1章 それは桜の舞う頃に
原題『異世界転生なんて絶対にしない』
『異世界転生なんて言葉が常用され始めてから何年経っただろう?
かつては読み物の絵空事だと思われていたそれは、いつしか現実のものだと定説され、今では条件さえ満たせばどんな若者でも気軽に転生できるようになっていた。
それはこの世界ではありふれた光景。
しかしきっとあなたにとっては、当たり前ではない光景に見えるだろう。
壁に貼られたポスターには異世界産の商品が大々的に取り上げられ、スーパーの店先には異世界産の産直果物が面並ぶ。
異世界由来の天然素材が云々、異世界仕立ての電化製品が云々。
……枚挙にいとまがない程に、異世界という言葉が視界へと入り込む。
四百年前、とある大天才の研究が結実し、異世界という存在が確固たるものとなった。
やがて現世の人々は異世界人とコンタクトを取り、友好的な関係を結んで貿易が盛んに行われるようになる。
最初こそ怪しまれて売れ残っていた異世界製の品々は、長い時を経て信頼を得たのか、はたまた破格の価格が功を成したのか、人々に親しまれ浸透していった――。
かくして世界中に異世界が浸透し、ありとあらゆる産業に介入し続けている。
……異世界が書物の中にしかない空想だと思っている人々にとっては、異様にして異常な光景だろう。
……さて、これから語る物語はあなたにとっての未来であり過去でもある。
現実の出来事かもしれないし、非現実の出来事かもしれない。
もしこの話が今生きている現実で起こったならば、あなたはどうする?
このディストピアで、あなたは生き続けることができるのだろうか?
……一つだけ願うなら、これを読んだあなたは、こんな未来が訪れないように生きてほしい。
人類が歩むべき未来の為に、この言葉を胸に刻みながら。
『異世界転生なんて、絶対にしない』
*
――桜の花弁が舞い散る今日は、春一番の存在を忘れたかのように穏やかな気候だった。
それは自然の意思ではなく、誰かの意図によって作られた気候だ。
季節や温度等をコンピューターで制御できるようになったその日から、この地球は人類にとって快適な環境に固定されている。
夏はやや暑い、冬はやや肌寒いという僅かな差さえあれど、衣替えという概念が消え失せる程度には一定の気候を保ち続けていた。
仄かな風が花弁を遠くへ運ぼうとする。
舞い散る桜が風に乗り、翼もないのに虚空を飛び回っていく。
それはプログラムで制御された万年桜、一年中咲き続ける狂った朝桜だった。
「……」
柊水城という高校三年生の少年は思わずその花弁を目で追った。
今まで地に向けていた視線が空へと向く。
見上げた空には雲と、桜と、東京タワーと、数多の投身自殺者がいた。
空に舞い上がる桜を巻き込んで、彼らは桜色を身に纏いながら落下していく。
そしてその身が地面に激突した瞬間――桜色の臓物と紅色の鮮血を撒き散らした。
放射状に広がった血潮は、きっと空から見れば地に咲いた一輪の花のようだっただろう。
……一輪で済めばまだ救いはあったかもしれない。
だがこの麗らかな気候の中、その身を投げた者の数は両手では数えきれない程だ。
そしてそれが地に落ちる度、この世のものとは思えない圧搾音を立てながら血塗られた押し花へと変わっていく。
これが今の世界。
異世界転生が理論化されて確固たるものとなり、多くの若者が異世界で主人公となるために自殺をする世界。
自殺した若者の魂が異世界へ向かい、そこで優れた容姿と能力を得て思うが儘の人生を歩むことができる世界。
そして、誰もがそのことに違和感を覚えなくなった狂気の世界――。
だから若者は旅行へ行くのと同じ気持ちで自殺をする。
それが当たり前、倫理的な不快感など存在しない。
本人も親も国も、誰もが異世界転生を正しき選択とする空間。
……柊水城は、そんな現実に違和感を覚えている男だった。
自ら失っていい命などあるはずがない、家族や友を残して消えていい命などあるはずがない。
だがそんな考えを持っている彼はマイノリティ、世間からすれば常識を知らない異端者だ。
何故若者が主人公になることを拒むのか、何故若者の輝かしい未来を否定するのか。
それは彼らの生きる意味を否定することに他ならないだろう。
……そんな批判は何度も受けてきた。
しかし水城にとっては、投身自殺を否定することが、生の意味を否定することに繋がる意味がまるで分からなかった。
死を迎えることが生の意味に繋がるはずがないと思っていた。
そんな少数派の考えを持ったのにも、勿論理由がある。
だって――と思う彼の背を誰かが優しく叩く。
「よォ水城! なーにチンタラしてんだよ、遅刻するぞ!」
水城が振り返ると、そこにいたのは彼のクラスメートたち。
かけがえのない友人たちだ。
高校の卒業式を間近に控えた今、彼らと登校路を歩けるのもあと数える程度だけだった。
水城は彼らと共に登校路を行く。
……自殺者から目を逸らしつつ、他愛もない話を交わして子供みたいに笑いながら。
傍から見れば何の生産性も無いひと時だろう、それでも彼にとっては失いたくない時間だった。
だって、彼らと共にいられるだけで幸せなのだから。
「……朝から賑やかだなぁ」
水城の押す車椅子に座る幼馴染が――鈴蘭楓がエスカトロジーの論文を読みながら、呆れたようにぼやく。
しかしその表情はどこか柔和、騒がしい日常を心地よく思っているのだろう。
体が不自由な彼女は、いつも水城と共に行動していた。
それによって水城は部活動も習い事もできない身分になっているが、それでも彼にとっては失いたくない時間だった。
だって、彼女と共にいられるだけで幸せなのだから。
……愛する友人たちと、愛する幼馴染がいる日常。
代わり映えの無い温暖な日々は、永遠に続けばいいと思えるくらい居心地がよかった。
だから――水城は、若者の異世界転生なんて認められない。
クラスメートたちが転生を望んでいたとしても、今を変えたくない彼にとっては受け入れられない。
あと数週間経てば卒業式が来て、彼らは散り散りになるだろう。
それぞれが選んだ未来に向けて歩みを進め、各々が思い描いた世界を享受する。
だけど生きてさえいれば何度だって会える、大人になってもこうして笑い合える。
生きてさえいれば、ずっとこの時間が続いていくだろう。
だから誰にも死んでほしくない。
異世界なんて曖昧で不確実なものに縋って、この時間を無に帰してほしくない。
水城が願うのは、たったそれだけの想いだった。
(でも、そんな願いくらい許されるだろう?)
だって友と居られるこの世界は――幼馴染と居られるこの世界は――幸福なのだから。
だから、異世界転生なんて絶対にしない。
友がいて幼馴染がいて、そんな幸福な日常はもうすぐ終わりを迎える。
数週間後の三月八日、水城たちの通う高校の卒業式が執り行われる。
無論卒業すれば同じクラスではなくなるのだから終わりと言えば終わりなのだが、そんな生易しい終わりではない。
卒業式の夜に行われるもう一つの流行行事、『卒業』。
それは高校生活を終えた学生が集団で校舎屋上から飛び降り転生をする、行事という名の集団自殺――。
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