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19章 恋文という名の遺言

 柊家は廃墟のように昏い静寂に満ちていた。


 数週間国に捕らえられていた水城と、未だ国家の元に捕縛されている楓と、それを奪還するために明星本部へと泊まり込んでいた誠二。

 ……家主が激動に巻き込まれていたこの家には数週間誰も立ち入らなかった。

 そのせいか、家の中から生活感は消え失せている。


 自宅のはずなのに、まるで他人の家に上がり込んだかのような居心地の悪さを感じながら、誠二は懐かしの自宅へと一歩を踏み込む。

 その背には水城が、瞳から光彩を失って一欠片の生気すら感じられない彼が為されるがままになっていた。


「……ほら、シャンとせい。時間が無いのだ、必需品だけを持って去らねばならんぞ」


 リビングで誠二の背から降ろされた水城は、一応己の足で直立できてはいる。

 だがその目は虚ろで、体は倒れそうに揺らぎ、まるで死体を糸で吊って生者に見せかけているようだった。


 ……国家が新人類の所在に気付いた今、もうこの家を根城とすることはできない。

 彼らは必要なものを持って、明星の本拠地に移動しなければならなかった。


 しかし水城は動かない。

 ……壊れた心はもう、全てを拒絶している……。


「……」


 誠二は一度ため息をつき、キッチンの床下収納を開く。

 更にその壁面に取り付けられた隠しスペースを開き、中に保管されている小さな金庫を取り出した。


 金庫のダイヤルを回して開き、中身を開封すると――何通もの手紙が入っていた。

 そして誠二はその一番上にある手紙を取り出し、水城に向かって差し出す。


「……鈴蘭楓からの手紙だ。もし自分の身に何かが起こったならばこれを渡してくれと頼まれていた。……お前に向けてのメッセージだ。気を確かにして読め」


「……………………」


 幼馴染の名を聞いた水城が僅かに瞼を揺らして、無意識的な動きでその手紙を受け取る。


 数秒、現状を理解できていないかのように硬直してから――彼は重い足取りで、自分の部屋へと向かって歩いて行った。


 そんな背を見送りながら、誠二は金庫の中に入っていた他の手紙を取り出し、全て破り捨てていく。

 そして復元できないよう火で焙り、残骸を全て窓から捨て去った。


 その手紙も全て楓からのもの。

 だが中身が少し違う。


 水城が明星の存在を知らない段階で別離した場合の手紙、水城が明星の研究内容を知らない段階で別離した場合の手紙、水城が皇紅葉の存在を知らない段階で別離した場合の手紙――ありとあらゆる段階を想定した手紙がそこにはあった。

