38章 地獄の人生
「……この世界の真相を知ってからずっとね、私は新人類を繁殖させるために生きて、役目を終えたら死ぬだけの人生なんだって思ってたの。それが私に与えられた人生で、それ以外の全ては無意味なんだって思ってた」
「そう思うのも当然だよな……人類の行く末を知ったなら、抗えなくなるも当たり前だ」
現在の人類はやがてプログラムに従って全員死に至り、新人類はやがて化物になる。
……だから未来に希望などない、将来の夢など持っても意味がない。
荒廃した世界でただ二人きりの新人類として君臨し、子を産み続けるレールしか存在していないのだ。
それを幼き頃から知っていた彼女が、毎日を楽しく生きられるわけもない。
バッドエンドになると告げられた物語を生きて、胸躍らせる者などいないように。
「だから最初はね、私も皇紅葉と同じ思想だったの。滅びの未来を迎えるくらいなら、化物になってでも人類の生きた証を残すべき。それが私に与えられた使命なんだって思ってた。……それを遂行するため、必要な新人類を敵に奪われないよう、替え玉を用意する必要があったの」
新人類の所在は明星が秘匿していたが、いつか国家がその居場所に気付いたならば、争奪戦が起こるだろう。
その時差し出す身代わりが居なければ、新人類は橘樹衛という神気取りの傀儡に支配されてしまうかもしれない。
そこまで読んでいた彼女は、保険のために影武者を作ることを立案したのだ。
「……私が企てたのは、自殺の八百長。マンションの七階に靴と遺書を置いて偽装工作をして……四階から飛び降りる計画だよ」
虐待を受けているような素振りを見せて、遺書に虐待の内容を書けば、自殺を行う動機は明らか。
……誰が見たって不審に思うはずもない、ごく普通の自殺未遂になる。
明星の上層部にも計算を要請して、落下しても無傷でいられるように手筈を整えた。
途中の木々で衝撃を和らげ、落下箇所に車を配置して、落下という事実だけを残す予定だった。
「私が落下した瞬間は、駐車場の監視カメラに映像として残る。そしてその目撃者をでっちあげれば更に盤石。あとは明星に丸め込まれた医者に脊椎損傷と診断させて、障害福祉の認定を受けて、車椅子に座り続けるだけ。……そうすれば国家を欺けるはずだった」
「……でも……楓にとっても明星にとっても、想定外のことが起こった。そうだよな……?」
「……………………」
楓は言葉を発さず、ただ目を伏せて沈黙を返した。
「………………じゃあ、その目は、やっぱり――」
ハルを部屋に呼び出した日、水城は事故の資料から自殺未遂を装った自作自演の可能性に行き当たった。
彼女を殺そうとする人物の心当たりがない以上、それが正当な思考だ。
新人類が明星の希望である以上、絶対に怪我を負わないと断定した上で計画が行われたのだと考えられる。
故に下半身不随は虚実だったのだと推測するのは容易だ。
でも――左目の眼球破裂という設定を付け加える必要性はない。
何故ならハルは顔を隠すため、仮面を被り続けなくてはならないのだ。
目が見えない設定は日常生活を阻害するだけ、ただの無意味な重石でしかないだろう。
つまりそれは、……本来想定していなかった、本当の負傷。
想定外の出来事。
それはたった一つしかない――。
「俺が……楓を、助けようとしたから……」
水城が空に飛び出て、楓を捕まえたことにより、落下地点が狂ったのだ。
それによって本来無傷で済む筈だった楓は左目を失い、ただの目撃者であるはずの水城は軽度の怪我を負った。
……柊水城は、あの日鈴蘭楓を助けたのではない。
無自覚に計画を阻害し、新人類の目を潰した張本人なのだ。
世界で一番大切な幼馴染を傷つけたのは、他でもない水城自身。
助けようだなんて蛮勇を抱かなければ楓の瞳は失われなかった、それだけは間違いないだろう。
「……本当に、ごめ……」
「私はね、嬉しかったよ」
水城の言葉を掻き消しながら、楓は大きな声でそう言った。
後悔の混じった謝罪など聞きたくないと言うように、耳を塞ぐ代わりに彼女は告げる。
