2章 人々は栄転を夢見て
卒業式の夜に行われるもう一つの流行行事、『卒業』。
それは高校生活を終えた学生が集団で校舎屋上から飛び降り転生をする、行事という名の集団自殺だ。
何故そんな儀式が流行になっているかと言えば、転生をする為に必要な条件に起因している。
異世界転生の条件は、十八歳以下であること。
十九歳になった瞬間資格を剥奪されてしまう。
だから若者は十九歳になるまでに転生をしなければならないのだが、十九歳になる瞬間は人によって違う。
しかし高校卒業時は留年さえなければ一律で十八歳以下だ。
だから若者は高校卒業まで現世での人生を謳歌し、最後は愛する友人と共に自殺する。
共に死ねば親愛なる友と異世界でまた逢えるかもしれない、そんな淡い期待を寄せながら。
……そしてこのクラスで『卒業』を望むのは、水城と楓を除いた全員だ。
つまりその二人以外はもうすぐ死ぬ。
校舎から飛び降りて肉片と化す運命――。
(こんな日々も、もうすぐ終わりか)
そんなことを思いながら、水城は櫛を片手に持ち、楓の髪を梳かしていた。
たなびくカーテンの隙間から差し込んでくる明光が、彼女の群青色の髪を爛々と照らしている。
彼女の腰付近まで伸びた髪は水城の手入れが効いているのか、まるで宝石の如き美しさを持っていた。
美しいのは頭髪だけではない、その薄紅色の瞳も光を浴びて仄かに瞬いている。
傍から見れば絵になるような光景、しかし教室の片隅でそれが執り行われているとなると話は別だ。
水城は普段通りの表情で梳かし続けているが、楓はやや羞恥心を感じているのか、頬に僅かな朱を浮かべながら辺りを気にしているようだった。
「……何してるんだお前は」
そんな様子をしばらく眺めていた男が、いよいよ我慢できなくなったらしく声をかける。
その男は尋常ではない程おっかない顔をしていた。
夜道で出会えば誰もが泣くほどの強面のせいでどこからどう見てもスジ者にしか見えない彼は二人のクラスメート、鬼瓦篤。
風貌はヤバいが実際は気のいいカタギ、外見以外はただの高校三年生だ。
「いや楓がさ、さっきの風で髪の毛ボッサボサにされてんの。毎朝たっぷり時間かけてセットしてんのに酷いよな! 世間は俺の楓を何だと思ってるんだ畜生」
姿形も無い無機物に怒りをぶつけながら、水城は少しでも跳ねている箇所を丹念に均していく。
相当慣れているのか、その手付きは美容師さえも感心するような域に達していた。
「……多分世間は『俺の楓』だとは思ってないと思うんだけど」
水城にされるがままの楓は、諦めたような声でそう呟いた。
是が非でも拒否しようとしないのだから多分心底嫌なわけではないだろうが、クラスの人々から時折目線を向けられるのが恥ずかしくてしょうがない様子だ。
耳朶がささやかな桜色に染まっているのがその証拠だろう。
「残念でしたー! 俺の地道な友愛活動によって、世間は俺たちの関係性が友人以上だと思ってますー! 観念して楓も『私の水城』とか言うのが賢いと思われるが如何でしょうかー!」
「絶ッ対やだ。……鬼瓦君、この男の過度なスキンシップを止めて欲しいんですけどどうでしょう。報酬は耳揃えてしっかり払いますので」
「いや、水城の幼馴染友愛を止めようとすると物理的に噛みつかれかねんから割に合わんな。皆も同じ気持ちだろう、なあ?」
いつの間にか三人の周りには何人ものクラスメートが集っていて、愛情をたっぷり込めた梳り櫛を眺めていた。
彼らも篤同様、微温湯のような生温い目で二人の様子を眺めるばかり。
それに気づいた楓が手で頭を覆い、慌てながら後方の水城に向かって叫ぶ。
「はい終わり! ここまで! 引っ付きすぎ、極刑! これ以上触れたら何らかの刑法で訴えるから、続きは法廷で!」
「なッ、途端に反抗期を迎えるなばかたれ! お前今髪の毛くっしゃくしゃなんだぞ、いい年なのに恥ずかしくはないのか」
「いい年だからこういうことされるのが恥ずかしいんだけど!」
今日も今日とて幼馴染二人は一悶着。
