41章 未来の自分にさよならを
「……これが、水城君の望んだハッピーエンドか」
水城と楓のバングルに仕込んでいた盗聴器からの受信を切って、達観を含んだ口調でそう呟いた。
この先を聞くことは野暮だと思ったのだ。
「最後まで君は、……世界なんかじゃなくて、誰かを救うことだけを考えていたんだね」
彼の目の前に聳える転生システムの機械は、赤い警告画面を示していた。
それは転生のシステムを全て削除するための、最後の選択。
アルビレオがキーを押せば転生は終わり、この世界の人類は本来あるべき死を遂げられる。
人々はもう異世界で苦難を強いられることはない。
彼らが手にするのは、人が本来得るはずだった生。
死を歓待する世界ではなく、強く生きることが望まれる本当の世界。
「さようなら異世界。……もう二度と、貴方たちと出会うことはないでしょう」
そして、アルビレオは――最後のキーを押す。
その瞬間、転生システムのディスプレイが全て消灯し、機械の内部から仄かな煙が上がった。
現世の人間では再現できない超高温によって内部の機構を全て破壊し、ありとあらゆるデータや構造を破壊していく。
そして同時に、世界の隙間に存在していた、現世と異世界を繋ぐ扉も閉じていく。
現世の人類が再び扉を開かない限り、もう、誰も異世界に囚われない。
「人間は人間らしく生きる道を選びました。……貴方たちは永遠に、終わりなき化物の日々を過ごしていってください」
最後に、転生システムの機械に一礼してから……アルビレオが振り返る。
そこには鎖に繋がれた衛がいて、ただ神妙な表情で天井を眺めていた。
「……儂の目指した復讐も、これで終わりか」
何百年も望み続けてきた野望、この世界に戻って来てから抱き続けてきた決意。
彼の願った未来はもう潰えて――水城の望んだ恋物語に染まっていた。
そんな彼に近づき、アルビレオは銀戒銃を向ける。
引導を渡す時が来たのだ。
「……君のやっていることは、最初からただの無意味な復讐に過ぎなかった。それくらい自分でも分かっているんだろう……?」
「……………………」
「異世界人に地獄の仕打ちを受けた同胞として、その気持ちは分からなくもないけどね。でもその報復を新人類に向けるのはおかしいだろう」
「……お前に分かるものか……」
殺意と憎悪が渦巻く低音で、衛は苦々しげにそう呟いた。
「皇紅葉に迎合し、ヤツの願いを叶えることしか考えられず……新人類の補佐として永遠の手助けをしようとしていた奴に分かるわけが無かろう……。お前は新人類に……我々を苦しめ続けた化物の幼体に! その身を捧げようとしていたのだぞ……!」
新人類を支え続けるということは、やがて化物に成り果てた後もその傍に居続けるということ。
化物の傍に居るということは、かつて彼らに拷問をかけた異世界の化物と同様の存在に、首を垂れて服従を誓うのにも同義だ。
化物にいいように弄ばれ、解放されたと思えば次は新たな化物の世話係。
……そんな救いのない人生を、衛が望む筈もなかった。
だから不老不死者の中から同志を集め、明星の――皇紅葉の思惑とは違う未来を紡ごうとしていたのだ。
「奴らを、化物共を支配する……我々に地獄を与えた種族を虐げることが、唯一の報復だというのに……」
そのために新人類を掌握し、管理下に置こうとしていた。
かつて自分が受けた仕打ちを新たな化物に返し、その痛みを慰撫するために。
……でもそれは、無意味な復讐だった。
異世界の化物に軍事力で勝てないから、こちらの世界で化物を作り上げて虐げているだけ。
それは本人にとって鬱憤を晴らす唯一の行為だが、相手を履き違えた怨嗟でしかない。
「………………」
その気持ちは、アルビレオにだって理解できる。
骨削ぎの拷問を、蟲喰いの拷問を、鳥葬の拷問を、無窮溺死の拷問を、性器潰しの拷問を、脳啜りの拷問を、肛門壊しの拷問を、眼球握りの拷問を忘れた日などなかったから。
