28章 ハッピーエンドの形
「……少し言い過ぎたかな」
水城の胸倉から手を放し、アルビレオはいつものような笑顔を浮かべる。
「お詫びと言っては何だけど、一つだけいいことを教えてあげよう。かつて鈴蘭君もこの事実を知ったんだ。……その時彼女はね、こう言って笑ったんだ」
『……人は滅びの運命を定められた生物なのかもしれません。でも……だからといって、それがバッドエンドであるとは限らないと思うんです』
『人類が人類らしく生きて、その生涯を終えることができたなら……それはきっと、我々にとってのハッピーエンドなのです』
「…………」
その言葉を聞いて、水城が神妙な表情をする。
世界の真実を知った時、彼は絶望することしかできなかった。
……でも楓は全てを受け入れ、些末なことであるかのように笑ったのだ。
いつか自分が死ぬと分かっていたからこそ、彼女はそれを受け入れられたのかもしれない。
「……僕は君に言えるのはここまでだ、これ以上はどう追究されても何も話すつもりはない。後は自分で考えて、自分の答えを出すといい。……この世界を救う主人公にはなれなくても、もっと大事な……この世界なんかよりも大事なものを救える存在にはなれるだろうからね」
「……事実を黙っていたことは許しがたいけど……一つだけ礼を言わせてもらうよ」
そう言って水城は立ち上がって、ふらつく足取りでこの部屋の扉へと歩いていく。
「楓の本心を聞かせてくれてありがとう、アルビレオ」
心ここに在らずな表情を浮かべながら、水城はアルビレオの部屋を出ていった。
これ以上この場所にいても、足りないピースを埋めることはきっとできないと分かっていたのだ。
彼に必要なのはもっと別のこと、楓の心情を理解することだけ――。
「……」
部屋に残されたアルビレオは大儀そうに息を吐き、未だ異世界人の造形を映し続けているディスプレイを消し去った。
そして瞳を閉じて、瞼の裏に広がる闇の世界に沈んでいく。
「……少し演技過多だったかな……。でも……これでいいんですよね、紅葉様……」
僕は、上手く導けていますよね……?
そんな問いかけをした瞬間、闇の世界に色が差していく。
彼の脳に眠る記憶が蘇り、皇紅葉が生存していた頃の思い出が想起される。
ヒスティリアの屋上からこの街を眺めながら、紅葉は人懐っこく笑っていた。
その隣には、今ほど柔和な表情を浮かべていないアルビレオが立っている。
『……結局、どう足掻いたって無理だねー。我々人類は滅亡するか、化物になるかの二択しか選べないみたい。上手くできてるよこの世界は。希望を持たせるだけ持たせて、最終的には絶対にディストピアに収束するんだもんねぇ』
煙草の煙を吐き出して、言葉とは裏腹に紅葉は楽しそうに笑った。
……しかしその隣のアルビレオは、僅かほども楽しそうな表情を浮かべてはいない。
世界が悲劇にしか繋がらない事実に忸怩たる想いを感じ、唇を嚙みながら悔しがっている。
『結局、我々がどれほど抗おうが無駄でありますか。……至極残念であります。折角貴方様に助けられ、異世界という地獄から連れ戻して頂けたのに……お力になれないとは』
彼の口調は、今の砕けたものとは全く別物。
顔は同じなのに、別人かのように感じられる。
むしろ紅葉の口調が現在のアルビレオと同一だった。
何もかもをフラットに見ているかのような軽い口調だ。
『いいってことよー。結局世界を救う主人公にゃなれなかったけど、結構色々楽しめたしねー』
彼女にとって、もうこの世界でやれることは全て終わっていた。
脳の解明も、胚培養の研究も、異世界との邂逅も。
彼女が解き明かしたいと願った研究は全てやり終えた、未練など微塵もない。
だから、例えその身が滅びても構わなかった。
『……紅葉様は、どのような結末を選ばれるのでありますか』
『アタシは化物の未来を選ぶよ。……例え化物になろうとも、人の生きた証を残したいもの。愛する人類が滅びる未来なんて受け入れたくない。だからアタシは現世転生して新人類になって――化物の始祖になる』
『……そう、ですか』
名残惜しそうにアルビレオはそう呟いて、涙で潤んだ瞳で街の景色を眺めた。
彼にとって紅葉は命の恩人でもあり……唯一、愛した人でもある。
だから彼女のその決断は、アルビレオにとっては人生で最も甚大な喪失。
本当は縋りついて死なないでくれと願いたいほどの痛みが、彼の体を苛んでいた。
『でもな、一つだけお願い、聞いてくれるか』
『貴女の願いであればなんなりと』
『もしも、新人類の二人が――柊水城と鈴蘭楓がアタシと違う選択肢を選んだなら、それを叶えてやって欲しい。二人の選択をアタシの意思だと思って、どうか導いてやって欲しいんだ』
『……例え、化物にならず人類が絶滅する未来を選んだとしてもですか』
『ああ。……化物の宿命を背負わせてしまう代わりに、選択肢くらいは与えてやりたいんだ。これは明星のリーダーを継ぐアルビレオにしか頼めない、どうかやってくれるか』
『……畏まりました』
少しずつ視界が薄らいでいく。
世界が歪んで形を澱ませていく。
世界がおかしくなったわけではない。
アルビレオの瞳から涙が零れ出て、世界の形が涙で歪んでいるだけだ。
『……お前もさ、そんな堅苦しい態度取ってないで、アタシみたいに世界を楽しめよなー』
沈んでいく夕日、逆光で暮れなずむ紅葉の姿。
例え涙に溺れた世界でも、その笑顔だけは見逃さなかった。
『もっとゆるーく、かるーく世界を生きていけよー。人生楽しんだヤツが勝ちだぞ、楽しんでさえいれば誰しもがハッピーエンドだ! ……例え世界がどんな末路だとしても、最後の最後まで笑っていられたなら幸せな終わり方なんだからな!』
そう言って、彼女はこの世界の誰よりも楽しそうに笑った。
アルビレオも不器用に、涙を止められず顔をくしゃくしゃにしながら笑う。
数日後、紅葉は脳を摘出されて新たな生命となる手筈だ。
だからその光景は、……死を目前に控えた女の、最後のひと時だった。
それでも紅葉は淀みのない笑みを浮かべ続ける。
だって、最後の最後まで笑っていられたなら幸せな終わり方なのだから。
それこそが、このディストピアに対抗できる唯一の方法なのだから。
「……紅葉様。まだ僕は、ちゃんと笑っていられてますよー……」
記憶の夢から覚めたアルビレオは、いつものように朗らかに笑った。
それは、紅葉の隣で浮かべていた不器用な笑みではない。
あの時の紅葉と同じ、この世界を謳歌している笑顔だった――。