楓に構いたがりの水城と、過度に構われるのが恥ずかし楓の心はすれ違うばかり。
二人の関係性は親密だが、だからといって看過できないことはある。
第二次性徴を迎えて思春期に突入すれば今まで通りの関係性は続けられない。
いくら水城が幼少期から続いた触れ合いを続けたくても、楓は彼より少しだけ大人になっている。
「皆……楓に超絶拒否されたよ……俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ」
楓の圧に負けた水城がクラスメートたちに救いを求める。
その形相は悲痛の一途、朧な足取りはリビングデッドの如く。
さながらマラソン選手を抱きとめるかのように、彼をクラスメートたちが迎え入れる。
そして口々に「あともう少し押せばいける」「確実に照れてたから押し倒せばいける」「何なら今ここで押し倒してもいける」と参考になるのかならないのか微妙なアドバイスを繰り出していた。
「……いけねーですけど」
楓が低い声で呟くが、勿論盛り上がっているクラスメートたちには届かない。
そもそも聞こえないように言ったのだから当然なのだが、残念ながら隣にいた篤には聞こえていた。
「もっと大きな声で言ったらどうだ。そうしたら誤解も少しは解けるんじゃないか」
「私、そういうタイプじゃないからいーのです。大勢相手に話して注目を浴びるなんて無理無理、そういう役回りは全部水城に任せてるので」
クラスメートと仲睦まじそうに話している水城を見て、楓は静かに息を吐いた。
生まれも育ちも同じで、気が付いた時から一緒に生きてきた。
だけどその性格は全くの真逆、遺伝子ではなく経歴が人格を作るなどという言葉が嘘臭く思えるほど二人の差は大きい。
底抜けに明るくて、人と関わることが大好きな柊水城。
内向的で、大勢と関わることが苦手な鈴蘭楓。
……正反対の二人が相容れているのか傍から見れば疑問だろうが、実際はお互いの短所を補い合って仲良く共存できていた。
「で、鈴蘭的にはどうなんだ。嫌よ嫌よと口では言いながら満更でもなかったりするのか? もしそうなら諸手を挙げて恋の成就を応援するが」
「別に……そういうんじゃないです。恋とか愛とかそういうんじゃなくて……」
なんと言えばいいのだろう、一瞬楓は自分の心を計りあぐねる。
「……物心つく前から一緒で、ずっと一緒に生きてきて……体が不自由な私の傍に居続けてくれて……恋というよりもっと近い、もう一人の自分みたいなイメージですかね……」
愛する相手はいつかいなくなってしまうことが想像できる、別離したくなくてもその可能性は存在するだろう。
だけど自分は自分の意識から消え失せない、いなくなるという想像ができるはずもない。
……楓にとっては、それが水城だった。
彼のいない世界が分からない、彼を失った世界が続いていくビジョンが見えない。
それは自分が死んだ後の世界を知覚することができないのと同じこと。
拙い言葉ではあるが、それが彼女の持ちうる最大限の言語化だった。
「もう一人の自分か。そんなこと言ってる内は、関係性を発展させるのは難しそうだな。……ま、お前らの将来は長いんだ。ゆっくり愛情を確かめて行けばいい」
「……そう、ですね」
お前らの将来は長いんだ。
……その言葉に込められた意味合いを、楓は分かっている。
彼らの卒業まであと少し、その身の滅びまで幾許の猶予もない。
……楓だって水城と同じ、クラスメートたちの転生に心を痛めていた。
だからこそ、その言葉を聞いて少しだけ表情を曇らせる。
「楓ー! 皆の見解によれば楓は押せばいけるらしいから押し倒していいかな! 頑張って押し倒すね! よろしくね!」
感傷に心を委ねる楓の前に、先程とは打って変わってご機嫌な表情をした水城が戻ってくる。
楽天家かつ気分屋の本領発揮か、拒絶された一件を忘れたかのような恵比寿顔だ。
「絶ッ対嫌だから!」
いよいよ楓が呆れ果てて完全拒否をしたのと同時に、本礼のチャイムが鳴り響いた。
チャイムと同時にドアが開き、顔馴染んだ教師が教室に入ってくる。
