37章 摩天楼で眠る天の川
朽ち果てし総合電波塔、東京タワー。
かつては花の都に聳えしシンボルとして親しまれていたこの場所は、その峰に環境システムを孕み、今や不老不死者以外の立ち入りを禁じている。
この世界の存続を担うシステムを、東京――ひいては日本のシンボルに配置することは支配の証。
現世は異世界の管理下にあるということを示す服従の刻印だ。
それがこの世界の命運を決める最終の場所になることは、偶然か運命か――。
「……」
メインデッキ経由でゲートを潜り、水城は東京タワーのトップデッキに辿り着く。
彼の降り立ったトップデッキはジオメトリックミラーに囲まれた美しい空間。
ガラスの向こうから見える東京の景色は雄大で、世界の果てまでも見えてしまうような錯覚に襲われる。
誰も観光客など訪れることはないはずなのに、デッキ内の照明は様々な色を映し出していた。
青白く燃ゆる炎のような色彩、ハイメタルな白銀色に染まる世界、友人と見た桜を思わせる薄紅色――そしてその合間を飛び交う、プロジェクションマッピングによって描かれた粉雪。
かつて東京タワーが人々の間で親しまれていた頃、その照明は人々の心を奪い虜にしていた。
既に失われているはずの機能が復活しているのは、きっとここを死に場所と定めた一人の少女が再起動させたからだろう。
一人孤独に死ぬならば、……せめて幻想的な世界の中で眠りたいという願いだろうか。
水城は一歩一歩を踏みしめて、この最後の道を歩いて行く。
窓から見える景色は懐かしきものばかり。
……祖父と幼馴染と暮らした我が家、かけがえのない友と過ごした高校、仲間たちと最後の想い出を作った水族館、残酷なる真実を体現したヒスティリア、この世界の裏側を知った大学病院。
そしてここが、彼にとっての終着点だった。
やがて歩いて行くと、壁に埋め込まれた巨大な機械を目撃する。
無数の数値を表示するモニターは、この世界の安定度を示していた。
描かれた文字は世界中の温度や風速、植物類の紅葉を示す数値のようだ。
それこそが、この世界の環境を司るシステム。
この地球を人類に適した環境にするための、万物の摂理を捻じ曲げる悪魔の機械。
この機械が失われれば世界は終わる。
全ての人類は死に絶え、あとに残るのは風化の運命を避けられない生命の残り香だけだ。
それを望む人間が、そこにいた。
「……」
すっかり寂れてしまった手すりに体を預け、窓から世界の景色を眺める少女が一人。
十色に瞬くこの美しきトップデッキから、黒煙渦巻く荒廃の地上を見下ろしている。
ハルモニア・プリオシン。
寡黙なる従者がそこにいた。
水城は立ち止まり、彼女の姿を見据える。
……水城の存在に気付いたハルが、ゆっくりと視線を彼のほうに向けた。
世界の行く末を決める二人が向かい合う。
その二人の間に空いた距離はたった二メートル。
飛び掛かって殺すことも、手と手を取り合って和睦することも、どんなことだってできる距離にまで至っていた。
二人の沈黙は、お互いの隙を窺っているのか。
それともどんな言葉をかけようか惑っているのか、悲しみに満ちているのか、喜びに満ちているのか――それはお互いしか知り得ない。
全ての終わりが迫る中、先に口火を切ったのは水城だった。
「……残念だったな。お前の計画が叶わなくて」
ハルは何の反応も示さず、ただ静かに水城を見据えていた。
「お前が用意してくれた世界は、きっと素晴らしいものだったはずだ。……クラスメートの皆がいて、『鈴蘭楓』がいて……俺の理想が最期まで続いていく、そんな世界……」
かつて彼は願っていた。
愛する友人たちと、愛する幼馴染がいる日常。
代わり映えの無い温暖な日々が永遠に続けばいいと。
そのための世界は確かにあった、実現するための段取りは組まれていた。
「でも……そこにはお前がいない。……そんな世界、俺は要らないよ」
手袋を外して、フードを取り去って。
ハルが脱ぎ捨てたローブの下には、少女の体が存在していた。
「……俺はお前と一緒にいたかったんだよ。楓」
そして仮面を外したその先には――誰よりも見知った顔があった。
長き時を共に過ごしてきた幼馴染が、生き別れてしまったもう一人の新人類が、世界で一番大切な鈴蘭楓がそこにいる。
左目に巻かれた包帯はそのままだが、彼女は己の足で自立していた。
今まで車椅子に座っていたのが嘘のように、彼女は何の支えや頼りもなく悠然と立っている。
「……来ちゃったんだね、水城」
「来るに決まってるだろ。例え全ての首謀者だとしても、お前は一番大事な幼馴染だからな」
「そっか。……悲しいけど、嬉しいなあ……」
楓が望む未来、水城が望む未来。
それらは相反して、どちらも成就することはない。
水城がここに来た以上、楓の描いた未来の構図は霧散してしまう。
「いつ……分かったの?」
「……最初違和感を覚えたのは、ヒスティリア強襲作戦の会議中だよ」
あの時、情報共有のために水城がディスプレイの画面をハルに寄せたが、彼女は微動だにしなかった。
