17章 代償
「遅くなってすまないな、水城」
運転席で紙巻き煙草を吸う男は、彼の祖父である柊誠二だった。
いつも家で見せている柔和な表情とは違う、敵影を見逃さないよう鋭い目つきでバックミラーを睨んでいる。
何故祖父がここに……とのたまうほど、水城は鈍い男ではない。
誠二は今まで、『水城の母親は出産時に産科危機的出血を起こして死亡した』と語っていた。
しかし水城が皇紅葉本人ならばそんな経緯はあり得ない。
皇紅葉の現世転生に関与していると見るべきだろう。
「明星は……俺と楓のことを知っていたんですね」
「……うん、そうだよ」
一呼吸置いて返事をしたのはアルビレオだった。
言葉を選びながら、彼は真実を吐露する。
「僕たちは君の母親によって異世界から助け出された者たちだ。だからその転生先である君たちを導くのも、僕たちに与えられた使命なんだよ」
「……導くって、人類が死に絶えた世界にでしょう……」
「……そうだね、結果的にはそうなるよ」
その頭領がアルビレオであろうが橘樹衛であろうが、迎える結末はどちらも同じ。
全ての人類は死に絶え、新人類が未来へと希望を繋ぐ。
「人間の滅び去った世界で、君と鈴蘭君が始祖となる。……その為には、世の中の人間全てを殺さなければならなかった。天才以外の遺伝子が混じるのは好ましくないし……人は生きているだけで地球上のリソースを無駄遣いする。滅亡に近づいていくだけだ」
「だから……全人類に自殺衝動のプログラムを行き届かせたんですね。来るべき時に全人類が死に至るように」
「そうだ。即座に自殺させなかったのは、君たちが大人になるまで待っていたのもあるが――人類という資源を異世界に渡し、その技術を得ることが目的でもあった。こちらの世界の技術力を高めれば、少しでも新人類の役に立つだろうと思ってね」
……技術のベースを上げることにより、新人類が滅びの未来を回避する可能性を上げる策謀。
きっとその作戦は、倫理観を除いて考えれば当然の帰着だ。
それを考案した皇紅葉は、どんな思いだったのだろう。
全ての人類を殺してまでこの種族の存続を願う彼女は、どんな視点で世界を見ていたのだろう……。
「……滅びの時を迎えて生き延びるのは……俺たちだけなんですか」
「異世界から来た僕たち不老不死者は思想がデザインされていないから生存する。そして皇紅葉の転生先である君たちは、本人の死体を元に作られたのだから思想をデザインする者がおらず生存する。……生き残るのはそれだけ。これが未来の構図だ」
生存者は新人類と、異世界から来た者だけ。
……合計すると何名になるのだろう。
恐らく百名にも満たない人数のはずだ。
「僕たちのような異世界から来た者は肉体改造を施され、不老不死を与えられた代わりに生殖機能が失われている。つまり君と鈴蘭君が唯一生殖可能な存在、人類の始祖であるアダムとイヴになるんだ」
「俺たちが、人類の始祖に……」
「それが皇紅葉の導き出した、人類の生き残る唯一の方法」
それは皇紅葉と皇紅葉が交配して、人口を増やしていくことだ。
一人の人間から子孫が反映していく。
即ち全ての人間が皇紅葉になる……。
「でもそれじゃあ、近親相姦どころの話じゃない……!」
「無論、遺伝的リスクは極力減るように脳と体は作られている。……今の人類より障碍発生確率はあるだろうが、それでも絶滅に比べたら遥かに軽微なリスクだ」
何もかもが計画的、何もかもが筋書き通り。
皇紅葉の考えた、人類を救う唯一の手段だった。
「……僕たち明星はその為に存在する。滅びを遂行し、人類が消えた世界で君たちの生存をサポートする為に生きているんだ。尤も明星の大多数は現世の人間、残るはせいぜい五十人弱だろうけどね。……それで話が済めばよかったが、裏切り者が現れたんだ」
宿敵の顔を思い浮かべながら、忌々し気にアルビレオは言う。
「やがて訪れる新天新地は、君たち新人類を中心とした世界。僕たちは補佐に過ぎないはずだった。……だが国王を中心とした一部の者たちはそれに反発して、自分たちこそが新人類を管理し、新たな世界を牛耳るべきだと主張し始めたんだ」
「それが国家と国衛隊……?」
「その大元だね。彼らは君たちを繁殖の機械として扱い、生まれた子は人類の技術を高める道具としか見ない。新人類を奴隷のように扱い、永遠の王座を謳歌したいだけの下衆さ」
それが明星と国家の闘いに繋がっている。