「水城が助けてくれたから、……私は、生きる幸せを知ったの」
失った左目に手を添えて、感慨深さを隠せない口調で彼女は言う。
「皆が私のことを大切に扱うのは、新人類という立ち位置があるから。……私に近づいてくる人は誰もが利己的な気持ちを持っていると思うことしかできなかったの。自身のアイデンティティすら持てなくて、『新人類』という役柄を全うするだけの人生だと思ってた」
でもね、と言いながら楓が一歩歩み寄る。
二メートル空いていた距離が、少しだけ縮まった。
「命を懸けて守ろうとしてくれた水城は、……私の価値観を壊してくれたんだよ」
定められたレールを歩くだけの、空虚な人生だと思っていた。
新人類として生まれて、自分の力で手に入れたわけでもないそんな地位のせいで重宝されて、明星からも国家からも求められて、その役割を遂行することだけを求められて。
誰もが鈴蘭楓ではなく、新人類という肩書を愛しているのだと信じて止まなかった毎日。
そんな中で、楓が新人類であることを知らないはずの水城が、命を賭して彼女を守ろうとした。
ともすれば自分の命だって危ういかもしれなかったのに、それでも彼は迷うことなく楓を助けようとしていた。
……それが彼女にとってどれだけ大きな出来事だったか、きっと彼女を新人類としてしか認識していない者たちには理解できなかっただろう。
生まれて初めて『新人類』ではなく『鈴蘭楓』として認識されて、危険を顧みず命の灯火を繋げようとしてくれて――彼女はきっと、自己が揺らぐほどの衝撃を受けたのだ。
肩書のない『鈴蘭楓』に生きている意味などないと思っていた。
……でもその傍には『鈴蘭楓』に生きていて欲しいと願い、その身を犠牲にできる幼馴染がいる。
……それが、どれだけの救いになったことか。
それが、どれだけ生きる希望を与えてくれたことか。
「私はね、……水城と一緒にいることだけが、生きる意味だったんだよ」
そして水城と共に生きて、その傍に居続けて。
いつしかその気持ちが色付いて恋になり、愛に変わっていくのを、彼女は自覚していた。
……それはもう、語る必要もない物語。
だってその全てを、彼女は恋文に綴ったのだから。
例え同じ人間から作られた、同等の存在だとしても――許されない恋をし続けた。
決して結ばれてはならない二人だと分かっていたけれど、甘えて、寄り添って、気持ちを文にしたためて……それだけで、もう十分だった。
報われない恋でも構わない。
……化物になる定めを課せられた自分が、人を愛し続けられることが奇跡なのだから。
「……ずっと一緒にいてくれてありがとう。……だいすきだよ、水城」
そして、少女は世界の理を知った。
それはディストピアでしかないこの世界で、ハッピーエンドを迎える方法。
人類は――全ての生命はいつか必ず絶滅する生命体かもしれない。
でも死ぬことが必ずしもバッドエンドなわけではなく……その生涯が報われるもので、最後までやり遂げられたなら、それはきっとハッピーエンドなのだろう。
何故なら全ての生命は寿命を持ち、押し並べて死を迎える。
だが全ての生命がバッドエンドを迎えて消えていったわけではない、満足して笑顔のまま消えていった生命だってあるはず。
水城と生きる日々を知って、愛と共に在る毎日を知って、ようやく気付いた本当の幸せ。
若者が地獄へと続く死を選ばずに、己の人生を確かに生きて――生きる意味を知ることができる世界こそが、当たり前でありながら当たり前ではなくなった幸せの形。
異世界に魂を売らず、人類が人類としての歴史を全うすることが、きっとハッピーエンド。
だから、異世界人のように別世界の存在を犠牲にする化物になんかならない。
そして異世界という地獄に若者を送り付けて得た技術にも頼らない。
この星で、人類が人類だけの力で生きて、消えていく。
少女は、それを叶えるために生きてきた。
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