「ほらお前らー、時間だ席つけー。特別講師来てるからたまには行儀正しくしろよー」
朝の歓談を楽しんでいた生徒たちはそそくさと自席へ戻っていき、全員の着席を確認した教師は廊下に待たせている人物に声をかけた。
教師の声を合図にして、特別講師らしき男が教室に立ち入ってくる。
高い背と綺麗な姿勢は『特別』な講師として相応しく、学生ばかりのこの空間では異質さを感じさせていた。
見目好いダークスーツで身を包んだその男は、服装を変えれば執事にも思えるだろう。
彼の佇まいはそう思わせる端麗さを纏っている。
彼は目を眇めて生徒たちの姿を一瞥した。
そして教壇に立って咳払いをし、人懐っこそうな笑顔を浮かべる。
「国家認定特別講師として異世界から来たW・アルビレオだよー。皆よろしくね」
子供たちに親近感を沸かせるような口調と表情。
生徒たちが受け入れやすい人物を国がセレクトしたのだろうか、国家直属の派遣員とは思えないほど軽い雰囲気を纏っていた。
巷説には聞いていたが、実際に異世界人を見るのは誰もが初めてだった。
その姿形は現世の人間と全く同様、自己紹介されなければただのご機嫌な二十代半ばの成人男性にしか見えないだろう。
むしろそう見えるように振舞っているのだから当たり前なのだろうが。
しかしご陽気な彼から言い放たれた言葉は表情と裏腹に、少し乾いているように感じた。
……尤も、極僅かなものなので違和感を覚えたのは水城だけだっただろう。
「さーて、皆に本題を話す前に……特別講師について知らない人もいるだろうから説明しておこっか。お手数だけど、各自回線を繋いでもらえるかな?」
アルビレオの言葉と共に、全員が空中に空間ディスプレイを顕現させる。
物理的なノートや鉛筆で勉強していたのは遥か前の話、異世界の技術が介入してきた現在は、各員の机がコンピューターと一体化し、空中に半透明のモニターを表示させてそこに教科書の内容等が表示される。
机が全面ノートとなり、ペンタブレットでノートに記入し、クラウドからいつでも記載した内容を引き出すことができる時代だ。
全員が顕現させた空間ディスプレイにデータが送信され、特別講師の詳細が表示される。
「特別講師とは――」
――高校卒業を控えた学生たちに、異世界の様子を伝える為に国家から派遣された人員。
年々増える異世界転生者に対し、異世界での正しい情報を体験者から伝えることにより、本当に異世界転生をすべきかを改めて考えさせるための存在。
今から始まるのは異世界転生の是非を客観的見解から再度考察させる、ある種転生への抑止力ともなりうる時間。
……なんていうのは、国側が理想としている姿。
実際は単なるお国自慢のような時間、観光地が観光客に対していい面しか伝えないようなもの。
結局特別講師は皆、自分が生まれ育った世界がどれほど素晴らしいのかを滔々と語るだけで、生徒たちはむしろ異世界への期待を膨らませるばかりだ。
「――っていうわけ。だから皆、しっかりと僕の話を聞いて、ちゃんと転生について考えるんだよー。その為の時間なんだからねー」
とはいえ浮足立った生徒たちにそんな言葉が通じるはずもなく、揃いも揃って皆、どんな素晴らしい異世界の魅力が聞けるのか興味津々そうだった。
……無論、転生を見据えて受験も就活もしていない生徒たちに、今更考え直せというほうが無理な話ではある。
今から転生を止めたところで明るい未来などないのだから。
「数百年前――この世界と異世界は繋がりを持った。それ以降、異世界からの文化、技術、商品がこちらの世界に流入。この世界の技術は飛躍的に発展し、今や世界の気候をプログラムで管理することや、一部の王族には不老の技術さえ与えられている。圧巻だねー。……勿論だけど、向こうの世界でもそれは変わらない。こちらにあるものは全て異世界にも存在するよ」
異世界のテクノロジーが現世のものを数段階上回っていることは、もはや周知の事実だ。
死によって魂と肉体の繋がりを断たなければ現世から異世界に行けないのに対し、異世界人はこの特別講師のようになんのリスクも負わず現世へ来ることができる。
