30章 黙示録のラストページ
死の臭いと共にアルビレオは目を覚ました。
誰かが死ぬ時、決まって彼はこの臭いを感じ取る。
時に人は死の直前に漂う香りを臓器の腐敗臭と呼び、硫黄臭と呼び、大海の臭いと呼び、アンモニア臭と呼び、ケトン臭と呼ぶが――アルビレオが感じているのは、そんな病人が死ぬ直前に放つ臭いとは異なるものだ。
一言で表すならば、予感の香気化だろう。
誰かが死ぬ予兆を感じ取った時、それは臭いとして彼の脳を刺激する。
身近な誰かの死を彼は感じ取ってしまうのだ。
それは何百年も生きたことによる弊害。
数多の死を経験してきた彼ら不老不死者は、人の死を漫然と予見できるようになっていた。
アルビレオのように嗅覚で感じ取る者もいれば、味覚や聴覚で感じる者もいる。
だから彼らはその香りから逃れるために感覚を遮断する。
ある者はオーデコロンの香りで、ある者は紙巻き煙草の香りで、纏わりつくその感覚から逃げようとしていた。
だが今日は、もはやどれだけオーデコロンの香りを重ねても、その臭いが消えなかった。
「……」
作戦開始まで後一時間。
支度を済ませたアルビレオは自室に立ち尽くし、天井を眺めていた。
「……誰だい」
彼がそう呟いたのは、扉から控えめなノックの音が聞こえたからだ。
祈りの邪魔をされたことに対して少し立腹気味の声だったが、その人物の名前を聞いて入室を許可した。
ノックをした人物はアルビレオの部屋に立ち入っていく。
……その手には銃が握られていた。
ただの銃ではない、銀戒銃だ。
銃口を向けられたアルビレオは、いつものように締まりのない表情を浮かべる。
「……随分とまあ、過激なモーニングコールだね」
軽口を叩くアルビレオに対し、……男は目を眇めた。
今すぐ撃つ気はない。
だが返答によっては引き金を引くと、その少年の目が告げている。
「……ご機嫌は如何かな、首謀者アルビレオ」
光の無い目で、新人類が元凶を睨む。
国家の計画でもない、明星の計画でもない。
その上層部だけが知る計画の執行人を、柊水城が見据えていた。
「作戦発動の朝に殺されるなんて最高だね。僕が死んだら明星内部がどう混乱して大敗を喫するのか、それを考えるだけで天国でも千一夜は楽しめそうだ」
「地獄に落ちる、という自覚はないのか?」
「だとしてもできれば天国に行きたいね。愛する人と再会するなら地獄より天国だろう?」
しばらくお互いの肚を図り合うような沈黙が続いてから――水城が問いかける。
「何故お前は柊誠二を国衛隊湊葉基地襲撃隊の総督に任命した」
それは昨日、アルビレオが定めた最終戦争の配置だった。
柊誠二は第二十二班の総督を担い、基地から援軍が行かないように足止めを行う手筈となっている。
「……明星最高戦力である手練れを総督に据えるのは当然だと思うけど?」
「全面衝突前提の作戦であればな」
あの時アルビレオは確かに言っていた。
国衛隊湊葉基地に属する者たちとの正面衝突は避けろと、その為に二十二班は機動力を重視した編成にしてあると。
そしてこうも言っていた。
宮殿襲撃を行う第二十三班から第三十七班は制圧力がモノを言う、戦力を集結させた班なのだと。
それは、明らかに不自然な采配だった。
「柊誠二は制圧力に長けた明星の最高戦力だったよな。何故そんな存在を足止めの班に所属させる必要がある。最高戦力ならば宮殿襲撃班に加えるのが道理だろ」
「万が一国衛隊湊葉基地の者共と正面衝突せざるを得ない状況になった場合、効果的に働くんじゃないかな……?」
「そんなもしものために、最高戦力というカードを伏せたままにするのは馬鹿か謀議者だ」
宮殿襲撃班に加えたならば、どんな状況であろうと柊誠二は効果的に働くだろう。
だが基地への足止め班に加えたならば、武力衝突が起こった時にしか意味を為さない。
むしろ機動力を重視した編成に対して老人の彼を組み込むことで、その長所は打ち消されるばかりだ。
「……本当は、第二十二班は足止めを担当しているわけじゃないんだろ?」
「…………………………………………じゃあ、何のために存在する班だと言うんだい?」
その答えは一つしかない。
明星の最終目的は新人類の確保と橘樹衛の殺害、そして転生システムの破壊だ。
だから必然的に、明星の最終到達地点は宮殿ということになる。
だが、本当は別の場所だったのだ。
最高戦力を割いていることがその証左なのだから。
第二十二班の向かう先は国衛隊湊葉基地。
そしてその近辺には、一体何がある……?
