40章 人生のハッピーエンド
「世界をあるべき形に戻すなら、新人類なんて存在は滅ぶべき。……でも、水城には生きていて欲しかった。大好きな人には、……生きて幸せになって欲しかったの」
「……だから、クラスメートたちの肉体を作ったのか。俺の望んだ理想を叶えるために」
水城の望みは、大好きな幼馴染やクラスメートたちと、楽しい日々が続けられることだった。
だから彼女はそれを叶えるための世界を作ろうとしていた。
その痕跡はいくらでも残っている。
恋文に書かれた『国に捕らえられたならば、私の人格などすぐに壊されてしまうでしょう』という文章は、今までの想い出を知らないハルを楓だと思わせるため。
プログラムされていない脳を入れる肉体をクラスメートたちのものにしたのは、本当はクラスメートたちの死を見せないことで生きていると見せかけるため。
それはヒスティリア地下でアルビレオが語った、『投身自殺失敗によって全員生還できたが、その衝撃によって記憶を失い、人格も変わってしまった』という筋書き通りだ。
……水城と楓役のハルとクラスメート、そしてそれを補佐する不老不死者たちを宮殿地下のシェルター内に入れて大災害を起こせば、水城の望んだ世界は実現する。
例え仲間たちの記憶が失われていたとしても、彼の望んだ未来が現実になるのだ。
新人類の片割れは生き残るが、……そのリスクを取ってでも、楓は水城の描いた幸せな未来を実現させたかった。
それが、……鈴蘭楓の、そして柊水城のハッピーエンドのはずだった。
「……でも、私の願いはもう叶わない。そうだよね、水城」
水城は彼女の願いを知って尚、この場所にいる。
彼女の望んだ結末を拒絶して、世界の終わりを書き換えるために命を懸けてここへ来た。
皇紅葉の望んだ未来を否定して、鈴蘭楓は未来を描いた。
そして今度は柊水城が未来を書き換えて、本当のラグナロクを描き出す。
人の終わりを望むのも、人の続きを担うのも、全ては彼に託された。
「私の望んだ未来に賛同してくれるなら、水城は今ここにいない。……水城は、自身の望んだ未来を実現するために来たんだよね」
「……そうだな」
「大災害を食い止める主人公になりたいの? それとも、私の死を止めて化物になりたい?」
「……」
「……水城は、どっちを選ぶの?」
「…………俺がなりたいのは、主人公だよ」
「世界の破滅を止める存在になりたいんだ」
「そんなもの、主人公なわけがないだろ」
この世界はディストピア、あらゆる生命の滅亡が定められた破滅の世界。
例え脳からプログラムを取り除けたとしても、大災害を食い止めたとしても、化物にならない限り人の滅びはいつか訪れる。
それは主人公であっても変えることのできない世界の大原則。
なら、破滅を止める存在が主人公なわけもない。
「……この世界を救える主人公なんてお伽話だよ。そんな都合のいい存在がいるなら、この世界は最初からディストピアなんかじゃない」
誰もがそれを願って旅に出た、世界を変えられる主人公になるべく異世界へ消えていった。
でも、この世界にも、異世界にも、そんな存在はいない。
最初からはき違えていただけだ。
彼らが目指す主人公は、世界を愛する存在じゃない。
「俺は世界を救う主人公になんかなれない。……でも、楓にとっての主人公になりたいんだ」
「え……?」
水城は臆することなく楓に近づいていく。
二人の間にはもう、距離など存在しなかった。
そして、……彼女の体を、優しく抱きしめる。
失ったと思っていた彼女の温もりを、その生命を……水城はようやく、取り戻す。
「……言ったろ、俺は最後まで楓の傍に居続けるって」
こんな私でも、……一緒にいてくれるの?