それくらい二つの世界には決定的な差がある現状だった。
「異世界には何でもあるよ、君たちが想像する楽園を体現したものだと思えばいい。異世界人の容姿は皆端麗で、傾国レベルの者ばかり。衣食住は誰しもに与えられているので働かなくても生きていける。若い姿のまま不老不死を実現することだって簡単だねー」
アルビレオのそんな言葉に、クラスの人々はざわついていく。
実の異世界人から良い世界だとお墨付きを貰えて喜ばない転生予備軍がいるはずもない。
手を叩く者がいれば口笛を鳴らす者もいて、思わず教師が嗜めるほどに沸いている。
「……」
そんな中、水城だけが猛烈な違和感に襲われていた。
最初にアルビレオの挨拶を聞いた時から、心に芽生えていた違和感の種。
彼の言葉を聞くたびにその種は成長していた。
どうしてこの男は、他の特別講師のように心の底から活き活きと話さないのだろう。
隠し撮りの動画で見た風景は、もっと異世界の素晴らしさを全力で伝えるかのようで……転生を後押しするような、とんでもないポジティブキャンペーンを行っていた。
でも彼は表面上こそ明るく推奨しているが、言葉に心が籠っているとは思えなかった。
そして、もう一つ。
「……」
時折、アルビレオは水城を見ていた。
偶然の産物ではない、意図的と呼ぶに値する頻度だ。
しかもその視線は、何かを試すような、推し量るようなもので……。
アルビレオが話すほど場のボルテージが上がるのに対して、彼の表情は冷めたものになっていく。
まるで屠畜場の畜生を見つめるような目、自分の死に場所すら選べない哀れな存在を眺めるかのようだった。
チャイムが終わりを示すその時まで、異世界の素晴らしさを伝える話は続き――生徒たちは盛り上がり続け――水城の中の違和感は増大し続けた。
「ん、もう時間だな……一同、アルビレオ講師に拍手を」
先ほどまで無表情で講演を聞いていた教師が、話を打ち切るように拍手を促す。
生徒たちから万感のスタンティングオベーションを受けたアルビレオは、軽やかな様子で手を振ってから教師に視線を向ける。
教師は頷いて、生徒たちに次の授業が始まるまで大人しくしているよう指示してから、アルビレオと共に教室を出ていった。
無論、生徒たちが大人しくできるわけもない。
今出た情報を元に皆好き勝手話し放題、早く転生したいとかそんなことばかり言い交している。
「……」
そんな中水城は立ち上がり、二人の後を追って廊下に出ていく。
……水城は、彼が語った話の真偽を確かめたかった。
当然耳ざわりの良いことしか言わないだろうが、その様子を見れば言葉の真意が推し量れるかもしれないと思っていたから。
「……これは……」
その時、特徴的な香りを仄かに感じる。
それは優しく漂うオーデコロンの芳香だった。
今までこの学園で嗅いだことなど一度もない香りだ。
だとしたらこれは――。
水城は香気を追って駆けだしていく。
階段を下りて廊下を駆けて、職員室を通り過ぎて更に学園の奥へ。
まるで人気のないところへ誘導されているかのように。
走れば走るほどに強くなるベルガモットムスクの芳香。
その香りを水城はどこかで知っている気がした、遠い昔にどこかで体感したような気がしていた。
「……!」
不意にそんな回想は霧散する。
学校最奥のL字廊下を曲がった先で、アルビレオが待ち受けていたのだ。
水城はバランスを崩しかけながら止まり、彼の目を見据える。
アルビレオの瞳には、突然の来訪者に対しての驚きなんてものは存在していなかった。
ただ仕組まれた預言が遂行されたような、予定調和を眺めるが如き表情を浮かべる。
「……やー、来たね」
後をつけられていたというのに、アルビレオの表情は親愛なる色に満ちていた。
表情もしまりなく、ただの気のいい年上にしか見えない。
そのあまりの無変化っぷりに、水城が驚くどころか警戒心を強めてしまうのも仕方ないことであろう。
「追ってくると思っていたよ、柊水城君」