 しかしそれはもう不要なものだ。


 今水城が手にしたものは、楓が用意した中で一番彼女の心情を吐露した手紙。

 ……何もかもを知ってしまった幼馴染に対しての告白。


 彼女が今まで何を想い、何を感じ、何を抱いてきたか。

 ……その軌跡だった。


「…………」


 自身の部屋に辿り着いた水城は、電気を点けることもなく、窓から差し込む月明かりだけを頼りに手紙の表面を見る。

 そこにはただ『水城へ』という短い一文が書いてあるだけだった。


 手紙を開けると、中には薄桃色の便箋が入っている。

 それを見て水城は一瞬躊躇した。


 ……この手紙がもしも遺言状だったならば、彼女の今際を記した言葉であったならば……楓が生きていると信じたい水城にとっては、心を壊すものになりかねないだろう。


 けれども、幼馴染が必死の思いで書き残した文章を、無碍にできるわけもない。


 水城は――そこに綴られし幼馴染の心情を読み始めた。



『水城へ

 この手紙を読んでいる時、きっと私は水城と一緒に居られない状況になっていると思います

 国に捕らえられたか、もしくは殺されてしまったか

 どんな末路を迎えたにせよ、私たちが幼馴染として再会する可能性は低いと思います

 もし新たな世界で新人類として出会えたとしても、きっとその時私は今の私ではありません

 国に捕らえられたならば、私の人格などすぐに壊されてしまうでしょう

 水城と再会できたとしても、貴方のことを憶えている確証がありません


 きっと、世界で一番大切な幼馴染としての再会は望めないでしょう

 だから、貴方のことを忘れてしまう前に、伝えたかったことを書き残します


 私は小学生の頃から全てを知っていました

 飛び降り自殺を試みて、アルビレオと出会って明星に入った時から、全ての真実を打ち明けられていました

 国が企んでいる陰謀も、明星が謀っている計画も、異世界と現世の関係性も

 そして、私たちが一人の人間から作られた、同じ存在だということも知っていました


 貴方はどう思ったのでしょう

 私たちが同じ存在だと知って、私のことをどう感じたのでしょう

 気持ち悪いと思ったでしょうか、どう扱ったらいいか分からなくなったでしょうか

 それでも、もし願うことが許されるなら

 真実を知っても、大切な幼馴染だと思い続けてくれたら嬉しいです

 それだけで、私は満足です


 私は、そんな真実を知っても尚、貴方と一緒に居たかったです

 幼馴染として一緒に生きて、笑って、傍に居続けたかったです

 例え私たちの産まれが歪でも、ずっとその気持ちは変わりませんでした


 ねえ水城

 こんなことを今更言うのは遅いかもしれないけど


 私は貴方のことが好きでした

 貴方のことが、世界で一番大好きでした


 例え恋することが許されない存在であっても、一人の人間から産まれた生命だとしても

 私は、貴方に許されない恋をしていました


 だからこれは、私にとって最初で最後のラブレターということになるのでしょう

 直接伝えられなくてごめんなさい

 でも、私にはその勇気がありませんでした

 幼馴染という関係性を壊す勇気など、持っていませんでした


 でも、もし貴方と別離をする予兆を感じたら、直接的ではなく伝えてしまうかもしれません

 もしも、その時貴方が受け入れてくれたなら

 私は、産まれてきてよかったと思うはずです

 こんなディストピアに産まれて、新人類としての責務を背負うことになる人生だとしても

 それでも、貴方に受け入れられただけで、私は幸せです


 これが、貴方に伝えたい最後の言葉になります


 どうか、この世界を生きてください

 例えこの世界がどれだけ辛くて苦しいものであっても、貴方には生きて欲しいです

 異世界なんかに行かないでください

 この世界でしっかりと生きて、そして全てをやり切ってください


 異世界転生なんて、ただの現実逃避です

 この世界を見放して、幻想に縋るだけの虚しい依存です

 だから、全力で生きてください



 今まで本当にありがとう

 例え私が、貴方のことを忘れてしまっても

 私が貴方を愛していたことは、忘れないでください


 さようなら、水城


 大好きな幼馴染へ


 鈴蘭楓より』


「…………………………」


 もう枯れ果てていたと思っていた瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


 水城は嗚咽を抑えることもできずに、子供みたいにしゃくり上げて泣いていた。


 涙が便箋に流れ落ち、染みとなって広がっていく。

 それでも涙を止めることなんかできなくて、ただただ懺悔の念に心を潰されていくばかり。


 水城は……幼馴染の心情を知って、言葉が出せなくなる程の後悔に駆られる。


 あの日、水城が明星と出会った日……きっと既に、楓は別れの予兆を感じていたのだろう。


 だから彼女は、その夜――水城に問いかけた。


 でもあの時水城は応じることができなくて、幼馴染という関係性を壊す覚悟が持てなくて。


 ……だけど楓にとっては……きっと、全ての勇気を振り絞って出した言葉。


 自分たちが一人の人間であることを知っていて、幼馴染でなくなるかもしれない恐怖をねじ伏せて、もうすぐ別離することを覚悟して、その末に出した誘引。


 それが叶わなかった彼女は、どんな心情で夜を過ごしたのだろうか。


 受け入れられなかった彼女は、どんな想いで水城を抱きしめていたのだろうか。


「…………………ぁ……………ぁあ……」


 そして、水城は――、

 あらん限りの声で慟哭した。


 心に重く圧し掛かる自責を忘れようと、半狂乱になって叫び続けた。


 その心に理性などない、その瞳に生気などない、その脳に自我などない。


 ただ悔いに蝕まれる生命がそこにいるだけ。


 新人類と呼ばれし肉人形がそこで狂っているだけ。



 もう彼の心には何も残っていない。


 優しさも温もりも、世界も愛情も。


 彼を動かす原動力はただ一つ、心を失った彼が依るものはただ一人。


 例え自分のことを忘却していたとしても。


 全てを敵に回したとしても。


 鈴蘭楓を取り戻す。



 最後まで楓の傍に居続けると、あの日誓ったのだから……。

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