かつて帰路でそう問いかけた楓の表情を、水城は鮮明に思い出す。
同じ存在から生まれた二人だとしても、やがて死別する未来だとしても、共に未来を歩むのは記憶を失った偽物だとしても、それでも一緒にいてくれるかを尋ねる不安げな表情だった。
でもあの時から彼の気持ちは変わっていない、昔から変わったことなど一度もない――。
「楓が消える未来なら、俺も一緒に消えていきたい。命潰えるその一瞬まで楓と共にいたい。……それだけが、俺の望みだよ」
愛して、守って、抱きしめて。
世界は救えなくても、その両手で愛する人を救い続ける。
それが恋愛物語の主人公。
大いなる力など持たないが、確かに彼らは主人公だった。
……本当は、それこそが世界の理。
滅亡を逃れられない生命が、その生涯の中でどれだけ幸福に生きていけるか。
死ぬ最後の一瞬まで誰かを愛し続けられるか。
きっと、それを知るため人類は生まれてきて、消えていく。
最初から異世界転生なんて要らなかった。
死んで主人公になるなんて思考は理に反した行為でしかなくて、罰を受けるのもきっと当然のこと。
愛する人を、家族を、友人を、隣人を、世界を、自然を。
……共にいる何かを愛した者が本当の主人公、世界の中心となるべき存在。
その真実に、水城は至っていた。
「……私を……止めに来たわけじゃないんだ」
水城の胸に顔をうずめながら、楓は夢見心地な口調でそう呟いた。
「私と一緒に、死んでくれるんだ……」
抱きしめてようやく気付く、その体の震え。
例え幼き頃から覚悟していたその日であっても、……それは恐怖を伴う結末なのだろう。
「一人で死ぬなんて……怖いだろう?」
「……うん」
「だから、最後まで一緒にいるよ」
「…………うん…………」
それが叶えば、この世界から新人類は消える。
再び蘇る人類が、人類らしい生を享受して――消えていく世界が始まるだろう。
彼らはそれを実現するための贄だったのかもしれない。
だが、後悔など僅かも無かった。
……だって彼らはその短い生涯で、誰かを愛して……幸福な日々を過ごせたのだから。
幼馴染として生きた年月が、相手を想って生きてきた人生が、彼らの産まれた意味だった。
「……あのラブレターの返事、今、伝えるよ」
強く、かつてないほど強く抱きしめながら、水城はその言葉を伝える。
今まで幼馴染だった存在に。
……そして今から恋人になる存在に。
「俺も、楓のことが大好きだよ」
それは、世界の終わりの、許されない恋。
旧約の世界にあまねく人類の、歪で温かな最後の恋だった。
「………………よかった」
愛より出でて、愛よりも深いその感情に名前はない。
ただ触れ合うことでしか満たせず、寄り添うことでしか晴らせないその庶幾。
死をも厭わぬ、恋願う想い。
……言語化できるのは、そこまでだった。
語り得ぬ想いは沈黙しなければならない。
言葉に表す方法を、二人は知らないのだから。
「ねえ、水城」
だから、少女はその想いを忘れないために、痛みを求める。
「……今度こそ、最後まで愛してくれる?」
水城は、あの夜のことを思い出していた。
共に一つの布団で眠ったあの夜を。
……彼女の勇気に答えられなかった、後悔の夜を。
「……ああ。……今度はもう逃げないよ」
「うん」
少しだけはだけた衣服と、絡み合う指。
至近距離で囁かれる愛心の言葉。
そして、触れ合う肌。
……贅沢かな?
楓は虚ろなる世界で、そう思う。
でも、……お願い、神様。
許してくれますよね。
死ぬ前に、痛みが欲しいだけ。
例え死んでも忘れられないような、想い人に愛される痛みが欲しいの。
幾星霜の先にある死の世界で、この恋を忘れないようにするには、これしか思いつかなかったから。
だから、……お願い。
今だけでいいから、忘れさせて。
死の不安も、過去の懊悩も。
全部忘れて、今は、彼を愛させて。
全てが終わったら……ちゃんと、死んで消えるから。
ねえ、神様……。