空高く聳える、朽ち果てた総合電波塔が……世界を守っている。
「お前たちの目的は……環境システムの停止だ。……それによってこの地球に存在する人類の生きた証を消し去り、全てを無に還すことが課せられた使命なんだ」
そう告げられたアルビレオは、………………笑った。
全ての策謀を見破られた悪役は、悔しがることも驚くこともない。
笑うことだけが彼らの浮かべる最後の感情だ。
「……そうだよ、よくできました」
――明星は、新人類以外の人類を排斥し、異世界から手に入れた技術を元に再誕の道を進もうと決意していた。
国家も同じ世界を形成するが、王が新人類を支配下に置き続ける世界を維持しようとしていた。
どちらにも共通することは、異世界から得た技術を残し、新人類と不老不死者だけが生き残ること。
そして人類は消え去れどもこの世界は残り、生きた証は永遠に残り続けることだ。
だが明星上層部が企てた計画は、環境システムの破壊による大災害の誘発。
かつて楓が言っていたように、システムが解かれた瞬間、長年抑圧されてきた災害が即座に発生する。
それは人々が培ってきた文化や過去を全て消し去るだろう。
何もかもが消える。
この地球上から、人類という存在が概念ごと消えていく。
その後に残るのは、絶対の安全が保障されている王宮の地下シェルターだけだろう。
それ以外の何もかもは、最初から無かったかのように奪い去られていく。
「で、それを知った柊水城君はどうするのかなー?」
小馬鹿にするような口調でアルビレオは挑発した。
例え銃口を向けられていても、例え計画の全貌が知られていたとしても、彼は臆することなく水城の心を抉っていく。
「水城君は鈴蘭君を自分の手で助けたいんじゃなかったのかな、その為に殺人に手を染めてまで生きてきたんじゃないのかなー? 環境システムの破壊を止めるとなると宮殿襲撃班には加われなくなるよね、そうしたら我々が先に楓ちゃんを保護しちゃうよー? この世界を滅ぼしたい我々が鈴蘭君を捕まえたら、……君は果たして再会することができるのかなー?」
「………………」
「災害から逃れるためには、異世界の技術によって作られた宮殿の地下シェルターに入るしか方法はないねー。じゃあ水城君は宮殿襲撃班に加わって鈴蘭君を保護して、地下シェルターに避難すれば一件落着じゃないかなー? ……その間に僕たちが環境システムを停止させて、人の生きた証をぜーんぶ壊しちゃうけどねー」
世界か、幼馴染か。
水城が選ぶことのできる選択肢は、どちらかしかない。
「ああでも! よかったね水城君これはチャンスだよー。だって環境システムの破壊を止めれば君は主人公さ、人々の作り上げた世界を守ったヒーローだ。主人公のいないはずの世界で主人公になれるんだよ、最高だねー。でもそれは幼馴染を見捨てる選択だよね。じゃあやっぱり大事な幼馴染を守ってみる? でもそれは世界を見捨てる選択だねー。うーん、世界を救うか幼馴染を救うか迷うねー。……いや、世界を殺すか幼馴染を殺すかのほうが正しいかなー?」
彼はそう挑発するが、実質選択肢は一つしかないようなものだった。
アルビレオの言葉が正しいのならば……水城が環境システムの破壊を止めた場合、もう二度と楓とは会えなくなる。
それはつまり人類と新人類が両方失われて、この星から人類という種が完全に消えるということだ。
後はただ、繁殖能力のない不老不死者が自殺をするまで細々と生きていくだけだろう。
だが人の生きた証さえ見捨てるのであれば、新人類二人は生き残る。
人類とは似て非なる存在ではあるが、……人類の辿った道は続いていくだろう。
「……俺は……」
だから、主人公になるなどという子供のような――転生者のような考えは捨てて、幼馴染を奪還するのが最適解。
人類の未来を繋ぐことが唯一の選択肢なのだから――。
「俺は主人公になるよ、アルビレオ」
そう告げて、彼は銃を下ろした。
彼の表情は……まるで幼馴染を失う前に浮かべていたような、穏やかな表情だった。
……彼はもう、何もかもを理解している。