その時アルビレオは、上の役職から命令されれば何でも従うと言っていたがそれは嘘だ。
彼女はアルビレオの殺害を彼女は拒否したのだから。
では何故あの時、アルビレオはあんな言葉を言ったのか。
それは――左目の見えないハルが、ディスプレイに気付いていなかったからだ。
あの時左に座っていた水城の行動を目視することができず、アルビレオがそれとなくフォローを入れてハルに気付かせたのだ。
……その時、水城は彼女に疑いを持った。
その後彼女を呼び出して、アルビレオの計画について聞きだしたのは、アルビレオの台詞が嘘だということを暴くためだけじゃない。
……あの時水城は部屋の掃除をしていた。
それは床を綺麗にし、彼女の落とした痕跡を全て回収するためだ。
ハルを呼び出して話をして、その間に落ちた髪の毛を入手したかったのだ。
そしてヒスティリアから奪還したDNA鑑定培養装置を勝手に使い、己の髪の毛と入手した髪の毛のDNAを比較した。
……その結果がほぼ同じになったことは、言うまでもないだろう。
「だから……ハルモニア・プリオシンの正体が楓だということに気付いたんだ」
そこまでの全てを語った水城に対して、楓は自嘲するようなため息を吐いた。
「……なるほどね。これが決め手となっちゃったのか……」
左目に巻かれた包帯に手を添え、楓は形容し難い表情をする。
喜びも悲しみも悔しみも懐かしみも、全てが混ざり合う乱雑な色彩がそこにあった。
「もし俺が、ハルの扮した楓と会っていたなら、外見が同じだとしても違和感を覚えただろう。だから恐らく――入れ替わりは星狩りの時だ。……あの時、俺たちを捕らえたブルカ二等陸尉は楓をA倉庫へと運ぼうとし、運搬班には俺をB倉庫へ運ぶよう指示していたな。その運搬中にブルカ二等陸尉が二人をすり替えて、ハルを楓だと偽って国側に差し出したんだ」
だから楓はブルカに位置情報を教えて、自分たちが捕獲されるように仕向けたのだ。
それは捕獲されることが前提の計画。
潜入捜査員であるブルカと共謀し、国家と水城を騙すためだけの大仕掛け。
ブルカが味方であることを水城が知ったのは、そのことに気付いたからだった。
彼がいなければこのすり替えは完遂できない。
遺産破壊の時に国衛隊の兵を誘導して、明星が殲滅しやすいようにしたのも彼。
宮殿内の基地局や発電装置に爆弾を仕掛けたのも彼。
星狩りが行われるタイミングなどを明星に流し、ほとんどの計画を筒抜けにしていたのも彼だった。
尤も、内通者の存在を薄々感じていたのか、最後の戦闘機での爆撃は彼含む多くの幹部には知らされていなかった。
そこに関しては明星にとって予想外の出来事だっただろう。
「だが……当然、ハルと楓は別人だ。別の人間を連れてきて楓だと呼称したところで、国が騙されるわけもないはず――」
その疑問の答えは、ヒスティリアの地下にあった。
DNAを採取して作り上げたクローン。
その遺伝子配列が同じなのであれば、見た目も声も全てが同じ。
……あの時、地下にはクラスメートたちの肉体だけが並べられていて、新人類二人の肉体は存在していなかった。
――でももし、実は存在していたとしたら……?
「ハルは楓の体から作り上げたクローンなんだろう? 肉体は同じだが脳が違う、新人類の姿を模したただの人類だ。……国側を騙すための罠だったわけだな」
「そうだね。……ハルちゃんには、悪いことをしたと思ってるよ」
ハルモニア・プリオシン。
それは、楓の影武者となるためだけに産まれてきた存在。
新人類と同じ肉体であるが故に、顔を隠すことを義務付けられだけではなく、体のあらゆる部分を露出することを許されなかった少女。
そして同じ声帯であるが故に、言語障害という建前で言葉を発することすら禁じられた人間。
唯一会話が許された相手は、主君であるアルビレオだけ。
それが彼女の人生の全てだった。
「この計画を完璧に遂行する為には、楓とハルに明確な差を付けなければならない。一つの反社会組織に『最重要の役割を担う女』と『背丈が同一で身分を隠した女』がいれば影武者だと思うのは道理、その関係性が悟られれば全てが水泡に帰すからな。……だから、楓の足が不自由であるという設定を作るため、飛び降り自殺を装う必要があった」
「……」
「でも、皇紅葉に服従し、新人類を守るべき明星がそんな計画を立案するわけがない。……最初気付いた時は信じられなかったよ。でも……お前は大天才の脳を継ぐギフテッドだもんな」
もしも全てが既定事項だというのならば、その始まりはあの忌まわしき日まで遡る。
「全ては、自殺未遂以前に楓が企てた計画。……小学生の思い描いた、悪魔の脚本だな」
誠二が言っていた通り――明星と楓の邂逅は、楓が自殺未遂を犯して入院した時よりも前。
既に楓は全てを知っていたのだ。
この世界の在り方も、人類の往く化物の未来も、この世界がディストピアだということも――。
「……そう。全部……私が考えた筋書き」
楓は、……いつものように嫋やかな笑みを浮かべながら、そう認める。
その脳内には、今までの全てが走馬灯のように巡っていた。




