗り越えて、死と生を分ける縁へと辿り着く。


 足を一歩前に踏み出せば、そこは踏み出す場所の無い虚空。

 彼らを地上まで送り届けて、その命を優しく奪ってくれる死への入り口だ。


 終わる世界を眼前に見据えて、二人はより強く手を握り合う。


 落ちていくその途中で離れ離れになってしまわないように、ちゃんと最後の一瞬まで一緒にいられるように――。


「……楓」


「うん」


「あの世に行っても、俺は楓のことが好きだと思う」


「……うん」


「だから、……もしあの世で会えたなら……もう一度俺のことを愛してくれるか?」


「…………ばーか」


 彼女は優しく笑って――。


「もう一度もなにも、……死を隔てても、ずっと大好きだよ」


 そして、二人の足は地を離れていく。


 足を一歩前に踏み出して、彼らの体が前に傾いていって、足場のない世界へ投げ出されて。


 ……二人の体は、遥かな高層から落ちていった。


 お互いの体を抱きしめ合って、優しい死に向かって二人は往く。


 死は初めてのはずなのに、……二回目のように感じるのは、きっと幼きあの一瞬のせい。


 落ちていく楓を受け止め、共に落ちていったあの一瞬があったから。


 今度こそ、二人は助からないだろう。

 例え木が衝撃を和らげたとしても、車が落下地点にあったとしても、確約された死が二人を迎え入れる。


 ……でも、懐かしくて……二人は、少しだけ笑った。



「ねえ、水城」


「私ね、幸せだったよ」


「俺も、楓と居られて幸せだった」


「うん」


「……俺を幸せにしてくれて、ありがとう」


「私も同じ気持ちだよ」


「私の人生に光を見せてくれて、ありがとう」


 地表が近づいてくる。


 死が二人を受け入れていく。



「……」


「おやすみ、楓」


 そして彼女は、

 名残惜しさのない声で、静かに囁いた。



「おやすみなさい」



 穏やかな、とても穏やかな表情で。


 まるで、午睡にまどろむように。



 恋する二人は、眠りについた。


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