明星が企てた計画の全ても、やがて己が迎えるであろう結末も。
光を失った目も、崩壊した自我も、今や全てが不要なものに過ぎない。
人を慮る気持ちを抱かなくては、絶対にハッピーエンドには至れないと理解したのだから。
「……理由を、教えてもらえるかな」
「楓の計画を止める為だよ」
王に捕縛され、拘束された幼馴染。
しかしその身が王宮に囚われようとも、彼女の意志と計画は明星上層部の中で生き続けていた。
「明星の企てた真の計画が、環境システムの破壊だと気付いて分かったんだ。……全ては、彼女の願ったハッピーエンドを実現するために存在しているんだって」
……人は滅びの運命を定められた生物なのかもしれない、だがそれがバッドエンドであるとは限らないのだ。
人類が人類らしく生きて、その生涯を終えることができたならば……それは『我々』にとってのハッピーエンドなのだから。
彼女の残したその言葉は、計画の全てを語っていた。
皇紅葉の計画でも、王の計画でもない。
鈴蘭楓が考案した、もう一つの終わり方。
大災害によって人類の生きた歴史を消し去る計画は、たった一人の少女の望んだハッピーエンドなのだ。
「だから、俺を挑発して宮殿襲撃班に加えさせようとしても無駄だよ。……俺はもう、彼女のハッピーエンドを止めるって決めたから」
「……襲撃班に加われば、シェルターで鈴蘭楓と生き延びて、彼女の描いた未来に至ることができるというのに?」
「覚悟の上だ」
銀戒銃を床に置き、水城は告げる。
彼にとってのハッピーエンドの姿を。
「皇紅葉みたいに世界を救うためじゃない、ましてや楓みたいに人類を救うためじゃない。……俺はもっと別のものを救うために、世界でたった一人の主人公になりたいんだ」
だから、と水城は言葉を切った。
「皇紅葉の遺志を継いだ新人類の名を持って、明星に命じる。……橘樹衛をこの世界から消して、転生システムを止めて欲しい。それが叶わなくちゃ、人類が人類らしく生きることなど叶わないのだから」
「…………」
「どうするんだ。……俺も皇紅葉、楓も皇紅葉だろう。俺たちの望む結末は異なるけど……この場合はどちらの終末を遂行するつもりだ」
「……僕たちは最終命令を遂行する。それが紅葉様との契約だからね。……紅葉様がどう望んでも、鈴蘭楓が何を望んでも、最後に命令を下したのは君だ。断る道理などないよ」
「………………そうか」
たった一つの目的のために、人類の生きた証を消し去ろうとする楓。
たった一つの目的のために、その計画を改定しようとする水城。
きっとその目的を知れば、二人の望む未来は相容れないと誰もが理解するだろう。
それでもアルビレオは承諾するしかない。
それもまた、紅葉の望んだ結末の一つなのだから。
「宮殿で楓に会えたら伝えておいてくれ。計画は変更された、鈴蘭楓の役割はもう無いって」
「……うん、必ず伝えるよ」
そう言って、アルビレオは銀戒銃を拾った。
「第二十二班は早朝に湊葉基地周辺に移動した。追うなら早くしたほうがいいよ、もし戦いが激化したら東京タワーに近寄ることすらできなくなるだろうからね」
「ああ。……そうさせてもらうよ」
水城が頷いたその瞬間――。
「……ッ!??」
世界が揺れる、爆音が響き渡る。
それはかつて水族館で、C四の爆破を耳にした時と同じ感覚。
だが今回はその比ではない、あの時よりも圧倒的に規模の大きな爆発が何度も巻き起こる。
拠点が崩壊するのではないかと思うほどまでに鮮烈な爆音は続く。
そんな中、アルビレオ含む明星全員のバングルに通話申請が入る――。
『どうした、何が起きている!?』
『リーダー! ……ヤツら始めやがった、絨毯爆撃だ! 戦闘機が出張って来てやがる!』
『この基地の存在がバレていたのか……!』
『残念ながらここだけじゃねえ!』
焦燥感に心乱されている部下は、はっきりと告げる。
彼の語る現実は、最終戦争が始まったことを如実に告げていた。
『明星の拠点ほぼ全部が、戦闘機からの爆撃を受けて半壊してやがるんだよ……!』