衛が異世界人に憎悪を抱くのと同じように、彼だって同じ気持ちを秘めている。
でも、だからといって新人類を支配することに賛成するはずもない。
やがて異世界人と同じ姿形になる存在だとしても、それは彼らの憎む敵ではないのだ。
それくらい、衛だって理性では分かっていることだろう。
……しかし、理性で分かっていたとしても、感情は変えられない。
「もしもあの世に神がいたなら教えてもらうといいよ。……異世界人を殺し尽くす方法をね」
「……ふ」
諦めたように衛は笑った。
「ならばいつかお前にも教えてやろう、楽しみにしておくがよい」
「ああ、あの世で待っていてくれ。全てが終わったら、僕もそっちに向かうから」
そしてアルビレオは、銀戒銃の引き鉄にかけた人差し指に力を込めて――。
「……じゃあ、殺すよ」
「良い、許そう」
僅かな躊躇は、かつての同胞に向けた餞か。
しかしその迷いを断ち切るように――無情な銃声が、シェルター内に木霊した。
……その額から血を溢れさせながら、衛の顔が項垂れる。
全身から力が抜けていき、見開かれた瞳は閉じられることなく開き続けていて――額に空いた穴はいつまでも修復されず、ただ血の雫を滴らせ続けていた。
王の死。
……全ての終わりだった。
新人類を従えようとする存在は消え去り、水城と楓の望みを阻害する要因は何一つない。
だから、ここから先は既定事項。
変わることのない未来だ。
「……」
アルビレオは携帯を使い、明星の不老不死者たちに連絡を入れていく。
人類最後の闘いは終結した。
この世界における人類の役割は全て終わったのだ。
最後の一太刀を握るのは新人類、そして抑圧された大災害だけ。
……やがて連絡を受けた不老不死者たちが、地下シェルターに立ち入ってくる。
既に上層階での戦争は終わっていたのか、彼らは大仰な機械を運んできていた。
それは培養液の中で眠り続ける人類の脳と、水城たちのクラスメートを模した肉体。
新たな世界で芽吹かせる種と僅かな家畜、そして数多の食料。
元々大量の備蓄を積んでいたシェルター内に全てを詰め込むと、残されたスペースは僅かほどしかなかった。
しかしそれで必要十分だ。
大災害を生き延びるべき存在は数十人、人類の行く末を見守る不老不死者だけなのだから。
……国王とハルの死体を片付ける部下たちを眺めながら、アルビレオは楓の持つ携帯電話にメッセージを送る。
それが新人類に伝えるべき最後の合図だった。
『橘樹衛を殺害し、転生システムの機能を停止させた。
我々の役目は終わりだ。
あとは、君たちの好きにするといい。
今までありがとう。
君たちと過ごした毎日は、結構楽しかったよ』
……二人にメッセージを送り終えたアルビレオは、ハルの座っていた車椅子に腰かけて、深い溜息を一度吐く。
これで、全て終わったのだ。
音を立てて閉じていくシェルターの扉を眺めてから、彼は懐から一冊の手帳を取り出した。
それには埋め尽くすように文字が綴られていて、……ほとんど最後のページにまで書き連ねられている。
かつて彼が旧約と呼んだその手帳は、もう終わりに向かおうとしている。
彼は再び盗聴器からの電波を受信し、楓と水城が交わす言葉を聞き始めた。
もう既に事は済み、死を間近に控えた二人が寄り添う静寂だけが続いている。
例えここから先が彼らの終焉を記すものだとしても、彼は聞き漏らすことなく最後の一句までを理解し続ける。
……それが彼に与えられた、もう一つの役割だった。
(君たちの死。……最後まで、見届けるよ)
さようなら、とアルビレオは想った。
その言葉はこの世界を生きてきた全ての人類に。
そして世界の行く末を担わされた新人類に。
……そして、その中で生き続ける、最愛の皇紅葉に。
旧約を彩った世界の全てに、彼は、別れを告げた。