……だがどちらの未来を選んでも人類は滅びるのだ。
彼らの違いは新たな世界の主が誰かということだけ。
誰も、現人類の生存を望まない……。
「……水城君。異世界から来た明星メンバーである僕たちはね、皇紅葉に忠誠を誓っている。彼女が僕たちを異世界から助けてくれた、彼女が異世界に不老不死の存在が必要だと頼み込んだから現世に来ることができたんだ」
ふと水城の脳裏をよぎるアルビレオの表情は、ヒスティリアで見たものだった。
あの場所で見た凄惨な映像。
そんな世界にアルビレオもいて、同じ拷問を受けていた過去の記憶を蘇らせた時の表情。
……それを鑑みれば、彼が皇紅葉に忠誠を誓っていると言うのも頷ける話だった。
永遠に続く拷問から救い上げてくれた人に恩義を感じる気持ちは、水城にだって理解できる。
「だから、僕は皇紅葉の命令に従い続けるが――」
そこでようやく、アルビレオが水城と視線を合わせる。
「今や君たちが皇紅葉だ、僕たちは君と鈴蘭君に従う。……君は皇紅葉の計画を進めるかい?」
「……」
急にそんなこと言われても、何も言えるわけがない。
何故なら人の滅びは既定事項、避けようがない運命なのだから。
それならば皇紅葉の言う通り新人類の生きる世界を作るのが一番良い選択肢なのではないか。
でもそれも浅薄だ。
考え抜いた結論でなければどうしようもない、特に新人類は二人いるのだから相談しなければ――。
――そこで、水城はようやく気付く。
「楓は……? 俺を助けたってことは、楓も助けてくれたんですよね……」
「……」
一瞬――アルビレオは形容しがたい表情をした。
まるでそれはとてつもなく答え辛い質問をされたかのように。
されたかのように、ではない。
現に彼は困っている。
何度も言葉を選んでは呑み込んで、数秒間の葛藤の末に絞り出た声は弱々しかった。
「……鈴蘭君の行方は……分からない」
「なに……!?」
水城が思わず身を乗り出す。
……その言葉の意味は、あまりにも重すぎた。
「水城君の行き先は特定できたけど、鈴蘭君の行き先は分からなかったんだ。A倉庫に運ばれた、という内容しか諜報できなかったからね。それだけの手がかりじゃどうしようもない……」
「……う」
水城の足が震えだす。
顔面が蒼白になり、その口から僅かな胃液が零れだした。
食事を与えられなかった彼の胃には何もない、だが彼は絞り出すように胃液を吐瀉し続ける。
そんな彼の背をさすりながら、アルビレオは自分に言い聞かせるように言う。
「生きているよ、必ず……! 新人類を丁重に扱わないわけがない……!」
「………………………………」
水城だって新人類だ。
だが衛は躊躇なく想像を絶する艱難を与え続けた。
だから、楓だって例外ではないだろう。
彼女だって同じ苦痛を与えられるだろう。
心の中に孤独の色が差す。
忌まわしい記憶が蘇る。
肉片と化して死んでいく先輩たち。
涙と共に別れを告げる幼馴染の姿。
生きたまま肉を削がれ骨にされていく感覚――。
「……!」
水城は膝を抱えて体を丸めた。
全てを拒絶するかのように。
「柊君……?」
「……早くッ、早く学校に向かってくれッ! これ以上……俺はもう、失えない……!」
先輩が地獄に落ちて、幼馴染がいなくなって、彼に残されたのは友人たちの存在だけ。
彼らを失えばもう、水城にとって心の拠り所がなくなってしまう。
だから水城は半ば悲鳴のような語気で、学校へ向かうよう指示する他ない。
例え僅かでも友人たちを救える可能性があるなら、それに依るしか今の彼にはできないのだから。
「……それは……あまり、推奨できないかな……」
だがアルビレオは苦々しい表情で、首を横に振る。
「もし自殺を止められなかったら、君は仲間たちが死ぬのをすぐ傍で見ることになるんだよ……? そんなの……あまりにも残酷すぎるよ」
彼は仲間たちの死を見せないために、病院地下で今日が三月九日という嘘を吐いたのだろう。
死を止められる可能性が薄い以上、妥当な判断だ。
……だが、今の水城に通じるはずもない。
「いいからッ! ……明星は皇紅葉の転生先である俺に従うんだろッ!? 命令だ、行けッ! 俺を学校まで連れていけッ!」
「………………………………」
アルビレオはしばらく、重々しい沈黙を続け――。
「……君がそう言うなら従おう。……でもね、後悔しないでよ」
君は今、最悪の選択肢を選んだのだからね……。
そう、アルビレオは小さく呟いた。




